264 :YVH:2012/02/12(日) 18:58:16
帝国政府が内外で活発に動き出した頃、新無憂宮の一角では日本に行く事を表明した皇帝フリードリヒ四世の
今後の処遇に付いての話し合いが持たれた。
参加者は当の本人、フリードリヒ四世、譲位宣言後に摂政皇太子となったルードヴィッヒ大公
四公爵たち、国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書代理ゲルラッハ子爵、宮内尚書ノイケルン伯爵
典礼尚書アイゼンフート伯爵(と補佐役の次官スピエルドルフ男爵)。
すでに皇帝からは、退位後にジッキンゲン=ゴールデンバウム大公を名乗る事が内示されてはいるが
この称号を一時的なものにするか、世襲の大公家として遇するかが問題となった。
過去の歴史において、今回の事例に一番近いのはグスタフ帝から異母弟マクシミリアン=ヨーゼフへの譲位ではあったが
こちらは、譲位後間もなくグスタフ帝が崩御した為、後の処遇は考慮される事は無かった。
だが、今回は健常な状態での譲位であり且つ、相手国との折衝、および駐在大使にまで役目が波及する事も考えられ
一時的な地位とすると、任免問題が度々発生すると考えられる等、問題(主に格式上の)もある為に、この話し合いは持たれた。
議論は色々と出たが、リヒテンラーデ侯がフェザーンに居るレムシャイド伯爵経由で手に入れた日本に関する資料の中から
参考になりそうな事例を紹介した。
それは地球時代、日本がエドジダイと言われていた時期に、ある特定に寺院に時のミカドの近親者をお迎えしていたという物であった。
僧侶という概念は帝国では絶えて久しかった為、問題にはされなかったが、形態的にまるで人質みたいではないかという意見が
一部から出たが、万が一の時の血統保持には有用ではないかという四公爵からの意見で存続させる方向で話は進められた。
相続に付いては、帝位継承権は一応は保持するが、基本的には世襲の駐在大使として遇し、フリードリヒ四世に子が生まれれば
基本的にはその系統をもって代々受け継がせる。もし、系統が絶えた場合は時の皇帝の皇子の一人を養子として送り込む。
帝国内の地位的には大公家は四公爵家の上座とされた。
領地に付いては、旧ジッキンゲン男爵領を大公領として宛がう事とした。
これは四公爵家との兼ね合いで、地位的には上だが経済的には四公爵家の下位とすることで、バランスをとったとも言える。
【あとがき】
帝国なら、出てくる問題だろうという事で
妄想してみました。
最終更新:2012年02月15日 19:34