577: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:30:11 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
大陸×ストパンネタ オリンピック作戦

オリンピック作戦(Operation Olympic)は第二次ネウロイ大戦においてネウロイ占領下のガリア解放とライン川までの防衛線お仕上げを目的とした国連軍主導の一大軍事作戦である。

オリンピック作線は1944年6月3日、ブリタニア本土に集結した航空戦力と大西洋上の一大空母機動艦隊からの航空攻撃と戦艦32隻、重巡洋艦48隻を主力とする水上打撃部隊によるサン=バレリ=アン=コーネストへの総攻撃(トライデント作戦)から開始された。
翌6月4日には6個空挺師団による空挺降下と1万隻以上の艦艇(揚陸艇込み)が参加した強襲上陸、ヒスパニアからのガリア南部への侵攻作戦が実施されていき、ドーバー海峡とピレネー山脈を超えてガリア本土に対しての本格的な攻勢を開始する。
この一大攻勢は前日までにガリアに存在していたネウロイの巣とそこに所属する大半の航空ネウロイを排除していたことで大した損害も受けずに国連軍はガリアに橋頭堡を築いた。
8月末までに600万近い兵力がガリア本国に投入され、小規模な被害の下にガリア国内の大多数をネウロイから奪還することに成功した。

578: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:31:03 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
背景
1940年12月、パリ陥落によりガリアの政府機能が完全に麻痺したため、国連軍はガリアからの撤退を宣言し、国連軍とガリア軍は【ダイナモ作戦】をはじめとした撤退作戦によりピレネー山脈以南やブリタニア本土へと撤退した。
この一連の作戦は奇跡と呼べるほどの大成功の下に終了し、ブリタニア連邦軍を主力とする国連欧州総軍とガリア軍、ガリア難民の大多数が無事にガリアからの撤退に成功した。
その後の【BoB(Battle of Britain)】や【BoP(Battle of Pyrenees)】でネウロイの侵攻を撃破し、ブリタニア本土及びヒスパニアの防衛に成功、人類はドーバー海峡とピレネー山脈にそって防衛線を構築することができた。
しかし、この段階で国連軍地上戦力の主力を担っていたブリタニア連邦軍や各国の亡命軍は重装備の大半を喪失し、ブリタニア連邦諸国とリベリオンや日本の支援があったとしても短時間でガリアに侵攻を仕掛け、これを解放することは不可能な状態に追い込まれてしまう。

また、1941年半ばにはオラーシャ軍と国連ウラル総軍による限定反攻作戦である【タイフーン作戦(Operation Typhoon)】とスオムス、バルトランド、国連北極海方面第3軍による限定反攻作戦【トライデント・ジャンクシャー作戦(Operation Trident Juncture)】の2つの攻勢作戦と日本・リベリオン・ブリタニアの3カ国が主導するカイロ奪還作戦、【砂漠の剣作戦(Operation Desert Saber)】が控えており、国連と後方諸国は東欧、北欧、北アフリカ、中東に戦力や物資を集中していたことから短期間での西欧における地上戦力の再建は後回しにされ、以後の国連と後方諸国はブリタニア、ヒスパニア、アンゴラ、ロマーニャ、ベネツィアの防衛を第1として将来の反攻作戦に備えると言う持久戦を西欧における基本方針とする。

東欧や北欧、アフリカでの反攻作戦に成功し、スエズの解放と北欧における戦線の安定、さらにウラル方面での防衛線の西進に成功したあともこの方針は基本的には変わらず、国連軍事参謀委員会は日米武の世界戦略に基づいてインド洋と大西洋間のシーレーンの安全を確固たるものにするために地中海方面での活動を拡大して行くことを決定するなど依然として国連と後方諸国は西欧での反攻作戦には消極的であり続けた。

1942年3月には国連軍地中海方面第1軍司令部を最高司令部に日本軍・リベリオン軍・ブリタニア連邦軍・ロマーニャ軍・ヴェネチア軍・アフリカ連合軍・国連軍の7軍合同によるバルカン半島の解放を目的とした反攻作戦である【決意の証明作戦(Operation Ironclad Commitment:断固とした決意表明作戦とも表記される)】を実施、50万近い兵力を投入した大規模な攻勢を仕掛けることで貴重な上陸作戦に関するノウハウを獲得すると同時にバルカン半島全土とオストマルク、ウクライナ南部の一部の解放に成功した。

1941年のカイロの巣の撃破と1942年からのバルカン半島及びウクライナ地方の一部の解放に成功したことで地中海の安全が確保され、アジアからの物資の輸送時間も大きく短縮されたことから国連軍と後方諸国はようやく西欧における反攻作戦実施の検討を開始、国連軍事参謀委員会では正式に北ガリア侵攻作戦である【ラウンドアップ作戦(Operation Round Up)】が立案されるなど西欧反攻の気運が高まっていった。
しかし、日本とブリタニアの間で発生した外交問題とそれを起因とするブリタニア国内の政治的問題、ブリタニアとリベリオンの作戦方針の違いなどにより同作戦に必要な物資を1943年までに用意できなくなり、西欧反攻作戦の開始は1944年以降への再度延期を余儀なくされる。

579: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:31:39 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
それでも1943年5月に開催された国連安全保障理事会において、1944年6月に国連大西洋総軍の指揮の下に西欧における大規模な反攻作戦である【オリンピック作戦(Operation Olympic)】を実施することが決定され、国連軍と後方諸国はブリタニアやヒスパニアなどへの戦力や物資の集積やマルベリー港と呼ばれる人工港やフランスとブリタニア本土を結ぶパイプライン構築用の機材などの特殊機材の製造などを開始する。

こうした人類の動きを察知したのか、西暦1944年6月1日、国連軍による【オリンピック作戦(Operation Olympic)】の発動まで1週間を切ったこの日にネウロイの巣がパリからサン=バレリ=アン=コーに突如として移動させた。

ネウロイの突然の巣の移動。これに対して国連軍司令部は大きな衝撃と動揺をもたらした。
何せ、今まではブリタニア本土まで直線距離でも250km近い縦深が存在していたが、ネウロイの巣の移動で一気に100km程度まで縦深が縮まってしまったのだ。

さらに、第501統合戦闘航空団に所属するフランチェスカ・ルッキーニ ロマーニャ陸軍少尉が人型ネウロイを発見し、これと接触したという報告が第501統合戦闘航空団より届けられた。

この報告を受けた国連大西洋総軍司令部は1940年にスオムスで発生した【ジュゼッピーナ・チュインニ事件】、1944年4月に実施した【ミエリッキ作戦】での教訓から同日中にはルッキーニ少尉の身柄を拘束、それが不可能な場合は射殺するように第501統合戦闘航空団司令部に命令すると同時に、完全武装の1個歩兵大隊からなる部隊を第501統合戦闘航空団基地に送り込み、ルッキーニ少尉を完全に外部から切り離した。
また、国連安全保障理事会と国連軍事参謀委員会に作戦の第1段階目標をガリアにおける橋頭堡と補給線の確保からネウロイの巣の攻略と人型ネウロイの殲滅に変更した上で作戦開始日を6月3日に繰り上げることを要請。この要請は即日承認され、ブリタニアに集結している全水上戦力と航空部隊、航空ウィッチ部隊を投入してのネウロイの巣攻略作戦の実施が決定される。

580: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:32:16 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
経過
西暦1944年6月2日深夜、国連軍大西洋方面第1軍司令部はガリア本土への上陸部隊を乗せた輸送船団の護衛兼上陸支援部隊としてピカデリー・サーカスに待機していた多国籍連合艦隊と大和型航空魔導戦艦を輸送船団から切り離してサン=バレリ=アン=コーに向けて出撃させた。
突然の作戦変更命令に艦隊司令部に多少の混乱が発生するも、それも最低限で抑え込むことに成功。艦隊は国連軍の夜間ウィッチによる護衛の下に攻撃開始時刻までにネウロイの巣を攻撃範囲内に捉える。

翌6月3日の早朝、艦隊がドーバー海峡を横断している一方で、国連軍はブリタニアに集結していた全ての航空戦力を投入するつもりでブリタニア本土に設営されていた100を超える飛行場や大西洋上の空母部隊から日の出と同時に通常航空戦力と航空ウィッチ達を出撃させ、先行していた艦隊と合流して共同でネウロイの巣への総攻撃を開始した。

人類側の総攻撃に対してネウロイ側は200を超える大型ネウロイを出現させて迎撃をおこなう。
コアを有した200体を超える大型ネウロイの大軍の迎撃は激しく、人類側は決して少ないとは言えない被害を負った。
それでも、BoB後からオリンピック作戦の実施まで一切使用せずに備蓄し続けていた為に余るほど用意されていた咒式魔導浸食弾頭弾や弾頭ミサイルを容赦なく放ち、SF-44A、SF-41B、SF-38Eなどのジェットストライカーを装備した航空ウィッチを大量に投入し、さらにはネウロイ化兵器である2隻の大和型航空魔導戦艦を全面に出して攻勢を仕掛けてくる人類はネウロイ側を徐々に押していき、
最終的に国連軍は400機近い航空機と8名の航空ウィッチ、戦艦6隻を含む水上打撃部隊の3割を喪失しながらも国連軍は航空優勢の確保に成功する。

ネスト周囲の航空優勢の確保を確認した国連軍はブリタニア本土にて待機していた対ネウロイ用気化爆弾を装備する日本空軍の戦闘攻撃機部隊を出撃させ、同部隊がネウロイの巣に対ネウロイ用気化爆弾を投下することでネウロイの巣を覆う漆黒の雲を霧散させる。そして、大和型航空魔導戦艦【大和】の艦首200cm砲にてむき出しになったサン=バレリ=アン=コーネスト本体にあるコアは破壊され、サン=バレリ=アン=コーネストは消滅した。
その後、国連軍はカールスラント方面に撤退を図るネウロイ残党の掃討戦を開始し、翌6月4日には国連大西洋総軍司令官であった日本海軍の坂本進太郎大将はドーバ海峡沿岸部並びにガリア南部における絶対航空優勢を宣言、作戦が国連軍の優勢の下に進んでいるとマスメディアを通して世界に公表する。

その一方でネウロイの巣の撃破とならんで最重要目標とされた人型ネウロイの殲滅は人型ネウロイを発見することができずに失敗、公式発表とは裏腹にオリンピック作戦の第1段階は完全に成功したとは言えない状態で終了してしまった。

成果としては微妙であるが、制海権と航空優勢を確保した国連軍大西洋総軍は欧州大陸への上陸作戦である【オーバーロード作戦(Operation Overlord)】とヒスパニアからのガリア南部攻勢作戦である【ドラグーン作戦(Operation Dragoon)】を開始し、【オリンピック作戦】は第2段階に移行する。

ガリアの巣の消滅と国連大西洋総軍からの命令を受けてピカデリー・サーカスに待機していた輸送船団はドーバー海峡横断を開始、6月4日にはパ・ド・カレーやダンケルク、ブルッヘなどに第1軍集団の先遣部隊を、シェルブール付近に第2軍集団の先遣部隊を上陸させると同時にヒスパニアから第3軍集団を北上させた。

581: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:32:52 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp

幸いなことに、巣が破壊されたことからネウロイはすでにカールスラント方面への撤退を開始しており、上陸を開始した第1軍集団と第2軍集団の先遣部隊約36万は大した損害を受けることなく欧州大陸への上陸に成功、ほぼ無傷の港湾施設を確保することに成功する。
また、ヒスパニア方面から南部への侵攻を開始した第3軍集団も同様に撤退から逸れたのだろう小規模なネウロイの群れとの戦闘こそあったものの、大した被害を受けることなくガリア南部への侵攻に成功した。

主要な港湾施設を手に入れたことで兵站線を確保した国連軍はブリタニアとヒスパニアに待機していた主力部隊を順次ガリアに進出させていき、主力部隊の増援を受けた第1軍集団は7月10日からベルギガの解放とマース川までの進出を目的とした【コブラ作戦】を開始。
退却時に逸れたのであろう小規模なネウロイ群を撃破しながら第1軍集団はブリュッセル、エイントフォーフェン、セルトーフェンボスなどのベルギカやネーデルラントの主要都市を開放していき、8月25日には先行する一部の部隊がマース川沿いに到着した。

【コブラ作戦】の開始に合わせて第2軍集団がライン川と旧マジノ線までのガリア国境地域の解放を目的とした【ブルーコート作戦】を開始、7月17日には先遣していた日本陸軍第8機甲師団がパリを解放、その後も自動車化された戦略機動性の高さを活かして素早く目標地域を制圧していき、9月1日にはガリア国境にある旧マジノ線に布陣していたネウロイの中規模集団を撃破することでガリア北部を完全に掌握する。

その後、補給と部隊の再編の為に1カ月近く国連軍の進撃は低調となるが、西暦1944年10月4日、ガリア本土の大半を解放した国連軍はライン川までの防衛線を押し上げることを目的としたトータライズ作戦を開始、補給と再編を終えた第1軍集団と第2軍集団が501JFW、502JFW、509JFW、510JFWの4個統合戦闘航空団と3個連合戦術空軍の航空支援を受けながらカールスラント国境を超えて進撃を再開した。

国連軍の電撃的なガリア解放の動きに対してネウロイ側の動きは低調であった。一応、カールスラントのネウロイの巣から散発的な大型ネウロイや中小型ネウロイの攻撃こそあったものの、それらは国連軍の航空ウィッチ部隊や航空戦力によって地上部隊よりも遥か先で撃破されていき、トータライズ作戦もまた大した犠牲を出すことなく成功した。
この作戦の成功を持って人類の西欧における防衛線はライン川沿岸部まで押し上げることに成功し、国連大西洋総軍はオリンピック作戦の成功を大々的に発表した。

582: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:33:26 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
その後
防衛線をライン川まで押し上げることに成功した国連軍内ではブリタニアのモントゴメリー将軍を筆頭としてライン川を超えてカールスラント領に本格的に侵攻を行うことを主張する人間も一定数いたが、日本やリベリオンを筆頭とした兵站線の確保を重視する後方諸国はこれに乗り気ではなく、最終的に道路や線路、港湾設備等の点検や補修、ガリア撤退時に破壊した橋等の再敷設、道路を塞ぐ瓦礫の撤去などや航空基地等の施設の設営などインフラや施設の整備の為に一時的に進撃を停止し、ライン川沿いに防衛線を構築していくことになる。


ガリアの解放に成功したことを受け、自由ガリア政府はガリアの正統な政府としての承認とガリア本国の返還を国連に要求、ブリタニアもこの行動を支持した。
しかし、国連安全保障理事会常任理事国である日本とリベリオンは自由ガリア政府の不安定さを理由に自由ガリア政府をガリア共和国における正当な政府と承認せず、また、ガリア本土の国連軍による統治を主張したためにガリア本土は国連軍の軍政下に置かれ続ける。

日米の姿勢に自由ガリアはもちろんブリタニアも不快感を抱いていくが、ブリタニア国内にてガリア王党派の過激派によるドゴール将軍とガリア軍政府長官に指名されたアイゼンハワー大将の暗殺未遂事件が立て続けに発生。
調査の結果、暗殺未遂計画には自由ガリア政府の高官すらも関わっていることが判明し、ブリタニアすらも自由ガリア政府への不信感を高め自由ガリア政府の承認は見送られ、
ガリア本国は第二次ネウロイ大戦の集結が宣言されるまで国連大西洋総軍の軍政下におかれることになった。

軍政の継続と合わせてガリア難民のガリア本国への立ち入りは基本的に禁止され、国連大西洋総軍隷下国連軍ガリア軍  政府の許可を得たインフラ関係に携わるごく一部の人間と国連軍の指揮下にあるガリア軍将兵、軍関係者以外の大半のガリア難民は依然として後方諸国に設置されている難民キャンプで生活していくことになる。

583: ホワイトベアー :2022/06/17(金) 22:34:50 HOST:sp1-75-1-56.msc.spmode.ne.jp
以上、大陸×ストパン世界におけるストパン第一期のラストからその直後の話になります。wikiへの転載はOKです。

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最終更新:2022年06月26日 09:47