101: ライスイン :2022/05/30(月) 23:23:16 HOST:g110-74-111-54.scn-net.ne.jp
注意、イタリア潜水艦が大和を撃沈?した世界線の物語です。





「どうして・・・・・、こんな事に」

 上記の言葉は1970年のイタリア王国における上は国王・政財官軍上層部から下は一般国民まですべての共通した後悔の思いである。
彼らは自己の利益とプライドを守るためだけに他者の誇りを汚し、、そして判断を誤り続けた。その結果が今の惨状であった。





                      「戦後夢幻会ネタ イタリアの後悔」




 全ての切っ掛けは、自軍潜水艦による”大和撃沈”であった。1945年当時のイタリアの立場はあくまでも”枢軸側から鞍替えした共同交戦国”であって連合国ではなかった。
彼らは自国の立場を強化し、正式に連合国入りする必要に駆られていた。そんなときに極東に派遣した潜水艦が沖縄沖で大和を撃沈(大破着底)したのである。
しかしこの戦果はアメリカ軍が多大な犠牲を払って大和を追い込んだ時に横から掻っ攫った、所謂ハイエナ行為によるものであった。

「我が海軍の精鋭潜水艦が、世界最強のアメリカ海軍すら成しえなかった戦艦大和撃沈という最高の戦果を挙げた」

自国の立場強化になりふり構わなかったイタリアは自国潜水艦の偉大な戦果とやらを盛んに宣伝した。当然の事ながら戦果を横取りされたアメリカ海軍は激怒。ウォレス大統領も
駐米イタリア大使を呼び出して抗議する。しかしイタリアはそれらすら利用し

「アメリカ政府とアメリカ海軍はわが潜水艦の上げた戦果に嫉妬しているのだ。」

アメリカ国内でも宣伝を開始する。結果は・・・当然の事ながらアメリカ国民は激怒。イタリアを”恥知らずの蝙蝠野郎”などと対イタリア感情は最悪となった。

 またイタリアは日本の停戦(条件付き降伏)後も愚行を行った。
戦艦ヴィットリオ・ヴェネトで調印式に乗り付けたまではまだマシだったが、同行した輸送船に乗り込んでいた陸軍部隊を使って空母信濃の接収を試みた(※1)。この行為は米軍によって阻止されたが
のちにGHQのパットン総司令官に呼び出されたイタリア代表は

「戦艦大和撃沈を成し遂げた我が国は、準同型艦の信濃を賠償として接収する権利がある。」

と当然のごとく言い放った。また自国の賠償問題も大和撃沈という武勲やソ連との協調を匂わすなどして回避する姿勢を取った(※2)。そんな中で出た言葉が世界史にも残る

「再建中の我が海軍の精鋭は、誰も達成できなかった大和撃沈を成し遂げたのだ。無能な指揮官のもと壊滅した無敵艦隊と同一視されては困る」

という言葉である。これによってイタリアはNATO候補国から追放さら、同時に西側勢力からも締め出される事となった(※3)。
そのせいで西側との貿易が制限され、アメリカ系兵器の導入が不可能になったが、そんな時にソ連が悪魔のささやきを行った。

102: ライスイン :2022/05/30(月) 23:23:49 HOST:g110-74-111-54.scn-net.ne.jp
「イタリア国内に海軍基地を設置させてくれれば安価での資源売却と、資金・軍事援助を行う」

立場強化に失敗し、西側からも半ば放逐状態のイタリアはソ連の提案を受け入れるしかなかった。そしてソ連はタラント軍港を租借し、ソ連地中海艦隊が誕生した。
代償としてイタリアは各種資源を”同盟価格”で輸入でき、ソ連からの資金援助で国内の復興を図った。そしてイタリア軍はT-54やミグ15などのソ連製兵器を供給され、
後に独自型を開発して中東。アフリカ各国に輸出するまでになった。だがこの事がイタリア王国の西側復帰の芽を完全に摘んでしまった。

「東側に寝返ったイタリアに制裁を下す。」

時のアメリカ大統領アイゼンハワーの発言である。この後、西側各国は緊急で会談を行い、イタリアに対して対共産圏輸出統制(COCOM)の適用が決定された。

「西側各国はなぜこのような理不尽な行いを繰り返すのか?」

国連総会の場でイタリアの国連大使は吠えたが西側諸国は相手にしなかった。そのような中でソ連はイタリアをより一層東側に引き込むべく、

「イタリアは戦艦大和を撃沈して戦争の早期終結に貢献した偉大な国であり、我らソ連人民にとって最も重要な友好国である。」

と当時のソ連書記長が発言するなど盛んにイタリアとソ連の友好を宣伝。また各種友好条約を締結するなどした。そんな中でキューバ危機と同時に発生したのが
イタリア危機であった。これはアメリカの偵察機がタラント軍港内にR-14中距離弾道弾を確認しソ連に撤去を求めた。キューバ方面に注力していたアメリカに代わって
フランスやスペイン(※4)など他の西側諸国がイタリア周辺海域を封鎖。これに”偶然”欧州親善訪問に来ていた日本国防海軍も参加し、戦艦大和がヴィットリオ・ヴェネトの
にらみ合いも発生した。最終的にはキューバ同様に話し合いで中距離弾道弾は撤去されることになったがその間に核爆弾を搭載したB-52が毎日領空を侵犯するなどイタリア国民は
生きた心地がしなかった。だが西側への復帰が叶わない以上、ソ連との友好関係を崩す事は出来なかった。この後もエジプトの売却したミサイル艇がイスラエル駆逐艦を撃沈する
エイラート事件(※5)が発生したり、核兵器開発がバレて追加で制裁をくらうなどしていた。
最終的にイタリアが西側に”復帰”したのはソ連崩壊後に資金援助や各種資源の友好価格での入手が不可能になり、困窮の末に全面降伏(※6)した1992年であった。



※1:世界最大の空母を手に入れることで、国威を大いに発揚させ周辺各国に対して優位に立とうとした。但し防諜がガバガバな為、艦隊の出航前よりバレていた。

※2:「戦争責任はムッソリーニとファシスト党にある」として今の自分たちに戦争責任は無いと主張。賠償金も少額の見舞金と価値がほぼ無くなった現地資産の譲渡で行うと主張。
   賠償艦についても「偉大な海軍を復活させて戦後秩序の回復維持に貢献するとして」と主張して戦艦はカイオ・ドゥイリオ(アメリカ)、アンドレア・ドーリア(イギリス)、
   ジュリオ・チェザーレ(ソ連)の旧式としてヴェネト級2隻と空母アクイラ(戦争終結後より意地で修復建造していた)の譲渡は拒否していた。

※3:欧州石炭鉄鋼共同体・欧州経済共同体・欧州原子力共同体に加盟させてもらえなかった。また戦争責任回避の一環から日本やドイツを必要以上に侮辱・非難していた事から
   イタリアは”ヨーロッパのコリア”と不名誉なあだ名をつけられていた。

※4:イタリアの事実上の東側化の影響で少しでも味方を増やす為。その為フランコ独裁体制化にも関わらず、NATOや欧州の各共同体への加入が認められていた。

※5:搭載ミサイルはP-15をイタリアでライセンス生産したもの。因みに”軍事顧問”としてイタリア海軍軍人が乗艦していた事が後に発覚。イスラエル側が報復として
  当時のイタリア王太子の”ソ連美女との不適切な関係”を暴露したことが西側復帰後に王制が崩壊する要因の一つとなった。

※6:「西側各国(特に日独)への公式謝罪」 「不足していた賠償の支払い」 「軍縮」 「米軍の駐留と用地提供」を自ら申し出る形で扱いは最底辺であるが、復帰が認められた。

103: ライスイン :2022/05/30(月) 23:24:24 HOST:g110-74-111-54.scn-net.ne.jp
いかがでしょうか?
連載作関連がスランプの中で、ちょうどイタリアが大和を撃沈した世界線の続きを思いついたので即興で仕上げて投下しました。
あのまま逝けば西側からは放逐されてソ連には友達扱いされてそうな感じがしましたので。因みに冷戦末期のイタリアの主要装備は

戦車:OF-40(T-72Aのイタリア仕様)、C-1アリエテ(T-80を基に開発。レオ2のような垂直な複合装甲とディーゼルエンジンを搭載)。

小銃:AK47,AK74系列。

空母:ジュゼッペ・ガリバルディ(搭載機はYak-38とKa-25)

巡洋艦:ヴィットリオ・ヴェネト (艦体は史実と同じ。但しミサイル関連はすべてソ連製)

戦闘機:ミグ系列(23/27/29)

と予想しています。なおオート・メラーラ社は存在していますが西側技術を導入できなかった結果、ソ連製艦砲のライセンス生産を行うなど実質的なソ連国営企業の下請け状態です。

それではまたお会いしましょう。
掲載をお願いします。

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最終更新:2022年06月04日 00:00