842 : テツ:2012/02/12(日) 01:57:45
「決意は変わらないかね?」
東京セネタースのオーナー代行兼ゼネラルマネージャーの閑院宮篤仁は問う。
「はい」
ソファーの対面に座っていた白人の青年が、短くもはっきり答える。
「殿下には本当に感謝しています。あの戦争が終わって、故郷をなくしてしまった私に、捕虜だった私に、もう一度野球をする機会をくれたのですから」
青年は元アメリカ海軍の水兵だった。日米間がきな臭くなって海軍に志願、戦艦の対空砲を指揮する下士官であったが、乗艦が撃沈され捕虜となった。
青年はアイオワ州出身であった。彼の故郷は
アメリカ風邪の影響下からまぬがれる事は出来なかった。
「西海岸・・・カリフォルニア共和国、確かに私の故郷ではありません。しかし・・・」
郷愁の念は抑えがたかった。たとえ国の名前が変わったとしても。
「君が私のスカウトに応じてくれて、これでチームの投手陣はあと5年は安泰だと思ったものさ」
日米戦が実質的に終わって、捕虜が解放された。その時に篤仁が青年をスカウトしたのだ。「もう一度、野球をやってみないか」。故郷に帰ることも出来ない青年に唯一残されたものは野球しかなかった。
「ヴィクトルや二郎、苅田キャプテンやチームメイトたちとは離れがたいです。ほんの数年ですが一緒に野球をした仲間ですから」
「だがそれでも・・・か」
二人の間に沈黙が落ちる。
視線が自然と額縁に飾られた写真に向かう。「194X年 東京セネタース 初優勝」。彼らが成し遂げた最高の瞬間を切り取った写真。
「解った。それでは君とは今季限りで自由契約とする。短い間だったが、君と一緒に野球を出来たことを、私は忘れない」
「ありがとうございます。私も、殿下やみんなと野球を出来たことを一生の誇りとします」
そして二人はがっちりと握手をした。
「さようなら、ロバート・ウィリアム・アンドリュー“ボブ”・フェラー。君のあちらでの活躍を心から願っている」
史実において「火の玉フェラー」と呼ばれた266勝投手は、再びベースボールプレイヤーとして新たな祖国に旅立とうとしていた。
終わり
845 : テツ:2012/02/12(日) 10:40:11
わからない人向けの解説
ロバート・ウィリアム・アンドリュー“ボブ”・フェラー(Robert William Andrew "Bob" Feller, 1918年11月3日 - 2010年12月15日)
17歳でクリーブランド・インディアンスとメジャー契約を結ぶ。在籍18年で266勝2581奪三振。ノーヒッター3回、主なタイトルで最多勝6回、最優秀防御率1回、最多奪三振7回。
火の玉フェラーの名の通りの剛速球ピッチャー。1946年に米軍協力の下でスピード調査したところ、107.9マイル(約172キロ)だったという
太平洋戦争に4年従軍。それが無ければ350勝3000奪三振していたといわれる
補足
サチェル・ペイジのことはこう評している
「サチェル・ペイジの投げるボールがファストボールなら、俺の投げるボールはチェンジアップだ」
最終更新:2012年02月15日 19:00