496: yukikaze :2022/02/06(日) 19:36:46 HOST:p343168-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
やっと・・・やっと書けた。本当に長かった。
つたない代物ですが、前述した日本連邦世界におけるアメリカ戦艦ご笑納ください。

アイオワ級戦艦(大改装時)

基準排水量  35,000 t
満載排水量  39,000 t
全長 232.4 m
最大幅 30.4 m
吃水 9.3 m
主缶  バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶8基
主機 GE式ギヤード・タービン4基4軸
出力 130,000馬力
速力 29.0ノット
航続距離 15ノットで 17,000浬
乗員 約3,900名
兵装 45口径35cm連装砲 4基
    53口径15.2cm単装砲10基(片舷5基づつ)
    38口径12.7cm連装高角砲6基(片舷3基づつ)
ラインメタル3.7cm連装機関砲10基(片舷5基づつ)
装甲 舷側 300mm
    甲鈑 135mm(+32mm高張力鋼板)
    主砲防盾 457mm(前盾)254mm(側盾)178mm(天蓋)
同型艦 『アイオワ』『ニュージャージー』『ウィスコンシン』『ミズーリ』『イリノイ』『ケンタッキー』

(解説)
アメリカ連合共和国海軍が1920年代に建造したアイオワ級戦艦を大改装した姿である。
虎の子と言われたオハイオ級戦艦が温存されがちであったのに対し、やや旧式であった本級は、第二次大戦中も積極的に運用され、特に『イリノイ』と『ケンタッキー』は、ハルゼータスクフォースの中核として活躍することになる。

同級の基礎となったのは、ドイツ第二帝国海軍が建造しようとしたマッケンゼン級巡洋戦艦である。
同巡洋戦艦は、主砲の大きさでイギリス海軍に後れを取っていたドイツ海軍の回答であり、この時代の常識で見れば、巡洋戦艦と銘打っているが、高速戦艦と言っていい代物であった。
だが、極東の欠片も空気を読むことのない海軍が、同巡洋戦艦の運命を狂わせることになる。

1911年度に4隻、1913年度に2隻と、計6隻建造された山城級戦艦は、45口径38センチ砲3連装砲を3基9門備えた戦艦であり、しかもそれが(日本海軍の公式発表を信じるならば)27ノット強で走らせることができるという化け物であった。同級に対抗できる艦は、辛うじてイギリスのクイーンエリザベス級戦艦であり、それですら攻撃力と速度という点では不利という状態であった。(そして防御力もクイーンエリザベス級と同等以上ということが判明した時点で、誰も彼もが匙を投げた)
この状況に、列強海軍は一様に頭を抱えたとされるが、カイザーの狂乱は度を越えており、山城級に対して「何と邪悪で禍々しい艦なのか」と罵声を浴びせ「劣等人種が下らぬ妄想を抱かぬよう、最強の艦を作らねばならぬ」と、海軍省に厳命する程であった。

後に「カイザーのいつもの余計な一言の中でも最悪級の一言」とされるこの命令により、ドイツ海軍は対山城級対策の戦艦建造に注力せざるを得なくなり、建艦計画を狂わせるだけでなく、陸軍や潜水艦に配分すべきリソースすら奪ってしまうということになったのだが、マッケンゼン級もその余波を食らってしまい、設計が二転三転したあげく、最終的にジークフリート級巡洋戦艦(史実ヨルク代艦級)に統合されることになる。
これによりマッケンゼン級巡洋戦艦も、数多の船と同じくペーパープランとして消える運命にあったのだが、そんな彼女が表舞台に立つことになったのが、1920年代の米独間の急速な関係構築であった。

第一次大戦を辛うじて引き分けたドイツ第二帝国であったが、その内情はボロボロであった。
西部戦線ではベルギーの過半を制圧したままであったが、東部戦線では、イェケ・モンゴル・ウルス相手に深追いしたことが祟って、カザンでの決戦で大敗。そのまま勢いに乗ったモンゴルに、ベラルーシ、バルト3国、ウクライナから叩き出されるという屈辱を味わっている。
その結果、体制疲労を起こしていたオーストリアは脆くも崩壊。
『大統合』の名のもとに、オーストリア領を併合したドイツ第二帝国であったが、戦争で疲弊したドイツ経済に旧オーストリア領及びそこにいる多数の民族を養うだけの余力はどこにもなく、自壊寸前にまで追い込まれていた。

こうした状況に危機感を覚えていたドイツ官界の中堅官僚やドイツ財界が目を向けたのが、アメリカ連合共和国であった。
元々、ドイツとアメリカ連合共和国の関係は、それぞれが国際的に孤立していたこともあって比較的良好であり、特にドイツの財界にとっては、工業製品を高値で買ってくれるお得意様であった。
大戦中は、英仏海軍の海上封鎖によって両国間の交流はほぼ没交渉となっていたが、当時の駐米大使は名うての黄禍論者兼白人至上主義者であり、全米各地を精力的に遊説。
こうしたこともあって、戦後においてもアメリカ連合共和国では官民問わず親独世論が形成されていた。

497: yukikaze :2022/02/06(日) 19:38:15 HOST:p343168-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
こうした事実に、ドイツ財界や中堅官僚達は、戦時中に作り過ぎた兵器の処分兼東方植民地を失った分の資源供給地としてアメリカ連合共和国及び北元へのアプローチを強化。件の駐米大使を本国に召還して、外務大臣に新任させることで、アメリカとの関係強化の流れを強めることになる。
アメリカ自身も、自国のダブついた穀物や資源を大量に購入してくれるドイツは有望な市場であり、何より彼らが欲してやまなかった優秀な兵器や一流の工作機械が安定供給できるめどがついたのは大きかった。

これにより、両国間において従来の関係をより進めるべきであるという考えが生じるのは必然的であり、それが実を結んだのが、1921年に結ばれた事実上の軍事同盟である『鋼鉄条約』に他ならなかった。
以降、ドイツとアメリカとの間では、軍事技術の共同開発や、軍人の相互交流が活発化することになるのだが、この鋼鉄条約の目玉としてプレゼンされたものこそ、マッケンゼン級巡洋戦艦であった。

実のところ、アメリカ側にとってマッケンゼン級巡洋戦艦は、それほど嬉しいものではなかった。
何しろ、大半の列強が38センチクラスの主砲を備えているのに対し、マッケンゼンは35センチなのである。
アメリカ側としては、ジークフリート級巡洋戦艦か、最低でもバイエルン級戦艦を欲していたのだが、大口径主砲の技術については、さしものドイツもホイホイ渡せるはずもなく、何よりもジークフリート級の取得費用がマッケンゼンの1.5倍であるという事実に、アメリカ側も渋々引き下がるしかなかった。

とはいえ、マッケンゼン級巡洋戦艦の存在は、アメリカ海軍にとっては干天の慈雨であった。
実際には、設計が旧式化していた艦ではあったものの、ユトランド沖海戦のドイツ海軍の活躍から「ドイツ軍艦は粘り強い」という認識があり、大量に戦艦を備えることができないアメリカ海軍にとってはうってつけであった。
速度も27ノットと、当時としては高速であり、主砲口径こそワンランク下ではあるが、ドイツお得意のカタログデータ詐欺によって、日英の38センチ砲と同格と見せられていた。
何より、予算不足により大型艦艇の建造のノウハウが殆どないアメリカ海軍にとって、マッケンゼン級の設計図やそれに伴う装甲板や大口径砲の製造技術の取得は、これ以上ないほどの恩恵を与えているし、そうでなければ、オハイオ級戦艦の建造はかなり遅くなっていたであろう。

さて、ドイツ海軍の技術指導の下、1920年度前半から建造されたアイオワ級戦艦は、最終的に6隻建造されることになったのだが、突如、大西洋の西岸に高速戦艦が6隻出現したイギリスの狼狽は相当の物であった。
この時期のイギリスは、アドミラル級巡洋戦艦6隻、クイーンエリザベス級戦艦8隻を主力としていた。
しかし、アドミラル級巡洋戦艦は、ユトランド沖海戦の結果や、日本が建造した長門級戦艦の情報を受けて改設計をしたものの、根本的な設計変更は間に合わず、しかもドイツ海軍はドイツ海軍でジークフリート級巡洋戦艦を建造しているせいで、主砲こそ無理やり40.6センチ砲にできたものの、防御力は対40.6センチどころか、対38センチにも対応できていない欠点があった。
それでもジークフリート級相手にはまだ対応できたものの、クイーンエリザベス級戦艦よりも攻撃力は低くても速力のあるアイオワ級が6隻もあるということは、イギリスの国防戦略を根本的にひっくり返す代物であった。
同級が就役して以降、イギリスが対日外交に対してこれまで以上に真摯に取り組んだのも、同盟国のフランス海軍の強化が遅々として進まなかったことから、日本海軍を最悪でも好意的中立に持って行かなければ、大英帝国そのものが崩壊しかねないからであった。

このように、列強の軍事戦略を捻じ曲げるほどのインパクトを残したアイオワ級戦艦であるが、1930年代になると流石に陳腐化が目立つことになる。
特に水平防御については、砲弾の改良等により、自身が持つ主砲にも耐えられないという状況になっており、アメリカ海軍は、同級を近代化改装することによって、次期主力戦艦建造のための経験値獲得&同級の戦力維持を図ろうとしていたのである。
アメリカ政府も、同級の近代化改装は、不況に陥りつつあった造船業への公共事業として使えるという観点から積極的に後押しすることになる。

498: yukikaze :2022/02/06(日) 19:38:59 HOST:p343168-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
以下、同級の特徴について述べていく。

主砲については、45口径35cm連装砲に変わりはないものの、主砲弾については、新型のSHSに変更している。
元々ドイツ海軍の徹甲弾の性能は、第一次大戦時においては世界でも有数の性能を有していたのだが、どちらかというと近距離戦主体であったことから、中~遠距離戦では実態と合わないところがあった。
同砲弾では、従来よりも重量を重くすることで、近距離での威力はやや劣るものの、中~遠距離での威力を高めており、アメリカ海軍の試算では、日英海軍の38センチ砲弾以上であるとされていた。
実際には、中~遠距離での砲撃戦はほとんど起きず、同砲弾が真価を発揮するケースは殆どなかったのだが、アメリカ海軍の方針は、同時期の日本海軍でも行われており、彼らの考えが間違っていたという訳ではなかった。
勿論、主砲の仰角も、中~遠距離戦に対応できるよう増大している。

副砲については、53口径15.2cm単装砲を全廃して、38口径12.7cm連装高角砲を両用砲として10基装備するという案もでていたものの、最終的には副砲を残して、高角砲は最低限で済ませている。
この点については、副砲をさっさと全廃して、両用砲の装備に統一した日本と比べると遅れていると言えるが、日本と比べて補助艦の数が劣勢であること、当時の米英独の艦載機や爆撃機を見れば「これで十分」と判断するのはある意味仕方なかったのかもしれない。
なお、ドイツ海軍と同様、個艦防御としてラインメタル3.7cm連装機関砲10基備えている。
これは、カリブ海等における魚雷艇対策の意味合いが強く、発射速度が1分間に30発という時点で、対空火器としては気休め程度でしかなかった。
戦争末期には3.7 cm FlaK 43の艦載用が装備されたものの、あまりにも遅すぎたと言えた。

防御構造については、垂直防御こそそれほど変更はなかったものの、水平装甲の強化として、弾薬庫上には中甲板部分に120~135mmのNVNCが追加され、自艦の35センチ砲はもちろん、40.6センチ・42センチと言った大口径砲に対しても20km後半で安全距離を持つ能力を施されている。
とはいえ、機関部については、重量の問題から25mmのD鋼を2~3枚貼り足すに留まっている。
薄い部分は20km付近でも戦艦の砲撃に耐えることが出来ず、弾薬庫重視による防御力の差が顕著な部位となった。

水雷防御については、石炭庫を全廃したことに伴い、重油オンリーとなっていたが、水面下の旧石炭庫を重油層に切り替えるとともに、3層式の液層防御に改修している。
水雷防御と断片防御のために装甲板も76mmに増厚されるなど、当時の魚雷の性能強化(アメリカ海軍は列強で唯一61センチ魚雷を装備しており、水雷防御もそれに対応している)に基づいた強化をしている。

速度については、「最低でも27ノット。可能なれば30ノット」という要望に対し、新型のバブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶及びGE式ギヤード・タービンに総取り換えすることで、29ノットの健脚を得ることになる。
同機関は、ドイツの技術をふんだんに使った高温高圧缶であり、確かに機関の小型化・軽量化、更には燃費の改善も達成できたのだが、その一方で非常に複雑な機関でもあり、「神様」と評される超一流のベテラン以外は扱えないという難物でもあった。(勿論、コストもかなりのものであった。)
ジークフリート級のリファインともいうべきオハイオ級戦艦では、機関についてかなり保守的なものになっているのは、この時のトラブルに、アメリカ海軍が心底振り回されたが故であった。

アイオワ級戦艦は1932年から順次近代化改装され、1938年には全艦近代化を終了している。
基本的にアイオワ級は、前衛艦隊である第二艦隊に配属されることになるのだが、最後に改装された『イリノイ』と『ケンタッキー』は、当時、ハルゼー少将から構想として挙がっていた『レキシントン』級空母(史実ヨークタウン)4隻を集めて作った空母機動艦隊の護衛部隊としての使用を行うことになり、最終的に『レキシントン』級4隻、『ワスプ』級2隻(1万2,000t級軽空母)を集めた空母機動艦隊の一員に加わることになる。

499: yukikaze :2022/02/06(日) 19:40:44 HOST:p343168-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
最後に、同級の結末について述べてみようと思う。

1941年12月に第二次大戦に参戦したアメリカ連合共和国海軍であるが、この時、主力であるオハイオ級3隻は本国で訓練中。アイオワ級4隻は大西洋で通商破壊作戦を行い、『イリノイ』と『ケンタッキー』は、ハルゼー率いる空母機動艦隊による「スカパ・フロー」奇襲に参加。
アドミラル級戦艦2隻を撃破、クイーンエリザベス級戦艦2隻を撃沈、空母イラストリアスを撃沈という大戦果を挙げるものの、同攻撃が宣戦布告30分前の行動であったため、アメリカ陸軍の西海岸での蛮行と並んで、「アメリカ軍=国際法規を守らぬ無法者」という印象を決定づけられることになる。

それでも1942年までは縦横無尽に暴れまわった本級であるが、英仏の悲鳴のごとき救援要請を受けて遂に出撃した日本海軍遣欧派遣艦隊(通称 南雲機動艦隊)に対しては質量ともにかなわず、ハルゼー艦隊は1942年10月に行われた北大西洋沖海戦で、空母サラトガを除いて壊滅。『ケンタッキー』がサラトガの盾になって横転沈没し、姉妹で初めての戦没艦となる。

時期の悪いことに、この時アイオワ級4隻は、『エセックス』『ボクサー』(いずれもワスプ級)とともに地中海に派遣されており、南雲機動艦隊の圧倒的な実力を見て、キング海軍作戦部長は、アイオワ級4隻の本国への帰還を命令。この撤退命令は、連合国側の虚を突き、無事に成功させるのだが、戦力を引き抜かれた独伊の怒りは凄まじく、キングは大統領直々に更迭されることになる。

以降、日本海軍の跳梁跋扈に対し、アメリカ海軍の活動は低下し、戦艦こそオハイオ級戦艦4番艦の『テキサス』が就役するも、空母についてはワスプ級の拡大改良型である『ラングレー級』(史実サイパン級)以外作られておらず、しかも艦載機の実力が隔絶していることから、安易な出撃は自殺行為でしかなかった。
1944年以降は、サウスカロライナ州のチャールストン海軍基地もしくはフロリダ州のキー・ウエスト海軍基地に艦艇を避難させ、連合国海軍の上陸に合わせて、邀撃をかけるという方策を立てたものの、これまで艦隊に豊富に燃料を供給し続けたテキサスの大油田が、日本軍の戦略爆撃の前に、戦前の1/10までに生産量が落ち、更にこれまで中立を保っていたブラジルが、正式に日本側に参戦したことにより、同国を基地として活用することができた日本海軍による攻勢は、遂に最後の聖域であるカリブ及びメキシコ湾にも及ぶことになる。

1944年4月から行われたカリブ海での3度に渡る海戦は、アメリカ海軍が意地を見せる場面もあったものの、既に制空権を奪われ、電子技術で圧倒的な差をつけられている日本海軍相手には『善戦』以外の何物でもなかったし、何より戦前に対空と対潜を軽視していたツケは大きかった。
1944年5月の第二次カリブ海海戦では、『ニュージャージー』が、航空攻撃の前に力尽き、『ウィスコンシン』も撤退途中で潜水艦の雷撃で海神の御許に送られた。
『アイオワ』以下2隻は、夜間による飛行場砲撃を一度は成功させたものの、二度目の泥鰌を狙った第三次カリブ海海戦では、日本側の待ち伏せ攻撃に会いやむなく撤退。カリブ失陥を決定づけることになる。

このまま朽ちて終わるかに見えた本級であったが、遂にテキサスの防衛ラインが破られ、復讐に燃える日本軍とメキシコ軍がテキサス及びルイジアナ州になだれ込んだことを受けて、生き残った艦艇群は、避難民の撤退を支援すべく全力出撃を命じられることになる。
この時、アメリカ海軍は、いまだ損傷が癒えていない『ミズーリ』を除いた戦艦4隻、軽空母2隻で最後の出撃を行うも、大西洋及びカリブ海を天皇の浴槽にしてのけた南雲艦隊の前では、新たなる撃沈スコアを献上するだけであり、長門級6隻、山城級6隻による史上最後の艦隊決戦が終わった時、アメリカ海軍の水上艦隊戦力は終焉を迎えることになる。

戦後、唯一生き残った『ミズーリ』については、メキシコ共和国や北米の地に建国したイスラエル、あるいはアメリカ共和国(北米に黒人により作られた共和国)から引き取りの声があったものの、どう考えても厄ネタにしかならないことから、日本側が戦時賠償として接収。
西海岸において調査をした後は、解体し、国土復興の資材として活用している。
なお、同艦のエピソードとして、西海岸への最後の航海時に、艦尾に翻っていたアメリカ連合共和国旗を降ろし日本連邦旗にしようとしたものの、最後までその旗は降りず、業を煮やした士官達がロープを引きちぎろうとしたところ、たまたまそれを見ていた南雲元帥の一喝により、同艦は最後までアメリカ連合共和国旗を掲げて最後の航海をつつがなく終えている。
『アメリカ連合共和国海軍最後の勝利』と言われる所以である。

500: yukikaze :2022/02/06(日) 19:54:28 HOST:p343168-ipngn200407kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。日本連邦世界でのアイオワ級について。

艦艇の建造等については、豊臣世界を準拠。とはいえ大和級は存在せず、開戦時には豊臣夢幻会版の蒼龍級が8隻。
更には1937年度予算で建造している翔鶴級4隻という、空母マフィア大喜び案件となっていますが。
ついでにいえば、太平洋が日本の風呂桶になっていることとイギリス側の対日融和政策などから、海軍に対する予算いるのという声はちらほらでており、第二次大戦で海軍が大西洋等でハッスルしたのも当然と言えば当然な状況でした。

マッケンゼン級は、1920年代前半時点で見ても「悪くはない艦だがやや旧式」扱いなのですが、ユトランドのドイツ艦の活躍で評価が上がることに。まあアメリカ的には、史実金剛を得た日本みたいに、建造ノウハウという点で大きな財産になっています。とはいえオハイオを建造するまでに10年以上かかっているのですが。(貧乏神の呪い)

ハルゼーが南雲にボロ負けして以降、アメリカ海軍の動きが低調となりますが、これはもう航行中の戦艦1隻沈められたというのが大きいです。ケンタッキーの行動は非常に勇敢でしたが、アメリカ海軍に多かった戦艦マフィアが愕然とする一撃となっています。(オハイオの水中防御は、アイオワよりもやや硬いレベルである。)

しかし燃料不足で思うような行動がとれなくなるアメリカ海軍というのも新鮮だなあ。

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最終更新:2022年02月13日 13:23