705:モントゴメリー:2022/08/12(金) 21:23:34 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
日蘭世界SS  遠洋旅客船「サン・ルイ」

排水量:8万5000トン
全長:320m
全幅:38m
喫水:11m
機関:加圧水型原子炉4基
機関出力:26万馬力(公称)
最高速力:38ノット
旅客定員:2000人
乗組員:1200人

【概要】
フランス連邦共和国(以下、FFR)国籍の遠洋旅客船。世界的にも珍しい軍事目的以外で建造された原子力船であり、その中で最大の規模を誇る。
再構築改装後の「イル・ド・フランス」に比肩する内装とブルーリボン賞保持という栄誉によりFFRが世界に誇る豪華客船である。
「イル・ド・フランス」が『復興』『継承』『Belle Époque(ベル・エポック:古き良き時代)』の象徴ならば
「サン・ルイ」は『発展』『前進』『Oriane(オリアーヌ:日の出・夜明け)』の象徴なのである。

【計画】
当初、「サン・ルイ」は原子力機関を搭載する予定は無くごく普通の客船であった。
彼女の元々の目的は、「イル・ド・フランス」の後継者となることだったのだ。
時は「暗黒の30年」末期。FFRにもわずかな、ほんのわずかな余裕が生まれた頃である。
当時の「イル・ド・フランス」は既に建造から半世紀ほどが過ぎ、BCの「クイーン・メリー」が現役を退いた後は「最後の大西洋航路豪華客船」となっていた。
その栄誉と風格はいくらも色褪せることはなかったが、流石に船体のあちこちにガタが来始めていた。
そこで、次世代の豪華客船建造計画が持ち上がった。
それはFFRが持ち得る全ての技術と文化が注ぎ込まれ、「イル・ド・フランス」や今は亡き「ノルマンディー」に勝るとも劣らない『文化大国』フランスの復活を象徴する豪華客船となるはずだった。
名前もその意気込みを込めて「フランス」とされる予定だった。
しかし、客船「フランス」号が就航することはなかった。

——「イル・ド・フランス」の再構築改装!!

伝説から歴史へと去っていくはずだった英雄が現世(うつしよ)へ帰還してきたのである。
その報を聞いた「フランス」号建造実行委員会の面々は文字通りひっくり返ったが、呆けている暇はなかった。
「フランス」号のために用意された技術や調度品は全て「イル・ド・フランス」の再構築改装に転用されてしまったのである。
(もちろん予算も)
委員たち自身も例外ではなく、徹底的に使い倒された。
そして、「イル・ド・フランス」の再就役が終わり解放された彼らは、もうこの委員会も解散だろうと考えた。
何故なら委員会の設立目的である「新しい客船の建造」はもう成されてしまったのだ。
それに、資材も予算ももう残ってはいない。
そうして帰り支度を始めた彼らは、家路につく……ことは無かった。
新客船建造計画は続行されたのである。
理由は2つ。
まず、大型客船が「イル・ド・フランス」一隻のみでは需要に対応しきれないのだ。
既に「暗黒の30年」は終わり、FFRは「暁の20年」と後世に言われる高度経済成長期に突入していた。
旅客需要は委員会設立当時の予測を大きく上回るものとなったのである。
これはいい。まだ理解できる範疇である。しかし、2つ目の理由を聞いた委員たちは我が耳を疑う事になる。

——「原子力機関搭載」客船の建造

これが2つ目の理由だった。
これは、海軍から出された提案であった。
知っての通り、アムステルダム条約により原子力機関搭載艦艇を建造は禁止されている。
しかし、いつの日かそれが緩和されて建造可能になるかもしれない。日蘭両国の核兵器に対する認識を考えればその可能性は非常に小さい。
しかし、例え那由多の果てであっても可能性があるならばそれにかけるのがフランス人なのである。
アムステルダム条約で禁止されているのは「艦艇」なので、民間船舶に原子力機関を搭載することは禁止されていない。
なので、これまでには中小船舶で原子力機関を搭載しノウハウを蓄積させてきた。
されど、艦艇に採用することを考慮するとどうしても大型船舶における運用経験が必須である。
どうしようか悩んでいた時に現れたのがこの新客船建造計画である。
——予算と資材は海軍も支援するので、どうか原子力機関搭載の客船を建造してくれ。
海軍からのこの要望が受け入れられたのである。
知らぬ間に海軍の未来まで背負い込んでしまった建造委員会であるが、彼らも腹をくくった。
そして原子力機関を採用する見返りに、当初計画で構想され諦めた「ある事」を達成するために海軍からさらに多くの支援を要求する。
海軍もこれを了承したため、ここに正式に「原子力機関搭載豪華客船」の計画がスタートした。

706:モントゴメリー:2022/08/12(金) 21:24:13 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
【船名】
計画変更に伴い、船名も変更になった。
当初の「フランス」では、「イル・ド・フランス」との識別に問題が発生するからだ。
様々な候補の中から選ばれた名は「サン・ルイ(Saint-Louis)」
これは、1638年にアフリカでフランス人が建てた最初の町の名前であり、
アフリカ州もFFRの「本土」である
という意思を世界に示すものであった。

【設計】
外観はOCUなどで建造されつつあったクルーズ客船とは異なる。
「ビルを横倒しにしたような」と評される重厚感あふれるそれらとは異なり、古の大洋横断船の系譜を継ぐ流線形の優美な船体である。
また原子力機関を搭載する本船には、本来煙突は必要ない。しかし、全体の美観を考慮して2本の煙突が設置された。
「飾りの煙突」は戦前でも度々用いられており、云わば豪華客船のたしなみ、遊び心である。
(厨房などの換気用に使用されるため、全くの無駄ではないが)

動力源として、加圧水型原子炉を4基搭載している。これは、本船のためだけに製造された完全新規設計である。
FFRではこれほど大型の船舶用原子炉を製造した経験は無く、超えなければならない技術的ハードルは多岐に渡った。
しかし、FFR技術陣は不断の努力により最終的にその全ては克服された。
主機は蒸気タービンで、出力は公称26万馬力である。
機関員には、特別教育を受けたスタッフが充てられていた。そのほぼ全てが海軍の予備役将校、それも「サン・ルイ」就役直前に予備役編入された者たちであったが、『偶然』である。
なお、機関室は万一の事態に備えて放射線を遮蔽するための隔壁で隔離されている。
そして、その隔壁には再構築改装で取り外された「リシュリュー」の旧装甲版の一部が流用されている。
このことからも、本船建造にかけるFFRの意気込みが感じられるだろう。

原子力機関は本船に様々な恩恵を与えた。
その最たるものは後述する健脚であるが、それ以外にも特記に値するものがいくつもある。
まず航続距離は事実上無制限であり、物資が続く限り航海していられる。
(ただしFFR海軍の研究では、乗組員の心理的負担を考慮すると連続120日。無理を押し通しても180日が限界とされている)
その物資に関しても、重油を積む必要がないため従来の船より大量の生鮮食品や真水を搭載することが出来る。
これにより、船内レストランでは陸上のそれに遜色ないメニューを長期間提供することが可能である。
特に古典フランス料理のフルコースは「まるで王政時代のヴェルサイユ宮殿にいるようだ」と乗船客たちを驚嘆させた。
(現在のフルコースの形はフランス革命後に生まれたものであるが)
また、その多大なる発電能力を利用して船内の各施設に供給される電力は、陸上のホテル以上の快適さを保証している
原子力機関の性質上、巡航速度と最高速度はほぼ等価である。それは本船にとって非常に重要な事柄であった。

707:モントゴメリー:2022/08/12(金) 21:25:01 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
最高速力は公称38ノット。これは「ノルマンディー」はもちろん、再構築改装後の「イル・ド・フランス」や「リシュリュー」よりも2割前後高速である。
フランスの歴史上、彼女より健脚なのは「モガドール」級駆逐艦と機雷敷設巡洋艦「エミール・ベルタン」のみである。
これほどの「足」を彼女が有する理由はただ一つ。ブルーリボン賞の奪還である。
かつて、「ノルマンディー」のマストに翻った栄誉。しかし、それは現在BCの「クイーン・メリー」の手中にある。
それを再び三色旗(トリコロール)の下へと取り戻し、霧の向こうで戦う先人たちの魂を安らげるのである。
もちろん、速度のみならず操舵性や安定性にも注意は払われている。
これらの面でも「イル・ド・フランス」に引けを取らない。
例え荒れ狂う大西洋を全速力で航行しようとも、乗客たちはテーブル上のカフェ・オレがこぼれる心配をする必要はない。

船内内装は、「イル・ド・フランス」や「ノルマンディー」の衣鉢を継ぐ『エスプリ客船』を目指しつつも、アールデコ調に拘らず新しい思想を積極的に導入している。
「伝統の継承者」たる役目はイル・ド・フランスが既に果たしている。
ならば、サン・ルイは「未来への水先案内人」となるのである。
そのため、建築家やデザイナーは新進気鋭の若手を中心に起用し彼らの若い発想に委ねている。
結果、サン・ルイ内部は伝統と進取の気風が同居する正にFFRの精神が形となったものとなった。

船内には美術室があり、ルーブル美術館やオルセー美術館から貸し出された絵画が展示されている。
展示作品は目的地や季節によってその都度変更される。そのため、本船には「ルーブル/オルセー美術館別館」という別名が付けられている。
かつてのノルマンディーが「洋上の宮殿」ならば、サン・ルイは「洋上の美術館」というわけだ。

【乗組員】
乗組員に関しては、ヨーロッパ州のみならずアフリカ州にも募集がかけられた。
反対意見もそれなりに出たが、ビドー大統領の

「彼らもフランス人である」

という一言の前に沈黙した。
言わば、これは彼が半生をかけて取り組んだアフリカ同化政策の総決算だったのである。
とは言え、選考にはいかなる優遇措置も与えられず厳しく選抜された。
その厳密性は「ヨーロッパ州出身者に対するよりも厳しい」と言う声が一部から出るほどであった。
そして選考の結果、多くのアフリカ州出身者が採用された。
航海士などの技術部門が主であるが、一等船室の接客係に抜擢されたものもいる。
この報せを受けたビドー元大統領は、静かに頷き涙を流したと言われる。
彼が人生を捧げ倫理観を投げ捨ててまでした行いは、無駄ではなかったのである。

708:モントゴメリー:2022/08/12(金) 21:25:32 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
【運航】
就役後の試験航海としてHexagone(六角形=FFRヨーロッパ州)とアフリカ州を往復した後、満を持して大西洋航路へと進発した。
目的地は言うまでもなく、往年の大西洋航路の終点ニューヨーク。
…と言いたいところであるが、戦前とは政治的環境が異なっておりそれは不可能であった。
新大陸共和国から入港許可が下りることは無く、致し方ないのでテキサス共和国のチャールストンが目的地となった。
(そもそも両国の関係から、旅客需要の方も十分ではなかったが)
ル・アーヴルを出港し(出発港はかつての「イル・ド・フランス」や「ノルマンディー」と同じである)、大西洋へ漕ぎだした「サン・ルイ」の前方に船影が現れる。
それはル・アーヴルへと帰港の途に就く「イル・ド・フランス」であった。
古の風習に従い両船は接近して挨拶を交わす。その際、「イル・ド・フランス」からは

『Mercure(メルキュール:英語ではマーキュリー)のご安航を祈る』

という一文が送られる。それに対する「サン・ルイ」の返信は

『ご配慮に感謝す。されど、その二つ名は偉大なる先達を越えた際に改めて頂戴せり』

というものだった。
生ける伝説に見送られた「サン・ルイ」は、その心臓を最大限に活用して大洋を駆ける。
雨も風も、波濤すらも彼女の足並みを乱すことは叶わない。
そして、大きな障害もなくチャールストンに入港した。
その記録、平均速度34.5ノット。
「クイーン・メリー」の30.99ノットを大幅に超え、見事にブルーリボン賞を奪還したのである。
この報にFFRは歓喜の声に包まれた。
あの敗戦からおよそ40年。フランスはまた一つ栄冠を取り戻したのだ!!
リシュリューはフランス人の「矜持」を、イル・ド・フランスはフランス人の「精神」を取り戻してくれた。
そして此度サン・ルイはフランス人に「希望」をもたらしたのである。
その後の「サン・ルイ」は大西洋航路のみならず、アフリカ航路やアジア航路にも進出しさらにはOCU各国にも寄港している。
21世紀になるまでは東京湾やロッテルダム港への入港を許可されなかった(湾内で自爆する…とまでは言わないが事故が起こることを懸念したのである)が、
軍港、特に原子力艦の母港を中心に来航しFFRの民間外交に多大なる貢献を果たした。
2011年の東日本大震災時にはエスト・デ・パリに停泊していた本船は直ちに出港。
たまたま合同訓練に参加するためにエスト・デ・パリに来訪していた朝鮮王国医師団を(半ば強引に)収容し東北沖に現れ医療支援を提供している。
なお余談であるが、この際「FFR艦隊が日本本土に接近中」という誤報によりハイライトがオフになったネーデルラント連合帝国では
戦後初めて蘭仏国境要塞砲兵に対し「全力射撃即時待機」命令が発令され世界中が終末の到来を覚悟したという。

709:モントゴメリー:2022/08/12(金) 21:26:04 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載は自由です。

去年の年末から長らくお待たせしました。
FFRの意地、原子力機関搭載豪華客船「サン・ルイ」号でございます!!
(構想段階含めるとリシュリュー第二次美魔女改装時くらいにはあった)

…正直、客船の適正スペックなんてわからないので史実クイーン・メリーやユナイテッド・ステーツを参考にしたけど自信ありません。
ひゅうが先生始め有識者の採点が怖い()

今回の構想の発端はいつも通り「電波」を受信しました。

——アムステルダム条約が緩和されたら即座に原子力空母とか作りたいけど、そのためにはノウハウが必要だよね?

と。
で、アムステルダム条約を見返したら
「原子力に関連した機関及び兵装を有する『軍艦』の建造を一切禁止する。」
とありましたんで、なら民間船舶ならOKだよね?となりました。
では何故豪華客船なのよ?ということについては、文化大国フランス復活の象徴という訳です。
(決してナショジオで「メーデー」を見たからではありません)

……と思っていたら「イル・ド・フランス」さんが635氏の力を借りて現役続行してしまったのでここで一旦計画は爆散しました。
改めて理由付けを考えたところ、「フランス」の象徴では「FFR」の象徴サン・ルイ号が誕生したわけです、はい。
アフリカ州もまたフランス本土であり、そこに住まう民もまたフランス人である。
サン・ルイはその証なのです。

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最終更新:2022年08月27日 00:31