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日蘭世界 FFR支援ネタ イル・ド・フランス、その数奇な運命 前編



「戦争が始まったか…。」


ある船の艦橋、新聞を読んでいた壮年の紳士、客船イル・ド・フランスの船長は艦橋で呟く。
イル・ド・フランスとノルマンディー、二隻のフランスが誇る豪華客船が大戦の始まりを知ったのは母国フランスではなくアメリカ合衆国ニューヨークであった。


イル・ド・フランスとノルマンディー。
この二隻の豪華客船は史実では大西洋航路に投入する為に建造されフランス文化が広まる切っ掛けを作った名客船である。
それはこの世界でも変わらず。
イル・ド・フランスは調度品に拘り全て特注品であり、アールデコ調の室内空間及びサービスも並みのホテルを凌駕、
『そこはもうフランス』の言葉に偽りはなくアメリカから出発する者には異国フランスの建物に入った錯覚にとらわれる刺激や満足感、
帰国する者には安堵感や郷愁をもたらした。

そしてノルマンディーはブルーリボン賞を狙いフランスの威信を以て建造され、専用の船台と専用ドックすら建造された程であった。
なおそのお金を軍備に向けていれば陸でも海でも苦労しなかったとの話もあったが、このドック後にFFRの時代に大きな財産となることになる。

戦間期、彼女たちは大西洋を行き来し多くの人々に夢を見せ乗せてきた訳であるが戦争の足音が近づけばそうも言っていられなくなった。
開戦直前、彼女たちの姿は大西洋上にあった。
フランスより脱出するアメリカ人やその他出国者を規定数以上を抱え洋上を行く姿は豪華客船というよりも難民船と言った方が良い有様であった。
彼女らが誇るサービスを満足に提供出来なかったことからも状況を察することが出来た。
そして彼女らは開戦前であったが少しずつ近づく軍靴の足音に怯えながらニューヨークを目指した。


そしてニューヨークに着いて知ったのは開戦と続くフランスの早期陥落。
帰るべき祖国も失い二隻の海の姫君達は亡国の姫と成り果てた訳であるが運命は彼女達に悲しむ暇も与え無かった。
先のハワイ戦や重なる被害により戦闘艦は元より輸送艦を始めとする船舶さえも大量に喪失したアメリカが強制接収を行ったからだ。
船長らは国際法や協定違反ではないかとアメリカ側に抗議すれど後が無くなり始めているアメリカ側が聞く耳を持つ筈もなく。
暇を持て余していた陸軍も投入し他の船舶も含め接収を強行、船長始め少なくない血が流れることとなった。
そして彼女達は着ていたドレス(内装)を脱がされ、アメリカの男達を無理矢理受け入れることとなった。

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イル・ド・フランスとノルマンディーは接収されアメリカの船として船名を変更された。
そこには早期に陥落した彼女らの祖国への悪意を込められていた。
ノルマンディーには『フロッガー(カエル喰い)』、一部に祖国の名を冠するイル・ド・フランスは『サレンダー(降伏)』と名付けられのだ。
なおイル・ド・フランスの米軍籍時の名前から猿に降伏した同じ猿という意味でサレンダーモンキーという蔑称が英語で生まれたのは有名な話である。

一時は巨大な船である二隻を航空母艦へと改装する話もあったが時間が掛かるということでイル・ド・フランス、ノルマンディー共にそのまま大西洋でのに従事した。
イギリス始め同盟国への物資や米軍人の輸送、時には小型艦艇への補給にも駆り出されることもあった。
特にノルマンディーなどはその速力から重宝され時には強行輸送任務にまで駆り出される程であった。
故に何度も日蘭やその同盟国の艦艇と遭遇したのであるが、彼女達凄まじく運が良かった。


なけなしの対空火器こそ装備された訳であるが本来は客船な上に末期は空母や戦艦はおろか護衛艦艇に困る有様な状況、
加え戦争後期は物資や燃料の不足で出港すら出来なかったのに輸送船団の他の艦船や停泊中の船舶が撃沈される中、しぶとく生き残ったのだ。
あの日蘭の攻撃から生き延びたというだけで快挙である。

爆弾の直撃や魚雷まで受けながら不発に終わり他の米艦艇がどんどこ沈んでいく中で生き残っていく様は米海軍軍人から死神と恐れられた。
他の艦艇の血を啜って生きているとまで噂され、イル・ド・フランスやノルマンディーが同行すると知れると乗船拒否する者が多発し、
せめて両船に乗せてくれと懇願する軍人が多かったからも知れる。
一部の者からは乗員を殺され無理矢理米国船籍にされた二隻の呪いではないかと噂された。
そして戦争末期、彼女達はイギリスへの輸送任務中にそのイギリスが降伏、日蘭艦隊に捕捉され逃げれないと艦長らが判断し降伏することとなった。



そして戦後、彼女達はほぼ無傷のまま迎えた戦後を迎えた。
彼女らは他の米艦艇と同様に日蘭に接収された訳なのだが…日蘭は扱いに困っていた。
ほぼ無傷な優良船舶なれど輸送船ならば十分に在庫があるし客船も同上であったからだ。
これが同規模の大型軍用艦艇ならば使い道もあったというのは当時魔王と恐れられた日本の財務関係者のボヤキである。
ついでに米国に返還しようにも当時は分裂の混乱の最中でどうしようもない…で中華の大地と同様に祖国フランスに押し付kもとい返還されることとなった。


日蘭監督下で彼女達が帰国した当初、祖国フランスは敗戦の痛手に喘いでいた。
そんな中でも彼女達の帰還は船会社や建造元、元乗員らに歓迎され生まれ故郷サン=ナゼールの地を再び踏み、同地で整備を受けることとなった。

その際に判明したのは船体にこそ大きな損傷はなかったがかつての栄華の欠片もない剥ぎ取られた内装、
英語それもアメリカ人やイギリス人手の物と思われる淫売や敗北主義者、負け犬等彼女達を嘲笑する落書きなどで荒廃した船内の光景。
かつての彼女達を知る者は涙し、アメリカ人とイギリス人、特にイギリス人の仕打ちに怒りを募らせることとなる。

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そして暫しの休養(整備)の後、身体に彫られた入れ墨(落書き)を消し、粗末な衣服(内装)を纏い少々彼女達は再び錨を上げた。
それも客船としてではなく人員物資輸送船としてだがこれこそが祖国を守る彼女達の本当の戦いの始まりだった。

彼女達は祖国の為に七つの海を駆け巡った。
ヒトモノカネ、全てが足りない祖国の為に日蘭勢力圏から最低限とはいえ支援物資を連日輸送し、各戦線各国より引き揚げる多くのフランス人達を祖国へと送り届けたのだ。
敗戦で意気消沈していた引揚げるフランス人達はこれ程の大きな船、しかも大西洋航路で名を馳せた名客船が生き残ったのかと彼女達の迎えに感動し、
更にフランス本土で後に国家の柱となる戦艦リシュリューに迎えられ大いに勇気付けられた。
祖国の為に、これこそが彼女達の名声を大いに高めた。

そして何より彼女達の誉となったのが中華、後のエスト・シナからの引揚げの航海で元帥より受けた薫陶である。
可能な限りの手洗いに加え消毒の徹底、これにより彼女達が行った引揚げにおいては傷病者はいれど死者を一人も出さずに帰還させたことだろう。



そして最後の引揚げの日に悲劇が起きた。
イル・ド・フランスとノルマンディー、祖国復興の為に尽力した両船はフランス本土まで後少しという所まで来ていた。



衝撃波



揺れるイル・ド・フランスの乗員が慌てて外に出ると黒煙が目に入る、その大本見ればノルマンディー。
見れば彼女は黒煙を上げて傾いていた。

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以上になります。転載はご自由にどうぞ。
なおノルマンディーが最後を迎えたのは接収されたアメリカでだったり。

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最終更新:2021年12月14日 00:01