160 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/20(木) 20:16:18 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [59/225]


征独日本ネタSS――「カレーについてのエトセトラ」



第2次世界大戦を機に各地に広がった料理は数多い
日米英三か国に加えて、英連邦諸国や共同交戦国となったイタリアやロシアの郷土料理が肩を並べて戦う軍隊同士に広まっていったためである
有名どころでいえば、アメリカ軍が作っていたパスタのケチャップソースがけを見た横浜出身の給糧員が改良した「スパゲッティ・ナポリタン」(前線では歩兵が持つスコップを熱してその上で供されるものが流行しのちの『鉄板ナポリタン』へと発展した)
ビルマからやってきた英連邦軍の兵士の郷土料理を見よう見まねで作った「ビルマ汁」
そして飽きるほど提供された肉の缶詰スパムを使った「スパムむすび」などがある
また、日本から海外へと輸出された食文化も数多い
主として海軍から海兵隊を経由して広まっていった寿司や天ぷらはもちろん、オムレツから発展したオムライスや、グラタンから発展したドリアなどが連合軍将兵には好まれた
7年以上の欧州派兵から日本本土に帰還した兵士たちが概して肉食やパン食に染まっていたのは当然であるが、連合軍将兵もまたこれらの食文化を各地へと拡散させていったのである

中でも連合軍将兵に最も好まれたものがある
カレーライスである
元来がインドの伝統料理であったカレーであるが、もともとは汁気の多いスパイス煮込みといった風の料理であった
インドでは各地方どころか各家庭ごとにレシピがあり、日本でいうところの味噌汁といった風の「おふくろの味」であったこのカレー
19世紀以来の植民地支配でまず英国へ伝播したカレーは当時の英国内部でもかなりの流行を見た
ここでようやく日本が登場する
明治維新以後に軍備の建設を押し進めていた日本の、特に海軍がカレーと出会ったのだ
そのカレーは、種々のスパイスを調合するのではなく大量生産されたカレー粉を用いたうえに船上で零れないように小麦粉でとろみをつけたものだった
新しいもの好きの日本人らしく、帝国海軍はこれを軍の献立として導入した
兵役の間に覚えたレシピをもとにこうしてカレーを食する習慣が日本人の間に根付いていく
そしてなんといっても忘れてはならない発明が1930年代に行われた
固形のカレールーの登場である
ある食品会社に勤務していた発明者は突然の頭痛に襲われ階段から転げ落ちた
心配する周囲に対して「今、何年だ?」というこの当時流行のジョークを飛ばして落ち着かせた彼には既にその瞬間にアイデアが頭に宿っていたのだというが余談である
当時、カレーはカレー粉を使って時間をかけて作るものであったが、これにより具材を煮込む鍋の中に決まった量を投入すればカレーが作れる時代が登場したのだ
あわせて、初期のキッチンカーである「野外炊具1型」が登場したこともあり、カレーは陸軍が戦場で作ることができるようになった
何よりも少々のビタミンを補充すればこれ一品で食事として完成されている
さらに当時大量に手に入ったいわゆる南京米、現代でいう長粒種のタイ米や開発されたばかりの押し麦を混ぜ込んだ「戦闘米」でもおいしく食べられる(むしろ合う)という特徴もまた陸軍当局をして採用を決意させるのに十分であった

161 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 20:17:06 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [60/225]

こうして採用されたカレーライスが、当初は駐留していた英本土や北アフリカ戦線から英軍に広まりはじめた
中でも大きな発明がこの頃再び海軍でなされた
遣欧艦隊所属の重巡洋艦「足柄」において1940年、カツカレーが発明されたのだ
揚げ焼きに近かったカツレツがたっぷりの油で揚げる豚カツに発展したのは1920年代末のことであるが、これをカレーに載せたものを当時の烹炊所で考案され、遣欧艦隊司令部の面々と英国海軍との打ち合わせの席で供されたのである
しかも当時肉叩きでひたすら叩いて伸ばされていたカツの肉を大胆にも厚切りにしたうえで既に切り分け、スプーンのみで食べられる形式が整えられていたことから、面々はこれを絶賛
この「足柄式カツカレー」(発明者は愛する乗艦にこの発明を捧げる旨のコメントを残している)のレシピが日英ともに公開されたことから一気に普及がはじまる

そしてその頃には、米軍の参戦が間近に迫っていた
さらに帝国陸海軍の将兵がこのカツカレーを好んだのには「勝つ」と「カツ」をかけた語呂合わせが関わっているのだが、これも戦時下ならではの事象といえるだろう

話を戻す
1943年、カツカレーを「発見」した米軍は戦後に国民食となる元宗主国英国と同様これを大いに気に入った
酷寒の北大西洋を渡る船団護衛の途上では帝国海軍の慣習にならって7日に1度は必ずカレーが供されたことから味を覚える将兵が激増
さらに灼熱の北アフリカは赤道に近いインドに近い環境にあるといえたし、のちに上陸作戦が行われた西部戦線の冬はカレーにとって最高の調味料となった
要は、気候がカレーに適合したのである
帝国陸軍の兵士たちが大切な作戦前になると決まってこの「カツ(勝つ)カレー」を食べていたのを見た米軍将兵も縁起のいい食べ物としてこれを「ヴィクトリーカレー」と命名し特別感のある食べ物として扱いだしたのもこの頃である
そして何より、アントワープ上陸作戦前に大軍が集結していた英本土には、米軍兵士に言わせればであるがあまり美味な食べ物がなかった
保存食であるスパムに衣をつけて揚げた代用品が「ハムカツカレー」と呼ばれるようになったのものもまたこの時期であった

そして、欧州大陸にカレーが持ち込まれた
1945年初頭には、カレーはもはや連合軍の共通食の感すらあったほどだ
(なお、前述のスパゲッティ・ナポリタンに対して激怒していた共同交戦国イタリア将兵もこれには文句をつけなかったという)
ベルリン陥落の日はたまたま金曜日であったことから勝利を祝い大量のカツカレーが供されたと記録されている

余談であるが、ドイツ人は当初はこのカツカレーを見た目から嫌っていた
ヒトラー総統も、料理の壊滅した英国を罵って久しく、政治的にもうまいといえる雰囲気ではなかった
さらに、占領下ドイツから買い上げたハムの類に衣をつけて揚げた「ハムカツカレー」は窮乏生活を送るドイツ人にとっては冒涜的な産物であったし、普通のカレーに自分たちが食べていたはずの肉類を浪費されているという感覚もこれを手伝っていたのだろう
これを知った帝国陸軍将兵は、あえて配給の食事を週に一食このカレーに変更する挙に出た
当時の反ドイツ感情の発露であったともいわれるが、おそらくは半分以上は単なる善意であろう
ドイツ人の舌がカレーに染まるのに、時間はかからなかったのである

162 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/20(木) 20:18:27 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [61/225]
【あとがき】

とりあえず即興ででっちあげてみました
こういう平和な箸休め回、お好きですか?

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最終更新:2023年05月27日 19:03