561:yukikaze:2022/11/03(木) 21:52:01 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
連邦世界のビスマルク完成。まあそのなんだ。真面目な欠陥戦艦作るのって意外と難しいのね。

ビスマルク級戦艦

基準:57,600トン
全長 272.5m
全幅 36.0m
吃水 9.3m
機関   MAN式2サイクルディーゼル機関12基3軸推進
最大出力 165,000hp
最大速力 30.8ノット(公試時)
航続距離 19ノット/19,000海里
乗員 2,600名
兵装 SK C/34 41cm(50口径)連装砲4基
SK C/28 15cm(60口径)3連装速射砲4基
SK C/33 10.5cm(65口径)連装高角砲8基
SK C/30 3.7cm(83口径)連装機関砲8基
装甲 舷側:300mm(水線部)、180mm(第一甲板舷側部)、150mm(水線面傾斜部)
    甲板:120mm(最厚部)
主砲塔: 380mm(前盾)、220mm(側盾)、320mm(後盾)、150mm(天蓋)
副砲塔: 100mm(前盾)、80mm(側盾)、40mm(後盾)、40mm(天蓋)
司令塔: 350mm(前盾)、350mm(側盾)、200mm(後盾)、220mm(天蓋)
艦載機 アラドAr196A-3水上偵察機4機
カタパルト2基

同型艦『ビスマルク』『ティルピッツ』『シャルンホルスト』『グナイゼナウ』

(解説)
ドイツ第二帝国が1935年度計画において計画・建造した艦である。
完成当時、世界最大の戦艦であり、ドイツ海軍の象徴として扱われたものの、その設計はあまりにも旧態依然のものであり、第二次ユトランド沖海戦において、イギリス海軍相手に驕りのツケを払わされることになる。

第一次大戦がドイツ優勢で休戦に至った時、ドイツ海軍の政治的発言力は地の底にまで落ちていた。
確かに第一次ユトランド沖海戦では、ドイツ海軍は『戦術上』は勝利していた。
ドイツ海軍の戦艦喪失数が旧式戦艦含めても2隻なのに対し、イギリス側の損失は4隻。
何より、巡洋戦艦部隊を指揮していたビーティー提督を始めとして複数の将官を戦死させているのである。
ドイツ側が自国の勝利を喧伝するのも無理はない戦果であったとはいえる。

だが、戦略的目的であった北海の制海権を奪取できなかった時点で、ドイツ側の戦略的敗北であった。
どれだけドイツ側が勝利を宣伝しても、海外からドイツ向けの物資など欠片も手に入らないのである。
更に言えば、ドイツ側は沈みこそしなかったものの大きな損傷を受けた艦は多く、海戦後の戦力差はむしろ増えてしまったという有様であった。
皇帝の信任を失ったティルピッツが、病気を理由に事実上の更迭を受けたことこそが、ドイツ海軍に対するドイツ政府や皇帝の評価であったと言えるであろう。

こうしたことから、第一次大戦後のドイツ海軍はまさしく冬の時代であった。
イギリス海軍が『量産』していたアドミラル級戦艦に対抗すべく、ジークフリート級巡洋戦艦(実質高速戦艦)6隻こそ、国家の面子という観点で建造は許されたものの、バイエルン級以前の戦艦は1930年代には軒並み退役・解体され、補助艦艇の更新も遅々として進まないという状態であった。

そうした状況を打破した存在こそが、アメリカ連合共和国であり、アドルフ・ヒトラーであった。
自壊寸前とは言え、欧州最大最強の軍事強国であり、更には旧オーストリア帝国を併合したことによる、中欧や東欧への勢力圏拡大した市場は、国内が飽和状態に陥っていたアメリカにとって有力な投資先であったし、更に言えば、ドイツの進んだ軍事技術は、アメリカにとっては喉から手が出るほど欲しいものであった。
一方、ドイツにとっても、アメリカは無限に兵器や機械を購入してくれるお得意様であり、歴史的経緯から、イギリスに対する嫌悪感も強いことから、同盟国として有力候補であった。

そして独特の経済センスを有しているヒトラーは、アメリカの投資を元に軍備拡大のテコ入れを進めることで、沈滞しつつあったドイツ経済へのカンフル剤とするとともに、強力なドイツ軍を軸に、欧州再編を一気に進めようとしたのである。
まあ原則として、ドイツ陸軍と空軍の強化が最優先であったのだが、ドイツ海軍も「アメリカとの通商路の維持」という大義名分のもと『戦艦4隻(バイエルン級代艦)、空母2隻、重巡6隻、軽巡14隻、駆逐艦72隻を、1947年までに就役させる』というZ艦隊計画が認められることになる。

562:yukikaze:2022/11/03(木) 21:53:52 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
そしてそのZ艦隊計画の目玉として宣伝されたのがビスマルク級戦艦であった。
以下、同戦艦の特徴について説明する。

同級を一言で言えば「本来、ジークフリート級で求められた能力を保持した戦艦」である。
よく知られるように、ジークフリート級戦艦は、対アドミラル級戦艦として建造されたものの、予算や技術的問題から妥協を余儀なくされた艦であった。
特に主砲においては、皇帝を始めとして16インチ砲が熱望されていたものの、結果的にはバイエルン級と同じ15インチ砲であり、改ジークフリート級でも45口径から50口径に延長することで「実質的には16インチ砲と威力は同じ」と、お茶を濁さざるを得ない状況であった。

そうであるが故に、ビスマルク級において16インチ砲は最低ラインと言っていい代物であった。
皇帝としては、42センチ砲を有している長門級戦艦を超えることを求めており、実際ドイツ海軍も43センチ砲の開発も視野に入れてはいたのだが、開発費用の問題や、同砲を列車砲にも活用したいドイツ陸軍の要請等もあって最終的には50口径41センチ砲の採用となっている。
このことにドイツ皇帝は不満を漏らしたとされるが、ドイツ海軍は「極東のサルが作った砲など見掛け倒しであり実際の砲撃を行う距離での威力はこちらが上」というデータを提出することで納得させている。

同砲は、当時のヨーロッパでのトレンドでもあった「比較的軽量な砲弾を高初速で放つ」ものであり、実際、カタログスペック『だけ』でみれば欧州最強の艦砲であった。
彼らが主砲戦距離であると規定していた15,000m近辺での対垂直装甲では540mmと、列強ほぼ全ての戦艦の装甲を貫けるものであり、この点だけ見れば問題はない筈であった。
問題があったのが砲弾で、砲弾を高初速で撃てる形状を追求した結果、確かに近距離においてはそこまで影響を及ぼさなかったが、10km以遠になると、細長い砲弾がモロに大気の影響を受ける羽目になり、命中率が極度に悪化することになった。
更に、被帽の取り付けが甘かったことから、命中した時に不発になるケースが多かったことや、主砲弾の精製においても、生産管理が甘かったことから、量産した砲弾が、実際にはカタログ値より強度が低かったなど、欠陥砲弾としか言えない代物であった。

この問題の質が悪かったことは、ドイツ海軍の動きが、原則として低調であったことや、出撃しても通商破壊や対地攻撃が主であり通常砲弾を使用するケースが多く、主砲弾を中々使うケースがなかったことから、現場において問題が発覚する機会がなく、おまけに問題を理解していたドイツ海軍の兵器開発局は、責任問題になることを恐れて、同問題を隠蔽するとともに、同砲弾の改良型に置き換えることによって、問題を「なかったこと」にしようとしていたことであった。
結果的にそのツケは、第二次ユトランド沖海戦におけるビスマルク級の砲撃の酷さ(イギリス海軍曰く「もう一度士官学校からやり直せ」レベルの命中率であり、ドイツ海軍で、第一次ユトランド沖海戦参加者の古参水兵からは「うちの士官どもは魔女の呪いでもかけられたのか?」と嘆かせることになった)に繋がるのだが、同海戦中、旗艦のキング・ジョージ五世に命中した砲弾13発の内、まともに起爆したのが5発であり、しかも有効な打撃を与えたのが2発という事実が、事態の深刻さを物語っていたと言えるであろう。

また、副砲については、量産効果を考えて、ドイツ軽巡の主力主砲である60口径15センチ3連装砲を採用している。
同砲は、重量45.5kgの砲弾を仰角40度で初速960m/秒で撃ち出し、最大で25,700mまで届かせる性能を持っており、こちらも悪い砲ではないのだが、問題は、高角砲の配置の兼ね合いと、射角の問題等から、第二砲塔並びに第三砲塔のやや下方に副砲を配置(史実ヴェネト級と同じ配置)にした結果、副砲弾薬庫と第二砲塔並びに第三砲塔の弾薬庫が接近しており、副砲弾薬庫の損害が主砲弾薬庫にまで影響を及ぼす危険性を高めるという、設計上の欠点を有していた。
高角砲についても、片舷4基8門有しており、ドイツ海軍的には十分な防空火力を有していると太鼓判を押していたものの、プラネタリウム式の全天候高角射撃指揮装置は駆動用モーターが度々壊れる悪癖を有し、何より前檣楼の射撃指揮所内に対空戦闘指揮所も併用させたことで、迅速な対空射撃指揮に問題を抱えることになる。
後者の問題については、下部甲板に「高角砲射撃指揮所」を作ることで一応の解決にはなったものの、今度は射撃指揮所と外部との連絡手段が、前檣楼の射撃指揮所としか確立されておらず、大規模空襲を受けた時には機能不全に陥ることになる。

563:yukikaze:2022/11/03(木) 21:56:39 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
次に防御構造に関しては擁護できる箇所がないという体たらくであった。
前述した副砲弾薬庫の問題もだが、根本的な問題として、ドイツ海軍の防御思想が第一次大戦時代から全く進歩していないという組織的な欠陥が徹頭徹尾足を引っ張っていた。
彼らの戦艦に対する防御のコンセプトは、徹頭徹尾「あくまで重要区画を守り抜く事を主軸とした」ものであり、これは他国においても同様であったのだが、ドイツ海軍の場合は、他国海軍が採用する集中防御様式とは異なり、「どれだけダメージ受けても浮いていればよし」とするものであった。
確かに第一次ユトランド沖海戦では、そのコンセプトによって多くの戦艦が救われたのは事実であった。
だが、同戦艦は多重防御構造を前提として効率の良い配置にしてしまった結果、重要区画外への被害が拡大しやすくなること、更には主な水平装甲が下甲板であることから、他艦よりも一部攻撃に脆弱な非重要区画が大きくなるという構造的な欠点を抱え込んでいた。

彼らが何故、他国では主流になっていた中甲板ではなく下甲板に主な水平装甲を持ってきたかと言えば、彼らの主砲戦距離が近距離戦であり、敵砲弾が船体にダメージを与えるのは、垂直装甲を貫いた場合が過半であり、その場合、垂直装甲上部に接続する中甲板ではなく、垂直装甲下部に接続する下甲板に主水平装甲を持ってきたほうが効率的に防御できるという考えからなのだが、(一応、上甲板にも補助的な装甲(50mmのWh鋼)を用いることで、航空爆弾や砲弾の信管を作動させることを狙っており、航空爆弾に対しては、ティルピッツやシャルンホルストへの度重なる空襲の際に、それなりの確率で損傷を防いでいる事から、厚さのわりに結構な防御力を有していた。1944年から日本から供与されたロケット推進機能付徹甲爆弾が戦場に出るまではだが・・・)中距離からの徹甲弾相手には非常に咬み合わせが悪い防御構造であり、第二次ユトランド沖海戦ではこの弱点を突かれたことが敗北の要因であったことは、彼らの想定の甘さが敗北を招き寄せたものといえるであろう。

水中防御については、バイエルン級とほぼ大差がなく、列強最低と言っても過言ではなかった。
対水雷防御配置は、バイエルン級の時代では石炭庫が衝撃吸収充填材の役目を演じたが、重油のみである同戦艦ではその手は使えず、本級の場合は水密区画を間隔の開いた四つの空間に分け、その背後に45mmの装甲を二重底の艦底面まで伸ばしている。
ドイツからの技術指導を受けたアメリカですら、この水中防御については「真似る理由が見つからない」と、否定的なコメントを残しているほどである。
ドイツ海軍がここまで水中防御を軽視した理由は今もって分からないが、こちらについては、燃料層を多層防御ではなく一層防御にすることで、衝撃吸収能力を最大化することで良しとしたことや、水密区画を細分化していることで、水線部の深い部分に魚雷が命中した場合や機雷による損傷を受けた場合でも被害を局限できると判断したことも大きいのだろうが、根本的な理由として、ドイツ海軍の魚雷の性能が凡庸といって良く、水雷部隊による戦艦への襲撃の成功率が低かったことから、水雷戦術そのものを軽視していた点が大きいのではと推察されている。

機関については、「やりたいことは分かったがなぜこんなことをした?」というレベルの出来である。
確かにジークフリート級で高温高圧缶を狙いすぎたために、機関のトラブルに悩まされたのはわかる。
また、第一次大戦のように、海軍の重油が必要十分に供与することができず、それならば燃費の良いディーゼルを新たな機関として白羽の矢を立てたのも解る。
とはいえ、6万トン近い大戦艦の心臓に、実績も碌にない高馬力ディーゼルのみにするというのは、無謀を通り越して「正気か?」と言われても文句の言えない決定であった。
実際、完成した同機関は、技術的蓄積が碌になかったことや、マニュアルの整備の不徹底、更には交換部品の質の低下によって、「トラブルを起こさないことが奇跡」と言わんばかりの稼働率であり、全速を出すのは、それこそ、年に数回というレベルであった。
また、当時のディーゼル燃料は粘性が高すぎて流れが悪く、燃料供給に支障が出たため、燃料管に専用の加熱装置を介する必要があったが、この加熱装置の配管の一部は非装甲区画を取っていたために防御上の大きな弱点となっていた。実際、ティルピッツは、偶然にも、非装甲区画にあった配管に損傷を受けたことで、燃料供給が停止してしまい、最終的に自沈を余儀なくされている。

564:yukikaze:2022/11/03(木) 21:57:58 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
総括すれば、本級は「カタログスペック上は、最大最強の戦艦であったかもしれないが、実態を見ると、張り子の虎扱いされてもおかしくはない戦艦」と言える代物であった。
本級の晴れ舞台が、大戦前夜に就役した『ビスマルク』や『ティルピッツ』が、威風堂々、皇帝やヒトラーの前を疾駆し、『ドイツは世界最大の戦艦を建造した』という実績を積んだことであったと、後にイギリス海軍史家から皮肉られることになるが、実際、日英海軍ならば、ビスマルクのカタログスペックを有した戦艦ならば、45,000tクラスで建造できる(実際、イギリス海軍は、同じ16インチ砲戦艦で45,000t級戦艦のキング・ジョージ五世級戦艦を就役させている。日本も未成艦であったが、42センチ砲3連装3基の大和級戦艦が計画されていた。)ことを考えれば、ドイツ戦艦に対する評価が渋いのも無理はなかった。(特に1950年代末にビスマルク級の詳細な設計図が公開されて以降は、明確に『欠陥戦艦』と位置付けられている。)悪い意味で『ドイツの象徴』と言われる所以である。

最後に、同級の結末について述べてみようと思う。
第二次大戦開戦時において、同級は『ビスマルク』と『ティルピッツ』が就役し、『シャルンホルスト』は1940年8月に就役、最終艦の『グナイゼナウ』は、1941年2月に就役している。
実のところ『グナイゼナウ』については、ドイツ軍内部でも「就役が1941年までかかるのならば、建造を停止して資材を別なところに使用した方がよくないか?」という意見も出されたのだが、『ビスマルク』の威容に大満足していた皇帝や国民が同級の4隻就役を望んでいたこともあって、そのまま続行となっている。
ただ、その代償として、建造していた軽巡洋艦や重巡洋艦の建造がストップしてしまい、戦艦戦力こそ10隻(バイエルン級4隻は予備艦)と強力であったが、重巡が4隻、軽巡が8隻と、補助艦艇のバランスが非常に悪い(しかもその貴重な重巡や軽巡が大戦序盤に重巡が1隻、軽巡が3隻失っていては猶更)状況に陥っている。

そして期待を一身に担っていた本級であったが、その動きは低調の一言に尽きた。
前述した機関のトラブルに悩まされたことで、ドイツ海軍上層部から長距離出撃が非公式的に禁じられたこともあいまって、たまの作戦行動もバルト海沿岸での示威行動でしかなく、ハルゼー機動艦隊によるスカパ・フロー奇襲によって、イギリス本国艦隊が大打撃を受けた後も、主に制空権の問題を並び立て、ノルウェーでイギリスの対モンゴル輸送船団への圧力をかける以上の行動は起こしていない。
唯一の例外が『ティルピッツ』で、同艦を旗艦とする砲戦部隊が、モンゴル第三の都市である『ネヴァ』(史実レニングラード)制圧戦で、海上砲撃を加えたことであるが、この時『ティルピッツ』の砲弾が、同地に建築されていた壮麗なモスクを吹き飛ばしたことがニュース映画として盛んに放映され、結果的に中東のイスラム教徒達が、反独に傾く要因となっている。

1942年秋以降は、ドイツ海軍全体の動きが完全に低調になっていく。
これは、アメリカ連合共和国による卑劣な奇襲攻撃に激怒した日本連邦が、虎の子といって良い空母機動艦隊を大西洋に出撃したからであり、北大西洋沖海戦において、これまで無敵を誇っていたハルゼー空母機動艦隊を、南雲空母機動艦隊が鎧袖一触で消し飛ばしたことによって、大西洋の制海権が日英仏連合国陣営に傾いたからである。アメリカ地中海艦隊が無断で全面撤退したことを受けて、ドイツ側は予備艦であったバイエルン級4隻を現役復帰させて地中海に派遣し、地中海のパワーバランスを独伊側に傾けようと努力するのだが、それも1943年後半から、英仏に対して日本が戦時急造空母である祥鳳級(英名:コロッサス級、仏名:ラファイエット級)の大量供与(英:9隻、仏5隻)によって無駄に終わってしまう。
さしもの日本も英仏相手にジェット機を供与することはなかったが、烈風も流星もレシプロ機としては最優の存在であり、そして同級ではこれらの機体が最大50機弱搭載可能であった。
つまりフランス海軍ですら、最盛期のハルゼー空母機動艦隊と同レベル以上の攻撃力を有していた(搭載機数ではハルゼーが上だが、兵器搭載量で烈風や流星が勝り、そして爆弾や魚雷の性能で更に差がついていた)のであり、1944年春にフランス空母機動艦隊によって、独伊地中海艦隊が壊滅したのを見れば、ドイツ側がバルト海に引きこもるのも当然であった。(何しろイギリス空母機動艦隊は、イーグル級4隻、イラストリアス級4隻、コロッサス級9隻であり、総艦載機数は1,000機近い集団である。)

565:yukikaze:2022/11/03(木) 21:58:51 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
だが、そんなドイツ海軍も、いよいよ英仏軍が大陸反攻を決定したのを受けては、出撃せざるを得なくなる。
既にヒトラーだけでなく皇帝からも出撃の至上命令が出されており、これを拒絶した場合、問答無用で逮捕・銃殺になることが確定していたからである。
カレー沖に襲来するであろうイギリス艦隊に対抗すべく、ドイツ海軍は全力出撃をするのだが、この時点においてもビスマルク級のアキレス腱の機関の不調は足を引っ張っており、『グナイゼナウ』は出撃不可。
それでも戦艦は9隻(ビスマルク級3隻、ジークフリート級6隻)であり、非常に有力な戦力であったが、それ以外は、軽空母が2隻(それも航空隊は空軍所属)、重巡3隻、軽巡2隻、駆逐艦15隻と、補助艦艇のバランスの悪さが目立つ編制であった。特に駆逐艦の少なさは、有効な対潜バリアを貼るには質量ともに不足しており、潜水艦の雷撃によって、重巡『リュッツオー』『アドミラル・シェーア』が轟沈するなど、出港直後から全乗組員の不安を掻き立てる羽目になった。

そして、予想通り、英仏両軍がカレー沖に取りついたのを見たドイツ海軍は、全速力でドーバー海峡へ進撃を行うよう進路変更を行い、それを見たイギリス海軍もドイツ海軍に止めを刺すべく空母艦載機による波状攻撃を仕掛けようとしたのだが、イギリス海軍にとって運の悪いことに、イギリス海軍の空母戦力を発見したドイツ海軍潜水艦部隊や基地航空艦隊による散発的な空襲により、イギリス海軍は当初予定していた艦載機攻撃が一度しかできず、おまけにドイツ空軍が想定以上に仕事をしたが故に、イギリス空軍が望んでいたビスマルク級への損傷は軽微であり、軽空母2隻、軽巡1隻、駆逐艦6隻撃沈、ジークフリート級1隻大破(後自沈)、2隻中破という、海軍航空隊的には不満足な状態で終わっている。

とはいえ、この時点で戦力は、ビスマルク級3隻、改ジークフリート級2隻、ジークフリート級3隻(うち2隻中破)重巡1隻、軽巡1隻、駆逐艦7隻(2隻は沈没艦の乗員救助のため離脱)であり、作戦を続行するかは微妙であったが、ここでドイツ本国から「最後の一隻になっても友軍のために突撃せよ。飛行機の傘は送る」という督戦電によって、彼らは半ばやけくそに近い感情で進撃を続けることになる。

そして1944年6月6日19時。運命の時は訪れる。
昼間の空襲による時間を取り戻そうと、警戒態勢の元、航行を続けるドイツ艦隊の周囲に、突如水柱が乱立することになる。ドイツ海軍を殲滅すべく最低限の護衛戦力以外を引き抜いて突進を続けていたフィリップス大将率いるイギリス本国艦隊がドイツ艦隊に接触した瞬間であった。
この時、ドイツ海軍は、日本海軍が運用していた電子支援機『天山』(富嶽の改造機)による電子戦によって、レーダーに不調をきたしていたのだが、イギリスが日本を拝み倒して導入した水上及び射撃レーダーを、ドイツ側の逆探では探知できず、距離25,000mからの砲撃を許すことになる。

当初は、25,000mという、ドイツ基準で見れば昼間砲戦でも大遠距離ともいうべき距離からの砲撃に「どうせあたらん」と高をくくっていたドイツ海軍司令部も、相手方の3射目において挟叉を受け、慌てて回避運動を取ろうとするも、間に合わなかった4番艦の『エーギル』の主砲塔が吹き飛んだことで大パニックを起こすことになる。
ドイツ海軍にしてみれば、未だに自軍のレーダーは機能せず、相手の場所がわかるのは発砲炎のみ。
相手方に撃とうにも碌に位置関係も解らず、しかも夜間での艦隊行動など、燃料と予算の都合で数える位しかしていないことから、混乱は加速度的に広がっていき、各艦の位置を把握するだけでも手いっぱいという有様になっていた。

事ここに至って、艦隊司令長官のリュッチェンス中将は、敵艦隊に向けての突撃を決断し、強引に近距離砲戦へと移行しようとしたのだが、その間にもイギリス海軍の砲撃は続いており、損傷を受けていた『ジークフリート』『ハーゲン』が損傷に耐え切れずに停止する羽目に陥っている。
それでも各艦の多大な努力で、戦艦部隊で一つ、重巡と水雷戦隊で一つの、計2つの単従陣を組むことに成功したのだが、ドイツ側の戦術行動は、上空の『天山』によって筒抜けであり、イギリス側は旗下6戦艦で戦艦部隊の頭を抑えるような機動をしつつ、巡洋艦部隊で敵水雷戦隊を撃破、本命の水雷戦隊の突撃を成功させようと目論んだ。

566:yukikaze:2022/11/03(木) 22:00:27 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
もっとも、このイギリス側の目論見は、水雷戦隊を排除すべき巡洋艦部隊が、レーダー射撃を過信しすぎた(天山部隊はあくまで戦艦部隊への観測や電子攻撃を優先していた)こともあって、排除に思いのほか手間取ってしまい、フィリップス大将の想定よりも長い時間、イギリス海軍戦艦部隊はドイツ艦隊と殴り合うことになる。
とはいえ、ドイツ側の砲撃は「極めて劣悪」と評されるように、そもそもが当たらず、しかも『キング・ジョージ五世』に砲弾が集中したお陰で、着弾観測にも支障をきたすは、おまけにようやく当たった砲弾も、まともに起爆する砲弾が少ないわと、散々な状況であり、イギリス海軍司令部は終始落ち着いていたと記録されている。

一方、ドイツ海軍司令部は、時間がたつにつれて焦りを深めていた。
とにかく敵司令部を潰すことで相手側の混乱をと砲撃を集中したが、却って命中率が低下しており(実際には砲弾が腐っていたのと、練度不足である)、水雷部隊は「もうこれ以上は持たない」という悲鳴のごとき救援要請をする始末。
しかも、突撃中に被弾していたティルピッツが、急に燃料供給が停止してしまい、行き足を止めるという最悪な状態に陥ったことで、数的優勢すら失うという羽目に陥っていた。
特にリュッチェンスにとって誤算だったのが、ビスマルク級は確かに『数発の被弾を受けても中々沈まない』性能ではあるが、砲塔防御が予想以上に脆く、戦闘能力が想定よりも早く失ってしまったことであった。
アドミラル級に撃たれていた『シャルンホルスト』はまだ戦闘力を維持していたものの、『キング・ジョージ五世』に撃たれていた『ビスマルク』は撃ち合って5分経たないのに砲塔2基失っており、急速にただの置物と化していた。

もうここまでくれば、どれだけ敢闘精神溢れる指揮官と言えども心は折れていたであろう。
大海艦隊の総旗艦も務め、アドミラル級相手に意地を見せていた『オーディン』が、艦橋に被弾し、戦隊司令部が全滅した報が入ったことで、ついにリュッチェンスも作戦失敗を認め、全艦に対して撤退命令を出したが、あまりにも遅すぎた。
そう。巡洋艦部隊の行動にしびれを切らしたイギリス海軍水雷戦部隊が、半ば事後承諾でドイツ戦艦部隊への襲撃を開始したのである。この時、襲撃に参加した駆逐艦は、日本から供与されたC級駆逐艦(史実夕雲をベースに、主砲を40口径12.7cm両用砲にした船)であったが、必殺の牙である53センチ5連装魚雷発射管2基に搭載された魚雷は、日本から高いライセンス料を払って取得した酸素魚雷である。弾頭重量がTorpex使用で400㎏近く、しかも50ノットで10,000mである。ドイツのブリキ戦艦を沈めるのに十分な槍であり、そして戦艦部隊に集中していたドイツ戦艦部隊が獰猛に突っ込んでくるイギリス水雷戦隊を発見した時はもう遅かった。

そこから先はもう一方的な虐殺であり、反撃手段を失ったドイツ戦艦にできることは何もなかった。
なまじ『浮く』ことに優れていたことから、近距離での砲撃に無駄に耐えてしまい、死傷者が続出するという、笑うに笑えない状況が発生。燃料供給が停止したことで機関が焼き付いてしまい、単なる漂流艦となった『ティルピッツ』が、拿捕を防ぐべく自沈したのだが、そのティルピッツの乗組員が一番生存率が高かったというのが皮肉ではあった。
浸水に耐え切れずに横転沈没した『ビスマルク』や『シャルンホルスト』を見たイギリス海軍将兵全員が、ドイツ海軍の勇戦力闘を称えるのではなく「何でさっさと降伏しないんだ。こっちだって好き好んで殺し合いしたいわけじゃないんだ。ドイツ人は何でこう融通が利かないんだ」と、徒労感に誘われていたということが、この海戦のイギリス人の評価を定めていたともいえる。

この第二次ユトランド沖海戦の大敗北により、ドイツ海軍は事実上消滅を迎えることになる。
あまりにも一方的な敗北であり、イギリス海軍から『来た 見た 勝った』などと言われては、皇帝やヒトラーのプライドを傷つけるには十分であり、そしてドイツ海軍部内の砲弾問題の隠蔽がバレたことで、彼らの命運は尽きることになる。
最後に生き残った『グナイゼナウ』は、戦局に何の影響も及ぼさないことで解体命令が出されることになり、その兵装は、東部や西部戦線の要塞砲へと転用され、資材も再利用されることになる。
残った船体は、キール軍港に朽ち果てるまま野ざらしにされてしまい、それはまるでドイツ第二帝国の末路を象徴するかのような姿を見せることになる。

567:yukikaze:2022/11/03(木) 22:09:40 HOST:p481074-ipngn200311kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp
投下終了。
自分達の想定と異なる戦場でガチバトルさせられることになったら、そりゃ酷い目に合うよねと言う典型。
しかも最後の最後で「想定通りの戦場」になった時は、逆にそれが仇になってなぶり殺しとかなんて罰ゲーム?

ドイツ艦の防御思想については「わからんではないけど、それはそれで努力する方向性違わない?」というのが。
これに予算や政治的発言力と言うハンデもあるとはいえ、イギリス艦隊の迎撃について希望的認識で行動しちゃうなんてことしましたし。

まあ滅びるべくして滅びたと言っていいです。この世界のドイツ海軍。
とりあえず「有史以来建造された軍艦の中では排水量と大きさは最大」とギネスに掲載されはしそうです。<ビスマルク
この世界、原子力空母作られるかも微妙ですし、空母も基準排水量5万トン強の翔鶴型が最大でしょうしねえ。

ドイツと同様歴史的概念で終わるというのが皮肉ですけど<ビスマルク

ちなみにティルピッツの最後ですが、これ何気にシュペーです。
シュペーも燃料供給停止がトリガーになってラプラタ沖で自沈していますから。

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最終更新:2022年11月14日 20:35