593:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:03:40 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
一発ネタ 大モンゴル世界
会議室となっている場所をずらりと集まる人々
いつもの面子以外にも多くの転生者が集まり、身を寄せ、話し合っていた。
自分達が知っている世界と余りにも違う世界情勢に未だ混乱している転生者も多いからである。
それもそのはず。この世界はなんと…
「「「まさか20世紀にもなってモンゴル帝国が存続している世界だなんて…!!」」」
そう。この世界では未だにモンゴル帝国がユーラシア大陸の派遣を握り続けているのである!
大モンゴル連邦帝国。それがこの世界のユーラシア大陸を支配している国の名前である。
複数の加盟国からなる連邦国家である。
名前の通り大モンゴル帝国から続く直系国家であり、20世紀においても世界最大のランドパワーを誇る国としてユーラシア大陸に君臨し続けている。
ことの発端…というわけでもないが史実との最大の乖離点は欧州遠征が続いたことであろう。
オゴデイが死なずに大分長生きした結果かバトゥ率いる欧州遠征軍は順調に欧州を進み続け、オゴデイ及びバトゥも順調に後継者へのバトンタッチに成功し続けた結果1300年までにはフランスまでを制圧し、大西洋沿岸にまで到達することとなる。
その後も順調に権力の継承が続いたモンゴル帝国は残りの欧州、アラビア半島、インド亜大陸などへも進出を進め、1500年までにはユーラシア大陸の過半を手にするに至った。
さて。そんな超ド級モンゴルと相対する日本における一大イベントと言えば元寇である。
史実では2度の元寇のみであったが、ここではモンゴル帝国が中央集権したまま残存し続けたので日本に対しても幾度も元寇が発生していた。
九州戦のリベンジマッチである第三次元寇。南北朝時代を終わらせる切っ掛けとなった第四次元寇。
九州への上陸を許してしまったが、豊臣秀吉の遠征軍により撃退された第五次元寇。
樺太方面から蝦夷こと北海道への上陸が行われ、現地アイヌ及び徳川幕府連合により撃退された第六次元寇。
日本は幾度も幾度も元寇の危機に晒されてきた。
そんな中で行われたのが外への進出である。
国防の強化と共に行われた外征計画は鎌倉幕府の頃から始まり、徐々にだが日本の領域が拡大していった。
蝦夷地への進出が早まり、現地アイヌとの衝突や交流が早くから始まっていた結果が第六次元寇における徳川幕府との共闘とも言える。
北上する以外にも南下も進めており、フィリピンへ到達し、同地を拠点として以降は東南アジア諸国に広がるモンゴルの影響力を感じ、改めて大モンゴルの強さを肌身で感じていた。
南北朝時代や政変の多い室町幕府時代ですらこれら北上と南下は続けられていたというのだから、日本の持つ危機感の強さがうかがえる。
この日本の外征計画は戦国時代の突入と共に自然と停滞してしまっていたが、その頃には南は南洲 (オーストラリア北部)、北は北嶺(アラスカ)まで到達していた。
少数ではあったが、中には沿岸経由で北米西海岸にまで進出している者達もいた。
その後豊臣秀吉による天下統一と共に外征計画が再始動。
南洲全体への入植とまばらであった西海岸への入植が開始された。
その後豊臣幕府体制へと移り、北海道を舞台とした第六次元寇を退けて以降は日蒙の関係は軽度の睨み合いとなり、主に交易を持って友好関係を模索し始める時代となる。
594:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:04:43 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
そして江戸時代となり北米こと北嶺大陸への入植を進めていく中で日本が出会った相手が北米東海岸及びハドソン湾周辺のカナダ西部にて勢力を築いていたイギリス・デンマーク連合王国とメキシコから中米に掛けて勢力を築いていたアステカ帝国である。
彼等の出自について説明しよう。
イギリス・デンマーク連合。
彼等はモンゴルの欧州遠征に押され続ける中でブリテン島に逃れた西欧勢力が同じように本土を追い出され、アイスランドやグリーンランドに落ち延びていたデンマーク勢と協力して北米のカナダ地域への対比してきた勢力である。
以降はグリーンランド経由でカナダ西部へ人を送り込み、徐々に南下。
北米東海岸を中心に入植と開拓を続けていた勢力である。
日本と英丁連合の接触当時は主に英丁側の狂乱(モンゴル人と勘違いした)ことから始まったが、誤解が解けて以降は緩やかな交流が続いた。
当時両国の入植地は大分離れていたため、大きな争いには発展しなかったのである。
むしろ地元のインディアンとの衝突や入植者同士の小競り合いの方が脅威であった。
もう一方はメキシコ・中米地域に広がるアステカ帝国である。
中南米の国々はスペインが襲来しなかったため史実のような滅亡こそ起きなかったが、東西海岸付近の入植者との交流により耐性のない疫病が蔓延。
その結果一時大きな打撃を受ける羽目となる。
この中で最終的に国力差で残ったのがアステカ帝国であり、弱体化していた周辺国を制圧…というよりも半ば保護または接収する形で吸収(これには東部のマヤ文明諸国も含まれていた)
改めて国力を増大させて復活したのがこの時点でのアステカ帝国であった。
日本と接触後は英丁連合のように当初は入植地が離れていたため、緩やかな交流や交易で終始しており、直接的な争いには発展しなかった。
これら北米勢との争いが勃発するのは各国の領土拡大が触れ合う1700年代になってからとなる。
20世紀現在に話は飛ぶ。
現代まで残った大モンゴルに頭を抱える夢幻会…が所属している日本の領土は北はカムチャツカやアラスカ。
東は北米の中央も含めた西半分。南は南洲(豪州)まで広がり、太平洋帝国と言える威容を誇っていた。
モンゴル相手に人口では劣る物の海運による高い経済力は決して見劣る物ではない。
太平洋全体で繋がる巨大な海運経済網とモンゴル以上の強力な海軍を誇る日本は正に太平洋の覇者と言えた。
対してモンゴルはユーラシア大陸の王者。
長年の統治によって生み出された陸運網や海運網は大陸の東西を繋げ、莫大な経済力を生み出していた。
無論その領土の大きさに見合った人口と軍事力も保有しており、陸戦と言う意味では変わらず世界最強である。
19世紀に起きたバチカン聖国との衝突ではバチカンの誇る騎士軍を圧倒した姿からも、その矢じりが鈍っていないことを示している。
ランドパワーのモンゴルとシーパワーの日本。長年のライバルが睨み合う世界。
ある意味
アジアが欧州を駆逐してしまったのが、この世界と言えるであろう。
頑張れ転生者諸君。少なくとも20世紀現在。アジア方面は割と平和ではあるぞ。
因みに上で紹介した国々以外にもアフリカのバチカン聖国や南米のインカ帝国などが存在しているゾ。
595:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:05:22 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
〇国家
通称モンゴルまたは蒙古。
この世界におけるユーラシア大陸の覇者。
モンゴル帝国が後継者問題で乱れず順調に勢力を拡大し続けた姿である。
ユーラシアの覇者というだけあり、領土は東は中国大陸から西は欧州大陸までほぼ全てを有する。
この他にもアラビア半島から進出して北アフリカ一帯も領土に組み込んでいる。
外からは常に巨大な帝国に見られていたが、実際には身内同士の暗闘や反乱、東西における政治の引き合いや老朽化した体制の改善など色々な苦労もあった歴史を持つ。
連邦という名の通り複数の国家による共同体であり、帝国元首も加盟国によるクリルタイ(選挙)により決定される。
連邦性になっていたのは大凡19世紀に行われた制度の改革によるもの。
老朽化し、分裂寸前になっていたモンゴルと当時のある人物が立て直した結果である。
人口は文句なしの世界一。
宗教は主だった国家(モンゴル帝国時代から残る直系ハーン国など)ではテングリ教(モンゴルにおけるシャーマニズムを体系化したもの)であるが、イスラム、キリスト、ユダヤ、ヒンドゥーなど様々な宗教が混在する多神教国家でもある。
軍事力に関しては領土と比例する巨大な陸軍力が主軸。
一時は大陸統一の代償に大分旧式化が進んでいたが、19世紀の大改革により近代化に成功。
同時期にアフリカで起こったバチカン聖国との戦争にも勝利したほど。
海軍においては沿岸防衛が主軸であり、太平洋や大西洋などでは流石に日本や英丁連合に劣る。
近年は遅れ気味であった空軍研究を進めている。
通称日本。
転生者たちこと夢幻会がいる国。
史実以上の頻度で行われた元寇に対抗するために外に活路を見出した結果かなり早い時期に北米や豪州に進出することに成功した国。
またモンゴルが早期に欧州を制圧してしまったため、戦国時代の時期になっても南蛮勢力が日本に到来しておらず、史実における鉄砲技術などはモンゴルが開発したものや転生者が再現したものが全国に広まった経緯となっている。
領土は本土の
日本大陸を始めとして樺太、カムチャツカ半島、アラスカ、カナダ西部、北米西海岸からロッキー山脈を越えて中央(グレートプレーンズ地域)、太平洋諸島、豪州大陸を始めとするオセアニア、フィリピン、ニューギニア島、台湾となる。
カムチャツカやアラスカは北領(ほくれい)と呼ばれ、これらを通って北米大陸に至ったため、日本において北米は北嶺大陸と呼ばれている。
また史実ではオーストラリアまたは豪州と呼ばれた大陸は南洲(なんしゅう)と呼ばれている。
元寇への対抗と外への進出のため史実よりも船舶、航海技術が進んでおり、20世紀においても世界最大の海軍と海運を誇る。
このため軍事力では海軍を中心としており、次点で各地を守る陸軍となる。
主にユーラシア大陸に面している北領や樺太、台湾、九州など大陸に近い地域と英丁連合やアステカと領土を接する北米へ重点的に陸軍部隊が配備されている。
戦国時代における第五次元寇を豊臣秀吉率いる軍勢が撃退したことにより、豊臣家の権威が爆上がりし、そのまま豊臣幕府が開設され続いていった歴史を持つ。
その後蝦夷地で起こった第六次元寇においても現地のアイヌ諸部族同盟と豊臣幕府の連合軍がモンゴル軍を打ち破っている。
その後北米開拓や豪州開拓を進めていく体制の劣化が目立ち始めた19世紀において明治維新が発生。
一時北領や南洲の独立騒ぎにまで発展したが、当時の人々や転生者の尽力により形を保ったまま今の帝国体制へと移行された。
同時期にモンゴルも大改革を行っていたため、介入されずに済んだと思われる。
この時の転生者たちの尽力により現在の夢幻会も相応の影響力を持つことに成功している。
逆に史実における日清戦争や日露戦争がなかったため、軍事面では今一影響力の浸透が遅れている。
しかし転生知識を使った新兵器や技術の投入により軍事方面においても急速に影響力を拡大している。
596:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:06:09 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
モンゴルの侵攻により大陸領土を追い出された国々が寄り集まり結成された国。
ブリテンのイングランドに逃げ込んできた各国関係者がデンマークのアイスランドやグリーンランド経由で北米に進出したのが始まり
現在の領土は北米東部、南部、カナダ東部、グリーンランド、アイスランド。
また西アフリカとブラジル東部に殖民地を持っている。
移民を主導したイングランドとデンマークの名を取ってイギリス・デンマーク連合王国としているが、実際にはもっと多数の国々が参加している連合国家でもある。
新大陸への避難の途中まではデンマークやイングランドの本土も保っていたが15世紀において両国共に陥落。
特に英国陥落の切っ掛けとなったアルマダ海戦は有名。
以降は完全に欧州から叩きだされることとなる。
新大陸領の開拓を続ける傍ら、南部のアステカ、西部の日本と接触。
当初は開拓地が離れていたことから緩やかな交流であったが、17世紀頃に新大陸中央部を巡り両国との衝突に発展。
結局痛み分けで終わり、中央部のうち南部寄りがアステカ、西よりが日本、東よりが英丁連合の折半で決着した。
本土のみならずアイスランドやグリーンランド。南米や西アフリカの植民地と、それらを繋ぐシーレーンを守るために海軍に注力している。
このため純粋な海軍力では日本に次いで二位と言えるが、陸軍力の不足でモンゴル軍相手では上陸地点を確保し続けられないのが悩み。
このため対モンゴル陸軍用として気球から飛行船に繋がる航空戦力を古くから研究しており、世界で初めて本格的な飛行船艦隊を整備した国でもある。
仮想敵ではかつての故郷を奪ったモンゴルが第一であるが、領土を接する日本やアステカにも注意を向けている。
アフリカのバチカン聖国とは同じキリスト教系国家であるが仲はそれほど良くない。
長年の新大陸生活の結果元の教えと大分乖離していったのが原因。
このため英丁連合の教えをプロテスタント。バチカン聖国の教えをカトリックと分けて呼ばれている。
近年では航空機の研究、開発が盛んで、未だモンゴル騎馬隊を始めとする彼らの陸軍にトラウマを抱えていることがわかうr。
597:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:07:45 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
何の因果か現代まで生き残ったアステカ帝国そのもの。
スペインによる侵略こそなかったが、アジアや欧州からもたらされた疫病により手酷い目にあい、それを同じように弱った付近の国々と手を取ることで乗り切った形となる。
領土はテキサス、メキシコ、パナマまでの中米、カリブ海諸島。
彼等も西アフリカに植民地を持つ。
英丁連合同様一時日本と北米中央を巡って衝突したことがあったが、痛み分けに終わり中央南部(テキサス付近)を取ることとなった。
太平洋、カリブ海、大西洋の三つの海の経済に接続されているため国土に対して非常に高い経済力を持つ。
近年では英丁連合や日本からの出資でパナマ運河も開通しており、経済的な恩恵が更に向上している。
軍の主軸はこの三洋シーレーンを守る海軍であるが、国土の南北にて他国と接する関係上陸軍も相応のものを備えている。
近年は遅れがちな陸軍戦力の改善を進めており、バチカン対策に西アフリカの駐留部隊増強を進めている。
アステカ同様現代まで生き残ったインカ帝国そのもの。
大凡アステカと同様の疫病による衰退と、周辺国との団結による復興を経験としており、史実のインカ帝国よりも中央集権的な性格が強くなっている。
領土はペルー、チリ、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン、ボリビア、ウルグアイ、ガイアナ、スリナム、ギアナ、東部を除くブラジルのほぼ全土。
また新大陸国家の御多分に埋もれず西アフリカに植民地を持っている。
最もブラジル地域は領土宣言をしているだけで、ジャングルの奥深くまでインカの施政権が及んでいるわけではない。
ほぼ南米全土を保有するだけあり、結構な国力を誇るがブラジル領に関しては前述の通りジャングル全てに施政権が普及しているわけではない。
ブラジル領の占有宣言も英丁連合がブラジル東部を植民地にしたことへの対抗という面が強い。
インカも太平洋、大西洋、カリブ海の三洋経済圏の恩恵を授かる国であり、非常に経済活動が活発。
軍事力はこちらも海軍を中心としているが、陸地も広いため陸軍も相応の規模の部隊が存在している。
近年はパナマ運河の開通で好景気に沸いており、西アフリカにおいてもアステカと協力体制を引きながら度々ちょっかいを出してくるバチカン聖国に対応している。
598:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:08:45 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
かつてのバチカンが周辺国を主導してアフリカ大陸へ脱出して建国された国。
地中海を渡り、北アフリカへ到達。
そこからサハラ砂漠を超えて、中央アフリカに至り、史実におけるコンゴ付近にキリスト教の王国を築いたのが始まり。
このサハラ砂漠踏破はサハラの奇跡として語り継がれている。
領土は中央アフリカ一帯及び南部アフリカ全域。またエチオピアを含む東部アフリカからマダガスカル島まで。
サハラ砂漠打破後に同じキリスト強国であったエチオピアの力を借り、建国。
以後同地域を開拓、周辺部族を制圧しながら力を増し、エチオピアと力関係が逆転したところを見計らって同国に侵攻。併合した歴史を持つ。
このため紅海経由でエジプトへと逃げ出したエチオピア正教会関係者からバチカン聖国の情報が伝わり、その存在が発覚した。
また恩を仇で返した経緯からエジプトを始めとするアフリカ系キリスト教関係者から強く警戒、または嫌われている。
異教徒、異民族であるモンゴルにより故郷を追われ、聖地も奪われた関係からモンゴル及び異教徒、異民族に非常に攻撃的な性格を持っており、20世紀現在においても対モンゴルにおける急先鋒。
新大陸生活が長かった結果大きく教義が変化してしまっている英丁連合相手にもいい顔をしないほど(しかし完全に敵対するほどの馬鹿でもない)
アラビア海付近にて度々モンゴル海軍と衝突しており、19世紀ごろには紅海沿岸経由で北アフリカに侵攻。
蒙景(もうけい)戦争を起こした。
同戦争において、戦争序盤は勢いのあるバチカン軍が押していたが、軍事改革を進めていたモンゴル側の中枢部隊が到着すると戦況が逆転し、バチカン側の敗北で終わった。
以降両国はサハラ砂漠や紅海を境に睨み合いが続いており、この状況は蒙・景冷戦と呼ばれている。
現在のバチカンは軍事増強の傍ら、西アフリカにも歩を進めており、現地に植民地を持つアステカやインカと度々衝突している。
因みに日本は身内に景教が存続している関係から異端扱いされており、関係が薄いはずなのに敵意を持たれている。
異教よりも異端の方が許しがたいらしい。
モンゴルの進撃が北アフリカで止まり、バチカンも中央アフリカの掌握と東・南アフリカ地域への進出を進めた結果近年まで放置されていた地域。
地元部族からなる小国が乱立しており、これらを巡って英丁連合、アステカ、インカ、バチカンなどが奪い合いが進んでいる。
主に大陸側。インドシナ半島の国々がモンゴル帝国に参加しており、海側のマレー半島やボルネオ島、スンダ列島などの島々は日本側の庇護下に入っている。
16~18世紀までは東南アジアにおいても日蒙の駆け引きがバチバチに行われていたが、19世紀には一旦沈静化し、20世紀現在では大凡情勢は安定している。
599:トゥ!ヘァ!:2023/03/19(日) 19:10:40 HOST:FL1-203-136-35-38.kng.mesh.ad.jp
投下終了
前に投下したオスマン・モンゴル世界ネタを基に練り直した作品です。
本当はブリテンゲートより先に書いていたんですが、あっちの方が筆が乗ってしまったので先に投稿することに。
その後はブリテンゲートネタと被っていたところを幾らか手直しして今回投下しました。
それでも割とネタ被っている部分があって少し気になる…
最終更新:2023年05月05日 23:50