309: 弥次郎 :2022/05/29(日) 00:40:07 HOST:softbank126041244105.bbtec.net
1915年
3月
二月革命の結果としてロシア帝国は崩壊。
日英政府、ロシア帝室の国外亡命を密かに打診。
ロシアとドイツの間でとりあえずの停戦協定が結ばれることとなり、いわゆる東部戦線において戦闘がほぼ停止する。
日英陣営、比較的温暖な南部方面からの押し返しに重点を置き、徐々に攻勢を開始。
本命たるパリ奪還までに圧力を与えつつ、亡命フランス軍の戦力の再編に力を注ぐ。
当時伝令兵としてパリに駐留していたアドルフ・ヒトラー伍長による「アドルフのパリコレクション」の作成が進む。
当時のパリの様子をそのまま切り取った写術的な作風が高く評価を受け、後に重要文化財として指定を受ける。
イギリス海軍、日本帝国から供与された対潜兵器を本格投入し、潜水艦を用いた通商破壊作戦の妨害を実施。
ソナーや爆雷、あるいは哨戒機による偵察などを行い、護衛船団方式を採用することで被害の低減に成功する。
快速の巡洋戦艦と空母を編成した通商破壊艦隊、通称「ビーティータイフーン」が攻勢に出る。
ドイツの通商路に大きな被害をもたらし、ドイツ海軍の艦艇を漸減していくこととなる。
4月
北海での完全な制海権の奪取と通商路の制圧を目的とした日英連合艦隊とドイツ海軍艦隊によるドッガーバンク海戦が実施。
質と量に勝る日英連合艦隊による勝利により、制海権がドイツ軍から日英陣営へと完全に移行する。
これらの攻防の結果、制海権は日英陣営のものとして安定、フランス北部からも戦力の揚陸に成功する。
海戦での勝利、さらに春の到来を以て、日英陣営の攻勢が始まる。
潤沢な戦力を準備し終えた日英陣営と、それを待ち受けていたドイツ軍の激しい攻防が始まり、パリの荒廃がさらに進むこととなる。
5月
制海権の維持に努める日英陣営の意志を無視し、フランス海軍が生き残っていた艦艇を揃えてドイツへと殴り込みを仕掛ける。
これに対し、ドッガーバンク海戦を生き残ったドイツ海軍の残存艦艇がこれを迎撃。ヘルゴラント沖海戦が勃発。
6月
レ・ジュリス航空基地事件(陣龍氏
支援SS パリに吹雪いたアヤメとユリ)発生。
日英陣営がパリ奪還作戦のためにレ・ジュリスに設置した航空基地で教育を受けていたフランス軍幼年兵たちが日英の許可なく前線投入され、最終的に壊滅。
(正確にはレ・ジュリス航空基地だけでなく、各所の基地からも連行と前線投入が行われたが、最大規模だったレ・ジュリス基地の名前がとられた)
この結果として、日英陣営とフランスの間に大きすぎる亀裂が入ることとなる。
史実における十月革命が勃発。
ソヴィエト政府の樹立と政権の掌握される。
ソ連とドイツ帝国の間でブレスト=リトフスク条約が締結。
ソ連はウクライナなどの重要な地域を失うこととなり、賠償金の支払いに応じることとなった。
これを以てロシア帝国(ソヴィエト連邦)は正式に欧州大戦より離脱することとなる。
ロシア帝室およびいわゆる白軍は日英陣営の協力の元で亡命。
7月
日英仏陣営による大攻勢「テルミドール大攻勢」が実施。
南北からもパリ一帯を包囲して締め上げることにより、ドイツ軍を撤退に追い込む。
8月
初旬、パリ奪還作戦として「カイザー・シュラハト」が実施。
しかし、攻勢は失敗。ドイツ軍は組織的撤退を開始。
日英陣営は追撃をしつつ、後続を断ち切るためにもベルダンの奪還を行い、封鎖を完了させる。
パリを奪還したことにより政治的継戦理由を失った日英陣営、フランスにドイツとの講和を勧告。
日英はドイツへも講和を打診し、ドイツ政府も前向きな反応を示す。
↑
フランス政府による独断での戦闘が仏独国境沿いで発生するも、ドイツ軍により簡単にあしらわれる。
フランスの目標とするアルザス・ロレーヌの奪還はついぞ成功することはなかった。
また、奪還した地域でのフランス軍の「敵性国民」狩りが実行に移され、自国民に対するジェノサイドが発生する。
↓
9月
フランス政府、ようやく講和を行うことを受諾。
日英陣営が陸海軍を動員して脅しをかけ、最終通告をしたことでようやく首を縦に振る。
ルクセンブルクにて講和会議が実施されることとなる。
310: 弥次郎 :2022/05/29(日) 00:41:04 HOST:softbank126041244105.bbtec.net
以上、wiki転載はご自由に。
とりあえず支援ネタやSS等の設定は拾ったので、おおむねこのような形になるかなという感じです。
さて、次は…PSと独自兵器の設定かなぁ
最終更新:2022年05月31日 00:31