862: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:04:40 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

無幻世界に置ける第二次世界大戦 ~準備不足のドタバタ戦争 華咲く戦は、何時の日か~


「少し勿体ない気もしますが、商船相手でも酸素魚雷で構いませんよね!?」
「この艦に空気魚雷なんかありゃせんからな!やっちまえ!!」
「了解で有ります艦長!」

――――反撃体制の鏑矢となった日本海軍の潜水艦隊の奮戦。余りにも無法極まりないアメリカ側による開戦の結果、皮肉な事に戦争前には『据え物切り』と思われていた通商破壊作戦を熱心に実行する伊号・呂号潜水艦の群れが、太平洋にて暴れ回っていた。


「命中した!命中した!間違い無く命中しました!」
「そうか!良くやった!それで撃沈出来たか!」
「いいえ!爆発音は全く有りませんでした!」
「ああそうか!何時もの通りか!」
「何時もの通りです!!」
「畜生!帰ったらあいつら全員魚雷発射管で射出してやる!!」


――――魚雷信管問題のせいで、命中しても爆発しない魚雷が多数掴まされたアメリカ潜水艦では、日本側の護衛艦による反撃にて無視できない数が撃沈されている事と相まって、別方向にテンションが飛び跳ねる艦や乗員も出て来たりした。開き直りとヤケクソとも言う。


「うーん……」
「やりてぇことは分かるし目論見通りに動けば大威力なのは間違いねぇわな」
「で、肝心の炸裂確率は?」
「……戦場での、武人の蛮用は考えたくない」
「やな」


――――『橿原丸』に突き刺さったまま回収出来たアメリカ潜水艦の魚雷を解析した日本海軍の技術者たちの感想。英独との交流に加え、演習にて現場の水兵が信管の感度を弄って度々想定外の事になった事例から信管問題に神経を使うようになった潜水艦部門に取って、何だか別方向の黒歴史を見せられている気分だった。


「戦争と言うか、災害救助に来た感じだな、俺ら」
「今の所だけだろうさ。仏印と蘭印から出れば、後は全部敵地見たいなもんだし」
「それもそうだな……ん、どうした嬢ちゃん……木の上……あ、猫か。悪い、手伝ってくれ」
「おー……平和なのも、今の内だろうかねぇ……つか重いんだよお前ちょっと痩せろ」
「鍛えて筋肉有るんだから仕方ないだろ……って痛い痛い痛い、止めて、ちょっと爪引っ掻くのやめ、おっ、おおおおおー!?」
「ちょ、おまっ、馬鹿、行き成り動く、おあーーー!?」


――――インドシナやインドネシアに治安回復任務で『進駐』する事になった日本兵達。銃を撃つより米袋と馬草等を配り歩く方が多く、身振り手振りと手持ちの御菓子で現地民とコミュニケーションを行う日本兵達は、皆訓練された常備兵と言う事も有りいざこざを起こす事は少なく、後の親日姿勢が生まれる端緒ともなった。


「インドの諸君には好きに戦って貰えば宜しい」
「へっ、陛下!?」
「欧州戦線に関しては、現状対ソ戦線はドイツ・ポーランド軍の交戦により、ソ連軍を死地に呼び込んでいる為、重爆撃機による一定の航空支援をするだけで十分。
スペイン戦線に関しても、現地の戦況を鑑みるに必要なのは数では無く質の兵士。海上は言うに及ばず」
「ですが陛下……このまま事実上傍観した場合、インドはあの山岳地帯で無意味な戦力を消耗するだけで有りますが……」
「首相。彼らも【大人】なのだ。自らの行動がどのような事となるのかを身を以て知らなければならない。我がイギリスがその後にインドで【手助け】するのは、インド人が【教訓】を得るその日からで良いのだ」
「……多くの血が流れますな」
「喜ばしい事だ、【敵対国の兵士の骸】が増える事は」


――――中印国境地帯に置ける壮絶な殴り合いに対するイギリス本国の反応。戦前から進めていたインドの自治権譲渡等により独自性を高めたインドによる対中華戦線の開設は欧州へのインド軍の援軍が減少する事を意味して居たが、イギリス本国はそれを尊重する決断を下した。
後の陰謀論の一つに【傍観する事でインドの国力をイギリスは削ぎ切りに来た】と有るが、公的資料にそれを思わせる文書は見受けられなかった。

863: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:06:46 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

【開戦波及】…何度も述べられている通り、アメリカ軍による横須賀奇襲攻撃による連鎖波及にて全世界のほぼ全てが戦争に巻き込まれた事で、多くの国々は自らの置かれた状況整理と眼前の【敵】への対応に暫くの時間を必要とした。特に狙っていたかのような、その実完全なる偶然と言う日本に取って悪いタイミングで暴発した仏領インドシナと蘭印の暴動や独立騒動による内乱、そしてオーストラリアと南アフリカでの英連邦からの離反と反逆そしてアメリカ陣営への加入は、満州戦線が一旦終息して地固めをし直していた日本には質の悪すぎる冗談だった。

確かにオーストラリアと日本の関係は、オーストラリア側が一方的に日本を嫌い抜いている事から外交的に険悪だったが、流石に突如英国王族の総督を殺害するクーデターまでして日本や宗主国のイギリスに喧嘩を吹っ掛けて来るとは思っていなかった。そしてアメリカ側に取っても、イギリス戦艦と王族を誤って撃沈してイギリスからの宣戦布告が発生しただけでも頭を抱える出来事な所に、奇襲攻撃の直後にこのオーストラリア、そして同じく総督を殺害して反逆し、自国側に転がり込んで来た南アフリカの行動は予想外と言うか想定すらしていなかった。

 尚、このオーストラリアと南アフリカでの離反を逆に好機と考えたホワイトハウスは、【世界新秩序】構想なる物をぶち上げ、既に日英独と交戦状態にあるソ連、フランスも引き込んで【国際連合(United Nation)】を短期間で作り上げ、主にアメリカ国民に向けた【合衆国の正義】のプロパガンダとして『独裁国家の打倒と市民の解放』やら『民主主義の再構築』やらを大義名分と仕立て上げた。ただ『敵の敵は味方』理論で止む無くアメリカが音頭を取った【国際連合】に入ったソ連は『トロツキストに無知と恥知らずを加えればこうなるのだろうか?』と、アメリカへ派遣されたソ連外交官が本国に伝えたように初めから冷め切った目で見ており、フランスに関しても内心『アメリカ大陸の田舎者』等と馬鹿にし切っていて【国際連合】で掲げられた綺麗ごとの名分を嘲弄していたり、止めに離反した南アフリカやオーストラリアのクーデター政権すらも、黄禍論が源流である反動主義による殆ど勢い任せによる行動で出来た存在の為にまともな政治的能力や活力に乏しかったりと、呉越同舟と言うか無理矢理各々の船をロープで繋いでアメリカ船が引っ張っているかの如き分裂具合であった。
こんな有様でも外から見れば全く油断ならない強国の集まりであり、それなりに意思統一も行えていると見做されていたのだから、真実を知った国際連盟側は皆揃って壮絶な脱力感に襲われたのも仕方ないだろう。

既存秩序を根底から破壊する大宣言が、深謀遠慮の末に出されたアメリカによる世界経済の支配宣言何かではなく、年単位どころか実質一ヶ月にすら満たぬ月日で泥縄的にでっち上げられたシロモノだったのだから、無常観溢れる顛末である。
兎にも角にも、混沌の中で参戦国や戦争に巻き込まれた地域は、生き残る為にも様々な形で藻掻き、足掻く事になる。

864: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:09:14 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

【東南アジア】…裏切者のオーストラリアをぶちのめす為、そしてアメリカによる確固たる根拠地化を防ぐ為にも早急に東南アジアを制圧する必要に迫られた日本であったが、仏領インドシナと蘭印での暴動や反乱により暫しの足踏みを強いられた。取り合えず中華民国がまともに防備を敷いていない海南島を制圧して当面の足場にする事は直ぐに決まったが、現地との伝手が殆ど日本に無い事から二の足を踏んでいた。
これまでの歴史的経緯により、諸事情で介入や交流したドイツやオスマン帝国は兎も角、近在の東南アジア方面に関しては、個々人の善意や理想による関与は有りはしたが所詮は民生向けのちょっとした支援程度が限度であり、政府としては植民地の独立運動家を多数受け入れたり、武器弾薬を密輸する等と言った具体的行動をとった事は無かったのだ。
国内の極一部で謳われていた【大東亜共栄圏】なる理想を、日本政府や日本人の多くが『既存秩序を破滅させる』と言う現実的思考により否定して居た皮肉である。

フィリピンに関しては、現地軍を率いるマッカーサー将軍が現地アメリカ軍やフィリピン等の国際法に則った保護を絶対条件とした上で、極秘裏に日本に降伏する事が伝えられていたが、余りにも安易に降伏すると当事者らの名誉であったりアメリカ本国の反応であったりと、兎に角今より更にややこしい話に成りかねないので、綿密な調整によるフィリピン降伏の偽装工作を完了するまでは手を付けられなかった。
此処で情け容赦無く『アメリカ軍人であるから』とフィリピンのアメリカ軍を一方的に攻撃せずに時間を掛ける話し合いを行った点は、世界史的にも日本の民族性を良く表しているエピソードとして後にアメリカ本国を徹底して叩き潰した事と合わせて記載されていると言う。


 そうした中、本国が東南アジアへの進出ルートに頭を抱えながらも国内動員を進め、即応体制に有った海軍陸戦隊にて海南島を数日で制圧し、現地に簡単な基地や施設を建設し始めた頃に、タイ王国より要約すると『インドシナと蘭印統治の旗印になれる組織に伝手が有るから戦力を寄越して欲しい』と言う極秘裏の要請が来る。
タイ王国としては正直に言って日米間の大戦争や二度目の世界大戦等は迷惑千万だったのだが、自国の直ぐ隣であるインドシナ全土での大暴動では、なけなしの少ない兵力が対独戦の為に更に引き抜かれていた現地のインドシナ総督府は完全に統治能力を喪失し、タイ王国が日本へ接触する頃にはインドシナのフランス軍は各所で寸断され、現地在住のフランス民間人と共に細切れにされつつ有るのを怯えて何処かに籠城して居る様な状況であった。
植民地政府とは言え、統治機構の事実上の消滅により政治と流通の双方が崩壊し、必然的に暴動を起こしたインドシナ人も偶発的かつ多発的な暴動で計画性も何も無かった為に各所で物資不足やデマの拡散が発生し、その結果インドシナ人の一部がタイ王国側へ国境侵犯し、助けを求めるだけなら未だしも大暴動にて奪い取った武器を片手に略奪しに来る様な輩すら目立ち始めており、早急に『如何にか』する必要が有ったが、タイ王国単独ではインドシナ全土の統治は難しい為に日本に援軍を要請したのだ。日本側に加担すると見られる行為は間違い無くアメリカが嬉々として戦争を吹っ掛けて来ると簡単に予測されたが、『今のアメリカとオーストラリアの有様を見ていればどうせ巻き込まれる』と諦観を持って受け入れていた。座して他国の余波で吹き飛ばされるのならば、今動いて名と意志を見せつけんと言うやけっぱち感も無くは無かった。

 またオランダ領インドネシアに関しても、東南アジア有数の資源地帯かつ本国の至近の地域が反乱と軍閥の群雄割拠状態に陥っている事、そしてその中に『世界革命』なる世迷い事を掲げる共産主義勢力が居る事も、タイ王国は極めて危険視していた。
現地のオランダ軍はインドシナのフランス軍以上に脆弱で、元々の配備兵力が大した事が無い上そこかしこの蜂起に振り回された挙句、司令部が強奪されたオランダ軍の歩兵砲で吹き飛ばされてからは完全に瓦解。そして『共通の敵』が消失してからはインドネシアの覇権を独占すべく、共産勢力が他の独立組織に対して攻撃を開始し、タイが日本に接触する頃には内乱状態に突入していた。
内乱状態と言うこれだけでも頭が痛いが、まかり間違ってインドネシアに共産勢力、それも『世界革命』を掲げているトロツキスト派が征する事になるのは、日本は勿論の事タイ王国も見過ごせる訳が無かった。と言うよりも、タダでさえ国際情勢が訳の分からない事になって居ると言うのに更にややこしくして来られたら溜まったモノでは無かった。アメリカはホワイトハウスの言動不一致と言うかいい加減さ、一貫性の乏しさは、混沌(カオス)の一言では足りない位に支離滅裂なのだから。

865: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:11:13 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

 尚、タイ王国が示した人材リストにて、蘭印では収容所に放り込まれていた独立運動家であったのは兎も角、仏領インドシナでの旗頭候補筆頭として挙げられていたのが共産主義者の人間であった事に条件反射的に若干難色を示した日本だったが、タイ王国より『当人は共産主義よりも民族主義者』だと説得され、尚且つ『今は選り好みしている時間は無いのでは』とも諭された為に、反共産国家として名高い日本が共産主義者を支援して一国を制圧させると言う驚天動地の事件となり、後にこの事を知ったクレムリンは『日本で革命でも起きたのか』と一時大騒ぎになったとか居ないとか。だがこの衝撃的な決断のお陰も有り、仏領インドシナでは大混乱に陥りつつもギリギリ途切れていなかったインドシナ共産主義者のネットワークを用いる事により、『平和的進駐』を掲げた日本軍が武器弾薬よりも米や燃料を山積みにした輸送艦を揚陸させ、インドシナの民衆に盛大にばら撒いた事、そして日本兵が支援物資と共に上陸し、現地仏印政府へ交渉と言う名の圧力を掛け、仏印のフランス人の保護を対価にインドシナの独立を認めさせた事で、インドシナ各地の暴動は急速に終息。
この後、インドシナは『ベトナム連邦共和国』と改称し、日本の支援を受けつつ国内統治に邁進する事で、戦争からは事実上引き下がる事になった。

一方オランダ領インドネシアは、最早大乱戦の有様で直接的武力を用いる事が必須であった為、日本はインドシナ、もといベトナムに仮設した航空基地より空挺部隊を派遣し、インドネシアの石油施設と港湾施設に降下。
本部隊が来るまでの先遣として現地固守が命じられたのだが、この時空挺降下して居た日本兵の姿を見たインドネシアの民衆がとある伝承を思い起こしたタイミングでインドネシアの独立運動家達が扇動し、日本への協力体制を俄作りながらに構築。
元々支持が宜しくなかったのを武力で従わせていた様なインドネシア共産勢力は、敵になった民衆に本物の列強軍の武力の挟撃によって、日本本土の参謀本部が想定して居たよりアッサリと壊滅。仏印・蘭印共に結果は良しとするも日本に都合の良すぎる流れに対して微妙に納得して居ない参謀たちは兎も角、アメリカとオーストラリアが踏み込む前に想像以上の速度で東南アジアを制圧出来た事は極めて大きな得点だった。


 因みに自分の植民地を好き勝手された挙句に独立すらさせられた事に対して、既にアメリカの対日奇襲に即応して同盟した為に法的に交戦状態に有るフランスは当然激怒し、『裏切者の仏印植民地政府とそれに与した者共』へ様々な罵詈雑言を浴びせたが、ドイツとの戦争が追い込まれつつある状況の為に日本への攻撃等出来る事では無く、挙句戦争中にフランスその物が崩壊していった為に、日本やベトナム連邦側には大した影響は無かった。一方の蘭印を植民地としていたオランダだが、本国がベルギー・フランス連合軍に全土占領された挙句にドイツ軍との奪還時には各所で破れかぶれに堤防を爆破する等の遅滞作戦を即興で展開され、事前調査や知識が不十分だった結果ドイツ・オランダ軍よりも低地にそれと知らず布陣していたベルギー・フランス軍の方が民間の施設諸共巻き込まれて溺死者を出す様な有様の為に、本国の復興・復旧に必要な労力や世界情勢の激変を合わせて考えると、どう考えても統治能力を完全に喪失した遠隔地への派兵能力は無かった。その為、後に現地オランダ利権の保護や正貨による購入、それとは別に資金援助等を行う対価を出してインドネシア独立の事後承諾を求めた日本側の行動に対し、オランダ側は世界の終わりを迎えたかの如き死んだような表情で追認するしか無かった。

この【どうしようもなかった】悪感情は侵略者であるベルギーとフランス側に八つ当たりの様な格好で向けられ、後に欧州全土津々浦々へ反ベルギー・反フランスのプロパガンダ宣伝や徹底した旧フランス領域での解体行為がオランダにより実行され、英独が黙認や支援をする顛末となっている。

866: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:13:18 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

【オセアニア】…日本がタイ王国仲介の下、現地協力者を旗印に現地政権をでっち上げて急速に進出を果たしていた頃。
何時ものホワイトハウスの命によりオーストラリアに対する大量の軍需物資の輸送やオーストラリアの眼前のニューギニア方面への侵攻を、現地オーストラリア軍と行っていたアメリカ軍であったが、軍上層部の心配が案の定的中し、半ば足踏みする様な遅々とした進軍となっていた。『オーストラリア大陸を自由と解放の拠点とする』ホワイトハウスの構想は一部間違ったモノでは無いし若干ながら戦争中に機能した面も有るが、その実オーストラリア自身の産業構造、つまりは農業ら第一次産業が主体で戦車や航空機の自作もライセンス生産も、大きな支援が無ければ自力で出来ない貧弱な工業力が、アメリカの足を引っ張っていた。

兵士と食べ物は有っても戦車や航空機の様な重装備は愚か、軍服や銃火器すらも自前での自給では足りないオーストラリア軍の戦力化の為にアメリカ本国からの物資搬入が求められたが、肝心のアメリカ本国の戦時体制による兵器の量産は、急速に拡大しているとは言え未だ全力稼働には程遠い状態だった。加えてオーストラリア軍は、クーデター直後に自国の海軍艦艇が重巡洋艦二隻、その他小艦艇も一部離反する様な有様だった事も有って、人員不足も有り通商護衛が満足に出来る程の艦艇は存在しておらず、結局全部アメリカ側がやる羽目になり
余計な負担が増える結果にも繋がっていた。白豪主義を拗らせたオーストラリア人は決して認めないだろうが、戦車や航空機、艦艇を殆ど自作出来ないと言う点では、彼らが日本に蹂躙された事で見下していた中華民国と同じようなものであった。



 そんな中、宣戦布告無き奇襲攻撃等への混乱からある程度立ち直った日本は、トラック諸島へ日本海軍の潜水艦隊を主軸に艦隊を進出させ、アメリカ本国から遠路はるばる各種物資や兵士をオーストラリアへ送り込んで来ている輸送船団に対して組織だった通商破壊作戦を実行し、大西洋と同じか、或いはそれ以上の勢いで輸送船を多数太平洋の漁礁へと行き先を強制変更させていった。
元々漸減邀撃作戦の様に日本海海戦を範とした一大決戦を志向していた日本海軍であったが、第一次世界大戦中のUボートとの交戦による通商護衛と言う経験や、その後の流れによるドイツ・イギリスとの関係深化と各種交流により、ドイツ式の通商破壊戦術を日本海軍成りにアレンジして投入した結果だった。因みにドイツ海軍と日本海軍の通商破壊戦の見た目で最も分かり安い大きな違いは、ドイツでは費用対効果を考えて商船相手には電気駆動魚雷や空気魚雷を使用する事が基本であったが、日本海軍はオーバーキルとか費用対効果とか何も考えて居ないが如く、贅沢にも軍艦だろうと商船だろうと構わず高価な酸素魚雷を撃ち込んでいた。一応、雷速が速く気泡が発生し難い事から敵船から視認され難くする事や、一撃必殺の酸素魚雷を使用する事で、商船ならばどこに命中しようと必ず撃沈させられると言う理由付けは有ったが、何と言うか色々な意味で日本にしか出来ない攻撃である。
因みにドイツと同じく日本から酸素魚雷を受け取ったイギリスもドイツ式の魚雷使用法であり、世界的には酸素魚雷が開発未了なのも有り電気魚雷か空気魚雷なのが普通で有る事を追記して置く。


 一方殴られっぱなしに見えるアメリカ軍とオーストラリア軍であったが、当然こちらも潜水艦を用いた通商破壊戦を日本側に対して行っていた。
だが日本やドイツ、イギリス潜水艦と違ってアメリカ潜水艦による通商破壊戦は、被害を被っている筈の日英側が揃って首を傾げた程に全くと言って良い程まともに機能していなかった。アメリカ側の乗員や潜水艦その物の質が劣悪だった訳ではない、数量に関しては太平洋、大西洋に二分割している事も有り戦域の広さに比して少なかったのは事実だが。証拠としての実績は開戦初頭、それなりに重厚な護衛に守られた、船団中央部に位置していた日本が誇る巨大豪華客船『橿原丸』に対して複数の潜水艦が雷撃を成功させ、7本も命中させた戦歴が目立つところだろうか。だが折角苦労して雷撃に成功したと言うのに、肝心要の命中魚雷が一本たりとも炸裂せず、『橿原丸』がそのまま最寄りの港へ寄港するまで全部突き刺さったままで日本海軍に回収された事から分かるように、アメリカ潜水艦は自らが用いる潜水艦用魚雷の磁気信管がとことんポンコツだった為に、戦争の中盤頃になるまで命中しても偶にしか炸裂しない魚雷に悩まされ続ける羽目になっていた。

867: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:15:48 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

勿論現場からの改善要求は嵐の如く送られたが、良くある官僚的責任転嫁で『現場運用の拙さが原因』と、相当な期間改善要求が無視や却下され続けた為、最終的に潜水艦部隊の直訴により大統領すら招いて行った標的艦への実弾演習にて、標的艦への命中魚雷三十本に対し爆発魚雷がたった一本、しかもその爆発魚雷も波間での誤爆で船体その物へは直撃して居ないと言う壮絶な結果を目の前で実演する事で、ようやっとかつ大統領命令を受けて尚魚雷部門の責任者らが渋り切った末の事で魚雷信管の改修が行われ出したが、前述したように戦争中盤に至るまでアメリカ潜水艦は命中しても炸裂しない魚雷で足掻き続ける羽目を強いられ続けていた。


 余談だが、アメリカ潜水艦の魚雷問題を語る上で良く引用される『橿原丸』についてであるが、この7本の魚雷が命中した時の『橿原丸』には、日本陸軍の最精鋭である近衛師団が乗り込んでおり、しかもこの護衛を指揮して居た日本海軍の司令官は過去の日本海海戦の栄光に目を焼いた質の守旧派或いは悪質な艦隊決戦至上主義者であり、『鉄壁の護衛』等と称して居ながら魚雷を多数命中させられた事に対して『橿原丸』を所有していた徴用先の船会社や危うく近衛師団が壊滅する危機に有った陸軍からの抗議や詰問に対してかなり不適切な言動を真顔で行っており、直後に事態を知った連合艦隊の堀司令長官や山本海軍大臣が怒り狂う陸軍や明確な不信感を露わにした船会社に直接出向く形で面会し、船団護衛体制の改善確約や部下の言動に対する謝罪を行い『国家国民を守護する海軍』に相応しくない海軍将官を戦時中でありながら、若しくは戦時中であるからこそ、査問会議を開いて追放したりしている。この事が一部で強い教訓となった為か、その後の海軍の教育ではこの【橿原丸事件】が必ず取り上げられ、士官候補生らのみならず現役将校に対してもしつこいまでに『国家国民の守護』を強調、教育する日本海軍となっていた。
日本陸軍の極少数の将校の独断専行による戦線拡大未遂やアメリカ海軍の魚雷不発の山の様に、何事かが起きなければ改善の切欠にならないのは、何処も共通らしい。



【中印国境地帯】…『忘れられた煉獄』。今戦域にて戦っていた兵士達が聞けば怒り出しそうな素っ気ない記述が、この戦場の全てを表していた。世界的に見れば僻地も僻地な山岳地域、そして主戦場である太平洋や大西洋、またヨーロッパやロシアから遠く離れ、尚且つインフラ整備も殆ど施されて居ない正しく『世界の果て』の戦場。
双方世界最大級の人口を抱えた二国が余りにも不毛極まりない戦争を、それも死力を尽くして行われた結果のミリオン(百万)単位の戦死傷者の山。
そしてその壮大な戦死傷者に反比例する第二次世界大戦に置ける今戦域の影響の無さ。主要各国は自身の戦争で忙し過ぎて、インドと深い関係にあるイギリス以外の国際連盟側は、ともすればインドと中華民国が戦争している事を若干忘れ掛ける状態なのは致し方無かった。


 中華民国が日本と戦争状態に有りながらインド方面に進軍をした事を、世界は失笑や呆れが主体の評価を後世で成している事が多いが、当時の中華民国に取っては単純な領土欲等と言った様な事情によるものでは無かった。元々中華民国、引いては自称漢民族が中国大陸奥地の僻地を領土としている名分は、チベット地方の領土としている事を理由としていた。チベットの領土化、つまりはチベット仏教の守護者で有る事で、三國志で言う所の蜀より更に奥まった広大な地域を中華の領土とすると言う流れは、中華民国が成立するより遥か以前より続けられていた。中華大陸の前王朝である清王朝も、日清戦争の敗戦等で衰亡に突き進んでいる最中でも、インドの後に居るイギリスの不評を喰らう可能性も無視して、チベットの独立を認めず軍を派遣し制圧した過去からしても、中華政治的にチベットは必ず中華中央に帰属して居なければならないのがある種の【伝統】であった。
そしてこの第二次世界大戦中の中華民国も例に漏れず、中華大陸伝統の内乱と日本との対立により独立状態になったチベットを短期間で再併合する事により国内の引き締めと、少なくとも勝利を国内向けに宣伝する事により権威を固め直すのが目的で、チベット以上に出て行くつもりは無かった。そんな国力等無いと言うのも有ったが。

868: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:17:35 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp

 だがそんな中華民国の中華政治的思惑を全く読めなかった、乃至理解出来なかったのが、日本の仲介やイギリスの妥協により自治権等を獲得して意気上がるインドで有った。なんでかは知らないがイギリスと交渉して自治権や独立への道筋を構築して行った日本にはインドとしての恩が有る上、満州での宣戦布告も何も無い唐突な侵略、そして無理筋満載の対日悪評喧伝でインドから見た中華の評価は下落の一途を辿っており、その中での中華民国によるチベット侵攻は【とうとう奴らはインドへの野望を明らかにした】と認識した。
その為に、イギリス本国から来る援軍要請に関しては一部謝絶し、インド軍の多くはまともな鉄道も道路も無いチベット方面へと差し向けられ、欧州戦線に対しては各種物資以外ではイギリス本国兵に匹敵すると言われた精鋭インド人師団が数個送られただけに終わった。
この点、過去長期に渡ってインドを植民地支配していたイギリス人に対する【ちょっとした】意趣返しの意が有ったとも言われているが、イギリス政府が思ったより粘らずに何故か引き下がった数ヵ月後、第一次世界大戦と同等かそれ以上の泥沼の戦闘が、貧弱なインフラすら乏しい中印国境の山岳地帯で大規模に展開され始めると、インド人は数ヵ月前の自身の短慮を完全に後悔する事になった。


 もしチベット方面に押し寄せて来たのがイギリス本国軍であるならば少しは違ったかも知れないが、中華民国としては『植民地軍』であるインド兵が来た事で著しくプライドを傷付けられた。先進国、つまり当時の『列強国』の一般市民には余り理解され難いが、中華思想に置いて【化外の民】である欧米諸国が中華地域に浸食して来ても、当の中華としては大きな問題では無かった。
欧米列強の浸食に伴い反西欧運動や暴動が、主に植民地的収奪の被害を被る中華地域の民を中心にして中華地域で多発して居ても、何時かは中華その物に飲み込むのは既定路線、と言うよりは決定事項であるとも、当時の中華地域に遍く存在する知識人層や脈々と続く裏の支配者達は考えて居た。
『【化外の民】は中華の覇権の為に利用する【道具】に過ぎず、利用価値が無くなれば後は中華の【徳】に取り込まれる』と言う、古来より紡がれた強固過ぎる自民族至上主義にして国粋主義、異民族差別主義の際たる物と言える中華思想の賜物であった。
だが同じくして中華思想に練り込まれている『四夷』の一つに当たる西夷のチベット民族に小癪にも増援を送り込んでいるのは、【化外の民】の『下僕』であるインド人。西欧人なら兎も角その『小間使い』に身を窶した様な者共に負ける謂れ等無い。 

後世の人間からして見れば何とも理解し難い変な傲慢さだが、現実としてインドのチベット地方進出に過剰反応した中華側は、中華民衆に『中華の危機』を煽り立てるプロパガンダと共に各地で徴兵を行い、最低限の武装と軍装、そして現地利権の切り取り勝手次第と言う甘言と共に実質的武装民兵と戦果観測の為の少数の中華民国正規軍を多数送り込んだ事が現実だった。
そしてインドもインドで中華民国の過剰反応に驚愕して更に派兵戦力の増強をほぼ即決し、世界そして中印両国が気付いた時には世界の果てと言える山岳地帯で壮絶な殴り合いと終わりの見えない泥沼が広がっていた。
鉄道や道路と言ったインフラが極めて貧弱、乃至皆目見当たらない様な領域で、相互無限と言える様な兵役人口を抱えており、そして国家の面子の為に今更引くに引けないと言う様々な悪条件が重なった事も有り、兵員密度と死傷率で言えば今大戦屈指の戦域となった中印国境地帯では、当事者の意思等何も無く完全に中国人とインド人が押し掛けて来て巻き込まれたチベット人らの悲鳴を掻き消す死体の山が積み上がり続けていた。

869: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:19:08 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp
 歴史的に増え過ぎた中国人の棄民染みた死者を気にしない攻勢に慣れている(そして中国人も逃散にも慣れている)中華側は兎も角、それなりにイギリスから西欧的な価値観や常識を得ていたインド側はこの状況に慌てふためき、同盟国らに支援を要請したりしたのだが、今まで親インド的姿勢を見せていた日本は、この頃アメリカ海軍が中身は兎も角【ハコ】は揃え出して居たアメリカ機動部隊の存在への警戒や、イギリスに言われるがままオーストラリアのインフラ網破壊に忙しかった為、兵器援助を除く増援等は東洋的玉虫色の返答では無くきっぱりと謝絶しており、宗主国であるイギリスも最初の忠告を無視して突っ走ったインドへは『貴国の自主性を重んじる』と言う姿勢を堅持して居る上、イベリア半島やフランスでの攻勢制圧が企図、実施されていた事も有って手が回せる訳が無かった。
ドイツに至ってはポーランド軍と共に第二次ヴィスワ川の奇跡をある程度成功させて反攻に打って出ているタイミングで有った為に、流石にインドとしても支援要請を出せる状況では無かった。その為インドは世界の辺境でグダグダとあらゆる財貨と人命をすり潰し続け、世界が大きく変革し続け、そして全てが終わった終戦の日まで延々と中印国境から少しずつ中国側へ押し込むだけの戦争を継続し、国際連盟軍としての世界的貢献度は死傷者の数に全く比例しない無惨な低空飛行となり、最終的に再編された常任理事国の席をぽっと出で有る筈のシオン連邦共和国に持って行かれると言う、敵味方合わせて五千万以上の死傷者を出したのに何とも不利益しか残らない戦争となったインドであった。



 余談だが、このインドに送られた日本の支援の多くは【二式艦戦 烈風】や【三式戦 飛燕】【一式陸上攻撃機 銀河】【二式艦上攻撃機 流星】等の量産で余剰となった【零式艦上戦闘機 三十二型】【一式戦闘機 隼改】【九七式陸上攻撃機】【一式艦上爆撃機 彗星】が中心に送られており、またインドよりも多くの日本機が各種資源と共に欧州に送り届けられている。その際、欧州最高の格闘戦能力を誇っていたイギリス空軍の【スピットファイア】が【零戦】に簡単に敗北した事に衝撃を受けたり、【Ju87 スツーカ】の後継機開発が遅れていたドイツ空軍が繋ぎとして使った【彗星】が殊の外気に入ってライセンス生産すら日本へ求めて来る等、様々な逸話が生まれ、欧州各国のカラーリングや国旗を記した日本機が欧州の戦線で活躍している。因みに【ソ連人民最大の敵】と名指しされたとあるスツーカパイロットも、この【彗星】にて複数のソ連空軍戦闘機を撃墜し、爆撃機乗りなのにエースである五機撃墜(最終的に戦闘機八機、爆撃機三機撃墜記録)の一助としている。

870: 陣龍 :2022/04/01(金) 23:22:32 HOST:124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp
|д゚) と言う訳で開戦序盤から少し時間が進んだ頃の各戦線の細やかな事情説明となりました

|д゚) 正直中印国境のあの山岳地帯で、別にワープ進化もしていない中印軍が殴り合ったらこうなるのが関の山かなぁと
    (影真似氏の返答で死傷者五千万以上はそのまま)

|д゚) …この頃欧州各国の艦載機開発が尽く爆死しているので、若しかすれば中盤まで日本機が国際連盟側の海軍機になってるのかも

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年04月04日 15:37