281:加賀:2022/10/02(日) 18:56:50 HOST:softbank060087155060.bbtec.net
『大鳳』型航空母艦
基準排水量 48,000トン
満載排水量 62,000トン
全長 290m
全幅 34m
飛行甲板 280m×30m
エレベーター×3
ボイラー 九九式艦本式重油専焼水管缶×12
主機 艦本式タービン×4
出力 180,000馬力
速力 33.4ノット
航続距離 11,500海里
兵装 45口径12.7サンチ連装両用砲×8
99式40ミリ連装機関砲×8
25ミリ三連装機銃×6
同単装機銃×72(後に96基まで増加)
対空設備 13号対空電探改 42号対空電探改
発艦装備 油圧式カタパルト×2
搭載機 艦戦×36 艦爆×27 艦攻×27 偵察×10 補用×12
同型艦
『大鳳』
【概要】
日本海軍が戦前戦中を含めて最初で最後に建造した装甲空母である。(戦後は別)艦型については『翔鶴』型を踏襲していた。元々装甲空母の概念は日本海軍にもあったがより鮮明化されたのは第二次上海事変だった。この戦闘で空母『龍驤』が急降下爆撃を受けて被弾炎上大破という事態になった。海軍上層部はこれを考慮して飛行甲板にも装甲を敷いて戦力の低下を防ぐ意味合いを兼ねての装甲空母の研究だった。
その為、艦本は建造途中の『翔鶴』型の設計図を流用しての装甲空母化を図ったのだ。だがこの時点で搭載機は70機前後になると予測されていた。というのも装甲化のため史実『大鳳』と同じく飛行甲板装甲化による重心低下のため艦内容積が減少するとなっていた。
だが、それに異議を唱えたのが新見政一だった。
「なら史実『ミッドウェイ』級をそのまましちまえ。『翔鶴』型でさえ史実『ミッドウェイ』級を模範にした和製『ミッドウェイ』級だぞ?」
史実『ミッドウェイ』級は船体のうえに強固な装甲を施した飛行甲板を載せるという特殊な構造となっていた。それを利用する事にしたのだ。これにより『翔鶴』型まではいかないものの、常用100機を確保したのである。
また機関は九五式の改良型である九九式艦本式重油専焼水管缶を採用している。
そして④計画に組み込まれて史実より一年早い昭和15年7月に拡張された川崎重工業川崎造船所で起工式を遂げるのである。
なお、進水は昭和17年4月で就役したのは昭和18年4月であった。『大鳳』の初陣はYZ作戦であり第一機動艦隊旗艦を務めた。
また、マリアナ沖海戦にも旗艦として参戦、米第五艦隊から航空攻撃で1000ポンド爆弾3発が命中するも空母の運用に支障を来す事はなくその威力を発揮した。
エンガノ岬沖海戦では山口中将の囮空母として参戦し中破しながらも生還する。
そして沖縄沖大海戦では第三艦隊旗艦として参戦、英東洋艦隊の空母6隻を沖縄沖の漁礁に変えつつスプルーアンスの第五艦隊を攻撃、『大和』らの第二艦隊、『信濃』の第五艦隊の突撃を側面から支援した。『大鳳』は大破しながらも生き残る事に成功しそのまま宜野湾に擱座し無傷の飛行甲板からカタパルト発艦による第32軍の地上支援を行ったりと装甲空母の役目を果たしたのである。
戦後は空母不足の米海軍に接収され『マリアナ』として運用される事になる。また、ジェット機運用にあたり『瑞鶴』共々SCB-110、SCB-101/66と順次近代化改装された。
なお、日本への返還は1977年であり裏を返せばその頃まで米海軍の空母不足は続いていたのである。(米空軍との衝突もあった)
日本への返還後は佐世保を基地とする第二艦隊旗艦となり定期的な改装をしつつ20××年の今もその巨体を海に浮かべている。
なお、後継艦については中々建造がされず(軽空母級の配備はあるが大型空母は今なお現役という皮肉。しかも戦艦『信濃』でさえも後継艦には恵まれていない)改装のための費用なら出せる状況だった。
これも元『大鳳』『マリアナ』乗組員らの影響もあったりするのである。
ちなみに某艦隊これくしょんではコードネーム『RJ』『ZH』と共に『TH』として三大フルフラット空母として受け継がれている。(『ZK』?奴は裏切ったよ)
282:加賀:2022/10/02(日) 19:01:48 HOST:softbank060087155060.bbtec.net
三週目の『大鳳』
空母『信濃』の役割を『瑞鶴』と共に受け継がれている。
和製『ミッドウェイ』級ならぬ『ミッドウェイ』級そのものに近い。(全長とかは工期削減のため短め)中央エレベーターは『ミッドウェイ』級と同じくアウトボード式で対処。
油圧式カタパルトも『ミッドウェイ』級の位置にしているので戦後、米海軍関係者は「奴等、『ミッドウェイ』級の図面を手に入れたのか?」と調査する逸話もあったりなかったりと……。
なお、フルフラットは解消されなかった模様(何でや!?)
最終更新:2022年11月14日 21:47