974:ホワイトベアー:2023/02/06(月) 21:34:33 HOST:183-180-102-134.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ルノーFT-10
全長:   5.47m
全幅:   2.16m
全高:   2.39m
全備重量: 14.0t
乗員:    3名
速度:   18.1km/h
主砲
  :28口径37mm戦車砲
   (弾数:120発)
  :47.8口径47mm戦車砲(後期生産型)
   (弾数:120発)
副武装
  :7.92mm機関銃×2
エンジン
  :WGE-4-150 水冷直列4気筒ガソリンエンジン(78馬力)

装甲厚
  :最大35ミリ(車体前面、砲塔前面等)

975:ホワイトベアー:2023/02/06(月) 21:35:25 HOST:183-180-102-134.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
《解説》
ルノーFT-10中戦車はフランス陸軍が初めて運用した中戦車で、西暦1910年に調達が開始されるとフランス陸軍の主力戦車として大量量産が行われ、世界大戦開戦時には協商軍が西部戦線にて運用していた戦車の中でもっとも数が多く、協商軍主力戦車として使われることになった。

開発は日本の日立製作所が担当し、製造もフランス側での製造環境の整備が終わっていない初期に関しては日本本土にある日立製作所の工場が行っていたが、フランス本土での製造ラインの整備が終わるとフランス最大の自動車メーカーであるルノー・フレール社がこれを担当した。

フランス陸軍は満州戦争が集結する前からロシア軍と日米連合双方に送り込んでいた観戦武官を通すことで満州戦争で史上初めて投入された戦車という新兵器の情報をその脅威も含めて入手していた。

満州戦争での戦車や航空機といった機械兵器の登場とそれらと自動車等を組み合わせた軍隊の機械化は世界の軍事学に大きな戦略的・戦術的転換をもたらすことになるのだが、観戦武官から届けられた情報は当初はそのあまりの荒唐無稽な内容からそれほど重視はされていなかった。

しかし、奉天会戦でロシア軍の歴史的な大敗が世界に知れ渡るとそうも行っていられなくなり、1906年には自動車両等の導入や軍備や編成、教義の再訂のためにフランス陸軍内に軍用自動車両調査委員会が設立され、研究のために後に『ルノーFT-8』として正式採用されることになる日立製作所製の『T27』軽戦車を輸入して本格的な研究と検討を開始した。

『T27』を用いた各種テストや満州戦争の戦訓、日本陸海軍を対象とした研究から『高速戦車と機械化部隊をセットで集中運用する機動打撃戦力』の価値も一定程度認めはしたが、
プラン17という仏独国境全域をその作戦地域とした大規模攻勢作戦のことを考えると極少数の機動打撃部隊を編成するよりも、歩兵部隊の盾や矛として使える戦車を各歩兵部隊に行き渡らせることで戦線全体の突発力を高めることを優先するべきだとフランス軍は判断した。

この判断からフランス陸軍は小型かつ敵の火砲に耐えられる重装甲と敵歩兵部隊や敵陣地を吹き飛ばせる火砲を搭載した歩兵支援中戦車の調達を西暦1907年に決定するが、当時のフランスには1から独自に戦車を開発できるだけの技術力が存在しなかったため、現状では世界で唯一戦車開発能力がある日本に戦車の設計と技術提供を要請、これを受けて開発されたのが本戦車である。

本戦車の最大の特徴は全車に無線通信設備が設置され、車内に通信手を登場させていることであろう。
これは戦車間での通信を目的としたもので、FT-10中戦車は歩兵支援用戦車でありながら戦車の集中運用時でも効率的に運用が可能であった。
通信用のアンテナは機関室の上に設置されており、通信手の座席はドライバーの右隣に設けられている。

主砲としては本戦車用に日立製造所からの依頼をうけた日本製鐵所が新規に開発したM98 37mm戦車砲(21口径)を車体上に設置された鋳造砲塔に装備し、弾薬としては車内弾薬庫に37mm砲弾を120発搭載している。
照準方式は砲の左側に設置されている直接照準装置を使って直接照準操作を行う方式を採用しており、砲手は砲塔内の左側で砲の操作を行う。

M98 37mm戦車砲の最大発射速度は毎分15発とされていたが、これはあくまでも理論上の数値で基本的には毎分10発前後の速度で砲撃を行っていた。

砲弾としては軟目標射撃用の榴弾としてM94HEを、硬目標射撃用の徹甲弾としてM94 APHEが用意されていた。
M94HEは日本製鐵所が各国の歩兵部隊に売り込んでいた機関銃陣地及び特火点の銃眼の狙撃を目的とした速射砲用榴弾で、その危害半径は7mと36mm榴弾としては比較的大きな威力を有している。
M94APHEは対表面硬化鋼に開発された徹甲榴弾で、距離200mで25.4mm、距離270mで20.5mm、距離600mで15.6mmの対表面硬化鋼板を貫徹することができた。

976:ホワイトベアー:2023/02/06(月) 21:36:10 HOST:183-180-102-134.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
これはFT-8のような軽戦車を撃破するには十分な威力であったが、しかし、25mmの正面装甲圧を有するドイツ帝国陸軍のPkw27中戦車を相手にする場合は200mという至近距離でしか撃破できなかったため、大戦中期以降には順次砲塔が新規に開発されたものに変更され、主砲も日本製の『90式41mm速射砲(史実1式機動速射砲)』を改修する形で開発された『M1 47mm戦車砲(47.8口径)』に換装されていく。
M1 47mm戦車砲は徹甲榴弾であるM94APHEを使用した場合は1,000mという遠距離からでもドイツ帝国軍戦車を撃破可能な装甲貫徹力を発揮可能で、この砲を搭載したFT-10は通常型と別けるためにFT-10Aと呼称されるようになった。
また、FT-10Aの新型砲塔にはこれまで搭載されていなかった同軸機銃として7.5mm機関銃が新たに装備されていた。

装甲としては当時の協商陣営の戦車としては標準的な圧延防弾鋼板を採用しており、装甲圧は各国の歩兵砲の徹甲弾を防げるように全周囲35mmと当時の欧州戦車としては極めて重装甲となっている。
ただし、ドイツ戦車であるPkw27中戦車と同様に当時のフランスの技術力の問題で日本軍戦車のように溶接接合を行うことができず、装甲板は防御上好ましいものではないリベット接合によってフレームに接合されているという問題を抱えていた。

エンジンには速力よりも整備性と生産性を優先していたこともあって最大で78馬力を発揮可能な水冷直列4気筒ガソリンエンジンである日立製作所製のWGE-4-78を搭載し、サスペンションは4個の転輪をボギーに装着し、これを3組配して3本のコイル・スプリングと2つのショック・アブソーバーで支える構成となっている
また、コイル・スプリングを保護するために6枚の装甲板が装着された。

1910年より調達が開始されるが、1911年3月にルノーが本格的な生産ラインの整備を整えるまでは日本本土の日立製作所本社工場が生産を担当したためにその生産数は年間30両程度と少数であった。しかし、ルノーを主体としてフランス国内での生産ラインの整備が完了するとFT-8軽戦車と合わせて大規模な量産が行われ、1914年の開戦までにはその累計生産数は1,800両をこすほどFT-10が製造された。

製造されたFT-10の大半は開戦時にはその開発コンセプトの通りにプラン17に従ってドイツ帝国領土に侵攻を行う歩兵部隊の支援のために分散して配備され、プラン17の失敗とその後の大撤退では堅牢さと足の遅さから殿として使用されたことでその多くを消失したものの撤退時のフランス軍の犠牲を少なく抑えることに貢献し、製造された数が多かったことでパリの戦いなど大撤退後の西部戦線の戦いにおいても協商軍の主力中戦車として活躍した。

後継戦車として本戦車を発展させた新型中戦車であるFT-15の製造が開始された大戦中期以降もそれは変わらず、Pkw27を撃破可能なように主砲を砲塔ごと換装する改装が施された上で第一線で運用が続けられ、フランス陸軍歩兵部隊の頼れる戦友として西部戦線を最後まで戦い抜いた。

(※1)
この判断の背景には満州戦争において日本が投入した歩兵師団のほぼ全てに1個大隊規模の1式中戦車が配備されていたことがあり、フランス軍としてはまずは各歩兵部隊に歩兵支援用戦車を行き渡らせ、その後に機甲師団の整備をしようと考えていた。

977:ホワイトベアー:2023/02/06(月) 21:36:41 HOST:183-180-102-134.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
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最終更新:2023年05月04日 21:55