589 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/09(日) 01:21:34 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [153/235]
Ⅳ号戦車F型(マークⅣスペツィアル 1941年生産型)」
全長:7.02m(車体長5.90m)
全幅:2.7m
全高:2.67m
重量:25.0トン
武装:7.5cm KwK40/L48 48口径75ミリ戦車砲×1 MG34 7.92㎜機関銃×2
装甲:砲塔前面50㎜(駐退機前面70㎜) 全周30㎜ 上面16㎜
車体前面70㎜ 側面30㎜ 後面20㎜ 上面15㎜
エンジン:マイバッハV型12気筒ガソリンエンジン(300馬力)
速力:39㎞/h(整地) 不整地17㎞/h
【解説】――ドイツ陸軍が第2次世界大戦時に使用した中戦車であるⅣ号戦車の対戦車改修型
装甲厚を初期型より大幅に増厚し、さらに主砲を新開発の75ミリ戦車砲に換装したことで、当初支援戦車として開発されたⅣ号戦車は対戦車戦の主力として生まれ変わることになった
第2次世界大戦開戦前のドイツ陸軍においては、Ⅲ号戦車こそが主力の中戦車として対戦車戦の主力となることが想定されており、Ⅳ号戦車は歩兵の支援用とされていた
とはいえ開戦当初はⅢ号戦車の数が揃わなかったことからフランスの戦いまではⅣ号戦車も戦車戦に投入されている
転機が訪れるのは1941年5月、友好関係にあったソ連から一両の新型戦車がⅣ号戦車と交換でドイツの手に入ったことである
T-34戦車
開発と配備を後押ししていたジューコフ将軍がノモンハン「事変」の敗北を口実に粛清されたことから政治的に宙に浮いていた新型戦車である
政治的に勝利したソ連軍の中でも保守的なグループの手でKV-1戦車や仮称でIS(ヨシフ・スターリンの略)と呼ばれていた戦車に開発の軸足を移していたことからT-34のとりわけ初期型はナチスドイツにソ連の工業力の優秀性を示すデモンストレーションとして提供されることになったのである
だが、ソ連の思惑とは裏腹にその薬は効きすぎた
当時のドイツ陸軍の戦車では正面切ってT-34を撃破できるだけの戦車が存在しなかったとは彼らは思ってもみなかったのだ
ヒトラーはT-34を視察しひとしきり罵ったあとで、
「黄色人種の戦車に撃破される(注:フランスの戦いで捕獲された九七式中戦車改ことチハ改)ばかりか、共産主義者の戦車にも歯が立たない戦車は不要!
断じてこれを撃破できる新型戦車を作り、一年以内に1000両配備せよ!!」
と大演説をぶった
既に独ソ開戦を考えていたヒトラーが東部戦線の開設を1年間延期したのはいってみればT-34が理由だった
当時計画されていたⅣ号戦車の50ミリ戦車砲搭載計画はこれで打ち切られ、ヒトラー直々の厳命で車体の長さすら無視することを許されたことからドイツ技術陣は当時ありあわせのラインメタル7.5cm対戦車砲Pak40を改修し搭載することに決定
回転砲塔に搭載する余裕がないⅢ号戦車については突撃砲に改修することにしたものの、砲塔のターレット径に余裕のあったⅣ号戦車は新型の回転砲塔に搭載することができた
1941年8月には早くも試作車が完成し北アフリカ戦線のドイツ・アフリカ軍団で実戦テストに供され良好な成績を残した
当時の帝国陸軍が開発したばかりの一式中戦車改は砂漠戦で2000mもの遠距離から次々に本車に撃ち抜かれて帝国陸軍に衝撃をもたらし、急遽増加装甲の貼付を行っている
590 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/09(日) 01:22:07 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [154/235]
こうして実戦で性能を証明した本車はⅣ号戦車の特別型として直ちに生産切り替えが指示され、1941年9月から翌1942年4月までの7か月間で1819両が製造
独ソ開戦時にはドイツ陸軍の事実上の主力戦車となっていた
対するソ連のT-34は予定より1年遅れで改良型のM型の生産準備が開始された状態であり、その配備数はわずかに増加試作含め22両にとどまっていた
このことが独ソ戦の運命を残酷なまでに左右する
独ソ開戦時のソ連軍の主力はT-28に代表されるノモンハン「事変」で既に能力不足が露呈した戦車と少数のKV-1であったのだ
さらに奇襲攻撃の成功により制空権をドイツ空軍にほぼ握られていた
ドイツ軍の攻勢開始からわずか数週間でソ連軍は150万もの兵力を失い、さらに自軍の戦車はドイツ軍主力のⅣ号戦車に正面からは歯が立たない状態となったことから一時的なモラルハザードすら発生していた
さらに予定より1年以上の準備を加えていたドイツ軍に対してソ連軍は頑強な抵抗を繰り返すものの防衛の主軸をキエフとするかモスクワとするかで議論が分かれて貴重な時間を空費する始末で、8月までに再編成に成功したはずの最大の野戦軍すら失うに至った
そしてこの頃にはⅣ号戦車F型の生産数は合計2500両を超えていた
最終的には、ソ連側の頑強な抵抗を排除して8月に開始されたモスクワ攻略作戦「タイフーン」の末期に至るまで本車の生産は継続
冬季の到来前にヨーロッパ・ロシアのすべての鉄道網の結節点であったモスクワを占領する大きな助けとなった
とりわけ1942年10月12日にモスクワ前面24キロ地点で遭遇したT-34で編成された1個中隊をベテランとはいえドイツ軍先鋒が一方的に撃破することができたのは本車の白眉であり、1943年以降はⅤ号戦車パンターへの置き換えが進んでいったとはいえその価値は決して軽くはない
なお、2線級部隊には第一線から下げられた本車が終戦時まで在籍しており、ベルリン攻防戦時にも相当数が実戦に再び参加している
591 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/09(日) 01:24:53 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [155/235]
はい。史実と何ら変わりのないⅣ号戦車であります
ただし登場時期が1年前倒しになっています
これもノモンハンという土地でマジになってしまった帝国陸海軍が強引に軍事衝突を勝利に終わらせてしまったため
このためトハチェフスキーだけでなくジューコフも粛清され、バタフライ効果でT-34の生産開始が1年遅れてしまうことに…
最終更新:2023年06月18日 22:19