305 :SARU携帯:2012/03/04(日) 16:01:24
『桔梗の花が咲きました』
日米戦争中の無定見な行動に拠って日ノ出新報社から“狂犬”という痛烈な批判を浴びた大韓帝國だったが、その後の
『韓國國民が全員自動車を持つくらい豊かな国に成長したら狂犬扱いを止める事も視野に入れていく』
という見解を受けて官民を問わず俄かに“國民車(グクミンチャ)”構想が持ち上がった。
しかし工業力どころか道路等の社会資本すら満足に整備されていない現状では画餅以外の何物でもなかった。
時は流れて1970年代、全国(軽便)鉄道網に続いて主要都市間の国道整備が始まりかつての“國民車”構想に再び脚光が集まると、国内の資本家集団による合資会社・漢江(ハンガン)自動車が設立され、国産車の開発・製造に着手した。
目標は最高速度毎時60キロメートル、運転手を除く積載量300キログラムの四人乗り自動車と、ドイツの元祖“國民自動車(フォルクスワーゲン)”を意識しつつも自国の技術力を冷徹に考慮したそれなりに現実的な設定だった。
最初の躓きは発動機選定だった。
曲がりなりにも“國民車”を名乗るからには、全点とまでは行かなくても可能な限り国産品を採用すべきという強硬な意見が多数を占め、辛うじて量産が可能な単車用400cc空冷2サイクルエンジンの転用が決められた。
駆動方式は出力と要求性能から逆算して長大なプロペラシャフトが不要なRR(後部搭載後輪駆動)式となったが、今度は国産の差動装置(ディファレンシャル・ギア:デフ)用歯車という壁が立ちはだかった。
駆動輪となった事でより大きな負荷が掛かる様になった歯車の作製は艱難を極め、時間的制約から旧米製大型乗用車のそれをデッドコピーした。
そして総てのしわ寄せは車体が一手に引き受けた。
本来ならば小型車に適したモノコック構造は国産では重量過大となる為、車台だけを鋼製として車体その物は繊維強化プラスチック(FRP)で作る事となった。それでも最低限の電装品を積む都合上、2ドアで助手席は折畳収納式――後のモデルでは完全取り外しも可能――とせざるを得なかった。
『ミニクーパーを鍋で煮詰めた感じ(後世の自動車評論家・談)』のFRP製車体は後に“モータード・バスタブ”という異称を奉られた。
実際、開発中の車体は家庭用浴槽の工場で試作され、初期ロットもそこに設置された生産ラインから産み出されていた。
306 :SARU携帯:2012/03/04(日) 16:04:00
197x年、ようやく完成量産へ漕ぎ着けた韓國初の国産車は期待を込めて〈トラジ(桔梗)〉と命名され、漢城郊外で行われた発表会では2ストロークエンジンの力強い放吼が『我等、狂犬に非ず』と言わんばかりに木霊した。
道路網整備の進んだ経済的余裕のある都市部住民がほとんどではあるが〈トラジ〉の販売は順調に進み、同時に近隣諸国への輸出が準備された。
だが、ここで思わぬ障害に突き当たった。
日本を始めとした諸外国が交通行政上の安全基準を満たしていないという理由から〈トラジ〉を公道走行用の自動車として認めず、漢江自動車に根本的改善(という名の別車種開発)を要請したのだ。
実のところ韓國国内でも〈トラジ〉は様々な問題を引き起こしていた。
積載量一杯だと急坂でエンストは日常茶飯事、屑鉄扱いで輸入した日本製三輪オートに追突したら車台毎“く”の字に曲がった(相手は僅かに凹んだだけ)、〈トラジ〉同士の衝突では車体が割れ飛び即席オープンカーにetc.
数だけは揃えた為に人身事故も爆発的に増え、一時期〈トラジ〉絡みの交通事故が韓國國民の死亡原因の五指に入る程だった。
そして2ストであるが故に騒音と排気ガスによる都市部の環境破壊は凄まじく、漢城に近い仁川への国際ハブ空港建設も外資に忌避されて頓挫した。
それでも国産車に固執する韓國政府は輸入車に法外な関税と無茶な登録税を科し、やはり非力な国産4ストロークエンジンへの換装等の努力を重ね〈トラジ〉や後発車種を走らせ続けていた。
現在〈トラジ〉は海外で意外な評価を受けている。
廉価で構造が簡単な事から公道以外の場所で用いられる車両の種車として輸入改造されているのだ。
あのどうしようもない韓國製空冷2ストエンジンを他の動力源――特に電気モーターへ置き換え、実に様々な用途へ投入されている。
最近は独フォルクスワーゲン社の下請けから始まり遂には現地ライセンス生産まで手掛ける様になったメキシコで、車体構造を再設計した〈ポインセチア〉が低所得の自国民向けに売り出され、中米カリブ海諸地域で好評を得ている。
韓國初の“國民車”が辿った道は決して平坦な物ではなかったが、その過程はともかく国力にしてはまずまずの結果を得られたと言えるだろう。
終
最終更新:2012年03月05日 22:57