87 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/19(水) 20:50:58 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [25/225]

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/9191/1680018394/909 の続きです


征独日本世界SS 「ナチスと人種偏見 1942-」



以上のような悲劇的な光景は、なにもベルリンに限ったことではなかった
連合軍が通過していったドイツの各都市において普通に見られた態度であった
後世から見ればどうかしているこのような光景が出現したことには当然ながら理由が存在していた
第一に挙げられるのが、ヒトラーによる政治宣伝である
ヒトラーは1920年代には既に「ユダヤ・ボルシェビズムはドイツを滅亡させようとしている」という誇大妄想的な思考をしていたことが今日ではよく知られている
その単純な主張とユダヤ人排斥の訴えは終始一貫しており、政権獲得以前の「闘争時代」においても、また政権獲得後も繰り返し繰り返しユダヤ人憎悪を煽り続けていた
ここで注目すべきことは、ヒトラーはロシアのことを劣等民族とみてはいたのだが、ユダヤ人と別個の存在と考えていたことであろう
すなわち、劣等民族ではあってもスターリンはその指導力において傑出した存在であり劣等民族なりに強権をもって国力を増大させているものと賞賛すらしていたのである
ヒトラーが憎んだのは空想的な「世界を支配するユダヤ人」である「国際ユダヤ人」であり、その走狗となったソ連とは分割可能なのであった
これは当然、英国や米国も同様である
「国際ユダヤ人」にそそのかされてドイツへ武力を向けているとヒトラーは考え、国家としては同盟の構築すら可能と考えていたのだ
実際、ヒトラーは最後まで連合軍は分割可能であり最終的には同盟を構築できるという妄想を捨てることはなかった
だが、日本については事情が少々異なる
疑似科学そのものであった日ユ同祖論がその直接の理由とされたのには諸説ある
だが、一番説得力がある理由としては
「1942年末のユダヤ人大量殺戮と、官僚的手違いによる帝国陸海軍捕虜のガス室での虐殺の暴露で表沙汰になるはずのなかった汚点を晒されたという被害者意識からの過剰反応」
であろう
ナチスによる国民社会主義体制下においては、ドイツ国内においてナチスはほぼ絶対的な権力を保持していた
それまで存在していた階級社会ドイツを打破し民族が一丸となって差別のない(当然民族内部において)平等な社会を築くというのがナチスが掲げた「民族共同体」であるために、それを熱狂的に支持する民衆と唯一総統にのみ直属する権力こそがナチスの本質であったのだ
だが例外もあった
国民社会主義体制への統合に失敗したカトリック勢力である
彼らは、あらゆる意味でホロコーストの「前座」としての役割を果たした精神障碍者の安楽死(実態はガス室による大量虐殺であった)作戦、T4作戦に対しても抗議の声を上げることができ、3000万人程度は存在していたドイツ内部のカトリック教徒に大きな影響力を発揮できていた
ナチスとヒトラーはこのカトリックとの対決を彼らいわく一時的に忌避し、さらに諸外国からの視線を恐れていたのである
そのため、ホロコーストは直接的な「総統命令」を介さずに実施されていた
だが、それが暴露された
情報を提供したポーランド地下政府(占領下ポーランド内部で地下活動を行う元締め)も、日英両国も考えていたのはユダヤ人が高い社会的地位を占めていた米国の第二次世界大戦参戦への「決定打」としてこれを暴露したのだが、ヒトラーの思考経路を考えれば悪手であったともいえよう
ヒトラーは「攻撃に対してはそれに何倍もの攻撃をやり返す」ことを優先しがちであり、そのためには理屈はどうとでもつけられたのだ
つまり「手段のために目的を入れ替える」のである
ヒトラーの中では既に合理化されていた「ユダヤ人の殲滅」に対し、「ただ面倒だったうえに反撃される可能性が地理的に非常に低かったから虐殺した日本」という存在では「面目が立たない」

「是が非でも、合理的な日本人を殺戮できる理由が必要である」

88 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/19(水) 20:51:36 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [26/225]

ここに、ヒトラー独特の読書法、「自分の偏見を補強するために各種の書籍からいわばつまみ食いする」ことが加わったことで、悪魔の論理は発明された

「日ユ同祖論があるように、ユダヤ人と日本人は同じ世界の害悪である」

というのがそれであった
そう決まってしまえばあとは早かった
ホロコースト発覚からいわゆる「総力戦演説」までの期間は、この悪魔的思考を補強するための資料集めの期間であったのだ
宣伝相ゲッベルスや外相リッベントロップらの側近たちは喜んでこれに協力した
当時はソヴィエト連邦を実質的に崩壊に導いたこともあって「強制的同一化」により総統の思考を忠実にトレースするのが当然の状態となっていたドイツ人の間でも「燃え尽き症候群」的な状態が国内に蔓延していた
だが、米国参戦が確実になった今、「総力戦」のために国内の士気をかきたてるためには目に見える敵が必要となったこともあった
何より、外見的に容易に区別可能なだけユダヤ人の定義を行う際の苦労(ニュルンベルク法制定時の議論のような)よりも簡単であった
かく
て、帝国陸海軍捕虜の運命は決定された
終戦時に絶滅収容所から救出された帝国陸海軍軍人の数はわずかに5千余名
戦死あるいは行方不明者とされた59万余名の帝国陸海軍軍人と比較すると極端に少ない
彼らは組織的に殺戮され続けたのである

ここに第二の理由が登場する
プロパガンダの広がりと現実が不幸にも一致してしまったことである
ドイツ本土空襲の開始は1940年というから相当に早い
だが、1943年後半以降に本格化した大規模戦略爆撃において投入された機材が格好の宣伝材料を与えてしまったのである
中島 超重爆「富嶽」
当時としては画期的な巨人機である
英国本土を基地としてドイツ主要都市の9割以上を焼き払ったこの戦略爆撃機をナチスは「ドイツ人殲滅を企む日本人の作り出した悪魔」と宣伝したのだ
ここに、ユダヤ・ボルシェビズムがドイツの殲滅を企んでいるとする10年以上のプロパガンダとの合体の余地が生まれてくる
連合軍による大規模都市爆撃はその規模において空前であり、これを「空のテロル」としてナチスドイツは激しく糾弾した
(当然、自国によるゲルニカ爆撃やオランダ爆撃、バトルオブブリテンやロシア戦線での戦略爆撃は棚に上げてである)
終戦までに連合軍はこの「富嶽」を連合軍共通爆撃機として大量生産し、「1000機爆撃」を繰り返すことでドイツの継線能力を確実に削いでいった
それだけでなくドイツ人の厭戦感情をかきたて、ナチスへの信頼を相当に低下させることにも成功している
このことが空襲への嫌悪感とともに繰り返されたプロパガンダと合体、「日本人は悪魔だ」との認識をドイツ人に植え付けることになったのである
こうして、ドイツ本土上空で撃墜された戦略爆撃機から脱出した乗員たちのうち特に日本人を狙って住民たちが苛烈な報復を実施する余地が生まれた

第三の原因は、帝国側の反応であった
初期の捕虜が不幸な行き違いにより虐殺されたことで1942年末以降の帝国陸海軍将兵は「ドイツ人は悪魔だ」との認識で一致
北アフリカ戦線においてドイツ軍捕虜に対し苛烈な報復を行うことがしばしば発生したのである
当然ながらジュネーヴ条約違反であるため、政府は対応に苦慮した
最高戦争指導会議においても喧々諤々の議論となったのであるが、最終的にことを収めたのは昭和天皇による政治決断であった
軍の倫理規定ともいえた「戦陣訓」を奉勅命令によって改訂し、このときまでにジュネーヴ条約のうち捕虜取り扱いに関する条約を批准するとともに、当時としては前代未聞の「玉音放送」による荒療治を試みたのだ
昭和天皇は、亡き明治天皇の御製「四方の海 みな同胞(はらから)と思う世に など波風のたち騒ぐらむ」を引用してドイツ人も自分たちの同胞と思って接するようにと切々と説いた
これ以後、帝国陸海軍将兵の捕虜への待遇は劇的に改善することになった
だが、ここで思わぬ反応が起こった
ヒトラーがこのエンペラーの放送を惰弱の印と嘲笑し、帝国陸海軍による報復ができないための哀れな哀願であると断じたのである
こうして、日独の大衆同士の感情的対立は修復不能に陥った
帝国陸海軍は相対的少数の直接報復を除けばあくまでも「事務的に」「義務を守って」捕虜としたドイツ国防軍将兵を扱うようになった
逆に、ドイツ国防軍およびドイツ一般大衆は報復がなされないことがわかると進んで感情的報復に出る例が増えた
特にドイツ国防軍が「感情的報復をひそかに恐れ、表向きは劣等人種への降伏は恥であるから」「比較的待遇がよさそうな米軍を選んで降伏交渉を行い始める」傾向はこの1943年以降顕著になっていく
これを称して、「日独戦は絶滅戦争であった」と称する専門家もいる
もっともだといえるだろう
なんとなれば、「日独ともに相手を人間と思っていない」のであるから

89 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/19(水) 20:52:10 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [27/225]

かくして、アントワープ上陸作戦後にドイツ本土に押し入った際に連合軍の眼前で展開された光景は醜悪極まりない人種的偏見に彩られることになった
帝国陸海軍による私的報復は表向き取り締まりを行うMP(憲兵隊)の目を逃れて地下へ潜り、凄惨なものとなっていく
そしてそれが「表向き報復されないために」ドイツ一般大衆の感情的反発を助長することにもなった
見事な悪循環の連鎖である

第四に挙げられるのはこうした理由の帰結である
大戦中、連合軍将兵とドイツ人女性の間には自然発生的に大量の私生児が発生した
性的な風紀紊乱といえばそれまでであるが、これはどの戦争でも起こりえる事態である
これに対して帝国陸海軍は、兵士の性的処理も自国が抱え込むことで対応した
現代において悪名高いこの制度は、兵士による性的暴行が政治的・占領政策的な問題を巻き起こすことを抑止する目的で逆に日本人女性を犠牲にするものであった
だがここに「ドイツ一般大衆による反抗」への感情的反発があわさることでドイツ一般大衆をさらに激怒させる事態が発生する
繰り返すが「日独は互いを同じ人間と感情的に認めてはいなかった」。
有体に言えば、帝国陸海軍将兵は戦間期の海軍メイド事件や森鴎外の行動と打って変わって「ドイツ人を『ケガレ』として扱った」のである
差別の逆転が起きたのだ
心理的にきわめて倒錯している
性的に無視された形のドイツ一般大衆は、当初は訝しみ、やがて理由を知り怒りに震えることになったのも無理もないことだろう
このため、アメリカ合衆国の黒人兵士とドイツ人女性との間で生じたいわゆる「ラインラント私生児問題」に代表される兵士と現地女性の問題に対し、帝国陸海軍将兵と現地人との間に生じたこの手の問題は極めて少数にとどまっている

もはや改善の余地はなかった

90 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/19(水) 20:53:18 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [28/225]

1947年に開始され1951年まで継続されたニュルンベルク裁判においてヒトラーが醜悪な思想を垂れ流したことや連合軍が少なくともドイツ人を飢えさせず面白半分に殺しはしなかったことからドイツ側の態度はやがて軟化していく
ドイツ分割と合邦禁止という過酷な条件ではあったがワイマール共和政下での領土は維持され行政組織は再建されていったことも理由だろう
腹が満たされれば人間は寛容になっていくものだからだ
やがてナチス関係者への徹底追及が開始される(ニュルンベルク継続裁判)頃には一般大衆も冷戦体制に順応し、凄惨を極めた絶滅収容所における虐殺行為が繰り返し宣伝され恥の感情をかきたてたことから少なくとも人種絶滅政策への支持は劇的に低下した

だが、のちの日本連邦構成国がドイツ再統一禁止条項を主張した主体であるという記憶は、ともすれば経済的報復を行った大英帝国や軍事力解体を主導したアメリカ合衆国と異なり旧大日本帝国への偏見をむしろ強化するに至ることになるのである
1970年代に展開されたヴィリー・ブラント ラインラント首相による「極東外交」により少なくとも政府レベルでの和解は促進された
だが、一般大衆は「旧帝国陸海軍による過酷な仕打ち」をしばしば主張するようになっていた
その多くが連合軍共通の問題であったにも関わらず
旧ドイツ諸国はこうして冷戦終結により歴史観の見直しが新世代により推進されはじめるまで根強い反日感情を維持し続けることになるのである
一方の日本連邦諸国においても感情的しこりは根強く残り続けた
21世紀現在も日本列島には「征独通り」や「征独町」といった地名が数多く残っているのがその証左であろう(旧ドイツ諸国の市民団体は改名を要求しているが応じられる気配はない)
だが希望もある
冷戦終結後の新世代は民間交流を通じた和解活動を推進しており、主として文化交流において大きな成果を上げてもいる
一般大衆レベルにおいても日独の互いへの偏見はほとんどなくなっているという調査結果もある
だが、数が年々減少しているとはいえ第二次世界大戦や連合軍軍政を経験した80代以上の世代においては感情的対立はもはや修復不能と称され、政府間の相互訪問時においても互いに非難の応酬と暴力行為の発生は日常化しているのが実態である

91 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/19(水) 20:55:27 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [29/225]
というわけで一本
こじらせたなぁ…という話でした
重い話ですが、史実のヒトラーの思考回路とぴったり当てはまってしまったのにちょっと戦慄しています
ご笑納くだされば幸いです

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最終更新:2023年05月27日 19:25