811: ホワイトベアー :2022/03/31(木) 22:31:45 HOST:222-229-56-17.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 改訂版 三菱 30式艦上戦闘機/FA-30M トムキャット
三菱 30式艦上戦闘機/FA-30M トムキャット
全長:18.87m
全幅:19.55m(主翼後退角20度時)
全高:4.88m
翼面積:52.49㎡
エンジン
:『M10‐K‐140』(11型)
:『M22‐M‐160』(21型)
最大推力
:125KN(11型から16型まで)
:173KN(21型)
最大速度:M2.3
最大実用上昇限度:17,191m
最大航続距離:3641km(11型)
:3220km(21型)
乗員:2名
固定武装:20mm6銃身機関砲×1門
最大兵装搭載量:6,600kg
搭載可能兵装
長距離地対空誘導弾
中距離地対空誘導弾
短距離空対空誘導弾
空対地誘導弾
対レーダー誘導弾
227㎏爆弾
454kg爆弾
907.2㎏爆弾
222㎏クラスター爆弾
各種誘導爆弾
812: ホワイトベアー :2022/03/31(木) 22:32:23 HOST:222-229-56-17.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
概要
30式艦上戦闘機(F-30)は大日本帝国海軍が運用していた10式艦上戦闘機の後継機として三菱が開発した艦上戦闘機である。その特徴として高い推力を誇るジェットエンジンを2基搭載する双発機であり、可変翼による低速性能と高速性能を両立しながら高い格闘戦能力を有することと搭載レーダーと長距離ミサイルによって擬似的ではあるがファーストルック・ファーストショット・ファーストキルを可能としている事が挙げられ、採用から70年以上も空からの脅威から帝国海軍空母機動艦隊を護る盾として活躍している。
開発までの経緯
本機の開発であるが、その源流は1921年に帝国海軍が開始した将来戦闘機開発計画までさかのぼることができる。この計画は当時の政府および大蔵省による強い軍縮の要請を受けた帝国海軍が戦闘機、軽攻撃機、重攻撃機とバラバラであった自軍の空母航空戦力を単一の機体に統一する事で調達、運用コストを大幅に削減する事を目的とした戦闘攻撃機開発計画であった。
しかし、この計画は史実の某米国製可変戦闘攻撃機と同様に攻撃機に求められる要望と戦闘機として求められる要望が見事に合わなかった事から、計画開始から時間をおかずに海軍はもちろん陸軍航空軍内からも当然の如く開発が長期化する恐れが囁かれはじめる。
そこにハワイ沖での日米主導による環太平洋合同演習において、当時日本帝国海軍の主力艦載戦闘機であった10式艦上戦闘機の低空目標探知能力(ルックダウン能力)不足によりアメリカ海軍航空隊の超低空攻撃を許してしまい、空母が撃沈判定をくだされるとという大問題が発生してしまった。
これを受けた帝国海軍は1923年に開発が遅延する可能性250%かつ仮に完成したとしても艦隊防空戦闘機としての要求性能を大きく下回る事が誰の目にも明らかだったVFA-X計画の中止を決定。艦隊防空に用途を限定した防空戦闘機の開発計画である次期主力戦闘機開発計画にその資産と予算を引き継がせることを決定する。
開発企業の選定では将来戦闘機開発計画に参画していた三菱、倉崎の2社の他に川崎、中島、川西の3社が入札に参加する事になるが、最終的に三菱案のA14M1が採用された。
813 : ホワイトベアー sage 2022/03/31(木) 22:33:01
機体
本機はそのコンセプトが艦隊防空戦闘機であり、当時の王立空軍が進めていた飽和攻撃ドクトリンによる大量の攻撃機を動員した飽和攻撃から高価値目標を防衛する事を目的として開発された。その為、本機は上昇力、速度、ミサイル搭載量、そして航続距離にその重きをおいて設計されている。その為、機体はこれまでの艦上戦闘機とは比べ物にならないほどの大型な機体となった。
しかし、格闘戦能力が低いわけではなく、リフティングボディ(揚力胴体)の採用による高い揚力発生効果と可変翼の自動制御による後退角最適化によって、最大9Gまでの負荷に耐えることが可能であり、艦載戦闘機でありながら陸軍航空軍が格闘戦能力を重視して開発している29式試作戦闘機に匹敵、あるいは一部凌駕する能力を有している。
高い運動性能の一端を担っている可変翼は機械式電子自動制御装置によって飛行中に速度や気圧高度の変化を検知して主翼の後退角を変え、翼幅・翼面積・翼の平面形を変化させて、常に最適な揚抗比と主翼形状を得ることができる。さらに加速時には後退角を大きくして抵抗を減らして、マッハ2.34の最大速度で飛行することができ、旋回時には後退角を小さくし翼幅を広げて旋回半径を小さくしたりすることもできた。
これにより本機は、可変翼機として速度に応じて最適の揚抗比を得ることができる極めて安定した戦闘機という評価を得ている。
一方で可変翼を採用したことによる欠点がないわけではない。可変翼の採用が可動機構の複雑さによる生産性・整備性の悪化や可動部品の強度確保の為の製造コストの増大化、さらに重量増大などの多数の問題を招いてしまった。
エンジンとしては先行生産型である11型から初期型である16型までは倉崎航空製のアフターバーナー付きターボフォンエンジンである『M10‐K‐140』を胴体下面左右に間隔をあけて搭載していた。
このエンジンは当時倉崎が開発していた29式試作要撃戦闘機に搭載されていた『M10‐K‐100』の海軍仕様型であり、27,000lbfと言う高出力と低燃費性を両立したオーパーツとも言えるジェットエンジンであった。このエンジンにより、30式艦上戦闘機は大型、重量過大機でありながら高い運動性を有し、上記したような格闘戦能力を発揮する事を可能とした。
防空戦闘機として開発された30式艦上戦闘機であるが、旧式化が進んでいた13式艦上攻撃機の後継機が求められるようになるとその長い航続距離と高い積載量を活かして攻撃機としても運用可能ではないかと言う意見が海軍技術研究開発局より提出され、対地攻撃能力を付与され、それ以前に生産された機体には対地攻撃能力付与を目的とした目的とした大規模な改修が施される。
その結果、1940年から製造が開始された中期生産型である21型では搭載電子兵装も火器管制レーダーや火器管制装置、慣性航法装置などのアビオニスクのデジタル化が行われるのと同時に、各種ハードポイントのサブステーション数が増加され、対地攻撃兵装の搭載能力および搭載数が増加、ヘッドアップディスプレイ・計器版の刷新、赤外線捜索追尾システム、攻撃用前方監視赤外線装置の追加装備、レーダー警報受信機などの電子線装備の更新、一体型風防の採用など多岐にわたる改修や変更が加えられた。
エンジンもアビオニクスの刷新やグラスコックピット化などによる消費電力の向上などに合わせてよりより高出力なM22‐M‐160にエンジンを換装、二次元推力偏向ノズルによるさらなる運動性能の向上と超音速巡行能力の付与が行われている。
これにより本機は本格的に目標照準システムポッドや対地・対艦・対レーダーなどの各種ミサイルやレーザー誘導爆弾、滑空誘導爆弾などの対地攻撃・対艦攻撃兵装、複数のカメラを有した戦術航空偵察ポッドを運用可能な汎用戦闘機へと変貌し、新規に開発された電波吸収体の使用によりRCSが低減にも成功するなど、傑作汎用戦闘機として生まれ変わった。
814: ホワイトベアー :2022/03/31(木) 22:33:55 HOST:222-229-56-17.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
武装
固定兵装としては近接格闘戦用に20mm6連装回転式機関砲を左側機種に1門搭載している。
胴体下面の左右エンジン間には、4ヶ所のパイロンあるいはランチャーを装備しており、主翼根元に1ヶ所ずつあるパイロンおよびその側面にあるレールランチャーと合わせて計8ヶ所に最大8発のミサイルを搭載する事ができた。
搭載兵装としては、射程距離200km以上と言う規格外の射程距離を有し、航空機のみならずミサイルも迎撃可能なARH方式長距離空対空ミサイルである30式長距離空対空誘導弾をメイン兵装として搭載可能な他、同様にARH方式を採用することで撃ち放し機能を有した中距離空対空ミサイルである32式中距離空対空誘導弾や、その一世代前のSARH式中距離空対空誘導弾である20式中距離空対空誘導弾、InSb素子を用いた量子型検知器を有し、環状爆風破片弾頭を搭載する17式短距離空対空誘導弾などがあり、半端にジェット戦闘機を運用していた欧州連合やイギリス連邦の機体を一方的に狩ることができた。
また、21型移行は目標指示装置を主翼パイロンに搭載できるようになったことで各種レーザー誘導爆弾やGPS誘導爆弾に自身で目標誘導ができるようになったほか、対地攻撃ミサイル、対レーダーミサイルなどの対地攻撃兵装も搭載可能なように統合化が行われた。
配備・運用
10式艦上戦闘機の後継機として配備が開始された本機であるが、本機の調達コストの高さと世界恐慌による軍事費削減、仮想敵国の戦力の低さ、性能こそ劣るが費用対効果に優れた33式艦上戦闘攻撃機の実戦配備開始もあり、1936年までに配備された機体は約288機と24個戦闘攻撃飛行隊分のみとその配備は低速であった。
当時の帝国海軍は艦隊防空の為に1個空母航空団当たり2個戦闘攻撃飛行隊、24機の要撃戦闘機を正規空母に搭載していたので14個空母航空団分しか調達できておらず、大半の空母の要撃戦闘機が未だに10式艦上戦闘機であったのだ。
それでも西欧戦後は国際情勢の悪化に伴いその調達速度は早められていった。また帝国海軍はもちろんアメリカ海軍やオスマン帝国海軍などでも採用されたため、1986年の製造終了までの間に約2200機が生産・配備された。特に大日本帝国海軍では全正規空母航空団に配備された他、戦略爆撃機の護衛機として陸上基地航空隊にも配備され、最も多いときには900機を超える機体を運用していた。
30式艦上戦闘機は長い間、帝国海軍空母機動部隊の象徴として大空を駆け回っており、一時期は老朽化を迎えた30式艦上戦闘機を新規製造したFA-30M31やFA-30M32などのさらなる近代化改修型で更新するという極めて異例な処置も取られていた。
そんな傑作戦闘機であっても時代の流れには逆らえず、1980年代には陳腐化が著しい事を理由についに退役が決定されてしまう。しかし、後継機として配備が開始されていた可変翼ステルス艦上戦闘機であるFA-84K スーパートムキャットは冷戦崩壊後の軍事費削減から調達スピードが遅く、第二次900隻艦隊計画が開始された後の2012年にようやく全機が退役した。
815: ホワイトベアー :2022/03/31(木) 22:35:24 HOST:222-229-56-17.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
以上、
大日本帝国海軍において長年、艦隊防空を担うことになった名機ことトムキャット君の紹介になります。
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最終更新:2023年12月02日 22:25