704: 名無しさん :2022/04/28(木) 22:46:17 HOST:sp49-98-169-222.msd.spmode.ne.jp
近似世界 1920~1930年代
開戦前


1922年、ワシントン海軍軍縮条約締結。
日本に割り当てられた制限は米英と同様の

  • 戦艦:合計75万トン、戦艦主砲46cm以下(2艦に限り51cm以下)
  • 空母:合計25万トン、(備砲21cm以下)
  • 巡洋艦:無制限(1艦あたり15,000トン以下)

となった。

そして、その時点で日本海軍が保有している主力艦および空母は以下の通りであった。



【敷島型戦艦】
「敷島」「朝日」「初瀬」「三笠」「香取」「鹿島」

基準排水量:43,000トン
速力:公称27ノット

武装:
  • 41cm砲 連装5基 10門
  • 15.5cm砲 連装6基 12門
  • 12.7cm両用砲 連装6基 12門
  • 40㎜連装機関砲 10基



【薩摩型戦艦】
「薩摩」「安芸」「河内」「摂津」

基準排水量:44,000トン
速力:公称27ノット

武装:
  • 41cm砲 3連装4基 12門
  • 12.7cm両用砲 連装8基 16門
  • 40mm4連装機関砲 15基



【金剛型巡洋戦艦】
「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」

基準排水量:48,000トン
速力:公称30ノット

武装:
  • 46cm砲 連装4基 8門
  • 12.7cm両用砲 連装10基20門
  • 76mm連装速射砲 15基



【扶桑型戦艦】
「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」

基準排水量:65,000トン
速力:公称27ノット

武装:
  • 46cm砲 3連装3基 9門
  • 15.5cm砲 3連装2基 6門
  • 12.7cm両用砲 連装12基 24門
  • 76mm連装速射砲 18基



【長門型戦艦】
「長門」「陸奥」

基準排水量:85,000トン
速力:公称27ノット

武装:
  • 51cm砲 連装4基 8門
  • 15.5cm砲 3連装2基 6門
  • 12.7cm両用砲 連装12基 24門
  • 76mm連装速射砲 20基




【鳳翔型航空母艦】
「鳳翔」「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」

基準排水量:45,000トン
速力:公称30ノット
全長:295メートル
搭載機数:標準80機前後
カタパルト:蒸気式2基
エレベータ:3基

705: 名無しさん :2022/04/28(木) 22:48:01 HOST:sp49-98-169-222.msd.spmode.ne.jp
以上の、戦艦105万6000トン、空母22万5000トンである。
この内、戦艦の超過量分30万6000トンについては、旧式化している薩摩型の「薩摩」をジャワ共和国に、「安芸」をマハルリカに。敷島型の「鹿島」をマオリに売却。
「三笠」「香取」を練習艦に変更し、他の敷島型を解体することで制限内に納めた。
勿論、日本海軍現役の戦艦を解体する代わりに、米英が市場の更なる解放を含む経済・外交的な譲歩を強いられたのは言うまでもない。


結果的に、数的戦力は戦艦12隻、空母5隻と国力に比して小規模なものに落ち着いた。
その分、ひとつひとつの質に関しては、51cm砲艦と46cm砲艦を主力とし、未だ41cmクラスに手が届くか否かの他国を圧倒している。
特に、51cm砲を有する長門型2隻は「ビッグ・ツインズ」と呼ばれ諸外国に畏れられることとなる。


日本は、なぜここまで思いきった艦隊戦力を整備したのか。
それは、夢幻会の発案によるものだった。

第一次大戦時、終戦後の軍縮条約とその後に訪れる海軍休日。
そして、第二次世界大戦の勃発と戦艦の価値喪失を予め知っていた夢幻会は、大規模な軍拡が行いやすい戦時……つまり、今大戦のうちに一気に第二次大戦まで通して“使える”艦を整備してしまった方がいいと判断。
日露戦争時点で既に41cm砲艦が主力だった為、特に他意もなく順当に性能を進化させた結果46cm砲艦が主力となった。
そして、第一次大戦には間に合わなかったものの、当代の戦艦の決定版として就役し米英を驚愕させた長門型2隻の51cm砲が、軍縮条約の呼び水にもなったと言われている。




中華ナショナリズムの高まり

革命とその後の動乱によってバラバラになりながらも、孫文を始めとした人々の手によって統一国家となった中華民国。
しかし、その後に臨む道のりも決して平坦なものではなかった。

未だ中国国内に多数の権益と租借地を持つ英仏、北から浸透するソビエト・ロシア、朝鮮半島を橋頭堡に山東半島のドイツ権益を継承したアメリカと、中国の国体は侵害され続けていた。

隣の列強、大日本帝国と手を結ぼうという動きもあったものの、日本自体が中華の地にて欧米諸国に積極的な対抗の意思を見せないこともあって、手を取り合う姿勢は中途半端なものとなっていた。

「アメリカが山東のドイツ権益を継承する」と認めたパリ講和会議に反対する1919年のデモに端を発する、全国的な大衆運動は、「五四運動」として抗欧米気運を高めていく。
時の政権はこの動きを利用し、同じアジアの国でありながら絶大な軍事力・経済力・政治力を以て欧米と渡り合う日本を見て「追いつけ、追い越せ」と示し、対欧米・臥薪嘗胆をスローガンに国内を統制していった。

しかし、そうしたナショナリズム意識が暴走した結果の暴動も幾度か起こってしまい、特に、暴走した民衆に欧米租借地や居留地が襲われた漢口事件や南京事件においては現地に居た日本人が多数巻き込まれる事態も発生してしまい、日中関係にも暗雲が立ち込め始めていた。

706: 名無しさん :2022/04/28(木) 22:50:03 HOST:sp49-98-169-222.msd.spmode.ne.jp
世界恐慌
1929年、ニューヨーク・ウォール街にて。
後に「暗黒の木曜日」と言われるようになったこの日、GMの株価が80セント下落したことを切っ掛けに売り注文が殺到、それまで伸びに伸びてきた株価は一転して大暴落を始めた。
翌日には大手仲買人と銀行家が協力して買い支えを行い一時は相場の安定化に成功するも、週末の新聞にて大々的に報道されたことで大暴落が再発。
僅か1日で140億ドルが消し飛んだ。

投資家達はこの損失を埋め合わせる為に、各方面から資金の引き上げを行い始めたことで、アメリカ経済と密接に繋がっていた国の経済も連鎖的に破綻しはじめるのだった。
アメリカの経済政策の失敗もあっていよいよ事態の収拾がつかなくなり、日英仏などの「持てる国」はそれぞれ経済圏をブロック化して対処していくこととなる。

日本においては、予めこの事態を知っていた夢幻会によって数十年前からコツコツと小さな対策を積み重ねてきており、最小限のダメージでブロック経済へと移行することに成功していた。

尚、日本の図抜けた経済力をフル活用すれば恐慌を抑え込めたとする意見もあるものの、世界恐慌という“ピース”が後の世の大きなファクターとなるとした夢幻会は、世界恐慌を史実通りに推移させることを決定。

また、恐慌を利用した荒稼ぎについても、国家単位としては行わない事とした。
理由としては、日本は既に持てる国であり、諸外国の反感を買うリスクを負ってまで国益を追及するリターンが無かった事が挙げられる。




朝鮮事変
1931年、中朝国境地帯にて発生した「朝鮮人による中国側村落への襲撃」への報復として、中華民国軍が鴨緑江を越えて朝鮮半島へと侵攻。
ドイツの支援によって中華民国軍は、この時までにドイツ式装備で固めた200万の兵を用意できており、未だに満足な歩兵火器すら持てない貧弱な朝鮮軍を鎧袖一触にして半島全土を占領した。

そうして既存の朝鮮政府を打ち倒し、親中政府を新たに立ち上げた中国に対して、朝鮮半島に多くの権益と財を持っていたアメリカが強く抗議するものの、中国は「アメリカの権益を尊重する」と言うだけであり、朝鮮半島より撤兵するつもりは更々無かった。



ナチスの躍進
1933年、欧州では史実通りに第一次大戦の敗北とその講和条約に不満を貯めていたドイツ国民の後押しを得て第一党となった国家社会主義ドイツ労働者党、通称ナチスが、国会議事堂放火事件を奇貨に全権委任法を採択。
アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツが、国家の全権を掌握して一党独裁を成し遂げていた。

同時に、疲弊しながらもなんとか存続していたオーストリア・ハンガリー帝国は、既に経済的にはドイツの存在無くしては成り立たない程に末期的となっていた。
必然的に、政治においてもドイツの強い影響を受けており、もはや半保護国といっても過言ではなかった。


第二次エチオピア戦争
1935年、「古代ローマ帝国」の再興を掲げたイタリア国家ファシスト党ベニート・ムッソリーニは、第一次エチオピア戦争敗北の復讐を望む国民の後押しを受けてエチオピアに侵攻。
エリトリアから進出したイタリア軍は、旧式装備しか持たないエチオピアを打ち破り短期間のうちに全土を占領しエチオピアを併合する。
しかし、この戦争によってイタリアの外交的孤立は深まり、後にドイツや中国に接近していくこととなる。

後の1936~1937年、ドイツ、中国、イタリアがそれぞれ「防共協定」を締結した。



アンシュルス
1938年、オーストリア・ハンガリー帝国にて親ドイツ勢力によって扇動された大規模な暴動が発生。
帝国政府が機能を停止すると同時に、ドイツ系住民の保護を名目にドイツ軍が全土に進駐した。
経済の疲弊によって既に自国政府を信用できなくなっていたオーストリア国民は進駐してきたドイツ軍を熱烈に歓迎。
暴動が沈静化した後にドイツ主導で国民投票が行われ、結果としてオーストリアとドイツの併合が決定。
ここに、中欧の巨大帝国が誕生したのだった。





このように、世界では第二次世界大戦への布石が着実に打たれていっており、もはや点火まで秒読みの状態となっていた。
そしてそれは、夢幻会の望んだことでもあった。

確かに、日本の強大な国力をフル活用すればもっと“良い未来”を掴めたかもしれない。
しかし、夢幻会は敢えて“確実な未来”を選択した。
その為に、未来知識を生かし大なり小なり状況を誘導し、世界大戦の方向へと世界を流す。

極論すれば、自分たちの為に世界大戦を引き起こす……とも言えるこの所業について、ある人は言う。

「大西洋岸を洗い流すよりはマシさ」

と。

707: 名無しさん :2022/04/28(木) 22:52:08 HOST:sp49-98-169-222.msd.spmode.ne.jp
以上となります。

やっと次から戦争ができる……!

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年05月09日 22:34