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日蘭世界 鉄血歌

鉄血歌、各国でIJzerenlied(蘭)、Steelemarch(英米)、Chant de guerre de fer(仏)などと呼称されるこの歌であるが、
歴史的には蘭帝海上帝国成立期のオランダ本土防衛戦争時に誕生した戦意高揚の為に祖国防衛とその中で流される兵士の血、
戦意高揚や鎮魂をテーマにし軍人等の間で歌われた歌謡曲を指し、
広義的には蘭帝の同種歌や日本や第二次世界大戦時の支那植民地防衛戦以降各国で広まった同様の歌、または同テーマの準軍歌を指す。

なお、初期の一連の曲の作曲作詞はオランダへ援軍として派遣された日本の武士と伝えられている。
伝承によれば最初の一曲はオランダ軍兵士を鼓舞するために即興で作られたRoer naar de toekomst(邦題・明日への咆哮)だとされ、
雷の剣(砲兵)や鉄の勇者(銃を持つ歩兵)の活躍を謳い、
平和を願い礎となった者や国の為に戦い続ける者の勇気を称える同歌はオランダ兵士を大いに勇気づけ敵を押し返したという。
なお、当時こういった鉄血歌は単に愛国歌や軍歌として歌われていたようである。

その後一旦歴史の内に埋もれたが時代が下がり周辺国との関係悪化などから鉄血思想が芽生える、
これらの歌は鉄血の思想に合致する歌として再発見され盛んに歌われる様になりいつしか蘭帝国内で鉄血歌(IJzerenlied)と呼ばれる様になった。
そしてその後の戦争や領土獲得、両大戦等を通してさらなる愛国鉄血や戦意高揚の為、
軍教育や義務教育でも歌われる様になり第二次世界大戦初期には完全に国民の歌として定着した。
その後は帝国国営放送児童向け歌謡曲放送においても定番の曲として扱われている。

翻り作詞作曲の本家本元の日本においてこれらの歌は主に個人の趣味や流行り廃りの早い消費される歌であった。
しかし蘭帝との蜜月を通じ鉄血が浸透する中で数多の曲が再発見され早すぎた鉄血歌として再評価の機運が高まることとなった。

戦後はFFR、BC、CISなどでも鉄血歌は大いに歌われる様になったがその大きな要因は支那植民地軍と朝鮮王国軍、
中国共産党などにより行われた朝鮮防衛戦及び支那植民地奪還戦であろう。
同戦争において植民地軍には本国の苦戦や陥落の報が日本や朝鮮王国を通じ届いており、
そんな彼らの戦意高揚の為に日本により彼らの母国語に訳された鉄血歌がラジオや日本の歌手による慰安公演などにより彼らの耳に多く触れることとなった。
鉄血歌には土地や家族を守らんとする抵抗を歌った【鉄の抵抗者】、
今は亡き戦友への想いを歌った【信仰の友】など彼ら植民地人達の琴線に触れるものも多く、彼らの心を慰めていた。

そして鉄血歌が広まる過程で植民地人により少なくない独自の鉄血歌が生み出されたようであるが戦中、戦後の混乱の中でその多くが失われたようである。
しかし彼らと同じ戦場にあった日本人が多くはないが彼らの形見として記憶し和訳したものを弾き語り続け、
あるいは和訳したものを音楽としてキチン記録していたことで戦後暫くしてからこれらの歌は【再発見】されることとなる。
有名な所では

一部歌詞を改変、戦艦リシュリューに捧げられ【Consacrez votre c?ur a notre commandant(心臓を我らが指揮官に)】となったフランス軍人作の邦題【心臓を捧げよ】
アメリカの悲哀を描き旧合衆国領軍人の十八番となった非公式軍歌【Days gone by(過ぎ去りし日々)】のベースとなった旧アメリカ合衆国軍人作邦題【時の袂】
重PS及びFSを駆る騎士たちの歌【Knights of the RoundTable】の原曲である邦題【円卓の騎士】

などがある。


なお転生者の声

「転生元で歌手だった経験生かしフランス語で歌ってたばかりに…。」
武官として派遣されたFFR国内の酒場で【心臓を捧げよ!】仏語版を酔った勢い熱唱した大陸戦線経験者

「日本の現状にそぐわない歌を歌ったので出処聞かれ咄嗟に嘘ついたばかりに…。」
【時空のたもと】を旧米国軍人の前で熱唱した大陸戦線経験者

「新サクラ大戦の倫敦華撃団の曲を歌ったら英国人が作ったと勘違いするとは思わんだろ…。」
持ちネタの【ゲキテイ】に加え【円卓の騎士】を英国紳士前で熱唱した大陸戦線経験者

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以上になります転載はご自由にどうぞ。

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最終更新:2022年06月23日 22:40