311: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:33:45 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
近似世界 日本の成り立ちと指針
15世紀末
史実とは大きく異なる、小大陸国家としての日本。
そこでは応仁の乱から続く混乱の火の手が全国に広がり、各地の有力者が戦国大名として相争っていた。
逆行者(もしくは転生者)と呼ばれる、史実もしくは未来の記憶・人格を持った者達が現れ始めたのは、ちょうどその頃だった。
彼ら彼女らは各地の有力者達の近くに現れており、現世では到底手に入れられない知識をもってして、戦国乱世の様相を本来のモノよりも幾分か進歩的・未来的なものとしていた。
その中で最も活発に動いていたのが、かの有名な“尾張の大うつけ”……織田信長を輔佐もしくは後援する逆行者達の集団だった。
逆行者達の持つ技術や知識は織田による天下統一事業を多いに助け、またその過程で、より多くの逆行者達が合流していくことになった。
そうなれば噂が噂を呼び、この逆行者達の横の繋がりが全国に広がっていき家や勢力といった隔たりをも飛び越えた強固なネットワークとなる。
この逆行者達のネットワークは
夢幻会の設立だけでなく、天下統一とその後の政権運営……特に中央集権化に大きく役立つこととなった。
312: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:34:57 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
16世紀末
天下を統一した織田信長は逆行者達の助言やネットワークの元、中央集権国家としての基盤を整えていた。
同時期に、羽柴秀吉の提唱していた明・インド制圧は現実的ではないとして却下されたものの、東南アジア各国への服属要求は逆行者達の計画によって国交開設と交易へと修正され、使節団と贈り物を乗せた大船団が南へ向かって旅立っていった。
逆行者達は将来を見据えた大計画「昭号計画」に従って、欧州諸国の植民地化の魔の手がまだ強固ではない今のうちに、東南アジア各国を自国の影響下に置いてしまおうと考えていたのだ。
以後、日本は東南アジア各国に助言と援助を行い、それらの国々を徐々に影響下に納めていった。
16世紀末から17世紀前半にかけて日本は、現地内紛への介入を名目に入植してきた欧州勢力……ポルトガルやオランダ、スペイン等の排除を東南アジア各地で実施し、同時に現地勢力に対して助言や援助を行い信頼を得ていった。
勿論、ただの貿易だけならば日本も特に手を出すということは無い。しかし、少しでも侵略の意図を見せた場合には容赦なく、大量に持ち込んだ鉄砲や火薬ロケット兵器、極少数の秘密兵器であるライフルマスケットにてこれを殲滅していった。
313: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:36:30 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
同時期の大陸中国では北方で隆盛した後金……後の清帝国が、飢饉や戦乱で衰退していた明に反旗を翻し、大きな戦乱が巻き起こっていた。
日本はこちらにも手を出して、北京を追われ助けを乞う立場となった南明を援助。
同時に朱子学と事大主義でガチガチに固まった朝鮮をけしかけることで、南明+朝鮮vs清の構造を作りだして状況を膠着させた。
史実では清が快進撃を続けたが、こちらでは文禄・慶長の役が無かった分の余力もあって清を押し止めることに成功。
以後は日本の暗躍もあり長く分断状態が続くことになる。
アジア諸国では、力が弱まって対外影響力をほぼ失った中華王朝に変わって日本をアジアの中心だとする意識が広まり始め、また、欧州の一部では日本の事を「東洋の番人」と呼ぶようになっていた。
イギリスは、オランダが東南アジアから駆逐され始めた隙に進出しようと試みるものの、幾度かの衝突の結果日本の実力を身を以て体験し断念。
イギリスが東南アジアに手を出さない代わりに、インド進出を黙認するという協定を日本と結んだ。
314: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:38:27 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
17世紀中盤、東南アジアの安定化を一段落させた日本は、更なる南下を行い、オーストラリア大陸とニュージーランド島を“発見”。
アボリジニやマオリ族といった先住民達とも当然接触し、日本はそれらとなるべく融和を心掛けながら入植を開始した。
とはいえ人と人である以上、大なり小なり軋轢は発生するものである。
増えた日本人達とアボリジニ達との幾度かのトラブルの後、アボリジニ達からの嘆願を受けた日本は、彼らに自らの領域を定めて建国することを提案。
こうしてオセアニア地域には、日本領南方州、南東のクリン国、北方のグリンジ国、ニュージーランドのマオリ(アオテアロア・イウィ)国という1つの植民地と3つの現地人国家が誕生した。
彼らは後に、豊富な資源やゴールドラッシュの恩恵を受けて国家基盤を整備していくこととなる。
17世紀後半
南方進出が一段落ついたと判断した日本は、北方への進出を開始する。
蝦夷や千島、樺太は勿論のことベーリング海を越えてアラスカまで手を伸ばしていた。
もっとも、厳しい環境などによって入植ペースは低調なままだった。
この頃から日本本国では、いつかは起こる幕府から近代的政府への転換を軟着陸させる為、緩やかに政治改革が行われ始めた。
同時に、将来的な産業革命を睨んで、ごく狭い範囲からであるものの工業化政策も実行された。
17世紀末から18世紀にかけて日本は、国号を正式に「大日本帝国」へと変更。
東洋に手を出せるイギリスとフランスが北米とインドでの植民地戦争に明け暮れているのを尻目に、勢力圏の整備と自国の改革の更なる促進を図る。
ハワイ諸島への進出も開始し、現地王朝を支援して日本影響下でのハワイ統一を推し進めた。
北方では、シベリアに進出してきたロシアと勢力圏が接触。
そのまま樺太、アラスカまで進出する様子を見せた為、日本は前世紀からロシアと国境紛争を起こしていた清に肩入れする姿勢を見せてロシアへの牽制とした。
18世紀末
このころまでに南明は雲南~広東とその周辺だけを支配領域とするまでに衰退し、明確に日本の影響下へと取り込まれていた。
清も北京や南京を支配して中華王朝となったはいいものの、中原での長い抗争のうちに冊封体制は崩壊。
アジア秩序の中心は中華から日本へと移動しており、清中央では日本への敵意がにわかに高まっていた。
同時期に、工業化が始まり東アジアの方まで進出してきたイギリスがビルマを攻撃。史実での英緬戦争に相当する戦争が勃発。日本はビルマを支援して軍を投入し、アラカンに侵入した英軍を撃破する。
想像以上の戦力を持つ日本軍に驚き、更に日本がこの戦争を好機にインドまで手を伸ばそうとしているという噂が流れ、イギリスは即時講和を決意したという。
315: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:40:12 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
その講和会議において日本はイギリスに、それとなく清への進出を黙認することを伝える。
日本という番人ががっちり固めていた筈のアジアが唐突に開かれたという状況に、自国の工業製品の放出先を探していたイギリスは飛び付いた。
しかし清の貿易制限もあって、英清貿易は中々イギリスの思うようにはいかず、後のアヘン戦争へと繋がっていく。
19世紀前半
このころのアラスカは、ベーリング海を越えたロシアと、カナダ経由のイギリス、そして日本が領有権を争っていた。
そんな中、丁度良く欧州でナポレオンが暴れまわり始めてイギリスとロシアが苦境に立たされる中、日本はその期に乗じてアラスカ領の実行支配を進めた。
その後、英露が争うクリミア戦争にて中立を確約することと引き換えに両国にアラスカ領有を認めさせ、極東での完全な国境画定を成し遂げた。
これを以て、東洋にはアラスカから
日本大陸、西太平洋諸国を経て南方大陸(オーストラリア)へと至る「太平洋の壁」が出来上がったのだった。
316: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:41:59 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
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“昭”号計画
昭号計画(しょうごうけいかく)もしくは昭号作戦とは、日本の中枢部で考案された政治、経済、軍事および教育、文化に至るまでを数百年規模のタイムスケールで包括した国家運営のグランドデザインを策定した計画群の総称である。
【概要】
本計画は、逆行者達の知る史実21世紀を「様々な問題はあるものの、列強間での全面戦争は十分に抑止されている人類史上類を見ない平和な期間」として、近似世界においても同様の世界情勢を再現・構築することを主眼に置いている。
また、そこに至るまでの道筋で日本の国益を最大化する方策。もしくはその過程で発生する問題への早期的対処、そして何時、どの分野をどの程度重視するかの指針が定められている。
計画名は、平成・令和に至る一本の「道」としての“昭和”時代から取って名付けられた。
本計画の鍵となるのが、アメリカ合衆国の存在である。
史実21世紀的雰囲気…つまり自由貿易と資本主義、民主主義・自由主義主流社会を目指すには、
アメリカが世界のリーダーシップを取っている環境が必須となる。
しかし、それはつまり20世紀前半において太平洋を挟んで日本の国益とアメリカの国益が正面衝突することを意味する。
これに対して日米友好を主軸とした計画が考えられたものの、その結果としてユーラシアが総じて共産化する、もしくは日本本土で核テロが発生する事態に到達する可能性が高いとの提言が、とある「転生者」よりもたらされる。
では逆に、アメリカの勢力を予め弱めてしまおうとする考えも、アメリカの…ひいては世界の歴史そのものに危険かつ修正不可能なダメージを与えてしまう可能性が高いとの提言を受け、北米西海岸への早期植民と太平洋の完全内海化の計画は白紙となった。
また、余計な戦争を回避する為の転生者を中心にした社会学的アプローチでは、欧米の白人至上主義から来る人種差別的価値観が対日戦争への道筋において大きな要因となる可能性が示唆された。
史実通りの鎖国を行った場合、これによる対日戦争への心理的障壁の低さに併せて欧米諸国のアジア植民による勢力圏の衝突が発生、最悪の場合には列強全世界を相手にした全面核攻撃に踏み切らざるおえない事態に至るとの想定が提唱されてしまった。
欧州国家との同盟を基軸に関係を軟着陸させる場合においても、世界のブロック化によって転生者達が「予想も制御もできない」冷戦状態になる可能性の高さが垣間見え、更には欧州に人口億超えの巨大新興宗教国家が爆誕するかもしれないとの話もあった。
このような想定を前に、転生者達は日本の早期列強化による解決を選択する。
早期に勢力圏を拡張し、白人至上主義全盛期に至る18~19世紀までに欧州諸国との外交と抗争を以て欧州人に「有色人種の列強」という存在を、あり得るものだと認識させ、最低でも黄色人種・日本人への人種差別意識の激化を阻止。
尚且つ、“日本的”ではない欧州的外交(信義より契約)によって列強諸国に「利害次第では日本を味方とすることが可能」と刷り込むことによって、列強の対日による一致団結を阻止することとする。
その上で、世界に対し産業・技術のリードを保ちつつ、政治的には中立的姿勢を意識して余計な対日戦争の到来を阻止。
以上の結果から得られる「日本は伝統的に揺るぎない超大国」という共通認識を以てアメリカに対して常に心的、物質的優位な立場を保持。
アメリカに自ら対日戦争という選択肢を破棄させ、その後は日米緊張緩和からの南北米大陸および欧州でのアメリカのリーダーシップを補助することによって日米の覇権を両立することとする。
317: 名無しさん :2022/03/18(金) 22:47:08 HOST:sp49-98-168-223.msd.spmode.ne.jp
以上です。
こんなことをしてるせいで、近似世界の日本の外交的意識はどちらかというと欧州諸国並みに冷徹というかクレバーな感じです。
まぁ、本音と建前の使い分けは上手いので「冷徹な欧州諸国と違って日本は頼りになる」という印象付けには成功してるので大丈夫なのです。
最終更新:2022年03月20日 12:44