267 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/02(日) 15:06:13 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [59/235]
総力戦演説(ネットワーク百科事典 電百より抜粋)
総力戦演説は、1943年1月3日にアドルフ・ヒトラーがベルリン・スポーツ宮殿で慎重に選ばれた大勢の市民の前で行った演説である。殲滅戦演説や大虐殺演説とも
ヒトラーの演説としては特によく知られたもので、ヨーロッパにおけるドイツ民族生存圏「大ドイツ帝国」の成立を宣言するとともにその後の(結果的に)世界征服と新たな世界秩序を述べたことに特徴がある
同時に、ユダヤ人絶滅政策や日本人絶滅政策に代表されるヒトラーが敵視した特定民族の殲滅を前提とした政策遂行を宣言したことから、その主目的であるドイツ全体の国家総力戦体制突入という目的はかき消されスムーズな遂行が可能となった
【前史】
1942年12月24日、日英首脳のラジオ合同発表により世界はナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策の実行と連合軍捕虜、特に日本陸海軍将兵捕虜がこれに巻き込まれて虐殺されている事実を知ることになった
BBCなどの国際放送でこれを知った当時のドイツではユダヤ人絶滅政策は暗黙の了解とされていたが、多くが新たに領有されたロシアやポーランド東部への追放に留まると考えられており、毒ガスによる特定民族の虐殺は第一次世界大戦時の毒ガス戦の凄惨な記憶を呼び起こさせる衝撃的な事実と受け取られた
だが大半の人々は連合軍による政治宣伝であり事実無根であると信じていた
一方のナチス・ドイツ当局は、当初は中立国メディアを通じて曖昧な返答しか返さなかった
というのも、ユダヤ人絶滅政策自体はアドルフ・ヒトラーの承認を受けていたのであるがその実態についての生々しい証言が彼ら自身にも衝撃を与えていたからである
とりわけアドルフ・ヒトラーの狼狽は著しく、連合軍側通信社が配信した虐殺映像とされる資料映像の真偽について親衛隊幹部を直接総統官邸に呼び出し問いただすなど1942年末にかけて不安定な精神状態であったとされる
これに対して、外相リッベントロップと軍需相シュペーアは狼狽するドイツ国民に対する説明の演説を行うべきであると説得
同時に
アメリカ世論が圧倒的多数で参戦に傾きつつある中で、いまだ国家総力戦体制下にないドイツが押し切られる危険から、ヒトラーも最終的にはこれに応じ、演説を急遽行うことが決まったのが1942年12月31日であった
演説内容については討議が重ねられたが、証拠写真ばかりか証拠映像までもが盗み出されて流出していたことから最終的に否定は苦しいと判断され、それよりも「内容を認めつつ
国民を共犯者にする」ことを優先することとされた
1943年1月2日、事前に翌日正午に重大放送を行う旨が布告され、何千万人もの人々が演説に耳を傾けることになった
【内容】
ヒトラーは、祖国は危機にありという有名な文言から演説を開始した
直後に対比する形で、ソ連戦線における有利な戦況を誇張して述べ、ソ連中央政府が崩壊した事実を確認。続いて欧州における覇権を大ドイツ民族が握ったこととこの偉大な勝利にふさわしいものは「大ドイツ帝国」の成立であると大きく持ち上げた
続いて連合国側の苦境を同様に述べ、北アフリカにおいて開始された攻勢と英国本土の孤立、そして日本本土との連絡線遮断に言及しもはや勝利は目前であると述べた
しかしこの直後、深刻な態度になり、「ニスの塗っていない絵画のような状況」について述べはじめた
すなわち、大西洋の向こう側の新大陸が参戦しようとしていると
その理由についての説明は、ヒトラーの反ユダヤ主義的歴史観を再確認させるような彼にとっての「事実」の羅列であった
268 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/02(日) 15:06:57 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [60/235]
これに加えて新たに加わったのが、これまであまり表に出ていなかった日本に対する批判であった
人種的に劣等である日本人は古来からユーラシア大陸からあらゆる文明を与えられることで成立しており何も成し遂げてこなかったという批判にはじまり、その奴隷的根性から中国人の皇帝(古代中国歴史書に皇室は周の王家から出たとされている)を未だにあがめ続けているとする侮辱を述べ、そんな彼らが第一次世界大戦で英国の手先となって参戦した事実を聴衆に思い起こさせた
そしてさらに誇張して述べたのは、敗戦後のドイツ国内で日本人が行ったとされる「蛮行」についての糾弾だった
(戦後の破滅的なインフレ下にあって外貨を持ってドイツに留学していた日本人は大変「いい思い」をしていた)
さらに第二次世界大戦に参戦したこともあわせて「もはや治療不能である」と断ずる
最終的にヒトラーは「これら文化創造民族に『寄生』するウジ虫ども」を世界から殲滅することこそが「ヨーロッパ文明を危機に陥れた犯罪者集団」に対する「的確な治療法」であると宣言し、有名な文言で大虐殺を正当化した
「これが犯罪だという者もいるだろう。だが賢明な我らはそれに対しこう返す。『それがどうした』!」
よく訓練されたナチ党員で構成された1万人以上の聴衆の「ヤー(そうだ)!」の叫びが鎮まるのをまってヒトラーはこれからの「大ドイツ帝国」の世界戦略について大きな熱意をもって語ったが、それは誇大妄想的な世界の分割とナチズム的人種論に基づく人種階級制の導入など従来のヒトラーの主張を発展させたものだった
演説の後半は国民への問いかけであった
これまでの一方的な主張に対して国民がいかに賛同しているのか、そして戦い抜く覚悟を持っているのかを一転して問いかけたものであった
「諸君は総力戦を望むか?」
に代表される質問に対し、よく訓練された聴衆はそれぞれ「ヤー(そうだ)!」の声で答えた
演説の最後は、参戦を決定したとされる
アメリカに対する挑発ととれる一言で絞められた
「
アメリカに告げる。我ら新たな力に挑戦するのなら我々はこう言おう。『かかってこい!』と」
【影響】
ドイツ国内では概ねこの演説を冷静に受け止められたという【要出典】
国防軍内部では「顔をしかめる者もあった」という程度で深刻な士気の低下は有利な戦況もあって生じなかった
枢軸国内において受け止められ方は様々であったが、イタリアのムッソリーニは「あのバカ者がやりやがった」と怒り心頭であったという
一方の連合国側においては恐怖と怒りが渦巻いた
とりわけ殲滅対象と名指しされ様々な侮辱を加えられた日本国内における怒りは凄まじく、新聞各社が反ドイツ的言説をあおったために政府が情報局を通じて沈静化を図る一幕もあった
ただし政府内部では「戦争の性質が変化した」との認識が共有され、以後の日本政府は容赦のない苛烈な戦争指導に傾斜していくことになる
アメリカ国内においては反ユダヤ人的思想団体を除けば恐怖が渦巻いた
「まさか本気でやるとは思わなかった」(ニューヨークタイムズ紙)という感想がその最大公約数になる
ルーズベルト大統領は即座に炉辺談話でヒトラーの肯定を「人類と文明に対する明らかな犯罪行為」と切って捨て、国民に「自由世界を守るための団結と戦い」を呼び掛けた
ユダヤ系が大きな力を持つ新聞各紙もこれを後押しし、1943年1月10日、アメリカ合衆国は連合軍側での参戦を議会にかけこれを承認するに至った
269 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/02(日) 15:08:14 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [61/235]
というわけで、難産ですがこれまで述べてきた総力戦演説の内容についてでした
最終更新:2023年05月20日 18:37