668: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:06:59 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
扶桑皇国軍 主要通常装備(第10話までの)
戦車
九五式中戦車
1930年代半ばに扶桑皇国陸軍技術本部が開発し、扶桑皇国陸軍で採用・運用されている主力中戦車。全備重量は約38トンとされている。
扶桑皇国陸軍で運用されていた傑作中戦車である八四式中戦車の後継車両として開発された戦車であり、八四式中戦車に搭載されている56.4口径75mm戦車砲を超える威力を有する52口径90mmライフル砲を主砲として搭載している。
この砲は基本的にAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、APCBC(風帽付被帽徹甲弾)、 HEAT(対戦車榴弾)、HE(榴弾)の四種類を主に使用し、APCBCを使用した場合、1000m先の189mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することを可能とした。
これにより遠距離からオラーシャ帝国や中華帝国の主力戦車であるBT
シリーズや92式中戦車(和製M4シャーマン)はもちろん、オラーシャ帝国で開発中の重戦車(KV-1)も遠距離から一方的に撃破可能な火力を有している。
車体は避弾経始思想が設計段階から考慮されており、亀甲型の鋳造砲塔と防弾鋼板の溶接車体で構成される。装甲厚は砲塔部防盾が210mm、車体前面の装甲厚は80mmであるが、上部は約65度の傾斜が付けられており実質的には190mm相当の、下部は55度の傾斜で140mm相当の防御力を発揮できた。
エンジンは東アジア協力機構加盟後に日本の企業である三菱重工からライセンス権を獲得した520馬力水冷4ストロークV12気筒ディーゼルエンジンを搭載、最高速度53km/hを発揮可能としている。
もともとは1932年度までの制式採用を目指していたがその開発は難航、制式採用1935年1月までずれ込み、量産が開始されてから2年半程で東アジア戦役が勃発してしまったため全戦車部隊への配備は間に合わなかった。
それでも急ピッチで生産が進められた結果、開戦時には中央軍所属の2個戦車師団と西部方面軍の3個戦車師団、5個歩兵師団への配備は間に合っており、約3,000両近い九五式中戦車が西部方面軍と戦車師団、教導部隊に集中配備されていた。
八四式中戦車
1920年代半ばに扶桑皇国陸軍技術本部が開発し、扶桑皇国を初めとした複数の国家で採用・運用されている主力中型戦車。
元来、扶桑皇国陸軍は戦車を歩兵の直接支援用兵器と定義づけてその開発を進めてきたが、20世紀初頭におきた扶桑半島での領土紛争において日本軍南扶桑県戦闘警備隊の92式中戦車D3型(M4A3E8相当)や日本陸軍南扶桑方面軍の1式戦車(M48A5相当)において扶桑陸軍の戦車は一方的に撃破されてしまう。
その戦訓から従来の開発コンセプトを放棄し、対戦車戦闘を主目的に置いて開発された扶桑皇国の中戦車が本戦車である。
一体成型の鋳造成型砲塔と圧延防弾鋼板の溶接車体で構成されており、砲塔や車体の随所に避弾経始を考慮して傾斜装甲が配置されている。
当初の計画では砲塔も圧延防弾鋼板の全溶接構造にする案もあったが、全軍への大量配備を計画されていことから重量の増加を許容しても量産性の向上が優先されたため、一体成型の鋳造成型砲塔が採用された。
主砲にはバルトランドのボフォーム社製75mm高射砲を改良して開発した56.4口径75mm戦車砲を搭載しており、日本軍の92式中戦車なら車体正面を1000m先から貫くことを可能とし、タングステンをもちいたタングステン鋼芯入りの高速徹甲弾を使用した場合は50口径90㎝戦車砲に匹敵する威力を発揮できる。
エンジンには最大で500馬力を発揮可能としている国産の過給機装備式空冷式のV型12気筒ディーゼル・エンジンを搭載しており、最大で45km/hという高速を発揮可能とする。
1924年に正式採用されてから扶桑皇国陸軍の主力戦車として配備が進められ、扶桑皇国陸軍だけでも1万両以上の車両が生産された。
第三次東アジア戦役開戦時には後継車である九五式中戦車の配備が進められていたが、それでもいまだ数的主力は本戦車であり、西部方面軍と中央軍に属する2個戦車師団以外の部隊では本戦車が運用されていた。
669: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:07:33 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
九二式砲戦車
日本から供与された92式駆逐戦車(M36相当)の扶桑皇国の名称。
EACO(東アジア協力機構)創設後に日本が開始したEACOMSMAP(東アジア協力機構加盟国軍事援助計画)に基づいてEACO加盟国に供与が行われている駆逐戦車でもあり、扶桑皇国では主に対戦車部隊に配備されていた他、九五式中戦車の開発時の参考の1つとなった。
元々、扶桑皇国陸軍は本車を九五式中戦車開発の為の参考資料として少数調達したのみで制式採用される予定はなかったが、九五式中戦車開発の遅れに伴い、開発完了までの繋として1932年より本格的に導入が開始された。
戦闘機
九六式戦闘機
1930年代半ばに扶桑皇国陸軍航空隊の主力戦闘機として開発された史実四式戦闘機相当の単発戦闘機。
扶桑皇国陸軍航空隊の主力戦闘機であった九一式戦闘機の後継機として開発された単発式戦闘機であり、2000馬力級エンジンである誉を搭載している。
長嶋飛行機が開発を担当しており、九一式戦闘機の後継機という立場から九一式戦闘機と同様に重戦闘機と軽戦闘機の機能を兼ね備えた万能戦闘機としてコンセプトが存在しており、長嶋飛行機の八六式戦闘機と八七式重戦闘機の設計を下に開発が行われた。その為、2,000馬力級戦闘機としては極めて小型、軽量に設計されている。
武装としては機種にホ5 20mm機関砲を機首に2門、両翼に1門ずつ計4門搭載しており、火力面では九一式戦闘機や中華帝国の92式戦闘機を上回るものが与えられている。
また、最高速度も680km/hと九一式戦闘機より100km/hほど上昇しており、同年代のブリタニア連邦のスピットファイア(640km/h)やカールスラント帝国のFw 190(680 km/h)など欧米各国の主力戦闘機と同じ程度の最高速度を発揮可能としている。
ただし、大出力エンジンの搭載と防弾設備ならびに火力の強化を図った結果、九一式戦闘機よりかは格闘戦能力が低下してしまい、現場からは不評を投じられる事も多々あった。
1936年から調達が開始され、東アジア戦役時には北部方面軍隷下の部隊に優先的に配備されていた。
九一式戦闘機
1930年代初頭に扶桑皇国陸軍航空隊の主力戦闘機として開発された史実5式戦闘機相当の単発戦闘機。
扶桑皇国陸軍航空隊の主力戦闘機であった八六式戦闘機の後継機として開発された単発式戦闘機であり、1500馬力級空冷エンジンである金星を搭載している。
元々、扶桑陸軍は陸軍航空兵器整備方針に則り戦闘機の整備方針として格闘戦性能を重視し機関銃を装備した単座軽戦闘機と防御力と速度を重視し機関砲を装備する単座重戦闘機の二種類を整備する方針を取っていた。しかし、1920年代半ばより陸軍航空本部では戦闘機は総合性能で敵に勝っておらねばならず、軽戦・重戦で分けるのは不合理だとする考えが唱えられ、それら二つの特性を兼ね備えた中戦というコンセプトが提唱された。そのコンセプトの下に川滝航空機工業が開発を担当した戦闘機が本九一式戦闘機である。
武装としては機種にホ5 20mm機関砲を機首に2門、ホ103 12.7mm機関銃を両翼に1丁ずつ計2丁搭載し、
最高速度は580km/hと中華帝国に配備されている日本製の92式戦闘機に劣るが、格闘戦重視の扶桑皇国陸軍戦闘機らしく上昇力、旋回性能は92式戦闘機に低速域では圧倒、中速域以上でも匹敵するものを有している。
重戦闘機、軽戦闘機双方の能力を兼ね備えた万能戦闘機というコンセプトの下に開発された本機は速度、武装、防弾、航続距離、運動性、操縦性をバランス良く纏め、設計段階で生産性も考慮された機体として完成、現場からも無理をしなければ絶対に落とされることのない機体と言う評価を受けるほどに評判がいい。
1931年から調達が開始されて以降扶桑陸軍航空隊の主力機として全面的に配備が行われており、3万機以上という莫大な数が生産され、東アジア戦役開戦時にも陸軍航空隊の主力戦闘機として運用されていた。
670: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:08:14 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
爆撃機
九四式重爆撃機 富嶽
扶桑陸軍が運用している重爆撃機であり、日本から有償供与された94式戦略爆撃機(B-50相当)の扶桑皇国側の名称。
扶桑皇国陸軍は八八式重爆撃機の運用経験と中華帝国の防空能力の向上に伴い戦略爆撃の重要性を確認、中華帝国への抑止力として高高度から一方的に爆撃が可能な新型爆撃機の開発を計画する。
しかし、欧米経済恐慌による軍事費の削減と多くの兵器の更新に追われる扶桑皇国軍にこのような高性能爆撃機を開発する予算は存在しておらず、さらに扶桑皇国の航空機メーカーはすでに別の航空機の開発にその力を入れており、新たにこのような高性能機を開発する余力は存在しなかった。
そこで、当時友好関係にあり、ダメもとで戦略爆撃機の購入を打診した。
EACO、東アジア協力機構創設後に日本が開始したEACOMSMAP、東アジア協力機構加盟国軍事援助計画により中華帝国側の軍事力が飛躍し、東アジア全体のミリタリーバランスが崩壊することを恐れた日本は扶桑皇国の打診を承諾、ミリタリーバランスを保つために扶桑皇国売却したのがこの九四式重爆撃機である。
一から製造ラインを再整備したことや高性能な事と引き換えに非情に高価な機体で、扶桑陸軍は当初の予定数から大幅に数を縮小させ、その保有数は100機近くにとどまっている。引き渡された機体は扶桑皇国陸軍航空隊第10航空軍に集中配備されていた。
余談であるが、扶桑陸軍は供与された本機のあまりの性能の高さに従来の戦闘機では対応が不可能と判断した。ジェット機の開発をより一層進める事になる。
八八式重爆撃機
扶桑陸軍が運用している重爆撃機であり、日本から供与された88式戦略爆撃機(B-17相当)の扶桑皇国側の名称。
EACO創設後に日本で開始されたEACOMSMAPにより東アジア協力機構加盟国に供与が行われている戦略爆撃機で、航続距離こそ短いが強固な防弾装備と多くの防御火器がもたらす堅牢さと信頼性の高さ、積載量の多さから扶桑皇国陸軍でも主力重爆撃機として採用された。
1920年から供与が開始され、1924年からは扶桑皇国国内でのライセンス生産も開始されている。
東アジア戦役時にも主力重爆撃機として扶桑陸軍航空隊で運用されており、全国の重爆撃機部隊に配備されている。
九六式軽爆撃機
1930年代半ばに扶桑皇国陸軍航空隊の主力軽爆撃機として開発された史実四式重爆撃機に相当する双発爆撃機。
八七式軽爆撃機と同様の航空撃滅戦を想定した高速爆撃機として開発された軽爆撃機であり、四菱重工が開発を担当した。
2000馬力級空冷エンジンを2基搭載。最高速度は537 km/hと1世代前の戦闘機と同程度の速力を発揮可能としており、急降下爆撃に耐える強固な機体強度、最大航続距離3,800kmと戦略爆撃機に匹敵する長大な航続距離を有している。
防衛用の固定武装としては胴体上部にホ5 20ミリ機関砲を1門、機首、胴体左右、尾部にホ103 12.7mm機関銃をそれぞれ1門ずつ計4門搭載。ペイロードは最大800kgとなっており、小型爆弾やクラスター爆弾を中心に搭載しての戦術爆撃や飛行場破壊をその主任務としていた。
また、本機は扶桑皇国軍が開発した対艦ミサイルであるイ号対艦誘導弾の発射母体としても利用可能であり、さらにレーダーを搭載した警戒機型やグライダー曳航機型など多数のバリエーションも存在している。
1936年に正式採用され、八七式軽爆撃機を入れ替えとして西部方面軍に優先的に配備が進められていた。
671: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:09:34 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
九六式軽爆撃機
1930年代半ばに扶桑皇国陸軍航空隊の主力軽爆撃機として開発された史実四式重爆撃機に相当する双発爆撃機。
八七式軽爆撃機と同様の航空撃滅戦を想定した高速爆撃機として開発された軽爆撃機であり、四菱重工が開発を担当した。
2000馬力級空冷エンジンを2基搭載。最高速度は537 km/hと1世代前の戦闘機と同程度の速力を発揮可能としており、急降下爆撃に耐える強固な機体強度、最大航続距離3,800kmと戦略爆撃機に匹敵する長大な航続距離を有している。
防衛用の固定武装としては胴体上部にホ5 20ミリ機関砲を1門、機首、胴体左右、尾部にホ103 12.7mm機関銃をそれぞれ1門ずつ計4門搭載。ペイロードは最大800kgとなっており、小型爆弾やクラスター爆弾を中心に搭載しての戦術爆撃や飛行場破壊をその主任務としていた。
また、本機は扶桑皇国軍が開発した対艦ミサイルであるイ号対艦誘導弾の発射母体としても利用可能であり、さらにレーダーを搭載した警戒機型やグライダー曳航機型など多数のバリエーションも存在している。
1936年に正式採用され、八七式軽爆撃機を入れ替えとして西部方面軍に優先的に配備が進められていた。
八七式軽爆撃機
1920年代後半に扶桑皇国陸軍航空隊にて採用された史実九七式重爆撃機に相当する双発爆撃機。
航空撃滅戦を想定した高速爆撃機として開発された爆撃機で、四菱重工が開発を担当し、爆弾搭載量や航続距離を多少犠牲にしてでも敵戦闘機の邀撃を振り切れる程度の高速性能を確保する事で生存性を高めるという開発コンセプトの下に開発が進められた。
1500馬力級空冷エンジンを2基搭載。最高速度としては約480 km/hを発揮可能とし、最大航続距離は2,700 kmまで発揮可能としている。
防衛用の固定武装としては胴体上部にホ103 12.7ミリ機関銃を1門、胴体前方 、後下方 、後左方、後右方にそれぞれ1門ずつの計4門を搭載。ペイロードは最大1000kgとなっており、小型爆弾やクラスター爆弾を登載しての戦術爆撃や飛行場への攻撃を目的としている。
1928年から配備が開始され、東アジア戦役時でも主力軽爆撃機として運用されていた。
配備され始めた当初は重爆撃機として分類されていたが、東アジア協力機構創設からしばらくして日本から4発の大型戦略爆撃機である88式戦略爆撃機(和製B-17)が供与されたことで軽爆撃機に書類上の分類が変更されたと言う経緯がある珍しい機体でもある。
672: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:10:14 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
攻撃機
九一式双発襲撃機
扶桑陸軍航空隊が運用している、史実キ120乙相当の主力攻撃機。
川滝航空機工業のレシプロ双発戦闘機であった八七式複座戦闘機を母体に開発された攻撃機で、機体各所の設計の見直しや武装やエンジン等の変更が行われた。
発動機としては八七式軽爆撃機に採用された。1500馬力級空冷エンジンの発展型を2基搭載しており、最高速度は580km/hを発揮できる。
地上部隊への近接航空支援の為に開発された機体であり、対装甲戦闘車用に14口径57ミリ機関砲であるホ401 57ミリ機関砲を機首に1門、地上目標および航空目標用にホ5 20ミリ機関砲を両翼に1門ずつ計2門、防衛用に胴体上部にホ103 12.7ミリ機関銃を1門装備していた。また、500kgの爆装を可能としている。
1931年に制式採用され、同年から生産が開始される。その後、順調に生産が行われていき、東アジア戦役時には扶桑陸軍航空隊の主力攻撃機として配備されていた。
九ニ式襲撃機
扶桑陸軍が運用している攻撃機であり、日本から供与された92式戦闘攻撃機(P-47相当)の扶桑皇国側の名称。
重爆撃機群と同様にEACOMSMAPにより日本から扶桑皇国に供与され、さらに扶桑皇国国内でライセンス生産も行われた。
扶桑陸軍は近接航空支援用の対地攻撃機として八九式襲撃機(史実九九式襲撃機相当)を開発・配備していたが、これは主脚に固定脚を採用した保守的な設計の下に開発された航空機であり、30年代に入るとすでに陳腐化してしまっていた。そこで陸軍は後継機の開発を検討する。
しかし、1929年に発生した欧米経済恐慌による景気の悪化を受け軍事費の削減されたこと、すでに多くの兵器を開発・調達中であり、新たな開発計画に予算を投じた結果、既存の計画に負の影響を与えてしまう可能性が懸念されたことなどから八九式後継機開発計画は断念される。
この決定を受け扶桑陸軍は襲撃機のみならず重戦闘機としても運用可能で、EACOMSMAPにより比較的安価に調達ができる本機に着目、1932年に同計画に基づき試験機を購入した・1年間に渡る試験を実施し、1933年に制式採用され配備が開始された。
673: ホワイトベアー :2022/03/11(金) 22:12:08 HOST:115-179-80-59.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上、
日本大陸×ワールドウィッチーズネタ第10話までに登場した扶桑陸軍主要通常兵器の解説となります
wikiへの転載はOKです
最終更新:2022年03月20日 11:55