250: 加賀 :2022/04/24(日) 17:50:51 HOST:softbank126241202218.bbtec.net
四式中戦車『チト』
全長 7.80m
車体長 7.20m
全幅 2.90m
重量 自重35t
全備自重 39t
懸架方式 トーションバー方式
速度 45km
行動距離 200km
主砲 3式60口径76.2ミリ戦車砲×1(90発)
副武装 99式12.7ミリ機銃×1
97式車載機関銃×2
装甲 砲塔 前面100ミリ 傾斜12°
側面80ミリ 傾斜25°
後面75ミリ 傾斜25°
上面15ミリ
車体 前面75ミリ 傾斜55°
側面40ミリ 傾斜40°
後面40ミリ 傾斜40°
エンジン ハ9乙川崎九八式八〇〇馬力発動機改造
液冷V型12気筒ガソリンエンジン
650hp
乗員 5名
【概要】
日本陸軍が最後に制式採用した中戦車。陸軍はノモンハン事件で活躍した九七式自走砲(yukikaze様のチハ)と九七式中戦車(57ミリ長砲身)のを集中生産して開戦初期のマレー半島、中期のソロモン、インパール等を戦っていたがやはり、装甲が厚い敵戦車と対峙するには回転砲塔型の戦車が欲しいのは事実だった。そこで夢幻会派閥(杉山等)を中心に新型戦車開発に乗り出した。それが1942年12月の事だった。設計図については僅か5日で提出された。元々、暖めていた案だったようであり設計陣達は自信満々の表情だが頭を悩ませていた。
「これ、和製パンターじゃね?」
「和製パンターで敵をパンパンしたいんじゃ~」
「ちくわ大明神」
「誰だ今の」
「というよりこの砲、海軍さんは使用してるの?」
「秋月砲を採用しているから余剰していたらしい」
特に砲については大陸戦線で鹵獲したボフォース75ミリ高射砲を採用予定だったが半自動装填装置を付ける事に史実と同じく難航してしまいどうするかと悩んでいたところに口を挟んできたのがネルソンだった。
「なら『阿賀野』型に搭載予定だった高角砲を採用したら良いじゃないか。初速はそちらが上だった筈だ」
「……たまにはネルソンも良い事を言うな」
「たまにはとはどういう事だシンタロー!!」
ネルソンが主張したのは史実では『阿賀野』型乙巡でしか採用されなかった98式8サンチ高角砲を戦車砲として採用する事だった。
今作でも海軍は秋月砲と同時期に開発しており1939年に採用されてはいたがやはり「威力が小さい」や「機構の複雑さ」「砲身命数の少なさ」という観点から採用はされたが搭載は見送られていた。
ネルソンはそこに目をつけたのだ。
しかも初速は900m/秒とボフォースより上である。(ボフォースは初速850m/秒)陸軍はボフォースに見切りをつけ高角砲を戦車砲として採用する事にしたのだ。更に半自動装填装置も搭載を諦めた。
時間をかければその分、侵攻されるのであり原中将達も苦渋の決断だった。
制式採用の時点で日本陸軍戦車では最強の部類に入るであろう。(外国のはさておき)しかし、ネックは時間とカネである。生産する時間が多く(チハ5両分の合計時間)費用が高かった。(チト1両に対しチハ8両分の費用)しかし、陸軍はチハの正式な後継戦車をチトに定めた。戦局はそこまで悠長している暇はなかったのだ。
251: 加賀 :2022/04/24(日) 17:51:27 HOST:softbank126241202218.bbtec.net
また、徹甲弾(一式徹甲弾)は海軍の協力も貫通力は大幅に向上している。
なお、一例としては以下の通りである。
射距離100m/貫通威力260mm
射距離300m/貫通威力179mm
射距離400m/貫通威力146mm
射距離800m/貫通威力109mm
射距離1200m/貫通威力91mm
また、ホイが使用している88式野戦高射砲も射距離500mで貫通威力115mmを記録しており陸軍が何としても生産配備したかったのは誰が見ても容易だった。
チトが最初に配備されたのは比島に配属された戦車第二師団でありフィリピンに侵攻してきた(帰ってきた)マッカーサーの米陸軍をレイテ島で近衛第一師団と共に迎撃を展開、最終的にマッカーサーを吹き飛ばす事に成功するのである。
その後は沖縄戦でも戦車第一師団、その前の硫黄島攻略作戦には戦車第26連隊にも配属され米戦車群を相手に米戦車群の屍を作り出す事に成功し米軍からは『東洋のティーガー』とまで呼ばれている。なお、沖縄戦で戦ったパットン元帥は後のインタビューで「ルーズベルトも馬鹿な事をしたもんだ。日本を味方にすればもっと早くに戦争は終わっていたし太平洋の戦いも無かったんだ」と愚痴っている。
また、ソ連軍の侵攻でも満州では戦車第三師団と戦車第四師団が避難しきれなかった在留邦人を逃がすためにソ連数個戦車軍団に立ち向かい僅かを残して全滅した。しかし、在留邦人の被害は最低最小限で抑えられ、ソ連軍は逆に一個戦車軍団が地上から壊滅、二個戦車軍団が後方を退避せざるを得ない状況となる展開である。
また樺太でも戦車第三連隊と戦車第334特別実験団が視察に来ていた杉山元帥と共にソ連軍を迎撃、杉山元帥が重傷を負うも膠着状態を作り出す事に成功。更には空母『瑞鶴』率いる機動部隊の航空支援によってオハ油田まで占領する事態まで発展するのである。
なお戦後は、軍が自衛隊になるが(博多事件で国防軍化へ)その際の戦車はチトであり自衛隊在籍時は特車と呼ばれていた。チトは朝鮮戦争の時もチハと共に国防陸軍の数個戦車連隊を編成し半島で砲火を交えた。その後も第一主力世代の61式戦車が出て各戦車大隊に配属されても予備兵力として存在し続け74式戦車が配属された時に漸く退役するが車体等は自走無反動砲等に転用されていたので最終的にチト系列のが退役したのは2006年であり今日では各駐屯地の展示車両にチトが鎮座しているのである。
252: 加賀 :2022/04/24(日) 17:55:35 HOST:softbank126241202218.bbtec.net
チトのif版になります。
砲についてはあがのん砲こと98式60口径8サンチ高角砲を採用しています。
4式高射砲に比べたら一応は史実でも生産はしていたので(28門だけども)まぁ良しと。
開発は秋月砲と同時平行で行い採用はされましたがやっぱ史実と同様に失敗作の評価になりましたがパンジャンドラムを作った紳士の国のネルソンの一言により活躍の場を見出だす事に成功します。
でも76ミリクラスは結局は戦後も必要なんですけどね。
最終更新:2022年04月24日 19:47