713: 名無しさん :2021/12/27(月) 18:26:14 HOST:sp49-98-17-220.msb.spmode.ne.jp
とある大陸日本がある世界で。
(便宜上「
近似世界」と呼称させて頂きます)
中東方面ネタ流します。
714: 名無しさん :2021/12/27(月) 18:27:42 HOST:sp49-98-17-220.msb.spmode.ne.jp
「さて、どうしたものか……」
第二次世界大戦にて米英に付き従い(
夢幻会視点)枢軸国を撃破。
国連安保理の常任理事国にもなり無事戦後世界の重鎮に収まることができた日本。
その中心たる夢幻会会合では、今後の方針を決めるにあたってとある国の存在が重要な議題となっていた。
イラン帝国、もしくはパフラヴィー朝イラン。
1921年のクーデターにてガージャール朝ペルシア帝国を打倒して建国されたこの国は、昔からそうであったように、英露の狭間でグレートゲームに翻弄されていた。
WW2中には両国の手を払いのけようと枢軸国に接近したものの、それが逆に英ソのイラン進駐を招き全土を占領されたのだった。
幸い、同じ連合国だった日本の苦言もあって終戦直後に両国は撤兵して国土は解放されたものの北部ではソ連が少数民族を支援し、南部ではイギリスが石油利権の残りを握り間接的な支配を継続しようとしていた。
この状況の中で、近隣のインドが日本陣営に接近したのを見て、イランも日本への接近を始めたのだった。
「それで、我々が設立する同盟への参加希望ですか……しかし、あのイランが…」
「かの国は旧来から英露の圧力に翻弄されていた。枢軸国無き今、その両者に対抗できる第三極となった我々に近づくのも理解できる。」
日本の本格的な中東関与は、19世紀のスエズ運河建設まで遡る。
当時、フランスが建設していたスエズ運河は、その前代未聞の計画の実現性を疑問視されており、国際的評判は芳しくなくスエズ運河会社の株式の買い手はフランスを除き存在しなかった。
しかし、この運河の将来性を知っていた日本は大々的に投資したのだった。
イギリスは本来スエズ運河には反対の立場だったが、運河が完成してみればここを通過する8割の船が英船籍だった。
当たり前だが、英印と英本国を繋いだスエズ運河は、イギリスにとって海上貿易の最重要地点となっていたのだった。
故に、オスマン帝国が経済難からスエズ運河会社の株式を手放すと、イギリスは即座にこれを取得。
同時に日本にも株式買い取り交渉を持ち掛け、遂に筆頭株主へと登り詰めた。
無論ただの金銭的取引だけでは済まず、日本はこの機会にペルシャ湾地域の大小様々な利権や優先権をイギリスからもぎ取っていた。
イギリスとしても、中東でロシアとグレートゲームをしている関係上、極東でロシアと国境を接している日本を中東情勢に巻き込む事は、ロシアへの対抗上有益と見なされたのだ。
これらはいずれ採掘されるクウェートの油田を睨んだもので、当初はイランとの関係も穏当なビジネスだけに留めるつもりだった。
しかし、イランの英露への反発は相当なものだったらしく、急速な日本への政治的傾倒が進んでいたのだった。
「しかし、イランってこの後革命起きますよね。宗教的なヤツ。」
史実にてイランは、独裁的なパフラヴィー朝に対して、宗教指導者を頭に民衆反乱を起こし政府を打倒。
アメリカの支援の元進んでいた世俗主義、西欧化の一切を排除して厳格な宗教国家となったのだ。
715: 名無しさん :2021/12/27(月) 18:28:58 HOST:sp49-98-17-220.msb.spmode.ne.jp
「この手の国とは付き合い辛いですよ」
「身内にしても、知らない間に地雷を踏んで反日テロ連発となったら洒落にならんぞ」
そういった否定的な意見が出る中、1人の会合メンバーが前に出る。
「まぁ待ってください。今ならまだやりようはあります」
そもそもイランにて革命が起こったのも、元々は経済的問題が原因だ。
革命が起こるまでの道筋は
イランのナショナリズムの高まり
↓
資源国有化の断行
↓
米英支援による政権転覆
↓
親米独裁政権樹立
↓
経済が行き詰まり不安定化
という、冷戦期によく見るような杜撰な陰謀構造だった。
そして大本である石油国有化も、石油メジャーによる利益独占への不満が大きな原因となっている。
「つまり、今ならまだイランの……穏当な世俗主義化は間に合うと?」
「えぇ。ナショナリズムの隆盛は止められませんが、上手く付き合っていくことは可能でしょう」
「我々としてはブルガン油田もある以上、イランの石油だけに固執することはないと考えております」
イランが石油資源による収入を得れば、それを元手に国内開発をおこなえる。
「まずはインフラ整備と教育の普及ですかね」
「農業技術や設備の支援も同時に行わなくては。農村の余剰人口は工業化の手助けとなる」
「ストロー効果は悪く言われることが多いですが、独自色が強すぎる地方の部族権力を弱めるのには最適です」
「現地に石油加工製品の工場を建設して地方の余剰人口を吸収しましょう。金が回り始めれば、故郷に錦を飾りたいと思う者も出てくるでしょうし、民族資本も育ってくるでしょう」
「家電や日用品など……商品を見せて現地の購買欲を刺激することも必要でしょうな。こちらはしばらく赤字が続きそうですが、政府開発援助の一環で支援します。お願いできますか?」
「えぇ、わかりました。市場開拓のチャンスですね、イランの人々に大量消費社会の楽しさを教えてやりましょう」
1950年代イラン。
史実ならば、CIA主導のクーデターによってモサデク政権が崩壊していた時期。
そんな時代に、この世界では約300年ぶりの日本流友好国改造手術が始まるのであった。
716: 名無しさん :2021/12/27(月) 18:30:57 HOST:sp49-98-17-220.msb.spmode.ne.jp
以上です、ありがとうございます。
やるとなったら徹底的に、イランを中東における日本の代理人にしてしまいましょうという話でした。
最終更新:2022年01月20日 12:52