139 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/23(木) 03:29:57 ID:110-130-209-191.rev.home.ne.jp [21/89]
出来たぜひゅうが先生、お望みのやつが…(斎藤隊長並感


  • 五式砲戦車

 日本陸軍は英国、合衆国、果ては滅亡してしまったソ連の技術さえ積極的に。時には技術者や工作機械ごと導入を図り続けた。
 それによる各種生産、兵器開発技術の進展は大きく、戦車においては三式という一応満足すべき中戦車の量産に漕ぎ着けた。
 同時にレンドリースの支援を受けているとはいえ、広範な兵科の機械化と自動車化。航空兵力の近代化と拡充。

 それらもやはり喫緊として推進されている現状を鑑みれば、これ以上の大型戦車の配備は不可能に近い困難。つまり三式で限界と考えられた。
 事実、三式が曲がりなりにも歩留まりよく生産が行えているのは、ロシアよりT-44の開発に携わった技術者を兵器バーターで招聘したこと。
 連合軍のバスタブとなった太平洋を介して、やはり技術者ごと大量の買い付けた合衆国製の生産機械導入あってこそである。

 幸いというべきか三式には17ポンド砲という高性能戦車砲が間に合い、砲塔直径や車体構造の改正でより大口径砲搭載の余裕も存在していた。
 ならばこの戦争においては三式とその改良型の生産に機甲行政リソースを集中させ、米英に比べ乏しい国力の中で使える戦車の数を揃える。
 それが最適解であるというのが参謀本部、機甲本部双方の了解事項であり、それは前線にまとまった三式を投入できるという形で昇華していた。


 しかしながら欧州本土への反抗上陸の成功、我が法の制海権及び航空優勢確立を前にドイツ軍は装甲部隊_否、陸軍の運用そのものを転換。
 徹底した機動防御戦術による進軍遅滞、もしくは反撃という形で立ち塞がり、連合軍に対して相当な出血を強いた。
 これだけならば劣勢に陥った軍隊の常識的な対応であり、砲兵火力の集中や航空優勢を用いた近接航空支援で、対応は不可能ではない。

 この戦術転換においてドイツ軍はパンター及びヤークトパンターという、現状の前線装甲兵力の生産効率の向上。旧式戦車製造リソースの転換集中。
 更にはⅥ号b型と銘打ちながらも実質パンターの拡大型である、最大装甲150ミリと71口径88ミリ砲を併せ持つ重戦車を相当数配備。
 機動突破を受けた戦場の火消し、あるいは限定的な反撃の原動力として活用を開始し、連合国の戦争進捗計画を少なからず遅延させた。

 ミーティアやP-80などで対抗可能なジェット戦闘機よりも、これら重戦車たちは余程始末に負えなかった。成る程生産性と整備性では中戦車に劣る。
 だがそれも軍直轄重戦車大隊という形で整備、兵站を充実させてしまえば、パンター系列に慣れたドイツ軍ならば一定の稼働率を維持できたのだ。
 そして地を這う装甲車両は航空機のような軽快さはないが、森林や丘陵などの地形を用い隠蔽された場合、非常に発見が難しいのは言うまでもない。

140 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/23(木) 03:30:45 ID:110-130-209-191.rev.home.ne.jp [22/89]

 果てはⅥ号b型の車体を用い55口径128ミリ砲を搭載した駆逐戦車が、中隊単位で投入されるに至り、いよいよ損害は無視できないものとなった。
 既にこの頃の連合軍主力戦車は合衆国がM26、英国がセンチュリオン、我が国軍が三式とM4シリーズから一応の更新を終えていた。
 そのような新型戦車_少なくともパンター系列とは互角以上に戦える車両を投入して、なおもキルレシオが際どい事となったのである。

 これを受けて合衆国はM30(T30正式化版)、M34(T34正式化版)という155ミリカノン榴弾砲や長120ミリ砲を搭載した新型重戦車を。
 英国もセンチュリオンへの20ポンド砲搭載と並行して、合衆国の技術協力を受けたFV214コンカラー重戦車の投入に至った。
 世界第一位と第二位の海軍力を整備し、同重量の金塊を散財するに等しい戦略爆撃を行いつつ、60トンを超える重戦車を配備したのだ。

 世界最大の工業大国、あるいは日の沈まぬ海洋大国の底力ともいうべきものであり、同時に我が国では真似できる所業ではなかった。
 日英同盟再締結、合衆国との友好関係構築により急速に基礎工業力が発展しつつあるとはいえ、当時の日本はよく言って中堅国家である。
 世界第三位の連合艦隊と四桁の陸海軍航空隊の派兵、多数の戦車と重砲を備える欧州派遣軍編成の段階で、既に限界に近い。


 だが現実に地形を用い巧みな反撃を行い戦争計画を遅延させるドイツ装甲部隊の存在は、貧しい国故に日本の顔色を失わしめた。
 総力戦研究所の試算によれば本来ならば昭和20年に戦を負えねば、帝国は勝とうが負けようが破産不可避だったのだ。
 それを回避できているのは合衆国という巨人が齎すレンドリースという輸血故であって、本来なら破綻しているはずの財政を回しているのだ。

 それ故に陸軍は今まで以上に航空優勢と砲兵火力拡充に努めつつ、三式の車体を用いた対戦車車両。
 合衆国ならば戦車駆逐車、ドイツ軍ならば駆逐戦車と言うべき大型砲戦車の緊急開発に着手した。
 不幸中の幸いというべきかT-44は計画段階より、赤軍砲兵隊の用いる122ミリカノン榴弾砲を搭載した駆逐戦車型の設計が存在していた。

 無論原設計そのままでは力不足も良いところで、ある程度の車体拡張。そしてより高初速かつ高貫通、長射程の火砲が必須とされた。
 やはり戦時であるがゆえに既に存在している高初速火砲が陸軍、海軍を問わずにほぼ全てが候補とされている。
 最終的に採用に至ったのは海軍が四式の名前で開発、生産へ漕ぎ着けていた50口径127ミリ高角砲であった。

141 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/23(木) 03:31:28 ID:110-130-209-191.rev.home.ne.jp [23/89]

 この高角砲は合衆国から供与された護衛空母、駆逐艦、巡洋艦などに搭載されていたMk12型38口径5インチ砲の拡張型である。
 Mk12は合衆国ならではの優れた冶金技術により砲身、砲室ともに軽量高強度に仕上がっており、概ねに於いて傑作砲であった。
 ドイツ空軍機の高性能化を前に艦政本部、日本製鋼所等が共同で作り上げた性能改良型であり、本家のMk16に相当する砲である。

 やや寿命こそ短いが砲身重量を2.4トン程度におさめ、初速は被帽付通常弾を用いて850m/sと必要十分なものであった。
 対戦車戦闘ならばより軽量な弾頭の徹甲弾が主流となるため、より初速の増大を見込めることも明るい要素と言えた。
 また戦闘室、主砲を固定した砲戦車であれば、原型の高角砲に搭載されている装填補助装置も、搭載は不可能ではなかった。

 とはいえ原設計の122ミリカノン榴弾砲に比べれば格段に重く複雑なため、ロシア人技師の支援を受ける形で車体を拡張。
 転輪一つ分の車体延長を行い、固定式戦闘室の高さも三式や三式改の砲塔よりも大きな物となった。
 これでもノーズヘビーの傾向は否めなかったが、これ以上の大型戦闘車両の開発が不可能という実情が、欠点を看過させた。


 駆動系はのちの六式中戦車で採用されるサスペンション、エンジン、トランスミッションが半ば試作に等しい形で用いられている。
 そのためか当初懸念されたほどは機動力、不整地踏破能力は低下せず、中戦車隊に随伴できる程度の機動力は維持できた。
 もっともそれは特に熟練した戦車兵が乗りこなした上での結果であり、M4や三式の系列に比べれば難物であることに変わりはない。

 後の六式の駆動系が水冷ディーゼル600馬力、半自動変速機、トーションバーサスペンションという構成であること。車体構造を最大限共通化させること。
 その上で兵站と整備への負担増加を抑制するという目標から、装甲については厚みよりも良好な。戦闘室正面で45度傾斜一枚板のそれに依存している。
 100ミリ軽量鋼板を用いているため、傾斜を加味すれば160-170ミリ程度となり、パンテル系列の射撃は防げるが、それが限界であった。

 だが海軍を拝み倒し生産ライン構築へ漕ぎ着けた127ミリ砲の火力は、これらの苦労と尽力を概ねに於いて報いるものであった。
 弾頭重量23キロの被帽付徹甲弾は初速毎秒930メートルに達し、射距離2000メートルで垂直250ミリ相当の装甲を貫通。
 弾道特性も良好であり、装填補助装置の恩恵により毎分4-6発の継続発射速度を維持してみせたのだ。

142 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/23(木) 03:32:29 ID:110-130-209-191.rev.home.ne.jp [24/89]

 これは当時の連合軍を特に悩ませていたⅥ号b型を完全にアウトレンジで、正面から撃破できる貫通力で、大重量弾故に貫通後の加害力も大きい。
 その上で寸法は全高、全長ともに三式より大きくはなったものの、合衆国より供与とライセンス生産を行っている戦車用トレーラー。
 あるいは車両運搬向けの戦標船で対応可能な戦闘重量43トンに収まり、輸送と兵站という双方でかろうじて破断界を免れた。

 遣欧軍への動員数だけで三百万を超え、合衆国へのレンドリース返済には満鉄利権売却さえ不可避とされた帝国陸軍は、この砲戦車を制式に採用。
 五式砲戦車という名前を与え、M4系列の生産ラインを整備補修のみに絞り、リソースを転換することで辛うじて月産40台の生産ペースを捻出した。
 寸法や重量はまだしも大口径弾の補給。そして戦車兵に高い練度を求めることから自然とドイツ軍と同じく、軍直轄砲戦車連隊という形で配備に至っている。

 前線へ到着した五式砲戦車は必ずしも兵器として理想ではなく、特に扱いの難しさや大きな車高は閉口されたが、必要十分程度の機動力の維持。
 そしてドイツ新鋭重戦車を遠距離、正面から撃破できる火力は何よりも歓迎され、米英の重戦車投入と合わせ戦線押上に貢献した。
 勿論戦線の前進、戦局の優勢転換は機甲以外の兵科。あるいは海軍でも為された無数の努力によるものだが、戦車隊も遅れを取らず役立ったのは事実である。


 ヒトラー政権崩壊、カール・デーニッツが後継者となったナチスドイツとの終戦協定_事実上の条件付き降伏が成立したのは昭和21年末である。
 その段階で完成し前線へ配備された五式砲戦車の数は、生産ライン側の習熟もあり600台近くに達し、確実にドイツの猛獣を駆除していった。
 機甲戦力の主力は三式改や六式であったが、最悪の脅威を短時間に排除できる砲戦車の支援は、それら主力戦車の運用の幅も拡張したのだ。

 とはいえこの砲戦車は戦時下故に許された存在であり、動員解除の上で汎用性の高さを求める平時の軍隊において、存在できる余地は小さかった。
 これは六式中戦車の改良型が51口径105ミリ戦車砲への主砲換装、弾道計算機や砲安定装置の搭載などの技術進歩を遂げたこと。
 ドイツより接収した技術を用い、特に対戦車ミサイルに代表されるような対戦車火器が急速に発達したことが何よりも大きい。

 主力戦車の全般的な性能向上、対戦車火器の急速な技術進歩を受け、五式砲戦車は終戦と同時に生産を事実上終結している。
 帝国日本の戦争経済を破綻から救った急造砲戦車は、やはり技術の進歩と緊縮財政を前に急速にその姿を消していった。
 終戦からかなりの間の日本陸軍機甲部隊の主力は六式中戦車の系譜で、本当の意味での大型重MBT開発は1960年代まで待たねばならなかった。

143 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/23(木) 03:33:31 ID:110-130-209-191.rev.home.ne.jp [25/89]

あとがき


 はい、何処から見ても和製SU-122-54です。機甲戦力を重んじる史実赤軍でも割りと短命に終わったあの駆逐戦車です。
 また本車の主砲原型となった海軍高角砲は、完全国産の五式ではなくMk12を原型とした長砲身砲として、車載可能な軽量化を無理矢理こじつけました。
 原型のSU-122-44/54ですらSU-100以上のノーズヘビー、重量過大と言われた戦車でしたが…アニマルシリーズを排除するため無理に無理を重ねています。

 また装甲貫通力や初速については希少金属が史実と異なり、必要十分使えるという状況を勘案し、かなり下駄を履かせました。
 そこまでしないとT34やコンカラーを投入した米英に対し「まともに戦争やる気あるの?」という疑念を抱かれかねないからです…
 妥協とご都合主義の産物ではありますが、史実プラスアルファの日本が扱える重戦車の限界を想定してみました。ご笑覧頂ければ幸いです。

 最後に…戦後夢幻世界のチハ殿に敬礼を。いや、彼らの存在を読み込んでなければマジでギブアップでした。
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最終更新:2023年06月18日 22:23