741: yukikaze :2022/02/23(水) 18:27:55 HOST:p371198-ipngn200403kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
何とか間に合ったので投下します。
オハイオ級戦艦
基準排水量 42,000 t
満載排水量 50,000 t
全長 237.8 m
最大幅 32.9 m
吃水 9.3 m
主缶 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶8基
主機 GE式ギヤード・タービン4基4軸
出力 138,000馬力
速力 29.0ノット
航続距離 15ノットで 17,000浬
乗員 約3,900名
兵装 50口径38cm連装砲 4基
53口径15.2cm連装砲6基(片舷3基づつ)
38口径12.7cm連装高角砲8基(片舷4基づつ)
ラインメタル3.7cm連装機関砲10基(片舷5基づつ)
装甲 舷側 320mm(外内部傾斜装甲として、弾薬庫・機関部とも150mm)
甲鈑 135mm(+32mm高張力鋼板)
主砲防盾 500mm(前盾)260mm(側盾)180mm(天蓋)
同型艦 『オハイオ』『サウスカロライナ』『ニューヨーク』『テキサス』(残り2艦は計画止まり)
(解説)
1930年代後半の大軍拡時代に計画建造された艦である。
アメリカ連合共和国海軍最大の戦艦であり、その優美な姿から『アメリカの象徴』として期待されていたものの、彼女にとって不幸なことに、戦艦の時代は既に黄昏を迎えていたのであった。
1920年代以降のアメリカ連合共和国海軍は「躍進と停滞」の時代であった。
躍進としては、ドイツ海軍との交流や技術提供によって、悲願と言ってもよい優秀な大型艦艇を取得できたこと。
停滞としては、予算不足の問題から、補助艦の整備が後回しになっており、艦隊の構成が歪になっている状態が続いていたということであった。
事実、アイオワ級戦艦が全艦就役した際には、前J級戦艦も含め、戦艦は12隻近くあったのに対し、巡洋艦は、装甲巡洋艦や防護巡洋艦を含めても10隻程度、駆逐艦もドイツから購入した沿岸防衛用の大型水雷艇を20隻程度という陣容であり、カリブ海での制海権獲得ならばともかく、それ以外にはとてもではないが使えないという有様であった。
そうしたことから、アメリカ連合共和国海軍は少ない予算からなんとか巡洋艦や駆逐艦の整備を始めてはいたものの、どうしても陸空の強化に予算が取られ続けており、アイオワ級に続く戦艦建造は議会でも否決され続け辛うじてアイオワ級の近代化改修が認められる程度であった。
こうした事態が変化したのが、1933年にアメリカ連合共和国大統領になったヒューイ・ロングの登場であった。
彼は、当時ドイツの宰相となったヒトラーを尊敬しており、ヒトラーの書いた『我が闘争』の愛読者でもあった。
当然、ヒトラーの推し進めた「公共事業と軍拡による経済振興」も参考にしており、彼はこれまで議会や州政府が渋っていた州横断の高速道路建設や高速鉄道網の建設、更には陸海空軍の大幅拡充を実行に移している。
勿論その過程で財政は火の車になっていくのだが、ロングにしてみれば「国土を不当に占拠している蛮族たち」からこれまでの負債を取り立てればそれで足りると判断しており、そしてこのロングの考えに、多くのアメリカ人が賛同するという状況であった。
この流れにアメリカ連合共和国海軍も恩恵を受けることになる。
1936年度計画において、アメリカ海軍は4万トン級戦艦4隻、2万トン級航空母艦4隻、大型巡洋艦8隻、軽巡洋艦12隻、駆逐艦24隻を計上し、そしてその全てが認められるという、アメリカ海軍ですら全く期待していなかった事態になったのも、軍艦建造が一大公共事業であったということと、加速度的に悪化しつつある独英関係に対し、ドイツとの関係を深めていたアメリカ側が、ドイツと共同で強大なイギリス海軍を叩き潰すことを視野に入れたからに他ならなかった。
ここで注目されるのは、2万トン級航空母艦を4隻計画したことであり、後にハルゼー航空機動艦隊の活躍もあって、「アメリカ海軍は航空主兵主義に目覚めていた」とも言われているのだが、実際には、史実フランス海軍で構想された「機動艦隊」としての運用であり、常時1グループは確実に大西洋で暴れまわらせるために、4隻計画したということでしかない。(ちなみに日本海軍は大々的に公表こそしていなかったものの、とっくに空母機動艦隊編制への転換を終えていた)
742: yukikaze :2022/02/23(水) 18:28:34 HOST:p371198-ipngn200403kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
閑話休題。空母の話題は別な機会にして、この計画での最大の目玉であるオハイオ級戦艦について説明しよう。
同級のベースとなったのは、ドイツ海軍自慢の改ジークフリート級巡洋戦艦である。
同巡洋戦艦は、対アドミラル級巡洋戦艦として計画され、当初計画ではバイエルン級戦艦の巡洋戦艦版ともいえるものであったが、アドミラル級巡洋戦艦が想定よりも強化されていたことを知って、大幅に設計を見直した艦であった。
主砲こそ時間と予算の兼ね合いから、45口径38cm砲であったが、防御についてはユトランド沖海戦の戦訓を踏まえて水平装甲を強化。副砲も砲塔化するなど、史実ビスマルク級戦艦の小型版ともいえるものであった。
ドイツ皇帝も、主砲の小ささはさておき、この艦を非常に気に入り、50口径38cm砲にした改ジークフリート級2隻も含め、6隻の建造を承認し、ドイツ海軍の屋台骨を担っていた。(ジークフリート級4隻も改装時に50口径の新型砲に換装)
アメリカ海軍としては、ドイツが建造を開始したビスマルク級戦艦(史実H39)の設計を参考にしたかったのだが、同級はオールディーゼルという、ドイツ以外の人間が聞けば「やりたいことはわかるが本当にやるか?」という機関構成であり(そしてドイツは第二次大戦時に大いに後悔した)、主砲についてもドイツが計画している50口径41cm砲にするには、多額の設備投資が必要であり、既存の施設でもできる改ジークフリート級が選ばれることになる。
以下、同級の特徴について述べていく。
主砲については、50口径38cm連装砲を4基備えている。
前述したように、アメリカ海軍としては50口径41cm砲を選択したかったのだが、現在手に入れることができる最大の主砲がこれであったことから、渋々ながら受け入れることになる。
同級でもアイオワ級と同様SHS化した38cm砲弾を採用して中~遠距離戦に対応することを計画していたのだが、一方で、これだけではアドミラル級や建造が計画されているという英新鋭戦艦には勝てないとして、近距離砲戦用にスーパーチャージャーを組み込んでいる。
そうしたことから、同砲身は原型よりもかなり強化されているにも拘らず、スーパーチャージャーで撃った際には砲身命数が150発程度と想定以上に悪化することになるのだが、一方で威力については45口径40.6cm砲レベルにまで高まっており、アドミラル級や英新鋭戦艦相手でも殴り合いが普通にできるとみなされていた。
副砲については、53口径15.2cm砲を連装砲にして、片舷3基づつ備えている。
同砲の命中率は、アメリカ海軍でも満足できるレベルであったのだが、その一方で、主砲弾薬庫と副砲弾薬庫を離すスペースが足らなかったために、副砲弾薬庫が誘爆した場合、主砲弾薬庫にまで影響を及ぼすという設計上の欠点を有していた。
実際、『サウスカロライナ』が、第二次カリブ海海戦で副砲と主砲の間に1t爆弾が命中、主甲板装甲を貫通して爆裂し延焼を始めたときに双方の火薬庫が熱を持ち、練度低下によるダメコン失敗で爆沈するという結果を招いている。
また、高角砲については、アイオワ級と比べて2基増やしたものの、無理やり増加させた分、高角砲と高角砲との間のスペースが窮屈であり、1発の被弾で複数個所に損傷が発生するなど、こちらも問題点が指摘されることになる。
防御構造については、ユトランド沖海戦を踏まえて水平装甲が強化されているとはいえ、元設計が1910年代であったことも踏まえて改正されている。
具体的には、原型では主水平装甲を内部傾斜装甲と接続している下甲板にしていたが、それではその上部にある重要区画を守れないため、主装甲甲板を1段上にすることで、防御される区画の範囲を拡大させている。
また、内部傾斜装甲についても150mmに強化し、40,6cm砲と近距離で殴り合うことが可能なように改正されている。更に水中防御については、原型では石炭庫が衝撃吸収充填材の役目を担っていたが、本級では可能な限り区画を細分化することによって、原型よりも水中防御を高めている。
総じて本級は、主砲弾薬庫と副砲弾薬庫との距離が近いことでの被弾時の悪影響という問題点はあるものの、沈みにくさという点では、ビスマルク級戦艦よりも上であった。
速度については、「アイオワ級と同等以上であること」という要望に対し、アイオワ級で利用した機関の改正版を採用している。
同機関は、アイオワ級で採用していた缶や機関を大型化するとともに、蒸気圧や回転数をデチューンしておりよく言えば堅実、悪く言えば機関重量の割に馬力が出ないという代物であったが、信頼性についてはアイオワ級よりもはるかにマシであり、大戦中も機関トラブルが起きることは1度もなかった。
743: yukikaze :2022/02/23(水) 18:29:19 HOST:p371198-ipngn200403kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
最後に、同級の結末について述べてみようと思う。
同級が完成したのは1940年3月であり、同級の姿を見たロング大統領は『パーフェクト・シップ』と叫び、同級の絵葉書や記念切手が飛ぶように売れるという事態になる。
とはいえ、1938年から始まっていたメキシコに対する戦争は、この時期には、統治の失敗によるゲリラ戦の活発化により、正規戦闘ではともかく治安維持戦に終わりが見えず、3番艦と4番艦については予算の問題から大幅に遅れ、1940年度計画で建造する予定であった5番艦と6番艦に至っては、計画こそされたものの、1941年12月に第二次大戦に参戦したことで、起工すらされずに建造中止になっている。
第二次大戦に参戦した時、オハイオ級は2隻が就役、1隻が最終艤装中、1隻が進水し艤装の途中という状況であった。
ロング政権が、投機的と言っていいハルゼー空母機動艦隊によるスカパ・フロー奇襲にゴーサインを出したのも、強大と言っていいイギリス本国艦隊を封殺し、ドイツとの通商路を完璧なものにしなければ、もはや破断界寸前に追い込まれている経済状況を打開できないという危機感のなせる業であった。
幸いにも、スカパ・フロー奇襲作戦については、アメリカ海軍の綿密と言っていい作戦と、イギリス海軍がドイツ海軍の行動に注力しすぎたという2つの要因で成功に終わったのだが、対日戦の序盤の快進撃と合わせ、軍事戦略の素人であるロングとその取り巻き達に、余計な自信をつかせることになる。
開戦以降のオハイオ級の動きについては、全般的に低調である。
これはオハイオ級が虎の子であったということや、4番艦が就役するのがどれだけ早くても1943年1月であること。そして1942年の北大西洋沖海戦で、無敵を誇ったハルゼー空母機動艦隊が、南雲空母機動艦隊によって完膚なきまでに叩きつぶされ、アメリカ陸軍や海軍航空隊のエアカバーのないところで動くのは自殺行為でしかないという事実を突きつけられたからであった。
そんな彼女達が遂に出撃をしたのが1944年から始まるカリブ海を巡る戦いであった。
電撃的と言っていいブラジルの連合国としての参戦と日本陸海軍への基地提供。
そして日本連邦陸軍の激しい攻勢により、貴重な一線級師団が引き抜かれ、治安維持用の武装も粗末、士気や練度も低かったメキシコ方面軍は、1943年秋の日本によるメキシコへの強襲上陸及び攻勢に耐え切れずメキシコを失陥してしまうという状況の中で、カリブ海の制海権を奪取されるのは、アメリカにとって絶対に許容できない案件であった。
チャールストン海軍基地及びキー・ウエスト海軍基地に避難していた海軍部隊は直ちに全力出撃を敢行。
日本海軍の不意を突き、第一次カリブ海海戦では日本海軍巡洋艦部隊に打撃を与えることに成功したものの、第二次カリブ海海戦で、サタンと称されている南雲空母機動艦隊の猛攻撃を受けて大敗を喫することになる。
特に『サウスカロライナ』が一撃で撃沈することになったことは、アメリカ海軍司令部にとっては想像すらできなかったことであり、実質この海戦で大敗を喫したことで、海の戦いの帰趨は決したと判断する識者は多い。
それでも、失陥寸前のキューバから、貴重な精鋭部隊を脱出させるべく、アイオワ以下2隻のアイオワ級戦艦で飛行場の砲撃を加え、先の海戦での損傷がなかったニューヨークを旗艦とした艦隊による救出作戦を立案したものの、最初の飛行場砲撃が上手くいったことに気を良くした政府首脳部から、救出作戦の前に再度飛行場を砲撃するように命令が下り、艦隊司令部は危険性を訴えるも、やむなく救出作戦ではなく再度の砲撃作戦を行うことになる。
とはいえ、日本連邦海軍が同じ失敗を繰り返すはずもなく、おまけに護衛部隊が度重なる損傷で最低限の数すら揃えられなかったことも相まって、潜水艦部隊の襲撃にあい、ニューヨークが4発被弾し大破。
この事態に艦隊司令部は即座に作戦中止を決定し撤退を開始するが、追撃に赴いた連邦海軍の水上艦艇部隊に補足され、ニューヨークは撃沈することになる。
744: yukikaze :2022/02/23(水) 18:29:58 HOST:p371198-ipngn200403kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
生き残った2隻のオハイオ級戦艦とアイオワ級戦艦3隻は、ノーフォークに落ち延び、そこで防空砲台として朽ちて終わるかに見えたが、日墨連合軍によりテキサスの防衛ラインが突破され、ニューオーリンズに大勢の避難民が押し寄せている事態に、損傷が治っていた戦艦4隻と生き残りの軽空母2隻(『オリスカニー』及び『インディペンデント』)を基幹とする部隊を以て救援することを決定。
この時、連合共和国海軍司令長官であったゴームレー大将は「老いた両親及び小学生以下の子持ちがいる者は全員降りろ。なお本官が総指揮を執る」と、宣言。
戦艦4隻、軽空母2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦10隻という、アメリカ連合共和国海軍で戦闘行動可能な艦艇全てを引き連れて最後の作戦に出撃する。
この時、敵である南雲艦隊は、超大型空母4隻、正規空母8隻、軽空母8隻、戦艦12隻、超甲巡2隻、巡洋艦24隻、駆逐艦64隻という、もはや比較するだけでも馬鹿らしいほどの戦力差を有しており、主力である空母機動艦隊と、前衛である水上砲戦艦隊とに分かれていた。
南雲にとっては、空母機動艦隊の一撃だけで勝敗が決する状況であったのだが、折あしく天候が崩れつつあったことや、これまでの沿岸部への攻撃による弾薬の減少から、航空攻撃は不徹底に終わり(それでも軽空母2隻は轟沈し、巡洋艦2隻と駆逐艦4隻は沈んでいた)、勝負は水上艦隊による砲撃戦にもつれ込むことになる。余談だが、水上砲戦部隊を預かっていた宇垣中将は、連邦海軍でも感情を表さないことで有名であったが、水上砲戦で雌雄を決するよう南雲から命じられた時は、破顔大笑して『男子一生の本懐』と叫んだとされる。
水上砲戦については特筆すべきものは特になかった。
何しろあまりにも数が違い過ぎた。
アメリカ海軍の戦力が、戦艦4隻、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻でいずれも損傷。
対して日本連邦海軍の戦力は、戦艦12隻、巡洋艦8隻、駆逐艦32隻である。
質も量も圧倒的に上で、オハイオ級1隻に対し、長門級3隻。アイオワ級1隻に対して山城級3隻が統制射撃を行い、巡洋艦と駆逐艦については、海戦開始から10分もたたずにアメリカ側が壊滅するという状況であった。
ことここまでくれば技量も何も関係はなく、アメリカ側は長門級4隻に対して砲火を繰り出す間に、それ以外の砲撃を受けていない8隻からタコ殴りをされ、アイオワ級2隻は滅多打ちにあって沈黙。
オハイオ級は、せめて一矢報いようと1万5千メートルまで詰めることに成功するも、42cm砲60門の統制射撃で浸水が拡大してしまい、砲撃どころの騒ぎではなくなっていた。
この一方的な光景に、一部の参謀からは「武士の情けです。降伏勧告を」という意見具申が出され、宇垣提督からも降伏勧告の信号が出されたものの、既にこの時点でゴームレー以下の艦隊首脳部は戦死しており、オハイオ級2隻は日本連邦艦隊の降伏勧告に誰も答えることができずに、松明のごとく燃え盛りながらその身を沈めることになる。
この海戦は、日本側の被害が殆どなく(航空機の搭乗員も併せて戦死者は100人もいなかった)、第二次カリブ海海戦と並んでワンサイドゲームと見なされているが、この砲戦を指揮した宇垣提督は、戦後、親しい知人に対して「あの時『オハイオ』に乗っていたゴームレー提督はどんな気持ちで指揮していたのだろうか? 少なくとも同砲を助けるために決死の覚悟で指揮した提督を後知恵で批判することは私にはできない」と、旧アメリカ国内で「無駄な犠牲を強いた愚将」とされたゴームレーを弁護する言葉を残している。
745: yukikaze :2022/02/23(水) 18:43:54 HOST:p371198-ipngn200403kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。アメリカ版ビスマルク完成。
正直、速度は甘めなんですが、まあ何とかなるかなあと。
一から設計できなかったんかいと思われるかもしれませんが、20年代後半以降は巡洋艦だったり空母だったりの設計していまして、設計班の人数が足りないという問題と、
後は「ドイツの設計技術は世界一」とアメリカの用兵側に一定数いたというのが。
20年代後半以降、人的交流でドイツびいきな軍人が増えに増えてしまいましたし。
ビスと違って艦幅が狭くなっている分、色々と窮屈なことに。
主砲弾薬庫と副砲弾薬庫の距離の問題は、これヴェネトであった問題なのですが、水中防御用の液体防御層の幅も色々とぎりぎりだろうなあと。
主砲についてはみんな大好きフランスのスーパーチャージャーを採用。
まあ1万5千m付近でぶっ放せば、アドミラル級やKGVの舷側装甲も確実に吹き飛ばせるだろうし、相手からの砲撃も内部傾斜装甲で何とか耐えると。
最後の海戦? 数の暴力の前では何やっても無駄。
防御構造については、舷側傾斜装甲やっていないリシュリュー思い浮かべてくれれば吉。
なおユトランドの呪いで史実H級戦艦のままのビスマルクはイギリス海軍に酷い目にあいます。
しかし作っていてあれだ。
アメリカにしてみれば、主敵はイギリス海軍であって、太平洋の化け物軍団が大西洋まで殴り込みに来るなんてのは「詐欺だ」と叫ぶレベルなんだろうなあ。
最終更新:2022年03月15日 15:17