361: 弥次郎 :2022/05/09(月) 21:45:40 HOST:softbank126041244105.bbtec.net
1914年
6月28日 サラエボ事件勃発
7月
23日 7月危機発生。
28日 オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告
30日 ロシア、総動員を開始。
8月1日 フランス、ドイツ双方が総動員を開始。
3日 フランス、ドイツに対し宣戦布告。
4日 ドイツ軍、米合を仲介した取引によりベルギーを経由し、ルクセンブルクを通過してフランスへと侵攻。史上初の電撃戦の発動。
5日 イギリス、史実と異なり動員体制は行うものの参戦はまだせず。
8日 マルヌ会戦発生。史実と異なり、機甲戦力の突破力で勝るドイツが勝利。他の戦線も含め、フランス軍の戦力および物資を大量に鹵獲。
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この間にフランス政府首脳部、パリより脱出。
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16日 ドイツ軍第一軍、パリを制圧に成功。各方面でも徐々にフランスの制圧が進む。
20日 フランス陸軍による第一次パリ奪還作戦「スピア作戦」実施。泥縄式でかき集めた戦力であり、彼我の差が著しく容易く撃退される。
22日 北海にてフランス艦隊とドイツ艦隊が激突し「第一次北海海戦」勃発。フランス艦隊が敗北して逃走。
23日 イギリスでフランス亡命政府が樹立される。
24日 亡命フランス政府の要請に基づき、イギリスがドイツに宣戦布告。日英同盟の条項に基づき日本も宣戦布告し参戦。
9月
3日 英国、ドイツ軍の手が及んでいないブレストやル・アブールなどを通じて陸軍を上陸させ、展開させる。
ここから時間をかけ、ナント、トゥール、カーン、レンヌなどを結ぶ防衛線や補給線、兵站システムの構築を行う。
既に日英は長期戦を想定しており、フランスとは違い性急な攻めを是とはしていなかった。このためにこの時点から日英と仏の間で対立が発生。
16日 この時点で東部方面軍はバルト三国、ウクライナ キエフ、ベラルーシの過半を制圧。補給の問題や冬の到来を迎えつつあり、進軍の停止を決断。
19日 ドイツ西部方面軍も補給の問題やイギリス・フランス・日本軍の展開が確認されたため、進軍を一時中断。戦力再編に移行する。
10月
日露戦争時のダメージが抜けきっていないロシア陸軍、損害が大きく塹壕戦を展開するも、足止めが限界。
ドイツ軍側の思惑もあり、防衛線でのにらみ合いとなるが、ロシア側が不利な状況。
イギリス、ロシアへの支援のため輸送艦隊を向けるも、ドイツ海軍の通商破壊艦隊や潜水艦による妨害を受ける。海上での激突が活発化する。
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この間、パリをめぐる攻防戦およびロシアへの救援艦隊とドイツ海軍の小競り合いが断続的に起こる。
また、時間こそかかったものの大日本帝国より陸軍および艦隊が到着し、欧州に展開する。
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12月
中立国である朝鮮王国の提案により、クリスマス休戦が実施。
同月の20日から31日までの間、参戦国すべてが戦闘行為を停止する。
1915年
1月
日英両政府、フランス亡命政府に対し、春を迎えるのを待っての本格的な攻勢に出ることを通達。
序盤戦で大きな損害を受けた陸軍の戦力補填を進めるように要請する。
また、戦力の逐次投入による戦力損耗を避けるように忠告。
フランス亡命政府はこれに反発を示し、独断での戦力の逐次投入を続行する。
ドイツ陸軍パリ駐留軍、フランス軍の浸透攻撃や侵入により、パリの環境が悪化。衛生環境が悪い中で冬の本格化を迎えることとなる。
疫病が発生したことや例年にない寒さにより風邪なども蔓延。ドイツ軍にも少なくはない被害が発生する。
2月
厳しい冬を迎えたロシア帝国では戦争負担の増大が響き、元々日露戦争での敗北やそれに伴う被害で不満が溜まっていた層に着火。
特に戦力の確保のための徴兵や経済統制など総力戦による負担の発生が市民の不満を高めていたと推測されている。
これにより、史実より2年も早い二月革命が勃発する。
362: 弥次郎 :2022/05/09(月) 21:46:17 HOST:softbank126041244105.bbtec.net
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最終更新:2022年05月31日 00:30