188 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/01(土) 13:56:35 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [28/235]
一本できましたので投下します
中島 二式艦上偵察機「彩雲」
全長:11.15m
全幅:12.50m
全高:4.02m
エンジン:ロールスロイス マーリン66(日本名:水星66型)液冷V型2段2速過給機付き12気筒エンジン(定格2000馬力 高度3500m時、定格1860馬力 高度8000m時)×1
プロペラ:ロートル社式4翔3.5m径プロペラ
最高速度:729㎞/h(150オクタン価燃料・亜酸化窒素噴射機使用時) 745㎞/h(左記に加えロケットブースター使用時)
巡航速度:400㎞/h(同、150オクタン価燃料使用時)
航続距離:6109㎞(300ガロンペーパータンク使用時)
武装:後部7ミリ機銃×1(のち廃止)
乗員:3名
【解説】――中島飛行機が開発した第2次世界大戦時唯一の艦上偵察機
その高性能ぶりから日英米三国の機動部隊に採用され第2次世界大戦前期から終戦まで空母機動部隊の目として活躍した
主エンジンには、空力的洗練を考慮して1940年当時量産が開始されたばかりのマーリン66エンジン(スピットファイアMk.9などに採用)を採用
偵察機ということで割り切って米国からの輸入品である150オクタン価の特別燃料を使用し、緊急時には亜酸化窒素噴射を行う緊急ブースト機能を搭載したことから1941年当時としては異例の毎時700キロ台突破を成し遂げた機体でもある
また、空力的洗練のために特殊な塗料加工(史実紫電改などでも採用)をあわせて行ったことや英国製樹脂強化ペーパータンクの採用、そしてロートル社製の大直径プロペラを用いたことで増加燃料タンクありでは驚異の6000キロ超えの航続距離を誇った
これは、英国北部の基地からナチスドイツ領域の奥深くであるバルバロッサ・ポリス(旧モスクワ)にすら往復偵察が可能という性能であり、実際に1941年から1943年にかけては陸上運用された本機による枢軸国各国はもとよりドイツ東部やロシア戦線強行偵察が実施されている
この際に遭遇した敵戦闘機を余裕で振り切った際に発せられた「ワレに追いつくメッサーなし」という電文はあまりにも有名であり、各地の部隊によりしばしば真似された
また、2段2速過給機を搭載したことにより高高度性能も良好であり、大戦中期にかけては戦略爆撃時の先行偵察にも投入され活躍
登場当初は事実上、待ち伏せ以外での本機の迎撃が不可能であったことからドイツ空軍からは「凶鳥」として忌み嫌われた
ただし艦上運用を前提として機体が絞り込まれたことから主翼などは8割がインテグラルタンクであり、機体自体も剛性において妥協されていることからカタパルト発艦は不可能であり、通常の発進か、ロケットブースターによる加速発艦が前提であった
さらにはもともとが陸上戦闘機用の1500馬力級エンジンであるマーリンを限界までブーストしたエンジンである66型を採用したことから使用時においてはアメリカ製点火プラグや潤滑油の使用が前提であり、亜酸化窒素噴射機使用後は整備屋泣かせの機体であったという(稼働率低下はアメリカ方式の徹底した絵付き整備マニュアルの配布と訓練で乗り切られた)
こうした登場当初から限界ギリギリを攻めた機体であったことから性能陳腐化は意外に早く1945年には陸上運用の偵察機たちにその役割を譲った
ただし機動部隊運用機としては代替機が開発されなかったことから1950年前後まで艦隊配備が継続されている
最大の特徴はこの高性能ながらも登場時期が1941年末というごく早い時期であることだろう
そのため、地中海や大西洋、北海での戦いに投入され長大な航続距離と高速性能をもって枢軸艦隊を常に、ときには単機で数時間にわたって連続して捕捉し続けることができたともいえる
最終更新:2023年06月18日 22:17