248:名無しさん:2022/09/29(木) 23:51:09 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
新たな戦後日本ネタ等で盛り上がっているけど日本連邦のユトランド沖海戦の幕を久々に投下
させていただきます
1,作者は相変わらずの盛るペコ病です
2,多分yukikaze氏の考えている世界設定との食い違いは多いと思います
3,誤字脱字も多いとおもいます
249:名無しさん:2022/09/29(木) 23:53:21 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
第二次ユトランド沖海戦 エピローグ
フェイズ1 イギリス
数日にわたる大海戦の末にトラファルガー沖海戦に匹敵する大勝利を収めたことでイギリス全土は大いに沸き立った、特に第一次ユトランド沖海戦に参加していた退役兵などは「あの時の借りを返してくれた」と号泣する姿もあった。
各都市ではダンケルク上陸成功とユトランド沖海戦の大勝利で文字通りお祭り騒ぎであり特にフィリップス提督の出身地であるグラスゴーにおける乱痴気騒ぎは凄まじいの一言でありイギリス全土においては最早この戦争に勝利したのも同然の空気だった。
ラジオでも新聞この勝利は喧伝され、フランスへの配慮もあってトラファルガー沖海戦やネルソン提督に関するワードは伏せられたものの偉大なる提督トム・フィリップスと称賛されておりチャーチルも大いに喜ぶこととなり後の自伝で「まさに人生において最良の日だった」と書き記していた。
その後イギリス本国艦隊はダンケルクにおいて友軍の支援(実際は士気鼓舞)名目でダンケルク沖に舳先を並べ連合軍の士気を著しく上げた後にポーツマスへと帰還、そこには政務の都合上チャーチルこそ出席は出来なかったが※1ジョージ6世以下王族やブルース・フレーザー第一海軍卿や市民たちがこぞって駆けつけて、英雄たちの凱旋を待っており多くの歓声を上げて迎え入れた。その熱狂っぷりの凄まじさは観戦武官としてプリンス・オブ・ウェールズに乗り込んでいた藤堂守中佐が「生きていた中でこれ以上の熱気を感じたことはなかった」と手記に記されていた。
フェイズ2 日本
第二次トラファルガー沖海戦の結果は当然日本において大々的に報道され、ハルゼー機動部隊を壊滅させた北大西洋沖海戦後のアメリカ海軍最後の海戦となったフロリダ沖海戦と並ぶ第二次世界大戦3大海戦※2と呼ばれほぼパーフェクトと言える大勝利を収めたフィリップス提督も一躍日本本土においても時の人となった※3。
軍の上層部はこれでイギリスが増長するのではないかと危惧されていたが、第二次世界大戦の終了と欧州並びにカナダと併合した旧
アメリカ領の再建や未だに健在なドイツ、イタリア海軍の備えもあったこともありそれは杞憂に終わった※4
250:名無しさん:2022/09/29(木) 23:55:57 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
フェイズ3 ドイツ
実質ドイツ海軍が第二のヴィルヌーヴとなったことによる完敗と壊滅の報告を海軍上層部やカイザーは認めておらずイギリスからの喧伝も当初はただのプロパガンダ※5とされていたが、残存艦隊がヴィルヘルムスハーフェンに帰還したことでこれが真実であることが発覚した。無論士気低下を防ぐために詳細な情報は国民に伏せられ表向きとして大海艦隊はそれなりの損害を受けたが憎きイギリス本国艦隊に大打撃を与えたと喧伝された※6
ただし現実を突き付けられた海軍とカイザーと宰相ヒトラーの落胆ぶりは非常に大きく、不甲斐ない海軍に激怒したカイザーは海軍総司令官アルフレート・ザールヴェヒター元帥を呼び出して叱責どころでは済まない大癇癪を起していた※7。仮に輸送船団に届かなくても作戦名のラグナロックの通り英本国艦隊と相討ち無理でもそれなりの打撃さえ与えていれば一応の言い訳は出来たかもしれない、ただしこの海戦においては手も足も出ずにボッコボコにされた挙句第二のヴィルヌーヴ、ハルゼーという不名誉な名前をつけられたこともありザールヴェルタ―はカイザーからの八つ当たりともいえる罵声を一通り受けた後、ドイツ海軍の未来が終わったことを悟り絶望で染めた顔をしたまま執務室でこめかみに拳銃を突き付けた後に引き金を引いて自身の命に幕を引いた。
大海艦隊が壊滅したが文字通りドイツ海軍は書類上の存在とはならなかった、書類上で言えば戦艦5(グナウゼナウ、バイエルン級4)客船改装空母2(ヤーデ、エルベ)、軽空母もマルクグラーフ級2番艦で9割完成していたデアフリンガーと旧式軽空母のグライフの2隻、重巡洋艦はなんとかキールまで脱出できたプリンツ・オイゲンと就役間近のプリンツ・アイテル・フリードリヒの2隻
軽巡洋艦も同じく脱出に成功したミュンヘンと改ミュンヘン級としてミュンヘン級の簡易化して建造されたが練度不足で参加できなかったシュトラースブルクとシュトラールズントの3隻、あとアドリア海に閉塞しているケルン級1隻オーストリア海軍から接収したツェンタ級代艦3隻のうち1隻はギリシャ海軍に売却され2隻はドイツ地中海艦隊で運用されていたが全艦喪失と残存駆逐艦と潜水艦の数さえ合わせられれば日本の支援を受けているとはいえフランス海軍相手なら一矢報いることは出来るだろう
ただし書類上ならの話ならであるが…
251:名無しさん:2022/09/29(木) 23:59:04 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
ドイツ海軍最大最強の戦艦であるグナウゼナウは未だに故障で動けず、空母の艦載機は先の海戦で地上に降ろされた艦載機も基地航空隊として運用されるもほぼ使い切ってしまい乗せる艦載機はなくしかもデアフリンガーはまだしも他の空母3隻は速度の遅さなどを含めてまともな航空機の運用は出来ないただの伽藍洞であり文字通り洋上に浮かぶ箱ともいえる状態だった。
しかも士気は先の大敗と相まって最悪な基準まで下がっておりモラルブレイク一歩手前となりかつては世界第3位の戦力を保有していたドイツ海軍の雄姿はどこにも存在しなかった。
このまま朽ちて歴史に名前を残すだけと言われたドイツ海軍であったが、まだ終わりではなかった。
終戦間際にモンゴル軍によってラトビアのリガに包囲されたバルト方面軍の脱出を救援すべくバイエルン級4隻と艦載機を載せてないイェーデとエルベは稼働状態のシュトラースブルクと駆逐艦5隻は動かすことのできるの輸送船を連れて出撃しモンゴル空軍が碌な対艦攻撃力がなく且つ有力な潜水艦も保有してないこともあちバイエルン級4隻はリガ港ギリギリまでに接近し文字通り弾薬を全部撃ちきるという艦砲射撃によって包囲していたモンゴル軍を多数吹き飛ばした。
特にハン直属である複数の親衛師団が偶々視察に来ていた将軍(開戦から1線で戦い続けた名将)毎吹き飛ばしたことによってモンゴル北部方面軍にとって大きな痛手を受け一説にはモンゴル軍の進撃が停止した理由の一つがこの包囲作戦において大打撃をうけて再編成に手間取ったことが挙げられる。
そして同じく出撃したヤーベとエルデやその他輸送船や客船はその船体を利用して少数の殿部隊を除く全ての将兵の救出を行い、後のイギリスや日本においても称賛されるなどドイツ海軍最後の勝利を飾った。
フェイズ4 終戦までの英仏海軍
最大の敵とされたドイツ海軍はギリシャ海軍と同じく消滅し、漸く就役した戦艦インペロや空母スパルヴェロ等有力な艦艇を保有しているものの、イタリア海軍は完全に封じ込まれ最早やることは沿岸部の友軍支援しかないとされていた英仏海軍であったが、地中海や大西洋の輸送船団護衛等で地道な活躍はしていたがそれでも何かしらの戦果を求めるフランス海軍は同じく手持ち無沙汰状態のイギリス海軍に提案を持ち掛ける、作戦名は「ルバンシュ」
散々本土で好き勝手してきたドイツに対する復讐を行うという意味で実施され、最後の大規模海上作戦であり目標はキール軍港への戦略砲撃作戦だった。
252:名無しさん:2022/09/30(金) 00:03:17 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
先の海戦の修復と補充が終わった英本国艦隊機動部隊のエアカヴァーの下でフランス海軍の装甲巡洋艦リシュリューとクレマンソー損傷が少なく即復帰できたキング・ジョージ5世と執念と言わんばかりに中破から復帰出来たプリンス・オブ・ウェールズの艦砲射撃を受けキールは壊滅、ドイツ側もキールに航空部隊こそ出撃していたものの練度や資材はお粗末であり、迎撃に飛び立ったメッサーやフォッケウルフや少数のブリッツ(P-47)は英機動部隊から飛び立ったアタッカーに一方的に追い散らされ日本海軍の影響を受けてこの世界では攻撃機として開発され投入されたホーカー・シーホークの猛攻もありユトランドから辛うじて脱出したが修理はままならず逼塞せざるを得なかった重巡プリンツ・オイゲン軽巡ミュンヘン、駆逐艦3隻とユトランド沖海戦勝利の証である記念艦フリードリヒ・デア・グロッセは一方的な空襲と砲撃の前に着底していった。
戦後では各国で第二次ユトランド沖海戦においてドイツ海軍はどうすればよかったのかと議論が沸き上がった。
ドイツ崩壊後に入手された各種資料を基に検証した結果、以前においてドイツ海軍は無為無策で進撃したのではなく
しっかりと対策を講じていたことを確認された。特に計画通りに航空機による飽和攻撃を行うことが出来たらイギリス海軍の空母もそれなりの損害を被っていたと言われている。
しかし各航空基地の連携不足、特に地中海戦線で効率的な空襲で連合国の艦艇を相当数沈めたことでその点のエキスパートとなったケッセルリンク中将が不安定なイタリアを抑えるべく未だにイタリアにいたこともあって西部方面の航空艦隊の各基地司令は統制された攻撃を行えず逐次攻撃という愚策も愚策を起こしてしまったのだ。
それに当時のドイツ空軍の航空機材ではアタッカーやスパイトフル、さらに空軍からモスキートに対抗するのはかなり難しく仮に連携をしても大した損害を与えることは出来ないとされた。
253:名無しさん:2022/09/30(金) 00:05:45 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
一方の水上艦艇もグナウゼナウも稼働し、建造途中だったデアフリンガーを始めとする各種艦艇が揃っていた場合はどうなっていたのかと考察されたが、結局はユトランド沖海戦の栄光のまま進歩しなかったドイツ海軍はいくら艦艇を揃えても次世代戦術を身に着けたイギリス海軍にハード、ソフト共に劣っており結局は潜水艦と機動部隊の袋叩きにされて、砲撃戦において多少イギリス海軍に損害を与えても結局は返り討ち仮に突破しても残存の機動部隊や英本土にはまだ対艦攻撃部隊が多数存在しており結局は袋叩きにされてスコアを献上するだけと日英の海軍研究者たちはそう結論した。
フェイズ4 その後
絶対的制海権と航空優勢を勝ち取った連合軍は日本から供給された37式戦車(イギリス名チャリオティア)や最新鋭戦車であるセンチュリオンを主力とした機甲部隊はヴィレル・ヴォカージュの戦い等において不覚を取る場面こそあったが、最終的にドイツ軍誇るアニマル戦車部隊をいくつかの決戦において撃破し※8
ドイツフランス方面軍に大打撃を与え、ユトランド沖海戦から続く惨敗やナポレオン6世の檄で一斉蜂起したレジスタンスさらには無謀な攻勢作戦を行わせ有力な戦力を吹き飛ばしたのに援軍も物資も寄こさないのにカイザーからの無茶ぶりのパリ完全破壊命令と死守命令などで完全にやる気を失っていたディートリヒ・フォン・コルティッツ大将とドイツ軍フランス駐留軍は密かにナポレオン6世の代理として交渉に訪れたアンリ・ロル・タンギー大佐に降伏しパリ市民の熱烈な歓迎を受けて白馬に乗ったナポレオン6世は懐かしきパリへと帰還した。※9
その後連合軍はフランス全土の解放を行いながらも、オランダ解放作戦である空挺部隊による奇襲と自由オランダ軍を主軸とする連合軍によるハーグ上陸作戦である「マーケット・ガーデン」※10を行い成功させ、両本土をほぼ制圧しさらにフランス海軍考案のルバンシュ作戦を成功させたことでチェックメイトとなった所でドイツは一方的休戦を宣言し連合国は国土再建や費用効果の面を考えて受諾、ここに休戦という形であるが第二次世界大戦は実質アメリカの滅亡制圧された連合国国土が復旧したので連合国の勝利で終わった。
254:名無しさん:2022/09/30(金) 00:08:51 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
フェイズ5 その後のイギリス海軍
休戦後ポーツマスとダンケルクにおいて日本海軍大西洋艦隊と共に大規模な戦勝観艦式を行ったものの※11
荒廃した蘭仏本土再建の支援やさらに新規に獲得した北米領のゴタゴタもあって世界第2位と呼ばれたイギリス海軍は戦後復興の予算捻出の為に日本海軍同様に縮小せざるを得なかった。
巡洋艦もアリュシューザ級以前の軽巡洋艦やヨーク級以前の重巡洋艦、旧式駆逐艦は即退役、解体することになった。
無論主力艦である戦艦や空母も例外ではなく、キング・ジョージ5世級2隻は第二次ユトランド沖海戦での活躍もあり世論が維持を望んだことや未だにグナウゼナウとインペロを運用している独伊海軍に対抗すべく退役は免れたがアドミラル級戦艦4隻とクイーン・エリザベス級4隻は即刻退役させられ、空母も唯一残存していたフューリアス地中海の酷使で最早機関、船体の疲労が激しいヴィクトリアス、インドミダブルは退役
インプラカプルとインファガティブルは旧アメリカ解体後設立された各国家に対する監視と牽制を兼ねてカナダ海軍にクラウン・コロニー級4隻共々譲渡され、コロッサス級は予備艦扱いとなった。※12
ただ一つの問題として守護聖人級2番艦セント・マイケルの処遇について議論は真っ二つに割れた。
セント・マイケルの建造は細々であるが進められこのまま建造すべきではないかという意見は強かったが予算の問題と何より第2次ユトランド沖海戦においてデューク・オブ・ヨークの被弾について装甲空母だったイーグル級は運用に支障はなかったものの被弾次第では一発で機能不全に陥る可能性を考慮すれば不味いのではないかと当時機動部隊を率いていたムーア中将や昇進したフィリップス元帥が支持日本の機動部隊の空母は軒並み装甲空母であることを考えて建造は中止された。
ただしそのお陰もあってか退役するイーグル級空母代艦※13として当初計画されたインヴィンシブル級軽空母の代わりに守護聖人級の問題点を徹底的に調査されクイーン・ヴィクトリア級大型空母2隻、史実でいうCVA-01級1番艦クイーン・ヴィクトリア、2番艦クイーン・エリザベスが建造され、空母3隻体制が維持された。※14
255:名無しさん:2022/09/30(金) 00:11:52 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
フェイズ6 その後のドイツ海軍
東部においては包囲された多くの友軍の救出に成功するなどして最後の仇花を咲かせたドイツ海軍は戦力の再建を求めたが、如何せん第二次ユトランド沖海戦の大惨敗によるカイザーや世論の対海軍不信もあり、白眼視され続け流石に海軍解体という暴挙こそなかったものの再建計画は陸空軍の再建と核開発に殆どの予算を振り分けられたお陰もあって悉く却下された。
それでも海軍上層部のバルト海制海権の維持の必要性を必死に嘆願によって新型駆逐艦と新型潜水艦少数の建造こそ許されたが、漸く稼働できるようになったグナウゼナウ維持の為にバイエルン級4隻、軽空母グライフ、ヤーデ、エルベは即解体され、地中海艦隊は駆逐艦数隻と小艦艇のみに絞られるなど、かつては世界第3位の海軍と謳われたドイツ海軍大海艦隊は戦艦1、ヘリ空母となった軽空母1、重巡1,軽巡2と最早どこにもなかった。
そして60年代になってドイツが抑えつけていた東欧の反乱祭りや唯一の同盟国(一応友好国の中華民国とか後清とかはいたものの、貿易すら出来ない状態であった)であるイタリアの離反※15による武力介入も失敗に終わったこともあり経済的にも政治的にもどうしようもなくなりついには首都ゲルマニアにおいて不満が爆発した大衆による大暴動が起きて本来なら止めるはずの警察や憲兵も大衆側についたことを発端に全土で暴動や略奪が起り
最終的には国連軍名目でG4の国家が東欧やドイツに進駐することでかつては世界を二分する盟主国家であるドイツは呆気なく崩壊した。
そしてキールに進駐したモンゴル軍が見たのは燃料がなく、訓練以外ではあまり動けないが彼らなりの意地もあって綺麗な状態を維持し続けたドイツ海軍の残滓達であった。
皮肉にもその残滓である軽空母デアフリンガー、重巡プリンツ・アイテル・フリードリヒ軽巡の改ミュンヘン級2隻と駆逐艦はモンゴルに接収され、モンゴル近代海軍の祖となって長年運用されることになったのはなんとも皮肉なものであったともいえよう。
だがグナウゼナウに関してはコストや運用人数の多さからモンゴルでは扱いきれずその後日英仏の調査員によって徹底的に調査されたが「当時は恐れられた巨大戦艦の中身は第一次世界大戦となにも変わっていなかった」と外面こそ評価されたがそれ以外は酷評された後に解体され、それらの屑鉄は東欧の再建に役立てられたという。
256:名無しさん:2022/09/30(金) 00:14:25 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
※1
自伝において、人生で最も悔いの残った時だったと不満や嘆きを書き記すほど未練タラタラだった
※2
地中海において小規模な海戦は幾度となく行われたが、大規模な艦隊決戦は行われなかった
※3
ただし日本国内においてはフィリップスが駆逐艦数隻失ったのに対して、フロリダ沖で駆逐艦すら失わなかった宇垣の方が評価されていた。
※4
特に戦後における海軍の大規模縮小に反対する派閥や長門型以降の戦艦の建造中止に不満を持った戦艦派の人々が意図的にKGV級2隻の現役続行を盾に大和型戦艦(豊臣世界)の建造を推し進めようとしたが当然上の人達が大激怒し粛清が行われた。
※5
第一次ユトランド沖海戦の大海艦隊司令官シェーア提督を引き合いに「ドイツ海軍も地に落ちたものだ、射的大会の的アザース」といった内容だったことでカイザーの血管は文字通り切れた
※6
ドイツのぶち上げた戦果は英本国艦隊の主力をほぼ撃滅したかのような内容だったのでそれを聞いたフィリップスがフレーザー宛に「近頃ラジオベルリンが全滅したと報じた英本国艦隊の艦船は、海中から引き揚げられ、ポーツマスに向けて高速で撤退中」と皮肉を込めた電文を当てた
※7
宮殿中に響き渡る罵声は記録されたものによるととても皇族らしからぬ、汚い言葉だった
そして戦艦設計部門の面子は現実逃避するかのように虚ろな目でビスマルク級の模型や本来なら建造されるはずだったフリードリヒ級の模型をブンドドしていた
※8
アメリカと違い流石に日本製の戦車のやばさを感じたドイツ軍が開発した新鋭戦車であるティーゲルⅡやパンターⅡだったが、航空優勢がとられている以上空襲に叩かれた上に
戦後第1世代ともいえるチャリオティアとセンチュリオンの前に打ちのめされるという悲惨な結末となった。
ただしミハエル・ヴィットマンを始めとする優秀な戦車兵は義務を果たすべく少なくない戦車を撃破した。
もっとも戦局に大した影響を与えなかったが
257:名無しさん:2022/09/30(金) 00:17:16 HOST:119-172-250-218.rev.home.ne.jp
※9
パリ解放後に至る所で勃発したレジスタンスによるドイツ軍捕虜の虐殺や対独協力者に対するリンチを阻止するなど精力的に動き回った
※10
オランダに駐留していた主力部隊がフランス方面に移動させられ、オランダ本土にいるのは警備師団ぐらいであり、フランス駐留軍共々空挺部隊や上陸した連合軍に呆気なく降伏しハーグやアムステルダムといった諸都市は占領され、オランダ全土は解放された
※11
そして行われた模擬空戦においてイギリス海軍が自信満々で送り出したアタッカーとシーホークは日本海軍の艦載機に及ばないことを知り、イギリス海軍将官や政府高官は唖然と発狂と呆然の様子を見せその後アメリカから有能な人材を引っ張ってくるペーパークリップ作戦で無事イギリス本土に連れてくることに成功したデビット・ルイスらによって開発されたブレイヴ(史実ファントムⅡ)が運用されるまで後塵を押していた
※12
特に地中海の激戦において大損害食らったオーストラリア海軍が日本から貸与された祥鳳型を運用するオランダ海軍への対抗や戦艦オーストラリアが酷使に継ぐ酷使で最早運用できなくなったこともあり、イギリス海軍に退役するアドミラル級やコロッサス級の売却を申し込んでいたが、対日関係の悪化を避けるべくイギリス海軍は戦時中に喪失したキャンベラ級重巡洋艦2隻や軽巡洋艦の代わりにサリー級2隻とシティー級2隻を格安で売却することでお茶を濁した
※13
4隻ともそれぞれカナダ海軍、インド海軍、フランス海軍等に売却され長年同国で運用された
※14
戦艦2隻と空母3隻を主力としたイギリス海軍の象徴として君臨し続け、プリンス・オブ・ウェールズとクイーン・ヴィクトリアは各国に親善航海を行い、不穏な空気を漂わせていたアルゼンチンに遠回しに警告を促し軽挙妄動を慎ませるなど抜かずの剣として活躍した
※15
第二次世界大戦時においてスペインも反日反英国家もあり度重なるドイツやアメリカの参戦要求に応じることはないが水面下では幾度となく接触をして深い関係にあったが第二次世界大戦が終わるとさっさとドイツを見捨て、親英親仏路線へと変えた
以上です、お読みいただきありがとうございます
最終更新:2022年11月14日 22:00