368: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:51:02 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
日英世界 戦後史
第二次世界大戦は日英陣営の勝利に終わった。
日英を始めとする独、伊、波、土、多が中核となった同盟が
アメリカ本土へ上陸し、数か月の戦闘の後にこれを下し米仏ソ中の連合軍を下したことにより終結した。
戦後は日本(ニホン)、英国(イギリス)、独国(ドイツ)、伊国(イタリア)、土耳古(オスマントルコ)、多惱(ドナウ連邦)、波蘭(ポーランド)が中核となりながらもウクライナやカナダ、ブリガリア、ルーマニア、ギリシャ、オランダ、ベルギー他幾つもの国々が参加しながらも敗戦国への追及が行われた。
結果だけ言えばどの国も国家の存続は許された。
ソ連はベラルーシを失い、ラトビアとエストニアも独立。バクーはオスマントルコに奪われた。
アメリカも五大湖地帯における利権の多くが英国やカナダへ、フランスも植民地は全て独立させられ、コルシカ島や失われたイタリア領部分などを取られるなど幾らかの領土は犠牲となったが、それでも国家そのものの解体は行われなかった。
これは単純に日英を始めとする主要国が戦後の国土復興を優先したいがためが理由である。
バラバラにしても良いがその面倒まで見切れないというのが当時の同盟国の正直なところであった。
というわけで幾らかの領土活動、戦争犯罪者の引き渡しと裁判、賠償金の支払い、特許権の移設、軍備制限、20年間の主要兵器の開発、研究禁止といった措置で許された。
こうして世界は戦後を歩み始めるのであるが、それは新たな戦いの始まりであった。
〇中華平定
まず国際連盟は国際連合へと形を変えた。史実のそれよりも聊か強権的で強力なある種の国際軍事・経済同盟の趣の強いそれは常任理事国として日英独伊土多波の七カ国が選ばれた。
イタリアやドナウ連邦あたりは嫌がったが日英独が無理矢理押し付けた。
そんな大戦時の同盟が拡大発展されたような国連が初めに行ったのは中華地域の平定であった。
米仏ソと違い中華民国は大戦中に日本にボコられて以降、国内で民主主義者と共産主義者による内乱が勃発。
国家は崩壊したままであり、中華地域全体が争乱に包まれていた。
大戦中の日本は邪魔者が死んだのでヨシ!としていたが、流石に戦後になってもこれは煩わしいどころの話ではなかったので、いい加減ある程度は静かになってもらおうということで改めて中華の切り分けと平定を主張したわけである。
折しもベトナムを始めとする旧フランス植民地が独立したばかりであり、それらの安定や東南アジアのイギリス連邦諸国(旧英国アジア植民地群)やオランダ連邦所属国(旧オランダ植民地群)の安寧のためにも、近場の中華紛争地域の影響が波及する前に大人しくさせる、もしくは壁を作るということは国連の場においても大まかに賛成される流れとなった。
中華平定は周辺諸国を巻き込みながらも順調に進んだ。
チベットは英国の手助けで独立することとなり、同時に雲南、四川、広西、貴州をまとめた南方連邦を確立。
日本は広東、福建、浙江、江蘇を繋いだ沿岸連邦を樹立。そのまま独立国とした。
山東半島を有する山東省と北京や天津の存在する河北省にはユダヤ人が輸入し、東方エルサレム共和国が建国されているおまけ付きである。
因みに嫌がるソ連も無理矢理動かしウイグルも独立させる徹底ぶりであった。
残った内陸部は無理矢理軍事力で叩き潰し、大人しくさせた後に江西、湖南、重慶、湖北、安徽、河南、山西、青海、甘粛、陝西をそれぞれが独立。そのまま放置とされた。
これら内陸地域は後に内中華地域と呼称されるようになる。
こうして中華地域が平定され、一定の秩序がもたらされるようになったのが1950年代末。
開始が1940年代後半からであるため実質十数年の大掛かりな仕事になってしまったのは御愛嬌と言えよう。
最も内陸部分に当たる地域に関しては面倒な連中を雑多にまとめて内陸に閉じ込めることが目的であったため、国連や主要国による支援も最低限であり、復興も合わせて経済は低迷下。
日英により巧みに誘導され常々隣国同士でいがみ合い、場合によっては小競り合いすら起こる低治安地域として長らく過ごすこととなる。
なおこれら内陸連合国相手の猟犬兼番犬筆頭であったのが山東に築かれたユダヤ人の国こと東方エルサレム共和国であった。
369: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:51:34 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇インドにおける失われた10年
1960年代に入り、一旦落ち着いた世界情勢であったが、そこで新たに吹き始めたのがインド地域による情勢不安である。
日本との交流によって史実よりも穏当な対応によって大分落ち着いていたインドであったが、全ての火種が鎮火したわけではなかった。
戦後になり燻っていた火種が徐々に熱されており、それが無視できないレベルとなってきていたのが1960年代である。
それでも史実のようなパキスタンやバングラデシュの独立騒ぎとなっていないのは、史実と違い英国が十分な手当てをしている証拠であった。
大英帝国から大英連邦に以降していた英国であったが、それでもインドというのは相変わらずイギリスの心臓であり続けており、この地域の不安定化は英国にとっても看過できない状況であった。
これに対してイギリスは火種の鎮火とインド情勢の安定化に全力を注いだ。
ロシアや北米における駐留軍の撤退を他国より一足早く済ませ、人員と予算をインドに集中させるなど、その本気具合がわかる。
同じように駐留による負担を持つ日独などの他の国々もそれを容認するなど、実質イギリスへの援護を行うなど、当時の国連においてもインド情勢が重要視されていたことがわかる。
結局のところインドでは共産革命も起きなければ、史実のようなパキスタンやバングラデシュの独立なども起きなかった。
イギリスによる全力の介入にて各々の火種は平和裏に鎮火され、インド地域は一つのまとまった巨大地域として存続していくこととなる。
最もその代償は大きく、約10年という時間をささげたことによる一時的なイギリスの疲弊と主要国の警戒がアジア地域に集中し、他への意識が逸れる結果を招く。
そしてそれが70年代に起きる大事件へと繋がっていく。
370: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:52:17 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇ソ連分裂
WW2において日英同盟勢に負けた米ソ仏は国体の維持こそ許されたものの、領土を削られ、重い賠償をかけられ、軍備は大きく制限。
更に国内には主要国による治安維持用の駐留部隊が残るという苦い結末を迎えた。
最も賠償金の支払いに関しては日英の意向により大分融通の利くものとなっており、返済に関しても敗戦国経済へ大きな影響のない範囲での数十年単位の返済計画が立てられており、軍備制限に関しても戦後復興の予算を軍以外に回せると割かしいたせり尽くせりといった具合であった。
これに関しては「余りにも法外な措置は文明国としてどうなのよ」という日英の意向もあるが、ここで重い措置を取り続けた結果敗戦国の国々が中華のように崩壊してしまい、逆に治安維持に予算がかかるようなことを嫌がったというのも大きい。
実際中華民国が崩壊した後の中華地域を平定するのに実質十数年かかったことを考えれば、この日英の判断は間違っていなかったと言えよう。
そのため米仏ソの地域は戦後になっても意外と治安が安定しており、これを見た国々は徐々に駐留軍を減らしていった。
しかし1960年代のインドの情勢悪化により、それへ注力するための英国が米仏ソ地域における駐留軍の全面撤退を決定。
これにより上記の三か国から大きく駐留軍が削れることとなる。
この際には同じように駐留部隊を入れている他の国々も英国への援護という意味も合わせ、これを容認していた。
そしてこの上記三国家からの英軍全面撤退がなされた後も左程治安には問題がなかったため、インドが安定化する頃には各国の駐留軍の撤退を決定。
1970年代前半には米仏ソの国々の領土からは駐留軍は全面撤退と相成った。
無論主要国は敗戦三か国への警戒も忘れておらず、北米においてはハワイ、カナダ、アラスカ、バミューダ諸島に日英を中心とした大兵力が置かれ続け、フランスでは英本土及びイタリア、ドイツ、ベルギー、スペインの国境付近及びコルシカ島などに何時でも動けるだけの即応軍を配備しており、ソ連に関してはウクライナとベラルーシ、バルト三国、フィンランドなどにポーランドとドナウ連邦が中心となる駐留軍が存在し続けている。
こうして改めて自由となった米仏ソはそれぞれ国内の国民の相手に手を焼いていた。
国の威信はWW2で吹っ飛んでおり、政府不信が強く、更に言えば戦後の政権においてもこの時期の政権は余り有能と言えない有様であった。
とは言え特別治安が荒れているわけでもなかったため、駐留部隊が全て撤退してから数年は平和なままであった。
事態が動いたのは1970年代末。
世界は大凡平和であり、イギリスの消耗も大凡回復してきた時期である。
事の始まりはソ連における当時の政府の発言であった。
当時のソ連政府はお世辞にも有能と言えず、国民人気も低い有様であった。
そこでソ連政府は新しい成果を求めてロシア皇族の帰還を国際社会へと表明しだした。
当時のロシア皇族はイギリスや日本において存続しており、ソ連においては国民にも共産主義の色合いが強く、また敗戦したための恨みが残っているということで即座の帰還は危険とされ、未だ皇族の帰還が果たせていなかった。
そこに目を付けた当時のソ連政府はロシア皇族との融和と訴え出ており、彼らの帰還を国民への点数アピールに使おうとしたわけである。
当時の国々やロシア皇族も「まぁ悪い事でもないし」ということで、このソ連政府の申し出に乗り気であった。
ソ連国民に関しても「今の政府よりは帰ってきたロシア皇族によって国が変わってくれればいい」といった意見が少なくなかったという。
こうしてロシア皇族の帰還が決まり、実行に移されるかといった時期において事件は起こった。
ソビエト連邦において大規模クーデター発生。ソ連全土において同時多発的に発生中という報告である。
まあぶっちゃけ軍事クーデター発生であった。
371: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:53:08 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
事を説明するには当時のソ連軍部の鬱憤を説明する必要がある。
当時のソ連軍はWW2の敗戦により、その信頼は木っ端みじんとなっていたのである。
そして戦後のソ連政府は敗戦の責任を全て赤軍に押し付けるという裏切りであった。
政府は戦争を始めたのは当時の政府上層部と軍であり、その責任は全て彼等にあると宣伝したのである。
実際のところ多くの国民が軍に参加していたため、このソ連赤軍悪玉論は政府が思っていたよりは大きな成果を発揮しなかったが、敗戦直後で苦しい時期において軍をサンドバックにしたという結果は変わらなかった。
以降も必要だったとはいえソ連軍の再建は後回しにされ、何かとつけては政府や変な団体に目の敵にされと不遇を囲っていた軍であった。
そんな中で遂に軍の感情が爆発したのが1970年代末のクーデター騒ぎなのである。
実はこれに関してはロシア皇族の帰還という一連の出来事は関係なかった。
元々当時のソ連政府が不出来で、ソ連経済が長らく続く不景気で落ち込んでおり、食うために軍に入る若者が続出。
しかし政府は軍予算を削り続け、遂に軍隊に所属していても食うに困るレベルの給料となってきており、これに異を唱えた当時のソ連軍大将が解任され、更に身に覚えのない罪状で逮捕されるなど軍の不満が溜まっていたというオチである。
大将解任と逮捕に関しても当時の政府がロシア皇族を迎えるために国内の反攻的な勢力を潰し、彼等目線で綺麗な状態で迎えようとした結果である。
このことに流石に切れた軍は半ば突発的であったがクーデターを起こすことに決めた。
そして実際の起こったわけであるが、これに関してなんとソ連国民がもろ手を挙げて賛成してしまった。
上で書いたように不出来な政府に常々不満を貯めていた国民の多くが、軍のクーデターを英雄的な行為と認めてしまったのである。
彼等は現状を打破してくれる存在を求めていたのであり、それがロシア皇族だろうとクーデター軍であろうと構わなかったという何とも無責任なものであった。
当時のソ連国民を擁護するのであれば、もう何十年も帰ってきていない見知らぬ皇族よりも、知り合いが食うために入隊しているソ連軍の方が親近感が大きいという点もある。
そうして起こったソ連全域クーデターであるが、流石にこれは見過ごせないと周辺諸国の国境線上に常々待機していた主要国の即応軍が即時に介入。
ソ連クーデター軍はこれに果敢に抵抗したが、流石に質の差は覆しにくくウラル山脈以東に撤退。
一応はモスクワを始めとする欧州ロシアは解放されたのであるが、前述の通し現政府は国民人気が非常に低い。
折角助けた現政府のメンバーをそのままにしては欧州ロシア地域のロシア国民の大きな失望と抵抗を招くと国連軍は頭を悩ませることとなる。
対してウラル以東に撤退したソ連クーデター軍は現地住民に熱烈に歓迎された。
大っ嫌いな政府に一発かましたという点が市民人気に火をつけたのである。あとやっぱりWW2で負けたことが悔しいので介入してきた国連軍相手に改めてリベンジマッチをと願う市民(主にWW2経験者な老人御一行など)も少なくなかった。
これは現地市民に歓迎されなかった国連軍と対照的な現象であった。
372: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:54:16 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
政府に愛想を尽かしていたウラル以東のソ連構成国政府の意向もあり、クーデター発生から数週間後。
ウラル以東のソ連領土は汎ロシア連邦として独立を宣言した。
これに対して国連軍により保護されたソ連政府関係者は即座に独立を認めない旨を発表したのだが、これを切っ掛けとして欧州ロシア地域の各都市なども続々と独立を宣言。
雪崩を打ったかのようにソビエト連邦と国が崩れ始めた。
これに焦ったのが当時のソ連政府…ではなく、介入してしまった国連軍である。
折角保護した政府がここまで人気がなければ御輿にすらならないとてんやわんやしていた。
そうやって頭を抱えていた各国首脳部に救いの手を差し入れたのが、本来はロシアに帰還する予定であったロシア皇族の一人であった。
彼は自分が新しいイコンとなるので欧州ロシアをまとめられないかという話を持ち出したのである。
彼自身は単純に苦しむロシアを見ていられないという善意の感情からの申し出であったが、現地政府が欠片も役に立たないと理解した各国の首脳部はこれ幸いと飛びつき、さっとソ連政府関係者に見切りをつけた。
こうして国連軍や主要国の支持の下で欧州ロシアにロシア帝国が復活。
国連軍や日英を始めとする大国の支持があるということで、独立を宣言していた欧州ロシア地域の諸都市も徐々に新皇帝の下に改めて恭順を申し出ていった。
当の現地の人々に関しては今の政府でなければ誰でもいい!と、この新ロシア帝国の復活を支持。
これに納得できない共産主義者や進駐してきた国連軍に反感を持つ人々はウラル以東の汎ロシア連邦へと亡命していった。
こうしてロシアはウラル山脈を境に西の新ロシア帝国と東の汎ロシア連邦に分裂し、ソビエト連邦という国家は実質的に消滅することとなる。
最後にクーデターが起こる前の当時のソ連政府閣僚の発言を記載する。
「パンが買えない?ジャガイモを食べればいいだろ」
彼等は国民の気持ちというものを欠片も理解していなかったことがわかる。
373: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:54:49 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇アメリカ合衆国崩壊
ソ連が実質崩壊して世界中の目がロシアに釘付けとなっている1970年代末から年をまたいで1980年。
北米においても大きな事件が起こり始めていた。
当時のアメリカ合衆国はWW2の敗北以降国体自体は維持していたが、各州政府から中枢となる連邦政府への信頼は失墜していた。
元々州政府は一々介入してくる連邦政府を嫌っていたし、敗戦によって政治的な信頼も消え去っていた。
とは言えここで独立しても戦後復興も満足にできないことは各州政府も理解していていたので、合衆国から離脱するだけの度胸がなかったのも事実であった。
そうして戦後が過ぎていくにつれて徐々に復興が進んでいくが、それは全ての州が順調に復興できたというわけにはいかなかった。
最も早く軌道が乗ったのは中部に存在する州たちである。
元々これといった重要な拠点も存在していなかったため戦時中の被害も少なく、元々が農業や畜産を産業としていた州が多かったため食料にも不安がなかった。
このため食うに困った国民が東西から中部に集まってくることとなり、労働力の流入によって中部州たちはいち早い好景気に沸いた。
次点で復興が進んだのは南部である。
テキサスを中心とした産油州が多い南部は国連からの肝いりの支援により一早く再建され、それにより生産を再開した石油によって現地経済は潤っていた。
無論石油の利権の殆どは日英を始めとする戦勝国に取られていたが、それは逆に主要国の企業が現地に進出してくることとなり、その影響で治安の改善と経済の回転が他地域よりも早くに進むこととなる。
駐留部隊が最も多かったのが、南部というのが如何に当時の主要国が南部州の石油を重要視していたかわかるというものである。
しかし食料の中部と石油の南部以外ではどうだったかと言えば、復興は進めど経済的、感情的には鬱屈としていた。
特に大戦中激戦地であった西部と東部は復興の遅れも相まって経済期な出遅れが大きく、中部や資源のある西部よりも経済や治安が安定しているとも言いにくかった。
主要国の駐留部隊が存在している間は彼らによる治安維持や、その駐留部隊相手の商売もあったため、相応に安定はしていたが、駐留部隊が撤退していく70年代以降においては、商売の基盤が目減りしてしまい経済的な閉塞感が強くなってしまっていた。
米連邦政府もこの状況を座してみていたわけではなく、様々な経済政策やインフラ設備などを行ったが敗戦による各州及び国民の連邦政府への不信感が強く、同政府が行った政策の多くが不振に終わることとなる。
こうして自前の産業育成が進んでいた中部・南部と復興が出遅れた米東西の経済格差は時が経つにつれ拡大していき、それぞれの地域間の軋轢も増えていったことは語るべくもないことだろう。
そして迎えた1980年。
アメリカでは不況に喘ぐ東部地域において大規模なデモが発生。これがそのまま暴動に発展。
これに対してアメリカ政府は連邦軍及び州軍を含む鎮圧部隊を派遣。実弾を使わない方針で進めていたが、現場の連邦軍兵士が自衛のために暴徒へと実弾を発砲。デモ隊側に死者が出てしまう。
これに対してデモ隊改め暴徒側も火炎瓶や自己製作の梱包爆弾から、裏で流通していた各種銃器を用いて応戦。
更には地元の州軍が連邦軍への協力を拒否しだし、一部では暴徒側に合流するなどして、暴徒軍の戦力が強化され、鎮圧対応に当たっていた米連邦正規軍との大規模衝突に発展してしまった。
これに対して米政府は追加の正規部隊を送り込むと同時に周辺の州への州軍の動員を発令したが、当の州政府の殆どがこれを拒否。
ここにきて連邦政府への信頼が低いことへの影響が出てくることとなる。
この暴徒軍と正規軍の衝突を切っ掛けに
アメリカ全土で連邦政府への抗議活動が活発化。
特に経済的な出遅れが大きかった東部と西部にて過激なデモが起こり、これが暴徒化。中には州兵すら合流しだす始末となり、争乱は全米へと拡大していった。
374: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:55:27 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
この
アメリカの大暴動に対して主要国の動きは鈍かった。
各国は同時期にロシアで起こっていたソ連分裂へ意識が割かれており、北米の大暴動に関してはこれといった動きを示すことはしなかった。
精々が周辺国であるカナダやメキシコが難民や暴動集団が自国に来ないようにと国境線上に軍の派遣を行う程度であった。
各国は未だ
アメリカでは政府と正規軍が機能しており、更には経済的に豊かな中部と南部では暴動が余り起きておらず治安が安定していたことから、ソ連のようなことにはならないだろうと考えていた。
未だ欧州ロシアに成立したロシア帝国(新)とウラル山脈以東に成立した汎ロシア連邦の緊張緩和のための仲介や協議が続いていたというのも大きい。
アメ公の不始末処じゃねーんだよ!というのが当時の国際社会の正直なところと言えた。
何よりこの時点の国際社会はソ連の分裂という大イベントにより感覚が麻痺していたのかもしれない。
こうして各国からの介入もされず、連邦政府も後手に回った大暴動は一つの帰結を迎える。
一部の東部諸州のアメリカ合衆国からの離反と改めての独立を宣言したのである。
元々連邦政府のことを嫌っていた東部の州たちはこれ幸いと諸手を上げて次々と独立を宣言。
更には米連邦正規軍からも離反者が出たことにより、周辺を独立した州に囲まれそうになった米政府はワシントンDCから脱出。
海路でフロリダへと脱出し、同州の州都タラハシーを臨時の首都とした。
この東部諸州の独立を契機として各地の独立騒ぎが活発化していった。
同様に連邦政府人気の低い西部諸州も次々と独立を発表。経済的に安定しているとはいえ、別に連邦政府のことを好いているわけでもなかった中部諸州はある程度の連帯を以て独立を発表。
元々石油産業で豊かだったテキサスを始めとする南部州の幾つかもフロリダの臨時政府にたかられては嫌だと独立を発表した。
こうしてドミノ倒しに各州は独立。瞬く間にアメリカ合衆国は崩壊した。
1980年の年末ごろの出来事である。
このことに世界は驚いた。何せなんか酷い暴動起きてるなぁっと思っていたら突然州政府たちが次々と独立を宣言し始めて、あれよあれよという間にアメリカ合衆国という国家自体が消滅したのである。
ロシアなんか構っている暇じゃねえ!と日英を始めとする現地に利権を持っていた国々が次々と
アメリカに外交官と軍隊を送りこんだ。一応は交渉のためである。
幸いにして独立したとはいえテキサスなどの大油田を抱える南部の元州たちは冷静であり、現地の石油利権はそのままでよいとしていた。
石油も買ってくれる相手がいなければ宝の持ち腐れだから。何なら一番高く買ってくれる相手に売りたいものである。
とは言えそれで情勢が好転したわけでもない。なんせソ連のような分裂ではなく、正に大戦後残っていた全ての州がそれぞれバラバラに独立してしまったので。
中には暴徒や州軍同士の衝突から小規模な武力紛争に発展している州すら存在していた。
フロリダにいる旧合衆国政府に関しても今後を考えねばならない。というわけでは各国は頭を抱えながらもロシアに続き北米にも改めて手を出す羽目となったのであった。
その後の話であるが80年代いっぱいをたっぷり使った北米の地域はある程度の落ち着きを取り戻した。
中部諸州は独立時にも元々連帯があったためにロッキー山脈を背とする諸州は東ロッキー連邦を設立。
モンタナ、ワイオミング、コロラド、ニューメキシコ、カンザス、ネブラスカ、サウスダコタ、ノースダコタの9州が参加した。
元々食料産業によって戦後も一早く安定化していたことから、合衆国から独立した国の中では比較的早期に安定することとなった。
375: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:56:00 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
これに対抗して西部ではアイダホ、ユタ、アリゾナ、ネバダなどの西部内陸諸州が集まり西ロッキー連合を設立。
自分達こそロッキー山脈の名を掲げるのにふさわしいと謎の理論を展開して中部の東ロッキー連邦へと難癖をつけ始めた。
理由としては単純に経済的に豊かな中部を僻んでいるだけという何ともくだらない始末である。
残ったカリフォルニア、ワシントン、オレゴンといった西海岸に面する諸州は西海岸連邦を樹立。
ぶっちゃけハワイから駆けつけてきて睨んできた日本が怖いので手を組んだに過ぎない。そのまま速攻で日本に土下座して傘下国となった。
経済的にも軍事的にも日本の庇護が無ければ生きていけないということを海に面していた彼等はわかっていたのだ。
日本からすればそれならなんで独立なんてしたんだと溜息を吐きたくなる気持ちであったが。
これに対して大戦時に激戦区となった経験から元々反日感情の強い西部の内陸諸州による西ロッキー連合が反発。
これに対して日本が速攻で上空に爆撃機を飛ばすという恫喝行為により表面上は大人しくなった。
以降内陸の西ロッキー連合は沿岸部の西海岸連邦を裏切者呼ばわりし、西海岸連邦も内陸の西ロッキー連合を現実を見れない愚か者と唾棄するようになる。
東海岸では既に暴動や州軍同士の衝突も起きていたからか、主要国が介入して以降もこれと言って大勢力としてはまとまらず、各々の州が独立してやっていくこととなった。
同じ経済不況に喘いでいた仲とは言え彼らの中に連帯という文字はなかったようである。
以降東部地域は定期的な武力衝突とそれによる治安の悪化。諸国は自国優先を掲げるが故の連携不調による経済低迷により、紛争一歩手前の低治安地域と化していくこととなる。
反面東部に面していた中部近くの内陸諸州は東部地域からの影響を嫌い団結。
ミネソタ、アイオワ、ウィスコンシン、イリノイ、ミズーリ、アーカンソー、ミシシッピは中部平原同盟を設立。
小競り合いの続く東部地域からの影響の波及を防ぐための勢力が誕生した。
これに対しては立地上壁となることから東ロッキー連邦や南部の南部共和国も積極的に支援が送られるなどして安定化していくこととなる。
上で少し紹介した南部ではテキサスが中心となり、ルイジアナとオクラホマを加えて南部共和国を樹立。
合衆国時代と変わらず石油産業を中心として主要国の庇護の下で繁栄を謳歌していった。
旧合衆国政府が脱出していたフロリダに関してはジョージアやアラバマを加えてフロリダ共和国として再出発を果たした。
少ないとはいえ旧合衆国政府が持ち出していた幾らかの利権とメキシコ湾に接する好立地から経済的にも政治的にも極めてよく安定した国家となった。
反面半ば紛争地域一歩手前な東部地域と国境を接しているため、軍や警察などへ多くの予算を回す必要があり、経済的には支出と収支を合わせてトントンといった具合に落ち着いている。
北部ではカナダと国境を接しているメイン、ニューハンプシャー、バーモントとニューヨーク州の北部とミシガンを切り取った北部共和国が樹立された。
見ての通り東部諸州からの悪影響を防ぐための防壁国家である。
とは言え国土的にも国力的も左程大きくないこの国はカナダや英国から強い支援を受けている。
特に国防方面では在留英国軍が存在しており、地元の北部共和国軍や警察と共に日夜東部から流入してくる犯罪者相手の治安戦を繰り広げている。
彼等北部共和国はカナダや英国、中部同盟と強力しながら周辺及び五大湖の水上治安を守っている。
こうしてアメリカ合衆国は複数の国家へと別れ消滅した。
1980年代の日英はこの北米の治安維持と再編に忙しく、それぞれの足元への注意をお留守にしてしまっていた。
その結果起こったのが1990年代から2000年代にかけてのフランスの暗躍と中国の再起である。
376: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:56:31 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇フランスの暗躍
1980年代のフランスはWW2の敗戦から立ち直り、戦後世代も社会の中枢へと座り始めた時期であった。
既に主要国の駐留部隊も撤退して10年近くが過ぎており、戦争というのは遠い昔の記憶となってきていた。
そんなフランスで燃え上がったのがナショナリズムである。良くも悪くも戦争を知らずに育った若い世代が愛国心を燃え上がらせたのだ。
アメリカやソ連が敗戦による信用失墜によって最終的に消滅したのと逆に、フランス人はフランス政府という箱モノはともかく、フランスという国への愛国心は消えずに残り続けた結果と言える。
王国時代から続くフランスという看板は伊達でなかったようである。
とは言え流石のフランス人も馬鹿ではなく、周辺を反フランス国家に囲まれているのは理解しており、下手な行動を取れば再び叩き潰されるということはよくわかっていた。
フランス国民においても愛国心や主要国への反感はあれど、戦争は嫌だという層も少なくない。
そんなフランスが考え抜いた末に行ったのが南米への進出である。
南米の国々は現状の国際秩序に上手く食い込めておらず、そこをフランスは突いたのだ。
本土で兵器を開発してはいらぬ警戒を招くと、南米で兵器開発のための会社を設立。
地元の国々と密接に関わりながらも独自の兵器研究と開発を行い始めた。
特に日英が牛耳る国際石油市場に反感を持つベネズエラ、フォークランド諸島の一件でイギリスに不満を持つアルゼンチン、国力こそ成長を続けるが今の国際社会で主要な地位に付けず頭打ちに悩んでいるブラジルなどはフランスと積極的に協力関係を結んだ。
そうして南米で開発された兵器や技術はフランスに還元されながらも、南米諸国を経由して幾つかの地域へと輸出され実戦経験を積むこととなった。
それが内中華地域である。ここは中華平定以降は独立した国々が永遠と小競り合いを続けている実質的な紛争地帯であった。
因みに今ホットな北米やロシアに売りつけるという手もあったが、日英を始めとする主要国の目線が集中している今は危険として断念された。
内中華地域への侵入も慎重に行われた。日英の息がかかった南方連邦や沿岸連邦を経由は危険と見られた。
東方エルサレム共和国経由?なんてありえない。
そこで北東シベリアの極東合衆国を経由して現地入りさせた。
極東合衆国や満州はロシア革命の際に当時の
アメリカが中心となり建国された国家であり、ソ連からの防壁であったが、WW2の際には中立を貫いている中立国家であった。
独立時のゴタゴタもあり決して
アメリカの傀儡国家というわけではなかったが、それはそれこれはこれと独立時の関係から
アメリカ経済界と密接な関りが続いていた。
そんな国家であるが、戦後の中華地域の分断と封じ込めの際にそれらに面していたモンゴルや東方エルサレムを支援しており、その関係は現在も続いていた。
そしてその片割れであるモンゴルにある程度口利きできるがために、それらの国土を通ってフランス製品を内中華連合地域に売りつけることも可能であった。
東方エルサレムは駄目だ。連中に弱みなんて見せられない。
極東合衆国がフランスに協力した理由としては単純に何かと介入してくる今の主要国が気に入らないというのがあった。
建国時の関係者がロシア系と
アメリカ系中心なので自然と日英に反発的な気持ちがあったためである。
そして内心の感情論以上に建国から数十年立ち独自色を持ちだしてきたというのが大きかった。
377: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:57:01 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
何より日英の目が北米に移っており、汎ロシア連邦という新たな仮想敵国の出現により自国の軍事力を増強しやすい現状だからこそ極東合衆国が動き出す理由となったのだ。
我が国が伸張する機会は今!彼等は
アジアの新たな大国になろうと動き出したのである。
因みにモンゴルと満州に関しては一部の大臣や軍や警察関係者が小遣い稼ぎのために協力していたにすぎない。
こうして極東合衆国の思惑もあり、南米産フランス兵器は内中華地域へ輸出され、数々の実戦データと現地有力者とのコネを持ち帰ることに成功した。
同時期にフランスはアフリカにも手を広げだしていた。
敗戦時に独立させられてしまった旧フランス植民地への伝手は今でもある程度残っていたためである。
戦後のアフリカはイギリスを始めとする主要国の尽力もあり、史実よりは余程上手く安定していた。
だが、それでも旧フランス植民地系の地域では内政不安から低治安地域も多く、特に西アフリカではそれが顕著であった。
反面イギリス連邦加盟国の多い北アフリカや南アフリカ、ドイツ帝国が植民地時代から面倒を見る中部アフリカ地域などは史実よりもずっと安定し、繁栄していた。
それゆえに治安の悪い西アフリカ地域にはあぶれ者が集まり、治安が悪化するという負のループが出来ていた。
因みにイギリスやドイツが西アフリカの治安維持に失敗したのは単純に現地白人がイギリス人やドイツ人なんて気に食わんという非協力的だったのと、現地住民が白人国家そのものが信用ならん!と反発的だったからである。
これにはさしものイギリスもお手上げであり、素直に英連邦諸国への投資と国防能力向上に努めることにした。
つまり西アフリカ地域というのは一種国際社会から見捨てられた地域だったのだ。
話を戻してアフリカに介入し始めたフランスであるが、やることは単純でここでも武器を売りつけていただけである。
アルジェリアといった比較的安定しており、尚且つ現地に今でも太いパイプを持つ国を仲介として、西アフリカの紛争地域へ武器を売りさばき実戦データと資金回収に勤しんだのであった。
イギリスですらお手上げとした地域であり、他の主要国の目線も北米に向いている現状だからこそ出来た荒業と言えよう。
こうしてフランスは北アフリカ経由の西アフリカと南米経由の北東シベリア及び中華地域という新たな市場を開拓することに成功したのであった。
日英の注目を徹底的に避けることに注力したフランスの暗躍は成功し、フランスに新たな力をもたらした。
このことに日英が気づいたのは1990年代。
フランスが武器を流したことにより、内中華連合に新たな英雄が誕生してしまった時期の出来事となる。
378: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:57:32 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇英雄誕生
時は1990年代。いささかな不安要素はあれど全体的には世界は平和であった。
北米東部地域は新たな火薬庫となり、ロシア帝国と汎ロシア連邦は交渉は続けど未だ和解ならず、西アフリカは相変わらず紛争地帯をやっていたが、大凡は平穏である。
しかしそんな平穏は徐々にだが崩れ去っていくこととなる。
内中華地域統一。戦後に主要国によって無理矢理独立させられ、そして永遠と内部で小競り合いを続けていた内中華地域が遂に統一されたのである。
統一を成し遂げたのは内中華地域出身の若き将軍「劉(りゅう)」
彼の登場により同地域の情勢は一変した。
80年代南米製フランス兵器が流れてきたことにより紛争が激化し始めていた時分に劉は上手い事まとまった数の同兵器を獲得。
私兵集団を以て内政定まらない各地域を平定。10年かけて内中華地域を完全な統一にまで導いたのである。
統一後同地域は中華連邦へと国名を変更。改めて内陸中華は統一されたことを内外へ知らしめた。
統一後彼は自らを旗として国民意識の成立に働きかけるのと同時に周辺諸国にも外交を行った。
曰く自らは周辺への侵略意識はない、曰く同じ民族をルーツとする周辺国には是非とも復興を支援してほしい。
彼は自ら各国を訪問し、精力的な外交を展開した。
若く、見目よく、覇気に溢れた青年は正に中華の人々が思い描いた英雄であった。
そうして周辺諸国の国民の心もがっつり掴んだ劉は彼等からもたらされる善意の支援を用いて内中華地域を瞬く間に発展させていった。
そこには長年太いパイプを持つモンゴルや極東合衆国。そしてそれらを通して南米の国々やフランスからの秘密裏の支援も含まれていた。
若き英雄劉。彼の内心をぶっちゃけると中華の統一と日本への挑戦である。
彼は
アジアの覇者を目指す野心的な若者であったのだ。
当の日本は
アメリカやロシアに意識を取られている間に恐れていた事態が起こったと慌てることとなる。
しかし現状、劉率いる中華連邦はこれといった失点をしておらず、日本と言えど何の理由もなく殴るわけにはいかなかった。
国際社会と世界の民衆は無邪気に若き英雄を歓迎しており、日本側は殴るための大義名分がない。
こうして内中華が統一されてから数年のうちは平和であった。
その間にも劉の人気は留まるところを知らず、同じ中華地域である南方連邦、沿岸連邦では中華連邦との平和的な統一の声すら上がってくる始末であった。
東方エルサレム領により中華地域とは切り離されているはずの満州ですら、同様の声が少なからず上がっていたほどである。
こうして劉は人生の絶頂を迎えた。遠からず中華の国々は民主的に統一され、それは日本も阻むことはできない。
統一後は改めて日本へ挑戦する。何より彼の手元には秘密裏に研究していた切り札が存在していた。
379: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:58:08 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇野望の終焉
1999年。中華の英雄が野望を秘めて未来を思い描いていた時期にその事件は起こった。
ユーゴスラビア事変とフランスの関与である。
当時の欧州にてチトーが死んだ後のユーゴスラビア連邦は荒れており、かつてのソ連や
アメリカのように分裂するのではと囁かれていた。
これを重く見たイギリス、ドイツ、イタリアが腰を上げ介入。彼らの尽力により、どうにかユーゴは分裂せずに新たな体制として再出発することになったのである。
その最中でユーゴ軍とイギリス軍が合同でユーゴ国内の過激民族主義者の
アジアを次々と強襲、鎮圧していた中で何と大量の所属不明兵器が発見される事件が起こった。
近年西アフリカや内中華にも出回っていることが世間でも確認され、主要国の頭を悩ませていた所属不明の兵器類であったが、これが今回ユーゴ国内でも発見されたのである。
関係者を尋問するとそれはアルジェリアから輸入したことが判明。
イギリスは全力を以てこれを調査。すぐさま南米製兵器ということが発覚した。それから先は芋づる式に情報が抜き出されていった。
途中フランスや南米諸国の妨害もあったが、英国は伊達に世界の警察を日本と共に務めているわけではない。
妨害を跳ねのけ最終的に南米にて現地国家の支援を受けながらもフランスのダミー企業が製造し、世界中に売りさばいていたものだと発覚。
国際社会は昨今行儀のよかったはずのフランスの暗躍に騒然とした。
フランスはこの一連の出来事を即座に否定。フランスを陥れるための陰謀だと表明したが、イギリスが次々と動かぬ証拠を突き付けていったため、フランスの言論は信用されることはなかった。
更には兵器製造で関与していた南米諸国にも矛先が向けられ、これは重大な国際秩序への挑戦であるとイギリスが表明するほどに至った。
同時期。東アジアでは南方連邦や沿岸連邦において中華連邦合流の声が現実味を帯び始めていた。
両国においては遠からず国民投票を行い、その結果次第であるが将来的に中華連邦との平和的な統一を行いたいなどと当時の両国政府が表明するなど、同連邦…といよりも若き英雄へ賛同する声が大きくなっていた。
それ以外の周辺諸国でも極東合衆国やモンゴルが中華連邦を支持し、汎ロシア連邦も中華連邦を仲介役としてロシア帝国との和解にも前向きな意見を示していた。
まさに劉率いる中華連邦は正に絶頂期と言えたが、この欧州の出来事が遥々巡って彼を地獄に突き落とすこととなる。
イギリスが暴露した情報には極東合衆国並びモンゴル、満州のフランス製闇武器開発及び流通の関与が記されていた。
その中で劉個人もこれに大きく携わっていることが記されており、更にはそれ以上にとんでもない情報すら存在していたのである。
ウイグル共和国における核兵器開発と、それへのフランス及び中華連邦の関与である。
世界は騒然とし日本は表情を消した。
フランスと中華連邦は核兵器を密かに開発し、保有出来ればそれを脅しとして日英に対抗できると考えていたのである。
世紀の大スキャンダル。世界秩序への挑戦。そして超大国が切れるのに十分な理由であった。
フランスは国内が騒然とし、ことここに至っても関与を否定したが、既に制裁は免れない状況であった。
対して中華連邦では状況が違った。同国の民衆及び同国への支持を声高に叫ぶ周辺諸国の民衆は核兵器開発関与を知って中華連邦政府、いや劉個人への応援の意思を示したのだ。
それほど中華の民が持つ英雄への憧れは強く、そして長年抑圧してきた国際社会への反発が強かったと言える。
流石に南方連邦や湾岸連邦の政府は真っ先にこれを否定したが、国内の声に対しては対策が後手に回っていた。
そうして中華世界民衆の支持を得たと考えた劉は逆に大演説をぶちまけ、改めて現在の国際社会への挑戦を高らかに明言した。
彼を支持する人々はこれに拍手喝采を向け、正に新しい世の到来とやってくるであろう日英の軍勢への戦意をみなぎらせた。
そして劉の大演説から1時間後。
中華連邦地域に大量の弾道弾が飛来した。
380: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:58:52 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇超大国とは
まず最初に多数の弾道弾及び巡航ミサイルが中華連邦の各地で炸裂。
演説に沸いていた各基地の軍人たちを吹き飛ばした。
少し遅れた追加の弾道弾及び巡航ミサイルが到来。中華連邦各地の主要な施設を軍民問わず破壊していった。
これらは最初に飛来したものと引き続き飛来したミサイルは核弾頭ではなく、中身はクラスター爆弾や燃料気化爆弾、もしくはモアブ級かそれ以上の強力な通常弾頭であったが、その多くは大量破壊兵器に分類される代物であった。
それら数多くのミサイルは効率的に、無慈悲に中華連邦の大地を焼いていった。
同時に日英合同の大規模空挺作戦がウイグル共和国で実施される。
目的には核連施設及び首脳部の確保。
同国にも中華連邦同様多数の弾道弾や巡航ミサイルが降り注いでおり、航空隊からの爆撃を行われていた。
同日中には日英情報部により事前に調査されていた核開発施設とウイグル共和国の首都が制圧され、首脳部や核開発関係者もほぼ全てが拘束された。
中華連邦に関しては演説後に弾道弾と巡航ミサイルが各地の主要施設や軍事施設に降り注ぎ、それらが一段落下であろう頃には日本本土から飛び立ったであろう大量の航空部隊が襲来。
引き続き、目標施設を爆撃し続けた。
運よく空中避難が間に合っていた少数の中華連邦航空隊が迎撃に向かうが、日本の航空隊の前にはワンサイドゲームで落とされるに終わった。
日本の航空部隊が中華連邦を蹂躙しだした頃に山東半島に存在する東方エルサレム共和国及び沿岸連邦福建省に大量の日本陸上部隊が上陸。
そのまま事前に管制されていた同国らの主要幹線道路を突っ走り、同日中に中華連邦領土へと突入。
首都重慶を目指して進撃を開始した。
日本航空部隊により制空権が確保されるとともにウイグル共和国同様に空挺部隊も多数投入され、各地を効果的に制圧していった。
首都西安にいた首脳部は突然の空襲に慌てたが劉の𠮟咤で正気を取り戻し対応に当たりだしたが、時すでに遅し。
首都の対空網は日本の航空隊により無力化された後であり、既に空からは大量の空挺部隊が降下してくる最中であった。
首都防衛隊は空挺部隊への抵抗を行っていたが、戦車や装甲車といった重装備の多くは航空攻撃により破壊されており、運よく残った残存車両戦力も上空の日本航空機により破壊されていった。
その後1日足らずで中華連邦の首都も制圧されることとなる。
同国首脳部の多くは戦死するか拘束されたが、しかし首都防衛隊の奮闘により劉個人と彼の側近の何名かは脱出に成功。
以降国内の残存部隊を糾合し、反撃に打って出ようとした。
日本が突如攻撃を仕掛けて三日目。東方エルサレムと沿岸連邦から侵入してきた日本の陸上部隊が内陸部にも相応に進出してきたころ、甘粛省の蘭州にて残存勢力を終結させていた劉が再び演説をぶちまけ味方の士気を上げていた。
そして日本野戦軍の撃滅と首都の奪還を目指すと全国へ表明した時にそれは起った。
彼等の頭上で核が炸裂した。
中華連邦は主戦力と主導者を失い瓦解。その数週間かけて内陸中華全土を制圧し、日本の軍事作戦は終了した。
説明をすると、これらの侵攻に関しては事前に日英が核開発情報を掴んでいたために、秘密裏に準備を進めていた作戦である。
世間では劉の大演説に合わせて行われた速攻だと思われるが、これは単に偶然タイミングがあっただけである。
本来の目標は空挺軍による首都制圧と、劉含む首脳部の拘束であったが、これに失敗した後にはわざと戦力を集めさせ、首脳部ごと核で蒸発させることが決まっていた。
日本は中華の人民が思い描く、中華統一をなす偉大なる英雄という幻想を人工の太陽の衝撃によって打ち砕こうと計画し、その通りに実行したのであった。
核で若き英雄と中華連邦の残存主力を吹き飛ばした後に日本は声明を発表した。
「今後同じようなことを語る輩、核兵器を持って我が国の安寧を乱そうとした輩の頭上には人工の太陽が煌めくであろう」
文字通りの意味での殺し文句。これ以降に劉を語る人物が出てくれば問答無用でその頭上に核ぶち込むぞという脅しであり、同時に日本に核を向けようと考えるだけでも蒸発させるぞという表明であった。
この軍事作戦及び声明発表の後に南方連邦、沿岸連邦、満州共和国は挙って中華連邦への合流を改めて拒否。
三カ国の外交官たちは何も言い訳をせずに日本に頭を下げ許しを請うた。
また汎ロシア連邦は「うちは核開発なんて知らなかったんです!むしろ勝手にウイグルで開発されていて怒り心頭なんです!信じてください!」と全力で懇願。
381: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 19:59:29 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
極東共和国とモンゴルに関しては顔面蒼白となり、文字通りの意味で土下座する始末となった。
日本はこれらの国の謝罪を快く受け入れた。次はないぞという言葉と共に。
彼等の国には駐留部隊と政治監視と指導のための機関と人員が置かれた。
幸いとして現在の政府機関が解体されるようなことはなかったが、政府首脳含め人員は一新された。
フランスの武器開発や流通に関わっていたとされた人物はその悉くが逮捕され、日本へ引き渡された。
この程度で済んだのは中華三か国と極東合衆国及びモンゴル。そしてウイグルの面倒を見ていたはずの汎ロシア連邦は本気でフランスと中華連邦の核開発を知らなかったのである。
日英がそのことを事前の調査により知っていたのが大きい。
また日本としては下手人である中華連邦政府に対しても全面的な謝罪を以てすればここまでのことをする気はなかった。
しかし、彼らは反抗することを選んでしまった。そして日本は元々やる気満々であったため容赦なく笑顔でぶちのめしたのである。
なおフランスは核を使い英国を牽制するのならば、その相方である日本もどうにか動きを封じなければならないと考え、パートナーに当時新進気鋭だった中華連邦を選んだ形であった。
これに関しては純粋に技術力と人員の差から中華連邦の核開発と配備をフランスが操れると考えていたためである。
勿論中連側もそのことは承知の上で、将来的に出しぬく気満々であったが。
その後中華連邦地域は依然のような小勢力が跋扈する紛争地域に逆戻り。しかし依然と違い、それを助けようとするものは皆無であり、むしろ強固に内陸へ封印され続けることとなる。
難民が来ようと銃を以て追い返し、不法入国者は問答無用で射殺。生きて逮捕されても無理矢理帰国させられた。
中華地域の国々は日本という国が如何に恐ろしい国だったかを改めて思い知ることとなったのである。
中華の人々は英雄を消し去った人工の太陽を恐れ、それを躊躇なく使って日本を恐れた。
内心は反発心を抱き続ける人物も決して少なくなかったが、そういった人々ですら反発心よりも恐怖心が上回っていたのが当時の人々の心境であったそうな。
核開発の用地であったウイグル共和国には日英の部隊が駐留。同国の政府は一旦解体され、その後改めて日英の手による統治政府が置かれることとなる。
話の視点を欧州に移して中華連邦が滅ぼされた後のフランス。
フランス国内では自国の核開発なぞ寝耳に水であり、上から下までフランス人は混乱の渦に叩き込まれていた。
イギリスの陰謀だと叫ぶ国民もいれば、これは流石に不味いだろうと常識的に返すものもいた。
しかし共通しているのは非常に混乱しているという部分であり、それはフランス政府も同様であった。
既にフランス国境線にはイギリス、ドイツ、イタリア、オランダを中心とする多国籍軍が集まっており、いつ本土へ侵攻されても可笑しくなかった。
そんな時に中華連邦の滅亡と日本による核投下のニュースが飛び込んできた。
同時にイギリスからも最後通牒が付きつけられた「恭順か死か」
それはいささかイギリスらしくない飾りっ気も洒落っ気もない極短い声明であった。
当時のフランス政府はそれでも抵抗をしようと決断してかけていたが、結局のところそれは不可能であった。
かつて大戦を生き抜いた、もしくは厳しい戦後を導いた老人たちが反戦派部隊を携え、現政権首脳部を拘束。
半ばクーデターとして臨時首脳部が結成され、彼等はイギリスの最後通牒を飲む決断を下した。
こうして欧州の地では人工の太陽が煌めくことはなかったが、フランスはイギリスをはじめとする主要国に戦いもせずに降伏することとなる。
パリを始め、フランス全土に周辺国の部隊が進出し、治安維持活動にあたる。
それはまるで敗戦した時代に、戦後の時代に戻ったかのようであり、戦う事すらできず降伏するしかなかったという現実はナショナリズムに燃えるフランスの若者たちの心を折るのに十分すぎる光景であった。
382: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:00:14 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
フランス降伏以降の話をしよう。
フランスは改めて結成された国連軍により暫定統治されることが決まった。
政府機関は一旦全て解体し、代わりに設置された国連軍による統治機関により国が運営されていることとなる。
それはかつて敗戦した時ですら行われなかった苛烈な条件であった。
一応はフランスの信用問題が解決した際に現地統治機関は解体され、フランス人による政府の手に戻るとされていたが、それがいつになるのか具体的な明言はされなかった。
フランスの武器開発や流通に関わったとされる北アフリカ諸国や南米諸国にも追及が及んだ。当たり前である。
いの一番にゲロったのはブラジルである。アルゼンチンやベネズエラのことも売った。
そんなことは英国もとうの昔に調べがついていたので絶対零度の視線でブラジルを見続けることは変わらなかったが、それでも一番に謝罪をしてきたのは評価された。
このためアルゼンチンやベネズエラと比べてブラジルは多少制裁の条件が緩和された。
アジアで関連していた国々が受けたような監視・指導組織の介入も比較的軽めに済んだくらいである。
逆にベネズエラとアルゼンチンには強く指導機関の設置と介入を決定づけた。
このため両国の政治、経済は実質イギリスの傘下に置かれることとなる。
なおその結果ベネズエラとアルゼンチンの敵意がブラジルに向いた。またベネズエラとアルゼンチンの待遇においても差を付けることにより両国が手を組むことも防ぐことに成功。
イギリスは見事南米の地でも分断統治に成功したのである。
イギリスによる監視及び指導のための組織が解体され、監視と治安維持のための駐留軍が引き上げられた時代になっても、この三カ国の中は非常に悪いままである。
北アフリカの国々に関しても南米の関係三カ国と同じで政治指導のための組織と監視のための駐留軍が置かれた。
アルジェリア、モロッコ、チュニジアである。これらの地域ではむしろ介入前よりも治安や政治が安定し、経済が良くなるという結果が出ている。
指導機関や駐留軍が撤退した後も英国の影響力が強く残っているためか、幸い治安や政治は安定続きのままであった。
逆に元宗主国であるフランスへの反発は大きくなっていた。元々左程信用していなかったという部分もあるが、好き勝手に叩けるサンドバックになっていたからという部分が大いに存在しているのは想像に難くない。
最後に闇武器流通にも核兵器開発にも関わっていなかったにも関わらず巻き込まれた汎ロシア連邦については特に何もなく終わった。
まあ理由は言った通り本当に巻き込まれただけだからである。
とは言えウイグル共和国への監督不届きはあったため、無罪放免とはいかず、ウイグルの暫定統治や監視、また今回深く関わった極東合衆国とモンゴルへの監視及び中華内陸部の再封印に関して駆り出されることとなった。
反面流れで続けてきた欧州ロシアへの対応もこれを機会にやめ、日英の仲介の下で改めて和解。
昔のような統一国家となることは政治性の違いによってなかったが、両国は改めて歩み寄りを始めている。
最後に今回の中華連邦への核使用及び軍事作戦の強硬についての批判における日英の言葉を載せる。
日本:「我が国は脅威を実力で排除した。それの何が悪いのです?」
英国:「超大国とは。如何なる問題、批判に突き当たろうと、それらを排除し、確固たる信念のもとで目的を達成させることができる国のことを言う」
383: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:00:48 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇その後の世界
21世紀に入った。
フランスの暗躍から始まる一連の事件によって改めて様々な国に首輪をつけることに成功した日英は今までの緩み切った態度を一新し、新たに世界の警察としての活動を進めていった。
監視下におかれた国々においても経済、政治、インフラなどで重要な影響力を残しながらも、態度の良い国もしくは日英にとって都合の良い国から順次指導機関及び駐留軍の撤退を開始。
2020年ではほぼ全ての国から指導機関と駐留軍の撤退を完了し、現地政府による政治運営が行われている。
最も上記のように日英の影響力が各業界に強く残された状態での運営であるが。
またロシア地域の問題は片付いたが、逆に中華は内陸部が再び紛争地帯に戻ってしまった。
そして北米東部及びアフリカ西部の紛争地帯は相変わらずである。
日英の尽力により史実と違って中東地域や東南アジアが安定化しているのが救いであろうか。
世界全てが平和というわけではないが、大凡は平和な世の中と言えるのではなかろうか。
因みに2020年になってもフランスの統治機関は国連認可の統治機関のままである。
一応補足するとフランス人により組織された議会や下部組織は運営しだしているが、相変わらず最終的な決定権を持っているのは国連統治機関であった。
384: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:01:23 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇時系列
中華平定始まる。
中華平定終了。
インド不安定化。
インドの安定感成功。
ソ連分裂。欧州ロシア帝国と汎ロシア連邦に別れる。
アメリカ合衆国崩壊。日英が掛かり切りとなり北米が安定化したのは1990年代に入ってから。
フランス暗躍開始。南米で開発した闇武器を世界にばら撒き実戦データと資金を集め始める。
内中華地域統一。中華連邦誕生。
ユーゴスラビア不安定化。英独の尽力によって安定化に成功。
同時期にフランスの闇武器問題が発覚する。
1999年
英国の操作によりウイグル共和国において仏中共同の核兵器開発がなされていたことが発覚。
1999年
世紀末事変勃発。
日本によって中華連邦への武力介入である「世紀末事変」が起きる。
同国は消滅。内中華地域は紛争地域に逆戻り。フランスは国連軍の統治下におかれて政府機能も国連による仏統治機関に強制委任。
関係諸国も日英によって改めて首輪を嵌めなおされる。
2000年代
21世紀到来。
2010年代
世紀末事変における関係諸国から政治的意見機関及び駐留軍が撤退し始める。
しかし経済的、政治的な部分では日英の首輪が嵌ったままであった。
2020年代
フランス及びウイグルは変わらず政治の決定権は国連の統治機関が保有したままとなる。
フランス及びウイグルへ政権運用権を正式に返還すべきという採択が国連で行われ、反対多数で却下される。
385: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:01:55 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇単語説明
国際連盟安全保障関係国会議(通称サミット)を更に発展させた組織。
旧サミットと比べて加盟中小国の意見が通りやすくなり、国連軍などの連合軍の結成や経済制裁の連帯などがよりスムーズに行えるようになった。
史実の国連よりも強制力を持つ措置が多く行える組織であり、より強力な制裁や軍事力行使を行うための権限がある七カ国の常任理事国と、様々な意見を議題として提言できる他加盟国により構成される。
WW2後に開設された国際連合において最終決定権を持つ7カ国のこと。
日本(ニホン)、英国(イギリス)、独国(ドイツ)、伊国(イタリア)、土耳古(オスマントルコ)、多惱(ドナウ連邦)、波蘭(ポーランド)の七カ国となる。
因みに当初は日英独伊多の五か国であったが、ドナウとイタリアが「不幸は分かち合おうよ」と言わんばかりにポーランドとオスマンも引きずり込んだ結果7カ国となった。
ドナウ&イタリア「いや。日英独が実質スクラム組んでいるんで、俺たち二人じゃいざという時に反対意見も通せんですばい」とのこと。
というわけで7カ国まで増やされたのだが、実際には左程意見が食い違うこともなく、大体の場合は7カ国全てが賛成票を投じしている。
なお史実の常任理事国のような強力な拒否権はなく、あくまで多数決で決議が決定される。
代わりに常任理事国はより強力な制裁や軍事行動などの重大な行為を行うか否かを決める議題を提出する権利を持つ。
WW2時に中華民国が崩壊して以降、雑多な勢力が永遠と争っていた中華地域を改めて日英が平定した紛争。
戦闘行為の停止から、現在の国家形成までを指しており、大凡十数年かけて現在の中華地域のひな型が形作られた。
南部の南方連邦、東部の沿岸連邦、山東半島の東方エルサレム共和国、チベット地方のチベット共和国、ウイグル地方のウイグル共和国の五国家が独立し、幾つかの地域を満州やモンゴルが獲得した。
内陸部分は省単位で独立させられたが、中華がまとまることを嫌った日英によって放置され、以降中華連邦が誕生するまで小競り合いの続く紛争地域となる。
史実よりも安定したが、それでも火種を消しきれていなかったインド地域を英国が全力で安定化させた出来事。
中華平定と同時並行で行われており、インドの完全な安定化は大凡10年かかった。
しかしイギリスはこれにより疲弊し、一時的にフランスや南米への監視力を低下させてしまう。
インドはイギリスの尽力もあって史実では独立していたバングラデシュやパキスタンもインドの一部であり、2020年現在でも
アジア有数の大国である。
政情不安からソ連が欧州ロシア地域の新生ロシア帝国とウラル以東の汎ロシア連邦に分裂した事件。
大体は当時のアホ政権が悪い。
分裂後はイデオロギーの差異から新ロシア帝と汎ロシア連は武力衝突こそ起きなかったものの軽い睨み合いが続いており、これの完全な和解がなされるのは1999年の世紀末事変が解決された後になる。
386: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:02:37 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
復興速度による各地の経済格差と当時の政情不安、敗戦による連邦政府への不信感が募り起こった出来事。
アメリカ合衆国が州ごとにバラバラとなった事件である。
慌てて介入した日英や周辺諸国の尽力により幾つかの勢力にまとまり、ある程度の安定化に成功したが、東部に関してはまとめ切れず幾つもの州に別れたままとなった。
以降東部地域の諸州はまとまりにかけ、定期的な武力衝突も発生するなど準紛争地域化し、周辺国の頭を悩ませることとなる。
チトーの死亡により政情が不安定化したユーゴスラビアへ英独を中心とした国々が介入し、どうにか安定化させることに成功した出来事。
安定化作業の最中に過激派民族主義者の
アジアを制圧していた際に後に知られる闇フランス武器が発見され、フランスの暗躍が明るみになる切っ掛けとなった。
フランスが1980年代から南米で生産し、世界中へ輸出していた類の兵器。
フランスは兵器の開発及び販売に関しては事前に国連や周辺諸国へ通達することは敗戦後に決められていたが、それを守らずに秘密裏に製造した兵器の類を言う。
80年代後半には紛争地域で流通している闇仏兵器が目立ちだし、日英の目にもとまりだしたが、ソ連分裂や米合衆国崩壊と北米の安定化に力を割いていた二国はこの正体不明の武器の尻尾を掴むことに苦戦していた。
その後ユーゴスラビアの不安定化の際に現地を経由させるはずだった武器が押収され、存在と黒幕が明るみに出ることとなった。
厳密には大フランスの復活を目論む国粋派が秘密裏に生産していた代物であり、大多数のフランス国民や野党勢力などは存在を知らされていなかった。
このためこの闇武器が明るみに出た際にはフランス国内も非常に大きな混乱に見舞われている。
仏中のウイグルでの核兵器開発を事の発端とする武力介入紛争。
当事者の片割れである中華連邦が日本による問答無用の先制攻撃と速攻戦術で焼かれ、最後には指導者や残存戦力ごと核で焼かれた。
フランスは国内の穏健派による政治クーデターにより政権が変わり英国をはじめとする国連軍の受け入れを発表。
フランスも実質的に膝を屈することとなり、事件は終結した。
核兵器開発に関しては完全に仏中による独断であったが、フランス製闇兵器の流通に噛んでいた、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、極東合衆国、モンゴル、満州などにも厳しい沙汰が下され、改めて日英によって強く首輪が嵌められることとなった。
以降日英を怒らせると本気で核が落とされるという実例となった。
387: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:03:13 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
〇国家紹介
主要国
21世紀になっても帝国号。長年の英国君との交流で武士道味が成りをひそめて割かし優し目になってきていたが、中国に英雄が登場したことで最近武士道味が復活してしまった。
地味に太平洋の島々から海南島、カムチャツカまでを有しているため領土は非常に広い。
WW2後に
アメリカからアラスカももぎ取っている。
日本の盟友。具体的な付き合いは日英同盟からであるが、それ以前からもちょくちょく付き合いがあった。
日本との付き合いからか植民地の統治改善を積極的に取り組んでおり、戦後は史実と違い連帯の強い連邦国家としての大英連邦に発展進化することに成功している。
このため中東やアフリカの国々など史実よりも多くの国が連邦に加盟している。
イラク、イエメン、オマーンなども連邦へ加盟しており、サウジアラビアやイラクなどにも影響力が強い。
このため中東はオスマントルコの存続と合わせ史実よりも格段に安定化している。
世紀末事変を境にして日本が昔のヤンチャな雰囲気が戻ってきていることに気を揉んでいるが、同事変の際にはいざという時は自分達もフランスに核落とす気だったので、実は人のことを言えなかったりする。
永遠と紛争を繰り返していた内陸部中華が若き英雄劉により統一され誕生した国。
統一直前や以降は好景気に沸いており、
アジア全域から投資が集まっていた。
しかしフランスと組んでチベットの地で核開発していたころがバレてしまい、生誕10年も待たずに日本により消滅させられ、再び紛争地域へと逆戻りとなった。
シベリア出兵の際に
アメリカ資本が中心となって建国された国家。WW1の
アメリカ風邪騒ぎで
アメリカの主導権が消えたため傀儡国家にならずに済んだ。
領土はレナ川以東の極東ロシア地域。カムチャツカ地域に関しては日本領のため含まれていない。
WW2が一貫して中立を示していたが、
アメリカとは建国の経緯から最後まで貿易を続けていたりするなど抜け目はない。
米国経済界と関りが深く、米国敗戦時や崩壊後にも国外に避難した業界人や技術者を大勢受け入れている。
世紀末事変では核を落とした日本にビビッて速攻土下座して自ら首輪を嵌めにいった。
日本の完全な影響下におかれたが経済は順調らしい。
WW2前に当時の国際社会が作りだした国。WW2時には極東合衆国同様に中立を維持していた。
WW2における米仏ソの敗戦後は同三カ国の影響が著しく低下し、日本を始めとする近隣の大国にすり寄る姿勢を露わにした。
領土は大体史実と同じ。因みに戦後の中華平定の際に河北と山東を領土とする東方エルサレム共和国の誕生によって中華地域とは物理的に切り離れている。
1980年代からは国民意識の固定化が進んだことから独自路線を歩み始め出した。
しかしその途中で中華の英雄誕生などに触発され国内の漢民族を中心に中華統一運動が巻き起こった。
国内では中華連邦への合流を叫ぶ統一運動派と、あくまで満州という独自路線を貫くべきという独立維持派に別れ日夜喧々諤々の議論が交わされていた。
しかし世紀末事変における中華連邦の消滅とそれによる中華統一運動の下火化により統一運動派は瓦解した。
他の中華地域国家よりはマシとは言え国内で少なくない数の人間が中華連邦を支持していたことから首輪を嵌められることはなかったが多少日本から睨まれており、それを恐れた満州国内では独立維持派から派生した愛国派による満州文化復興運動が推進されるようになる。
以降満州国内ではこのような事態を引き起こした統一運動派が白眼視され、中華地域要素が過激と言えるレベルで排斥されるようになる。
代わりに文化復興運動により清国や女真族時代の文化が見直されるようになり、中国文化とははっきりと別物と扱うことを始めるなど過剰なまでに中国文化圏との差別化を図っている。
388: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:03:43 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
中華平定の際に山東省及び河北省地域に建国されたユダヤ人国家。
ユダヤネットワークから戦時中の有形無形の見返りを求められた日英が支援して作られた。
通称は極東の狂犬。度々領土拡張を目論んでおり、中華内陸地域へ牽制含めて何かしら衝突があるたびに領土を増やしている。
例として世紀末事変が起こる1999年までには河南地域北東部を飲み込んでいる。
国内は世界中から集まってきたユダヤ人が人口の多くを占めており、人口の殆どをユダヤ人が締めている。
これに関して漢民族を追い出して、自国領として改めて国民に分け与えるなど、決して褒められるやり方ではない方法で土地を確保した歴史を持つ。
最も中華を内陸に封じ込めておきたい当時の日英からは見て見ぬふりをされていた。
しかし国際都市である天津などには変わらず相応の漢民族が住み続けているなど、決して全てが排斥されているわけではない。
1999年の世紀末事変の際には同国の港や外道を通って日本軍が展開しており、中華連邦殲滅に一役買っている。
以外にもこの際には旧中華連邦地域の割譲などは行っておらず、領土は以前のままを通していた。
これに関しては諸説あり、一番大きく取りだたされているのが「日本の攻撃で荒廃した地域をもらっても負担にしかならないので領土割譲は諦めた」という説である。
満州同様極東地域では日本によって首輪をつけられなかった数少ない国の一つである。
モンゴルである。領土は史実+内蒙古地域。つまり中共に領土が奪われる前の土地。
対外的には極東共和国と満州における中華地域への防壁であった。
ある程度の国力が蓄えられる1970年代以降は独自路線を歩み始め、1980年には極東合衆国と組み、内陸中華に闇武器を流し始めた。
最もこの際のモンゴルでは流されてくる武器が南米産フランス武器とは知らされておらず、知る気もなかった。
また元から国際的な許可を取って売り込んでいた正規品も存在していたため、あくまで小遣い稼ぎのつもりで協力程度の認識だったという。
その代償が支払われたのが1999年の世紀末事変であり、小遣い稼ぎ感覚で協力していたのが一変し、国際秩序の破壊を目論んでいた一派の一味となっていしまった。
仏中の核兵器開発の暴露後などは全力で世界に身の潔白を訴えたが相手にしてもらえず、結局のところ中華連邦の地で核の花が咲いた際には日本に全力土下座することで命脈を繋いだ。
以降は他の一味とされた国々同様日英こと国連から政治顧問団と監視の駐留軍の派遣を受け入れる羽目となった。
なお他の国の例に埋もれず顧問団や駐留軍を受け入れた後の方が経済的にも好調らしい。
イギリスの支援により雲南、四川、広西、貴州の地域がまとまり独立した連邦国家。
東南アジアと中華世界を隔てる防壁国家である。
日英の支援が入っているため経済的には意外と安定している。
国内にはチワン族を始めとしてチャン族やイ族、更にはチベット族など数多くの少数民族が暮らしており、他の地域よりも多民族的な連邦国家として趣が強い国である。
建国以降は日英からの支援もあり、順調に発展を遂げていったが、内陸中華に誕生した若き英雄の出現により情勢は一変。
国内に住む漢民族の若者を中心として英雄支持と中華連邦への合流を支持する声が増えていき、当時支持率に悩んでいた政権がこれに乗っかる形で合流するか否かの国民投票を将来的に行うことを発表。
当然政権の支持率は上がったが、反面これに反対する層の人々からは厳しい意見が飛んできた。
満州と同様南方連邦国内においても中華統一運動派と独立維持派による怒鳴り合いが続いていたが、満州と違ったのが当時の政権が統一運動に前向きだったという点である。
こうして遠からず国民投票が行われるとなった際に起こったのが仏中による核兵器開発の暴露と、それに伴う世紀末事変である。
目の前で核が使われ中華的英雄ごと中華連邦という国が瓦解した様を見てすぐさま南方連邦政府は日本への釈明を始めたが、厳しい目線を向けられ続けることには変わらず当時の政権は諸々の事後処理を行った後に退陣。
後釜の政権には独立維持派の政治家たちが抜擢され、国内の中華統一運動は急速に鎮火していった。
以降は満州のように少数民族ごとの独自文化を宣伝し、逆に中華世界文化を排斥する動きが出てき始めたが、それは逆に国内に住む漢民族との軋轢ともなり、以降の政権は国内における少数民族連合と漢民族との折衝役として苦労していくこととなる。
なお一応は国連から政治顧問団派遣というなの政治乗っ取りは起らなかったが、監視のための駐留軍はおかれることとなった。
389: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:04:27 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
中華平定の際に日本が支持して建国した国家。
広東、福建、浙江、江蘇などの沿岸地域が繋がれた連邦国家である。
因みに香港などは英国領のままで、マカオもポルトガル領のまま。海南島に関しても日本領である。
建国以降は日英からの投資もあり、南方連邦同様に順調に発展。
1970~80年代において社会がある程度成熟した結果独自路線を思案し始め、同時期に登場した英雄劉に目を焼かれた国内の漢民族が中華統一運動を始めるのも同様であった。
しかし満州や南方連邦と違う点は国内の漢民族の多さであった。
南方連邦や満州同様少なくない少数民族も抱えていたが、それでも人口の過半数が漢民族であった沿岸連邦では中華連邦への合流を望む声が多かったのである。
当時の政府は南方連邦の政権よりも冷静に物事を見ていたが、国内の声やそれに異口同音する野党の声などに抗えず、将来的には統一の是非を図るための国民投票を行うことを発表してしまう。
しかし、その声明の後に世紀末事変が勃発。日本における核投下と中華連邦の消滅により他の国同様統一運動は瓦解。
当時の政権は胸を撫で下ろしたが、一度吐いた言葉は飲み込めず、日本からは厳しい目線を送られることとなる。
沿岸連邦政府はもっと早くに仏中の核開発が露呈していればと嘆きながらも、他の関係国と違い、自ら国連の政治顧問団と駐留軍の派遣を要請した。
これは人口の多くが漢民族故に国内における統一運動の火種と統一された中華世界への幻想が消え去るまで時間がかかることを想定しての苦肉の策であった。
以降の別の政権が誕生しようと国民の声に押されて愚かな選択をしないようにとわざと首輪を嵌められに行ったというのが当時の政権の判断であった。
彼等当時の政権関係者は一部から国を売った売国奴と罵られながらも最低限の独立国としてのラインは守り切り、引退後もその働きが鑑みられることはなかったが、この苦肉の策が功を奏し以降の別政権になろうとも政治顧問団の介入により国の舵取りは安定していくこととなる。
以降顧問団が撤収した後も駐留軍の方は残り続けている。
2020年代では顧問団駐留時代から日本の影響力が大きくなった沿岸連邦では景気が良くなったこともあり、かつての統一運動が若者世代を中心に反省され、嫌悪され始めるなど意識の変化が起こり始めている。
それと同時にかつては売国奴と罵られた当時の政権の再評価の動きも起きており、彼らの名誉も回復し始めていることを記す。
イギリスの支援により誕生した独立国。
WW2後に正式に独立したが、英国からの支援自体はその前から続いている。
他の国同様に日英からの支援もあり、独立後は順調に発展。
1980年代から起きる中華英雄誕生による統一中華運動の発生においても、元々独立志向の強かったチベットでは特に大きな動きになることもなかった。
むしろ当時威勢を増す中華連邦を警戒し、軍事力の増強を行うなど統一中華の動きを警戒していた国家の一つと言える。
世紀末事変以降は国内に自ら英国軍を招き入れ、改めて紛争地帯と化した内陸中華地域への対応に追われる。
2020年現在においては国内の駐留英軍の数は減ったものの、チベット軍そのものは精強で知られており、内陸中華からくる難民や犯罪者への対応から、度々行われる内陸部へのPKOなどにも積極的に参加している。
390: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:05:14 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
世紀末事変において最も数奇な運命を辿った国。
元々は中華平定時において無理矢理動かされたソ連を後見人として独立した国家であった。
独立後はソ連からのなけなしの支援もあり、日英が支援する国よりは成長は遅いが、国内は安定化しており、少しずつとは経済も伸びていた。
しかし1970年代末におけるソ連分裂により、その歯車が狂いだすこととなる。
ソ連が新ロシア帝国と汎ロシア連邦に分裂した結果同国からの支援がなくなり、更に近隣諸国が緊張状態ということでウイグル経済は低迷することとなる。
当時世界は両ロシア和解への折衝と崩壊した米合衆国地域への介入で忙しく、ウイグルへの支援もおざなりに終わっていた。
そこに付け込んだのがフランスである。フランスは困っている国を助けるのがフランスの義務と言わんばかりに堂々とウイグルへの投資を増やし、徐々にその影響力を強めていくことに成功する。
ウイグル政府も頼みとなる物がない中ではこの動きを黙認せざる得ず、むしろ国内の資本家や名士などはフランスを積極的に支援する動きまで見せ始めた。
そしてフランスからの影響もあり、徐々にロシア地域の影響から脱した独自路線を歩み始めることとなる。
結果だけ言えば国内の有力者の声に逆らえなかった当時のウイグル政府は力を無くすこととなる。
そしてフランスの手によってウイグル国内には核兵器の研究、開発工場が立てられた、同国による秘密研究が始まってしまった。
当時のウイグル政府などはこれを歯がゆい思いで見ていたことを当時の首相の手記から発覚している。
後に中華連邦も関わるようになった核開発は順調の進んでしまっていたが、1999年前後の暴露騒ぎにより、その存在が明るみに出てしまう。
その後は世紀末事変において日英印西合同軍による空挺降下と電撃侵攻により政府中枢と核関連施設が制圧されてしまい、核開発関連三国の中では真っ先に制圧されることになった。
以降は中華連邦への核の投下と同国の瓦解。フランスの実質的な降伏などが起こり、沙汰を受けることとなる。
ウイグル政府は実質解体され、国連から派遣されてきた政治指導部による政権運営が行われ始め、国内には日英を中心とする多数の駐留部隊が置かれることになる。
また残ったウイグル軍においても、連邦が崩壊し、紛争地帯へと逆戻りした内陸中華地域の封鎖に駆り出されるなど実質独立国としては滅んだものとなった。
2020年現在では未だに政治指導部は置かれているが、駐留軍の数は減り、ウイグル人による政治議会の運営も軌道に乗り出しているなど政治部分では順調に緩和が進んでいる。
何よりも政治指導部とそれを支持する日英などの投資によりフランス投資時代よりも国内の開発が進み、多くが発見、開発された石油や天然ガスにより世紀末事変以前よりも経済が潤っている。
皮肉にもウイグル共和国の政治、治安、経済。どれをとっても世紀末事変以前よりも安定し、順調な成長を続けていた。
意外に手厚いこれらの支援はかつて他の重大事変に注目しすぎて、ウイグルへの支援がおざなりになり、結果核開発という禁断の手段に走らせてしまったことへの遠回りな反省と謝罪なのかもしれない。
391: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:05:49 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
欧州
WW1の際にカイザーシュラハトの成功と
アメリカ風邪の蔓延による停戦と実質的な引き分けにより帝政のまま存続している国。
国連において常任理事国の席を持つ主要国の一つ。
場合によってはこのドイツを含めて日英独の三帝世界とも呼ばれる。
土地は大凡史実のドイツ帝国領のまま。
WW2により近場の仮想敵国の過半はどうにかったが、以降も対フランスを名目に巨大な軍事力を保持し続けていたりする。
このためPKO活動などでも積極的に部隊を派遣している。
1990年代では流石に軍備が減らされ始めたが、世紀末事変の結果対フランスを名目として軍備を拡張、一新することが決定される。
2020年代においても対フランスを名目に強力な軍事力を保持し続けている。
欧州の狂犬枠。WW1後に改めてロシア帝国から独立した。
独立後はドイツやドナウと手を組みながらウクライナと共にソ連と幾度もドンパチしている武闘派。
史実の範囲+ドニエプル川を境とした西ウクライナ地域が領土となる。
WW2ではソ連の奇襲的戦略旋回運動によって西ウクライナ方面と分断されてしまい、以降はヴィスワ河以西に押し込められ、日夜ソ連からの猛砲火を耐え続けていたが、日英の参戦により逆転ホームランとなった。
戦後は白ロシア領こと史実におけるベラルーシの西部を獲得。
史実ベラルーシにおけるブレスト州、フロドナ州、ミンスク州とホメリ州の西半分を獲得した。
ウクライナのドニエプル川から見て東にはいかない形で旧ベラルーシ領を獲得した。
以降は対ソ連の最前線国家というままで軍備も維持し続けていたが、ソ連分裂により欧州ロシア地域はロシア帝国(新)となったため、緊張感は低下した。
しかし常任理事国ということで、軍備の方は思ったより減らせず、2020年現在でもその軍事力をPKO活動に活かしている。
この世界でも一応独立している。
ソ連の暴虐に警戒を強めて、軍備増強に努めていたが、WW2ではあえなく全て踏み潰されている。
WW2後は改めて独立を回復し、ソ連が消えた現在では平和を謳歌している。
北欧の国々。ここら辺は史実と左程変わりがない。
冬戦争やWW2の際にはフィンランドやドイツを支援しており、ソ連侵攻戦などにも部隊を派遣している。
ソ連分裂後は身近な仮想敵がいなくなったので平和を謳歌している。
実は史実とは少し変わっている国。
冬戦争の際には日英独の支援により冬戦争を勝ち抜いて領土を守り切っている。
WW2にフィンランドもソ連から殴られていたが、ソ連の主力でなかったためと北欧諸国からの支援や援軍によりどうにか持久に成功。
逆転する後半戦では独多波などと共にソ連領にカチコミをかけている。
いつもの道路国家。WW1では結構粘りを見せている。
WW2ではフランスによって一瞬で引き潰されてしまった。
戦後に独立を回復。その後はフランスに対して強い敵意と警戒心を維持しており、一定の軍備の維持を続けていた。
世紀末事変の際にはドイツやイギリスと変らぬ速度で仏国境線に軍隊を並べている。
2020年になった現在でもフランスへの警戒心を忘れておらず、一定規模の軍隊を維持している。
392: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:06:32 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
史実の道路国家その二。しかしこの世界のWW2ではドイツの援軍が来るまでフランス相手に粘る大健闘をしている。
日英に触発されてから植民地経営が軟化。その結果東南アジアや南米の植民地が独立しておらず、緩やかな連邦国家の形成に成功している。
欧州の中堅国家の中では中々の国力の持ち主となった。
WW1以降にオーストリア・ハンガリー帝国が再編された国家。
オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、クロアチアによって構成されている。
常任理事国の一つであり、漢字では多惱(ドナウ)と割り当てられている。
実はスロベニアとクリアチアが領土に入っているのでそこそこの海軍を維持し続けている。
チェコは西部のボヘミア地域がドイツ帝国領のままだったりする。
WW2ではイタリアが速攻乙るなどしてドイツと共に非常に厳しい戦いを強いられていたが、日英の参戦によりなんやかんや勝つことに成功した。
戦後は常任理事国に抜擢され、泣く泣く責任を果たしている。
ドイツの陰に隠れて存在感が薄いが、中々の陸軍国であり、部隊の質も悪くない。
海軍の方も相応の艦隊を維持しており、イタリアと並び地中海の双璧と称えられている。
(ここにイギリスの地中海艦隊も加え、三銃士と呼ばれることもある)
ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、モンテネグロ、ベオグラードによって構成される。
WW1後に設立された連邦国家。
周辺全てに恨み骨髄で尚且つ未練タラタラなセルビアを危険視し、国防上の観点から成立した連邦国家である。
WW2の後はベオグラード共和国(史実のヴォイヴォディナ社会主義自治国+ベオグラード周辺地域)も加盟した。
チトーを始めとする優秀な指導者により近年まで順調に運営されていたが、チトー死亡後は安定に陰りが見えたため、アメリカ合衆国崩壊の二の舞いを避けるために英独多などが介入し、どうにか安定化に成功した歴史を持つ。
WW1の発端であり、WW2においてもフランスやソ連と組んで大暴れした国。
WW1後の沙汰により史実のヴォイヴォディナ社会主義自治国+ベオグラード近辺の領土を含めた地域がベオグラード自由領として独立。
またボスニア・ヘルツェゴビナやコソボへの領有権を放棄させられ、マケドニアはギリシャに持っていかれるなど散々な目にあっている。
このためWW1後は周辺国やイタリアなどに恨み骨髄&未練タラタラであり、共産主義化した挙句にソ連やフランスと組んでWW2でも大暴れした。
WW2が更に厳しい措置が取られたが、恨み骨髄なセルビア人ばかりの地域の面倒を見たがる国がいなかったため、軍事や政治に更に大きな制限をかけられ、定期的な監視と報告と調査がなされながらも独立国として存続していくこととなる。
1980年代から始まる大フランス復古を目指したフランス国粋派の暗躍やその後のユーゴスラビア連邦不安定化、更に1999年の世紀末事変などでは以外にもこれといった行動は起こさず大人しいままであった。
これは単純に二度の大戦で人口を失い過ぎたため、この時代になってもろくな行動をとれなかっただけである。
2020年代現在においてもセルビアの人口不足は深刻なままであり、欧州屈指の最貧国として有名である。
WW1後の沙汰により当時のセルビア北部が独立したベオグラード自由領がWW2後に改めて共和国化した国家である。
WW2までの戦間期の間は敵意を隠さないセルビアに備えていたが、WW2時にはイタリアを速攻駄通してきたフランスとルーマニアとブルガリアを殴り飛ばして南下してきたソ連にひき殺されてしまう。
WW2後には改めてベオグラード共和国として再出発した。
再出発後はユーゴスラビア連邦共和国へ改めて加盟し、対セルビア対策を強めていった。
現在でもセルビアへの警戒心は残っており、同国との国境線上は何重ものフェンスで遮られている。
393: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:07:25 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
WW1の活躍?によりセルビアからマケドニア地域を獲得するなど史実よりも栄えている国。
WW2ではセルビア程度相手なら負けないっしょ!と慢心嚙ましていたらフランスとソ連が速攻で南下してきてボコられてしまった。
WW2中に日英同盟軍の活躍により解放され、WW2後もそれなりに元気にやってる。
特に語ることのない国々。
どこの国も大国の領土から離れていて平和ボケしていたらWW2の際にはソ連やフランスにひき殺されている。
WW2後には改めて独立を回復し、今でも平和にやってる。
イギリスの盟友であり、陰の立役者。
WW1からWW2まで地味に活躍を続けている。
イギリスに合わせるかのようにこちらも連邦体制へと移行。旧来の植民地体制から新たな連邦体制国家へと生まれ変わっている。
欧州の中堅国家の中では海運能力が高く、世界中でポルトガルの旗を掲げた船舶を見ることが出来るであろう。
WW1もWW2も中立だった国。そのため地味。
意外にも世界で最も長く独裁制を敷いていた国である。
戦後も可もなく不可もなくといった感じであるが、欧州においては立地からそこそこの存在感はあった。
しかし国防は手を抜いておらず、1999年の世紀末事変においてはすぐさまフランス国境への軍を派遣しており、以降のフランス駐留に際しても英独などの軍隊とよく足並みをそろえていた。
戦後の争乱の立役者。核開発の申し子。国粋派に全てを台無しにされた国。
WW1では勝ちきれず実質的に敗北となり、WW2では共産化した挙句に敗戦。
その結果残ったのはボロボロになった国土と借金と国民の政治不信であった。
それが立て直されたのは敗戦から30年近くたった1980年代。
そんな中で戦後世代に蔓延したのは一周回ってナショナリズムという名の国粋主義であった。
腐っても歴史に名立たる大国。一回二回の敗北ではフランス人の愛国心は消せやしないのである。
そんな暴走気味な熱意を抱えた国粋派が愛国心と国際社会への反発心を基に行い始めたのが国際社会への認可されていない武器の製造と輸出。
これにより力を蓄え、将来的に現状を打破し、大フランスの復活を!と目論んでいたわけである。
核兵器開発もその一環であった。
結果がどうだったかと言えば英国によって尻尾掴まされた挙句に全部調べられ、ばらされ、世界の敵と化した。
国内もそんなことやっていたなんて知らない市民や政治家が大多数なわけで、大混乱。
当時の仏政権は例えパリニ核が落とされようと抵抗を続けようと無用の覚悟を決めていた。
しかし戦後から今までを引っ張ってようやく最近隠居したばかりな老人たちが涙ながらにクーデターを起こして、今回の騒乱の区切りとした。
クーデター後の新政権は国連からの要求を全て受諾。
フランスには専門の統治機関と大勢の駐留軍が置かれ、実質独立国家としてのフランスは終焉となった。
2020年現在でも統治機関は置かれ続けており、政治の運営権はフランス議会の手に戻っていない。
394: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:08:02 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
ロシア地域
いつものソ連。WW1後のあれやこれやで史実より大分領土が減っている。
WW2でも暴れたが敗北。バクー油田はオスマンに取られ、ベラルーシの西半分はポーランドに取られた。
一応は国家の存続は許されたが、戦争で負け続けたのが祟り民衆からの信用は失墜。
それが仇となり1970年代末にウラル山脈を境に東西に分裂し、消滅した。
1970年末に起きたソ連分裂においてウラル山脈から見て西部の欧州ロシアにて新たに誕生した国。
当時のソビエト政府により融和目的で招かれていた旧ロシア皇族が中心となり建国された立憲君主国家である。
ソビエト分裂の際の混乱を出来る限り抑えるため日英独などを中心として国際社会の支援を一身に受けて誕生した国家であり、それらの支援もあって建国宣言からほどなく安定化した。
ウラル山脈を挟んで東の汎ロシア連邦とはイデオロギーの差異によって緊張が続いていたが、1999年の世紀末事変以降は日本の仲介により和解となった。
和解後も国民意識の違いから、再度の統一はなされずにそれぞれ独立国として歩むことを選んだ。
1970年代末に起こったソ連分裂によってウラル山脈以東に誕生した国家。
ウラル山脈から見て東側のレナ川までのロシア地域と中央アジア地域によって構成される。
ソビエト連邦に続き共産主義体制国家であるが、ソ連時代の反省を活かして政治や経済に関しては割と柔軟に運営している。
西のロシア帝国(新)とは国民意識の違いから緊張関係が続いたが、汎ロシア連邦側も武力衝突する気がなかったため、時代を経るに連れ状況は緩和。
1999年前後には中華連邦を仲介役としてロシア帝国と和解するつもりであったが、当の仲介役の核開発が判明してとん挫。
関係国と思われてはたまらないので全力で無関係をアピールしたため、世紀末事変の際にはどうにか事なきを得たが、一応は傘下国であるウイグル共和国への監督不届きの責任を問われ、アジア地域の内陸中華封じ込め作業へと部隊を派遣している。
同時に日本を仲介役としてロシア帝国と和解を達成。どうにか国境線上の緊張関係は解かれることとなる。
2020年現在でも各地のPKO活動に参加。ウイグル共和国へは日英と共に多くの部隊を駐留させている。
近年改めて極東共和国やロシア帝国と平和的に再統一し、ロシアの復活を果たしてみればという話題が出たが三か国とも今のところは再びの統一を望んでいない模様。
395: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:08:37 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
中東
日英の支援によりどうにか生き残った元死にかけ大国。
WW1前後の領土でどうにかこうにか生きながらえることに成功した。
一応キプロスもイギリスのお情けでオスマン領のままである。
WW1で国内改革のため中立を維持。これと言って関わることはなかった。
WW2では突然ソ連が侵攻してきたため、当初は苦戦したが、日英からの支援が早期に入ったことにより一定ラインでの防衛に成功。
その後の日英正式参戦による逆襲においてはコーカサス地域からソ連の横腹を突く活躍を見せる。
戦後には史実におけるアルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンに相当する地域を獲得。バクー油田を獲得したことにより新しい経済基盤を手にしてその後の国力増強に活かした。
WW2後は常任理事国の一つに任命されており、ひいこら言いながらも責務を果たしている。
中東の中堅国家。イギリスの影響力が強く、実質英連邦の準加盟国と言って良いほど。
イランなどはWW2中には中央アジアから侵攻してくるソ連相手にインドのイギリス軍と共に迎撃に当たっている。
サウジアラビアは日本からのテコ入れもあり史実よりも速く油田開発が行われ、WW2中には日英陣営へ莫大な量の石油を供給している。
WW2後から現在にいたるまで中東地域は極めて平穏であり、史実と真逆で世界でも安定している地域として有名である。
アフリカ
旧フランス植民地。WW2時のフランスの敗北により独立した。
他にもフランスのアフリカ植民地の多くは同時期に独立している。
1970~1980年代にてフランス国粋派が旧来の伝手を使い、アフリカ方面における闇武器販売の拠点にしていた。
最も政府規模で関わっていたというよりは現地有力者や腐敗した政府関係者がそれぞれフランス国粋派と手を組んでいたに過ぎなかった。
1999年の世紀末事変において事が暴かれるとアルジェリア国内でも騒然となり、フランス国粋派と癒着して懐を肥やしていた官僚や政治家、有力者などが次々とあぶり出されていった。
事件後は国連軍からの駐留は受けたものの、政治運営に関しては監視を付けられるのみで終わっており、当時のアルジェリア政府関係者は胸を撫で下ろしたという。
以降は国民からして反仏感情が強くなり、何かとフランス関係に厳しい視線を向けるようになる。
旧フランス植民地の多かった地域。WW2の後に多くの植民地が独立したが、内政不安な国も多く、徐々に紛争地帯化していった。
イギリスやドイツなども旧来の自分達のアフリカ植民地の安定化を優先した結果、西アフリカへの対処が後手に回り、現在まで続く紛争地域として固定化されてしまっている。
1980年代から90年代にかけてフランスの国粋派はこの地域に多くの南米製フランス兵器を売りさばいていた。
2020年現在では度重なるPKO活動の結果かつてよりは全面紛争と呼べる規模の衝突は減ったものの、小規模な衝突は現在でも多発しており、低治安地域からは抜け出せずにいる。
旧ドイツ植民地や旧イギリス植民地だった地域の多くはそのままドイツの自治州となったり、英連邦加盟国となったりなどして安定化している。
他ポルトガルやスペインとった国々の植民地だった地域の多くも史実より安定化しており、総じて西アフリカ以外の地域は史実よりも繁栄していると言って良い状況である。
396: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:09:19 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
北米
WW1では
アメリカ風邪蔓延の原因となり、WW2ではソ連やフランスを支援して世界大戦勃発の現況を作った国。
WW2の敗戦によりハワイやアラスカが日本に取られ、カリブ海の権益などもイギリスに奪われた。
本土の国土こそ減らされなかったものの、戦後から70年代までは駐留軍が存在していなど敗戦国としての扱いを長らく受けていた。
戦時中の損害の差や地域産業の差から州や地域ごとで戦後復興に格差が発生しており、これが巡り巡って後のアメリカ合衆国崩壊の原因の一つとなった。
1980年代に政情不安から発生した暴徒の鎮圧処置にミスり、各地で抗議活動が発生。そのまま過激化。
敗戦時から続く州政府と連邦政府の亀裂がそのまま拡大され、その後各地の州政府が独立を表明しだし、これへの対応も後手に回った結果アメリカ合衆国という国家は崩壊。この世から消滅した。
以降各地で様々な国家が形成されるなどして、2020年現在でも再統一からの合衆国復興の希望は欠片も見えないままである。
合衆国崩壊後に特に多くの州が独立した地域。しかしその後まとまることができず、些細な原因から衝突が頻発。
現在では小規模な衝突が続発する準紛争地域として固定化されてしまった。
定期的に日英を中心とした国連軍によるPKO活動などの介入が行われ衝突の頻度は減ったが、2020年現在においても緊張状態が続いており、根本的な解決まではまだまだ遠そうである。
合衆国崩壊後に建国された新しい国家の一つ。
モンタナ、ワイオミング、コロラド、ニューメキシコ、カンザス、ネブラスカ、サウスダコタ、ノースダコタの9州が寄せ集まり建国された。
元々大戦時の被害も少なく、畜産や農業が盛んな地域だったため戦後の復興も出だしが良く、比較的早くに復興が進んだ地域だった。
しかし復興が進んでいるということは、進んでいない地域と格差ができるということであり、そのため復興が遅れ気味だった西部や東部の州からは恨まれることになる。
東ロッキー連邦として独立して以降もロッキー山脈を挟んだ西側の諸州からの逆恨みが続いている。
こちらも合衆国崩壊後に米西部においてロッキー山脈に隣接する内陸のアイダホ、ユタ、アリゾナ、ネバダが集まり建国された新国家。
中部の東ロッキー連邦結成に対抗して作られた連合国家。
連合というだけあり州ごとの権限が強い。
反南部、反中部、おまけに口先だけは反日と割とどうしようもない国であるが、ネバダにボールダーダム(史実でのフーヴァーダム)が存在しているため発電能力はぴか一。
このため連合内でもネバダとアリゾナの発言力が大きい一因となっている。
このダムのせいで地味にカリフォルニアとメキシコが迷惑を被ることもあり、それぞれとの外交問題に発展している。
カリフォルニア、ワシントン、オレゴンといった沿岸部の州が集まった国。
合衆国崩壊を目の当たりにして怖い過去になった日本へ対応するために建国された。
因みに建国後に真っ先に行ったのは日本の御機嫌うかがいである。
建国後は殆ど間を置かず実質的に日本の傘下国になっているが、太平洋の海上物流を支配する日本の傘下になっただけあって、経済的には好調である。
その好調さが祟り内陸側の西ロッキー連合とは不仲。互いに裏切者、愚か者と罵り合う仲である。
397: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:09:51 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
ミネソタ、アイオワ、ウィスコンシン、イリノイ、ミズーリ、アーカンソー、ミシシッピによる経済、軍事同盟。
連邦国家や連合といった類ではなく、一種の安全保障連合とでも言うべき存在。
彼等は衝突の続く東部からの悪影響を嫌って集まった集いであり、軍事力だけは余っている東部諸州からの圧力への対抗手段である。
平原同盟が防壁となっているため東ロッキー連邦や南部共和国は東部からの悪影響をシャットダウンできている。
このため両国は平原同盟へ少なくない支援を行っている。
テキサスが中心となり、ルイジアナやオクラホマを加えて作られた国家。
南部の権益である石油を守るために建国された。
WW2敗戦時に現地の石油利権の多くは日英を始めとする主要国に持っていかれたのだが、それはそれとして現地へ金は落ちているため南部はいち早く復興が進んだ地域であり、復興速度と同じくらい諸州から妬みをもらっている地域でもあった。
このため合衆国崩壊後は身を守るため一早く団結した結果建国されたのがこの国である。
独立後も現地に石油利権を持つ主要国からの支援が多く、合衆国崩壊後では最も繁栄している国家と言って良い。
反面東部の諸州から逆恨みされており、壁役となる中部平原同盟やフロリダ半島のフロリダ共和国への支援が欠かせなくなっている。
フロリダ半島に逃げ込んだ旧連邦政府関係者が中心となって作り上げられた国。
合衆国中の州が独立宣言しまくったために、もう仕方ないべと改めて再出発した結果建国された。
旧連邦軍由来の巨大な軍事力を持っており、専らこれを以て度々ちょっかいかけてくるお隣の東部諸州への対応に当たっている。
本来は経済規模に対して過剰な軍事力なのだが、東ロッキー連邦や南部共和国からの支援もあり、何とか赤字にならない程度にはやれている。
またメキシコ湾に隣接する立地から船舶産業も活気づいており、合衆国崩壊後の独立国家の中では以外にも経済的にも上位に入ったりしている。
カナダが支援してメイン、ニューハンプシャー、バーモントとニューヨーク州の北部とミシガンを切り取り建国された防壁国家。
専ら紛争地域と化した東部とカナダを隔てるための防壁として作られた。
日夜東部地域からカナダへ向けてやってくる不法入国者や密売人や時たまちょっかい掛けてくる東部の州軍相手に戦っている。
国内には駐留英軍が存在しており、この駐留英軍、隣接するカナダ軍、そして自国の軍隊や警察を以て五大湖地域の警察家業を行う。
見返りは英国やカナダからの経済的な支援。
また実は旧五大湖工業地帯を少なからず抱えているため、以外にも生産能力は高かったりする。
398: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:11:28 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
現在北米に置いて最も国力の高い国になってしまった。
WW1では欧州戦線で活躍し、WW2前から米国を警戒して軍事増強に励み、WW2時には米軍に押されながらも果敢に抵抗を続けていた以外にも歴戦の国であるカナダ。
WW2後も
アメリカへの警戒は怠らず、軍備に力を入れる毎日であったが、1980年に米国が崩壊。
幾つもの独立国家に別れてしまったのだが、そのうちの東部がまとまらず紛争地域化。
以降はここからやってくる犯罪者や難民を相手にする毎日になってしまった。
現在でも東部対策を名目に軍事には相応の力を入れているが、全盛期と比べて流石に内向きの治安維持戦向け装備が主流になっている。
北米におけるナンバー2国家になってしまった国。
WW1でもWW2でも一応中立を貫き通して生存を果たした。
国内には石油を始めとする有力資源からメキシコ湾を始めとする優良漁場を持つ。
史実と違い日本が割かしぐいぐい来ているため、その余波なのか国内の治安は史実よりもずっとマシになっており、このため国内経済も安定化している。
このためWW2後は敗戦の混乱に喘ぐ
アメリカを差し置いて急成長を遂げており、2020年現在ではカナダに負けず劣らずに先進国となっている。
南米
フランス国粋派にいいように扱われた南米の三か国。
ブラジルは今以上の影響力確保のため、アルゼンチンはフォークランドを始めとする領土問題からの反英国感情から、ベネズエラは自国の石油を更に売りつけるための国際市場の打破を目論んでの協力であった。
フランス武器の製造に寄り小遣い稼ぎとある程度の技術力を磨くことに成功したが、1990年代末に合えなく今までの悪事が暴露されてしまう。
その際にブラジルは速攻で土下座して他の二国を売ったことで罰は多少軽くなり、国内に駐留部隊と監視機関の設置のみで済んだ。
売られたアルゼンチンとベネズエラは恨み言を吐きながらも結局のところ政治顧問団と駐留部隊の受け入れを受諾した。
2020年現在では駐留軍の多くが撤退しているが、政治顧問団や監視機関は残っており、彼等からの報告では全ての駐留軍を撤退させた場合に三か国間で武力衝突に発展する可能性ありとの報告書が提出されている。
大半の国が今回の出来事と無関係。
むしろ日英などとの交易量の増加により、史実よりも繁栄している国が多かったりする。
最も中米やカリブ海諸国を中心に変わらず政情不安な国々も多く、これらの武器の上記の三カ国からフランス武器が流されたりもしていたため、これら闇武器によって政情不安が加速した国家からはブラジル、アルゼンチン、ベネズエラの三カ国は恨まれている。
399: トゥ!ヘァ! :2022/03/20(日) 20:13:25 HOST:FL1-119-244-228-153.kng.mesh.ad.jp
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wikiの日英世界ネタと思しきssを見ながら書きました。
ロシアは三分割!まあ戦前の時点で史実よりかなり削られていたし多少はね?
日英日本君「(核も)一発だけなら安全保障範囲内かもしれない…」
最終更新:2022年04月04日 19:15