322: 奥羽人 :2022/05/30(月) 00:10:03 HOST:sp49-98-148-14.msd.spmode.ne.jp
近似世界 第二次世界大戦
1940年 西方電撃戦




1940年5月10日
フランス、連合軍総司令部

「緊急!緊急!」

英仏の対独宣戦によって結成され、フランス軍とイギリス海外派遣軍(BEF)によって構成された連合軍。
その司令部に、慌ただしく衝撃的な、しかし予想されていた一報が舞い込んでくる。

「ドイツ軍がベルギーに侵攻を始めました!」

「ついに来たか……!」

来るものが来た……そのような面持ちで自らの周りの軍高官達を見渡す連合軍総司令官モーリス・ガムランは、素早く指示を繰り出す。

「所定の計画通り第一軍集団はベルギーに進出、防衛線を敷くのだ」

彼の命令は前線に伝わり、事前に計画していた通りにフランス陸軍最良の部隊を集められたガストン・ビヨット上級大将指揮の第一軍集団と、ジョージ・ヴェレカー大将が指揮するBEF三個軍団がベルギー領内へと進出を開始する。
フランスが築き上げた強固で長大な要塞ラインであるマジノ線を力ずくで突破するのは現実的ではない。
ならば、迂回する為にベネルクス方面に進攻するのは容易に予想できることであり、事実、ドイツはその通りに動いているように見えた。

「ドイツ人め、今回こそは好きにさせぬわ」

ガムランのその言葉は、他フランス人全ての考えでもある。そして、彼らには今回こそはという“自信”があった。

第一次大戦における屈辱の講和の後、フランス政府および軍の不断の努力によって、第一軍集団には先進的な設計の新型半自動小銃「MASー36(史実MAS-49)」が配備されている。
主力装甲兵器たる戦車においても、仇敵ドイツを睨んで設計された75mm砲を搭載する30トン級中戦車「ルノーG1」や、欧米諸国のそれと比較しても極めて強力な力を持つ重戦車「ルノーB2(史実ARL44)」の配備に成功していた。
これらの強力な新兵器と、複数の塹壕線や防御陣地を組み合わせたラインは鉄壁の防御を誇り、突入してきたドイツ軍に多大な損害を強いるであろうと考えられていた。



一方、「黄作戦」に従って攻撃を開始したドイツ軍は、グライダーで投入された降下猟兵によってベルギーのエバン・エマール要塞を撃破し、ベルギー領内に向けて大挙して侵入を始めていた。
そこからベルギー軍と先行した英仏軍による幾つかの小規模戦闘があったものの、全体としては強大なドイツ軍の勢いを弱めるには至らなかった。



そして、5月12日。
ブリュッセルから東に数十km、アニュー近郊の防衛線にてドイツ軍とフランス軍の大規模な衝突が発生した。

「くそっ!ジェット戦闘機だと!?ドイツ人共も持っていやがったのか!」

ベルギー中部にて英仏空軍とドイツ空軍の制空戦闘が始まるが、この戦いは事前に周到な準備をしていたドイツ空軍に軍配が上がることとなる。

「なんて速度だ!」
「ダメだ、追い付けない!」


フランスのD.520やイギリスのスピットファイアといった新鋭戦闘機群は、ドイツのfw190やbf109とも互角に渡り合う事が可能だった。
しかし、それはドイツ空軍が投入してきた最新の戦闘機によって一変する。

メッサーシュミット Me262 シュヴァルベ

史実HG3型のように主翼付け根にエンジンを配置する45度の後退翼を持った先進的な設計の双発ジェット戦闘機であるこの機は、水平飛行速度が時速850kmを超える“怪物”だった。
初期のジェットエンジン特有の操作性の悪さや航続距離の短さという欠点はあったものの、圧倒的な優速による一撃離脱戦闘は、20mm機関砲4門の強力な武装と合わさり連合軍の戦闘機を圧倒していた。

323: 奥羽人 :2022/05/30(月) 00:12:14 HOST:sp49-98-148-14.msd.spmode.ne.jp

そうして空の情勢がドイツ側へ傾き始めた頃、地上でも両軍の機甲部隊が衝突する。
まず始めにフランス軽機械化師団を襲ったのは、ドイツ第4装甲師団だった。

「ボッシュの戦車が来たぞ!」

フランス第3軽機械化師団所属であるこの部隊は、ルノーB2重戦車1輌とG1中戦車複数で構成されている戦車小隊である。

「突っ込んで来る気だな……散会して多方向から叩く」

B2重戦車に搭乗していた指揮官は、手旗信号で味方中戦車に指示を送ると、自らの車輌も前に出すように命令を下す。
しかし、先制したのはドイツ戦車部隊だった。

ドイツの巨大な中戦車……V号戦車“パンター”の70口径75mm砲は、より遠距離からG1中戦車の正面を貫通することが可能だった。

「ボッシュ共め!」

運悪く初弾が命中したG1が砲塔基部を貫かれて破壊される。
対してG1の主砲は口径こそ同じ75mmだが、砲身長が比較的短く貫通力に劣りパンターに有効打を与えるのは難しかった。
更に、フランス軍の戦車が大雑把な指示を与えられた後は個々の判断に従って独自に戦うのに対し、ドイツ戦車はすべての車輌に無線機が搭載されており、フランスのそれよりも遥かに高次元的な連携を可能にしていた。

「先頭の奴を狙え!鼻先を殴って足を止める!」

B2重戦車は、その分厚い正面装甲によってパンターの砲弾を弾き返しており、反撃の90mm徹甲弾はパンターの一輌を貫いて擱座させることに成功した。
しかし、その間にも連携に劣るG1中戦車が各個撃破されていき、フランス軍の防衛線は破られ始めていた。

「下がれ!後退しながら奴らを叩くんだ!」

複数の砲撃を受けながらも、重装甲を頼りに反撃しながら後退するB2重戦車。

「正面の敵戦車、次はアイツを──」

しかし次の瞬間、B2の正面装甲に大穴が空き、猛烈な爆発と共に砲塔が吹き飛んだ。

破壊されたB2の正面1000メートル……そこにはパンターと良く似た、しかしそれよりも大きい重戦車が、長大な主砲の砲口から硝煙を漂わせていた。

その重戦車、Ⅵ号戦車“ティーガー”は180mmにも達する分厚い正面装甲と、欧米諸国の重戦車を容易く破壊できる71口径の88mm砲を搭載している怪物だった。
70トン近い重量のせいで、初期型では足周りに多くのトラブルを抱えていたものの、その大火力・重装甲は強力無比であり、投入が叶った戦線においては止められる者も無く暴れ回ったという。


翌13日
マース川を越えたドイツ軍は退却するフランス軍を追撃し、航空攻撃で動きを止められたフランス第3軽機械化師団を殲滅。
そのままドイツ第3装甲師団はマリル、オール方面。第4装甲師団はティヌ、メルドール方面へ向けて進撃を再開した。

戦車、装甲車を集中運用するドイツ軍に対して、これらを歩兵部隊に分散配備したフランス軍は、戦力の集中という観点からドイツ軍に負けており、有力な装甲部隊と激突すれば容易く突破されるのは明らかだった。

同日午後。
アニュー西郊でドイツ第4装甲師団とフランス第2軽機械化師団が衝突。
フランス軍は市街地を利用して粘り強く遅滞を試みたものの、ドイツ陸空軍の猛攻撃によって数時間のうちに戦力を消耗。
同日中に後退を開始した。

324: 奥羽人 :2022/05/30(月) 00:14:58 HOST:sp49-98-148-14.msd.spmode.ne.jp

5月14日
アントワープとナミュールを繋ぐラインまで侵攻したドイツ軍は一旦停止した。しかし、それは英仏への打撃が終わった事を意味するものではなかった。

「アルデンヌの森林地帯から来たドイツ軍装甲部隊に、ミューズ川を突破されました!」

「な、何!?」

5月13日の朝、多数の装甲師団を有するドイツA軍集団は、それまで大部隊の通過は不可能と考えられていたアルデンヌの森林地帯を突破。
そのまま空軍の激しい支援爆撃を受けながら弱体なフランス軍二線級部隊を蹴散らし、14日にはミューズ川の複数箇所で渡河に成功。
即座に動かせる予備部隊の存在しない連合軍に、このA軍集団の進撃を阻止することは不可能だった。


5月19日
A軍集団の先鋒部隊がドーバー海峡に到達し、連合軍は完全に包囲される。
B軍集団との戦闘で既に半壊状態となっていたフランス第一軍集団は、ベルギー領内より一斉に総退却を開始するも、本土への道は既にドイツ軍の手中に落ちている。

故に、イギリス2個師団を主力としたアラス方面への攻撃が行われた。
目的は、ドイツ軍突出部を切り取り、フランス本土への退却ルートを確保することである。

21日午後
A軍集団所属の第7装甲師団の横腹を殴り付けるように、英歩兵師団と機甲旅団が攻撃を加える形で戦闘が開始された。
しかし、英軍の装備するマチルダⅡ歩兵戦車やクロムウェル巡航戦車ではドイツ軍戦車戦力を相手取るには少々力不足であり、尚且つ、ドイツ第7装甲師団を指揮するのは……あのエルヴィン・ロンメルである。

同日中に英軍の攻撃は失敗し、その上ドイツ軍の反撃によって大きな損害を追って後退することとなった。
ドイツ軍はそのまま後退する英軍を追撃、救援に来たフランス機甲部隊の残党ごと撃破した。


5月26日以降
アルデンヌを突破したドイツ軍によって退路を絶たれた英仏軍は、総崩れとなって港湾都市ダンケルクに殺到。
ドイツ軍はダンケルクに対する包囲を強め、徐々にその網を小さくしていった。

英は大規模な撤退作戦である「ダイナモ作戦」を急遽計画し、数百隻の船を用いてダンケルク周辺に取り残された連合軍の救出を開始する。
しかし、そこにドイツ空軍爆撃機による戦略爆撃が行われる。

そこに投入されたのは巨大な六発戦略爆撃機、ユンカース Ju390だった。
元々、自国領からソビエト・ロシア奥地やアメリカ本土を攻撃する為に設計されたこの爆撃機は、とにかく大きく力強い秘密兵器が好みなヒトラーの趣味嗜好にも合致し、長距離戦略爆撃機として量産が行われていた。
当然、爆弾搭載量もJu87シュトゥーカや、Fw190の戦闘爆撃機型、前任の双発爆撃機Ju88とは桁違いである。

主力の新型双発爆撃機であるHe177と共にダンケルクへの爆撃を行い、集まっていた英仏軍残党の頭上に大量の爆弾の雨が降り注ぐこととなった。

更に、海上においても英救援船団に対し、ドイツ海軍の高速戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」で構成される通商破壊艦隊が襲いかかったのだった。
38cm砲連装3基6門を搭載し、30ノットを超える速度で機動する当艦隊に対して、英海軍の護衛艦隊は一手遅れることとなった。
そこにUボートやドイツ空軍の支援も加わり、救援船団は自らの役割を果たす前から大きな被害を受け削られていった。
結局、ダンケルクから救出できたのは英軍兵士48000人のみであり、残りは防衛線を突破してきたドイツ装甲師団に飲み込まれてしまう。
作戦としてはほぼ完全に失敗したと言っても過言ではなかった。


5月28日にベルギーが降伏、翌月の6月5日にドイツ軍のフランス南部侵攻が開始される。
フランス軍はソンム川沿いに防衛線を敷いていたものの、残存戦力ではもはやドイツ軍にまともに対抗することは不可能だった。

6月14日にドイツ軍がパリへ無血入城。
22日にフランスが降伏し、独仏休戦協定が締結された。
以降、フランス全土はドイツの手に堕ちることとなる。

325: 奥羽人 :2022/05/30(月) 00:17:42 HOST:sp49-98-148-14.msd.spmode.ne.jp
中華民国 北京

「我々は今こそ、偉大な中華を取り戻さなくてはならない!」

中華の有力者達の前で威勢良く声を張り上げるのは、中華民国現総統、張作霖である。

元々、東三省と呼ばれる遼寧省・吉林省・黒竜江省を地盤としていた張作霖は、日露戦争後、朝鮮半島を経由して進出してきた米資本を上手く活用することによって自身の財と権勢を盛り立てた。
その力を使って中華中央での権力争いに打ち勝ち、中華総統となっていたのだ。

そんな張作霖率いる中華民国だが、現状は“中華ナショナリズム”……「中華光復」と呼ばれる国粋主義思想が蔓延しており、政治的には暴発寸前となっていた。
これは、簡単に言えば「古き良き華夷秩序を取り戻す」という考え方である。

17世紀に中華帝国が南北に分裂して以降、中華の地は“世界の中心”から弾き出されていた。
中心たる中原を支配していた清だが、南には“正統性”ある明王朝が残り続け、中華の忠実な僕たる朝鮮は儒教的思想に従い南明の側に着いた。
その間、本来中華の天命に従う筈のアジア諸国は、統一し強大な力を持った日本に従うようになっていた。

とはいえ、それをどうこう言うことはできない。何故ならそれは“正道な”事だったからだ。

日本は明を支援して清と互い争わせていたが、これは簒奪者から“正統な中華王朝”たる明皇帝を助けるという意味では中華思想や儒教的に見ても全くもって“正しい”行いである。
アジア諸国との関係に関しても、天帝たる中華皇帝が不調となっている間、天下が乱れぬよう代わりにアジア諸国を保護するというのも中華皇帝を補佐するという建前を通せばまったく問題無い献身である。
尚且つ、日本は本当に外敵である欧州諸外国を追い返しているのだから尚更である。

つまり、内心がどうであれ日本の行いは、文句がつけられないほどに“正しい”のである。
明王朝が形骸化し、少数民族を纏めるだけの象徴と成り果てても、中華としての正統性は明にあるのだから。

こんな状況下にて中原に住む中華民族に膨れ上がっていった所謂“中華コンプレックス”は、中華光復思想の醸成において大きな要因となったと言える。


19世紀に掛けて、欧米列強の半植民地と化した中華の地では、当然の如く反欧米思想が蔓延する。

欧米を中華から追い出し自らの国を取り戻す。
それが、南明や西蔵、蒙古といったかつての中華帝国の国土を取り戻す、そして、かつての“世界の中心”という地位を取り戻す……という考えに至るまで、そう時間は掛からなかった。


そして、こういった排外的・国粋主義的思想は感化されやすい民衆を纏めるのに都合が良かった。
朝鮮事変にて、長らく反抗的だった朝鮮を組み敷いた時には、中華光復の第一歩を踏み出したとして民衆は熱狂。
民国政府への支持と権威はかつて無い程に高まっていた。
そうして権威を高めた民国政府は、民衆の支持を受けながらより権力を強め、中華光復のスローガンの元に共和制は形骸化していった。



そんな彼らの次なる視線は、明中国境線の東の外れ……珠江の辺、英領香港と仏領マカオに向くのだった。

326: 奥羽人 :2022/05/30(月) 00:21:23 HOST:sp49-98-148-14.msd.spmode.ne.jp
以上となります。
フランス侵攻自体はほぼ史実通りですね()


【誤字】
5月26日以降
アルデンヌを突破したドイツ軍によって退路を絶たれた英仏軍は、総崩れとなって港湾都市アルデンヌに殺到。
ドイツ軍はアルデンヌに対する包囲を強め、徐々にその網を小さくしていった。


5月26日以降
アルデンヌを突破したドイツ軍によって退路を絶たれた英仏軍は、総崩れとなって港湾都市ダンケルクに殺到。
ドイツ軍はダンケルクに対する包囲を強め、徐々にその網を小さくしていった。

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最終更新:2022年05月31日 01:23