350 :新幹線:2012/03/05(月) 17:14:38
太平洋戦争が日本の勝利に終わり、戦後国際体制も落ち着こうとしている頃、
夢幻会では国家百年の計として「日本列島改造論」が策定されつつあった。
史実では1972年に田中角栄によって提唱された「日本列島改造論」だが、憂鬱世界では夢幻会の手によって30年ほど前倒しで進められていたのだ。
日本列島を新幹線と高速道路の高速交通網によって結び地方経済の活性化と工業化を図るこの計画は、史実では土地の買い占めによる激しいインフレや物価上昇を招いたため、会合および計画立案を担当する一部官僚を中心に極秘のうちに進められ、45年夏にはその素案を固めていた。
計画のうち特に優先されたのは、東西日本をつなぐ日本経済の大動脈でありドル箱路線となることが確定している東海道新幹線である。
計画立案を主導したのは鉄道省官僚の下山定則。史実では国鉄初代総裁となったものの国鉄発足時の大リストラの中で疑惑の死を遂げた人物だ。
史実でも稚内から鹿児島まで駅名を暗唱できたという重度の鉄オタであった下山には、JR東海で新幹線運転手として勤務していた同レベルの鉄オタが憑依しており、東海道新幹線計画に容赦のない魔改造を加えていた。
「…55年を開通予定とし東京新大阪間を3時間半で結び、高速化により80年代には2時間半を達成、ゆくゆくは2時間ジャストを目指します」
下山によって提出された計画の内容に、夢幻会の面々が次々と質問を浴びせる。
351 :新幹線:2012/03/05(月) 17:15:59
「史実新幹線よりも2割も時間短縮の計画となっていますが本当に可能なんですか?」
「スラブ軌道の全面採用は現時点で技術的に可能なのか?予算は?」
「史実とルートや駅配置が異なるが?」
「熱海駅が無いんだが」
「デザインが100系に近い形なのはなんで?」
すらすらと用意された答えを返していく下山。
「史実において東海道新幹線は弾丸列車計画に基づいて取得された用地やトンネルを流用していたためルート設定に制限があり、また後の高速化についても十分考慮されていませんでした。我々の計画では最初から最高時速300㎞超を念頭にr4000、15パーミルを基準としたルート設計を行うことでその問題を解決します。用地取得についてはまだ全体の15%程度ですが、ルート設計の最適化に伴い総延長自体も20㎞ほど削減されています。市街区間の騒音制限についても対策は用意してあります。」
「スラブ軌道についても鉄道技術研究所にて既に技術検証は進んでいます。建設費は嵩みますが、保守コストを考えると最初から全面スラブ軌道を採用した場合10年で元が取れ、そこから先は黒字が増える試算となっています。また、高架化が容易なため都市圏における設計の自由度も増し、土地収用の効率化が望めます」
東海道新幹線の物理的制約からTGVに遅れを取っていた事を歯痒く思っていた彼とその同志達は、営業時速350㎞を合言葉に世界最速の弾丸列車を建造すべく万難を排して計画立案に当たっていた。
彼らの魔改造は無論ルートそのものにも及ぶ。
長浜駅の代わりに彦根駅を設置して若干南回りの関ヶ原ルートを取ったり、熱海駅を無くしたり、東京近郊のグネグネを高架化によってすべて取っ払ったりと、高速化を錦の御旗にかなりやりたい放題をやっていた。
高速化の最大の障害となる都市騒音公害についても車載型アクティブノイズキャンセラと障壁のパッシブノイズキャンセラを組み合わせる対策を用意済みの彼らは「最適の立地」を確保するべく辻に大攻勢をかけて彼の顔を引き攣らせていた。
「史実とのルート、駅配置の違いは高速化のためです。熱海駅の設置は蛇行がボトルネックとなるため小田原をその代替として廃止しました。しかし一番の難工事となるであろう区間でもあるため、開業時は史実に近い熱海経由のルートとして、トンネル掘削技術が発達してから改めて熱海迂回ルートを建設するプランも念のため用意しています」
352 :新幹線:2012/03/05(月) 17:17:02
そして一番の焦点となった車体デザイン。
昭和世代にとって0系車両は新幹線の象徴ともいえるものだったため、それが存在しなくなることに複雑な思いを抱くものは少なくなかった。
「車体についてはゼロ戦用に開発された強化繊維複合材を用いることで自由度の高い車体設計が可能となり、より空気抵抗の少ない形態が採用された結果です。また車両もアルミ合金をメインに使って軽量化を図っておりますので中身は200系に近いものになっています」
「感傷だと分かってはいるが、0系車両のデザインが無くなるのは寂しいものがあるな」
東条がつぶやく。
下山とて鉄道を愛する男。その気持ちは十分良くわかるが、さすがに感傷を理由に効率やコストを犠牲にしてまで設計を曲げるわけにもいかなかった。
「無くなるわけではありませんよ。彼女らの血を引く、我々が自信を持って世に送り出せる娘がその名を継ぐだけです」
場の空気が容認に収束しつつあることを感じた嶋田がまとめに入る。
「さて、どうしますか辻さん。予算が許すのであれば進めてもいいんじゃないかと思うのですが」
いかに成功が約束された新幹線計画とはいえ、史実で総工費3800億円をかけた一大プロジェクトを今の日本の財力で行うのはかなり大きな負担となる。
全員の目が辻に集まった。
「確かに負担は大きいですが、見返りが巨大なことは保証済み。良いでしょう、予算を組みます」
思わずガッツポーズをとる下山に辻は釘をさす。
「ただし」
何を言われるかと思わず身構える下山に対する辻の言葉は、斜め上にかっ飛んでいて周囲を脱力させた。
「客室乗務員の制服デザインは我がMMJにお任せいただきたい」
辻の言葉を契機に一気に脱線してあーでもないこーでもないとやり始める会合の姿に、もはや慣れっこになった頭痛を覚えた嶋田は懐から常備薬を取り出して飲み干すのであった。
55年に営業開始された新幹線は、その先進的デザインと最高速度230㎞に達する世界最速の電気鉄道の名によって、日本の技術力をまたしても世界に見せつけることとなる。
ついでに紆余曲折の末決定されたその客室乗務員の制服のデザインもまた、女学生たちのあこがれの的になるのであった。
最終更新:2012年03月05日 23:09