467 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/26(水) 00:48:31 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [135/225]
戦艦「大和」型(竣工時)
全長:275.1m
全幅:42.6m
喫水:10.8m
基準排水量:7万1900トン
満載排水量:8万3420トン
主機:艦本式ロ号缶(蒸気温度400℃ 40㎏/平方センチ)12基 艦本式衝動タービン4基(当初19万3800馬力 制限解除後23万4000馬力)
発電機:1250kWターボ発電機8基(ツイン配置) 600kWディーゼル発電機4基(合計1万2400kW)
速力:当初28.5ノット 制限解除後31.42ノット(何れも公試時)
航続距離:9000浬(16ノット時)
主砲:99式50口径46センチ砲3連装3基(94式の砲身を延長、薬室を新型徹甲弾に最適化)
武装:40口径12.7センチ連装高角砲14基(砲塔搭載式)
28連装対空噴進弾発射機8基
ボフォース40ミリ機関砲4連装25基
25ミリ単装機銃32基
装甲:主装甲帯410ミリ+57ミリ被帽破砕装甲(20度傾斜)
甲板最厚部230ミリ
主砲防盾540+110ミリ被帽破砕装甲 天蓋270ミリ 側面250ミリ
司令塔500ミリ
艦内各所に20ミリスプリンター防止装甲配置
搭載機:零式水上観測機3機
同型艦:「大和(1942年4月竣工)」「武蔵(1942年11月竣工)」「信濃(1945年1月竣工)」
【解説】――帝国海軍が第2次世界大戦時に建造した史上最大の戦艦
満州事変以後の日米関係が悪化していた時期に計画され、またロンドン海軍軍縮条約明けに建造されたことから強力極まりない攻防性能が与えられており、大戦中に間に合ったことから結果として大戦中で期待を上回る活躍を示した
大和型戦艦は艦艇数で勝る米英両国に質で対抗することに加えて、旧式化していた扶桑型以降の戦艦群を代替する新世代の戦艦群の第1陣として計画が開始された
1934年当初は排水量5万トン程度に50センチ(20インチ)以上の主砲を搭載するものとして軍令部から要求が出されていたのであるがどう考えても不可能であることから46センチ(18インチ)砲搭載と修正が加えられ、当時の艦政本部のホープであった藤本喜久雄や江崎岩吉らの手によって6万7000トン程度で艦体前部に主砲塔3基が集中配備された高速戦艦として計画が進められていた
しかし、計画中に発生した「友鶴事件」によって設計責任者の藤本喜久雄が謹慎処分に処されたことから計画の命運は大きく狂う
結果的に無実が証明された藤本が心労から急死してしまったのである
結果として藤本の前任者で犬猿の仲であった平賀譲が復権してしまい、平賀は政治力を駆使して江崎を左遷。計画は彼の愛弟子である福田啓二に委ねられることになったのである
このため設計は保守的なものへと変貌
主砲塔配置は当初は前部集中配置とされたものの、やがて前部2に後部1のオーソドックスなものに
機関もディーゼル機関と蒸気タービンの混載予定がすべて蒸気タービンへと変更されることになり、これは最後まで変更されなかった
だが、計画が終盤に入った1936年12月、またしても計画の運命は変動する
平賀譲が交通事故によりこの世を去ったのだ
そのため、結果としてこれら巨人二人の影響から土壇場で計画は影響から抜け出すことになったのである
468 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/26(水) 00:49:12 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [136/225]
後世、三奇人と呼ばれることになる計画責任者の福田啓二と左遷されていた江崎岩吉、そして戦後の艦政本部を牛耳った牧野茂らはかねてより温めていた新型戦艦計画を上層部に提出
海軍省に代表される「用兵側」と艦政本部は上へ下への大騒動に巻き込まれた
さらに事態を悪化させたのは、対米諜報情報からもたらされた極秘情報だった
「米国は既に18インチ砲Mk.Aを試作せり(事実だった)」
「米国次期戦艦は排水量6万トン以上(のちのモンタナ級戦艦)。パナマ運河通行をあきらめた模様(事実だった)」
諜報情報はほぼ正確であり、米海軍当局は45口径18インチ砲の搭載を想定し設計案をまとめようとしていたこともまた事実であった(帝国海軍が16インチ砲戦艦を建造していると想定し採用を一度断念したが)
新型戦艦は米英の新型戦艦を「質」で上回らねばならない
その前提条件が崩れたのである
このため設計完了していた当時の設計案A140-F6をどうするべきかで激論が交わされていたのである
結果、艦政本部から出された複数の試案の中から三奇人の提案が海軍上層部の目に留まったことになる
彼らが提案したのは、「主砲の威力増大と防御力の徹底的な強化」によりともかくも米国の新型戦艦を上回る攻撃・防御力を手に入れることに加えてのちに改設計型の51センチ主砲搭載戦艦を建造するための技術的テストベットとして本級を位置づけるというものだった
当時の計画においては、新型戦艦は1945年までに4隻を建造したうえで2隻を1947年までに、そして改良型を1950年までに6隻建造することによって米海軍に対抗しようという予定が組まれていた
これを変更し、1945年までに3隻を建造。運用実績を勘案し1950年までに残り8隻以上を集中建造するというのである
喧々諤々の議論が起こったが、最終的には海軍の戦艦重視派(艦隊派)と航空機重視派(航空派)の妥協が成立したのは1937年1月のことであった
艦隊派としては新型戦艦の強化と建造が実行に移せた点で妥協が可能であった
航空派としては新型戦艦による完全な戦力代替までの「つなぎ」として空母多数(のちの大鳳型)の量産と航空隊拡張へ予算が投入される点である程度満足すべきとされた
よく言われるように、第二次世界大戦勃発が迫っているのを察知して航空機優先の方針がとられたわけではもちろんない(3番艦の建造開始はこれらの予算措置の都合から2番艦から2年ほど開いている)
決定が下された時点で、三奇人が既にラフプランを完成させていた点からすれば、彼らは提案時点で構想をまとめていたのは確実であろう
詳細設計に加えて搭載予定装備品の開発も同時進行で行われていたこと、さらに資材収集や建造ドック拡張が遅れたこともあって予定は4か月あまり遅れたものの、1番艦こと「1号艦」は1938年3月に呉海軍工廠において起工。2番艦こと「2号艦」は1938年8月に三菱長崎造船所において起工された
3番艦こと「110号艦」は大きく遅れて1939年12月に(建造停止の要求を跳ねのけつつ)起工された
工事は順調に進捗し、1番艦は「大和」と命名され1942年4月15日竣工。2番艦は「武蔵」と命名され1942年11月19日竣工。3番艦は「信濃」と命名され1945年1月3日竣工している
469 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/26(水) 00:50:12 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [137/225]
以下に詳細を述べる
艦体は、A140-F6案のものを艦首と艦尾を延長し舷側バルジを拡大した形状をしている
艦首は日本の戦艦としては初めて球状艦首を採用しており、30ノットに最適化された(後述する)形状の内部にソナーが付属している
舵については大きく見直され、通常の主舵並列2枚に加えて後部に副舵2枚を常備。艦首下部に大型の引き込み式並行舵を並列2枚配した
艦底部にはビルジキールに加えてフィン・スタビライザーが両舷に各2基ずつ配されている
これらによって安定性と操艦性と高い旋回性能を並立しているが、舵がききはじめるまでの時間は巨体であるがゆえにこれまでの戦艦よりもやや遅く回避運動時には注意が必要であった
艦橋はこれまでの七本脚式ではなく塔型の密閉艦橋を採用
エレベーターを完備したことにより当初設計よりやや大型化することになったが独特の優美な形状となっている
また、巨体であるために居住区画も従来の戦艦より著しく増大しており、ハンモックが廃止され兵員はベッドで眠ることができるようになった
機関は、当初は初春型駆逐艦用の艦本式ロ号缶を定格出力9割に落としたうえで搭載予定であった
しかし、上述の計画変更に加えて後述の砲弾重量増大や電探搭載などの各所での所要電力増大が予想されたことから著しく発電能力を増大させる目的もあって当時最新鋭の艦本式ロ号缶を使用することになった
これは最新の陽炎型駆逐艦に採用されたものではなく、次期甲型駆逐艦(結局建造されなかったが戦後建造された駆逐艦には標準装備とされた)用に開発されたばかりのものであり艦政本部内部でも反対意見が噴出したほどだった
だが上述の平賀による干渉で保守的な構成となる以前は20万馬力計画案とされていたことに加えて「陽炎型駆逐艦では既に1缶あたり1万6700馬力が実証されているため、当初はリミッターを設ける」「試験駆逐艦天津風(1937年計画)での運用実績が得られ次第リミッターを解除し1基あたり2万2000馬力を確保。優れなければ換装すればよい」として退けられた
これは航空派が空母機動部隊護衛艦としても本級を使用できるようにと援護射撃を送った結果でもある(山本五十六海相はのちに、空母への改装も考慮していたと発言している)
この結果、十分な運用実績が積まれた1944年以降はリミッターが解除され(ただしこの時点でも出力は9割へ制限)本級は30ノットの大台を超えた高速戦艦になった
また、機関換装による効率上昇を考慮して燃料搭載量も再検討された結果として航続距離過大が判明したことから燃料搭載量も4分の3程度に削減されたうえで間接防御用の液層タンクへとまわされたことで大幅な空間の余剰が生じたが、これは後述の防御力強化に転用されている
発電能力は、当初は4000kW程度とされそれでも過剰と想定されていたが、主砲塔大型化や各所への電動補助機器追加に加えて将来的な発達を考慮したことから主ターボ発電機の出力が大幅に増大するとともに数も倍加
これに補助ディーゼル発電機が追加されたことで1万2400kWもの電力が確保された
このため、大戦中は英国由来の電探や射撃指揮装置の多数搭載にも関わらず発電能力に不足はなく、戦後の改装においてもディーゼル発電機の多数追加によって対応された
目立たない部分では、これら電子機器の性能維持用も兼ねて全艦に冷暖房設備が完備され、居住性能の向上に貢献している
470 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/04/26(水) 00:50:48 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [138/225]
装甲防御は、主要防御区画の直接防御力を重視したA140-F6案に加えてそれ以外の徹底的な間接防御力の強化が図られた
主装甲が傾斜装甲であるのはもちろんであるが、これに徹甲弾の被帽を破砕したり、航空攻撃の信管作動を目的とした副装甲が追加された二重装甲が舷側防御に加えて主砲塔にも採用
甲板も山なり弾道の敵弾や航空攻撃を考慮して230ミリが確保されたことで、想定された米軍の18インチ45口径砲だけでなく自艦の大重量新型徹甲弾(一式徹甲弾)に対しても十分な防御力が確保されている
さらに間接防御面で重要であるのは、艦内通路や防御区画には敵弾命中に伴う破片、スプリンターにより柔らかな人体が損傷するのを抑止するために各所にスプリンター防止装甲が貼られている
前述の空間拡大とバルジの拡大から両舷側には揺動安定装置を兼ねた注排水区画が設けられ、潜水艦用の高出力注排水装置が併設されたことで当初計画よりも3倍近く早い速度での応急注水が可能となった
バルジには、装甲帯を下支えする補助構造材が追加されており、水線下にも防御装甲が伸びたことで水中弾の命中にも対処している
対魚雷防御には特に注意が払われ、水密防御区画は当初計画よりさらに増大したうえで縦貫隔壁が設けられたことから当初の「最上型重巡洋艦を拡大したような」防御構造から脱却した
さらに魚雷の艦底炸裂からの浸水も考慮して三重底構造がとられている
唯一不安点とされたのは機関配置であったが、全長と艦体の圧縮のためにシフト配置はとられずかわりに横幅増大を甘受して4列の並列配置とされ機械室も含めて各個に独立した水密防御区画が設置された
この措置によって内側の缶及び機械室は極めて頑強となっており、計算上は数十発の魚雷の両舷への命中に対しても耐久力を維持できる(なお実際に命中することはなかった)
主砲は、当初予定された94式45口径46センチ砲(当初は40センチ砲と偽装呼称した)ではなく、米英の新型戦艦に対し中距離砲戦において圧倒的な投射量を実現し、かつ初速も維持するという目標から開発された99式50口径46センチ砲の開発が間に合ったことからこれが採用された
これは、徹甲弾の形状を見直しつつ重量を従来型から2割以上も増大させた大重量徹甲弾(重量1.72トン)を改良された水平尾栓を有する薬室により距離4万にまで飛ばす能力を有していた
のちの対独戦での活躍をみれば皮肉なことであるが、この製造のためにドイツから最新の超大型ハンマー及び旋盤が購入されることになり、1938年1月に呉に納入
210トンに達する鋼塊(インゴット)を用いた砲身が製造された
94式45口径46センチ砲に上述の改良型薬室と尾栓を追加した「試製乙砲」に対して「試製甲砲」と呼ばれる本砲は当初から「砲身内筒をボーリングすることで拡張し51センチ砲へと進化させる」ことを目的として設計されており、のちに量産される予定の超大和型戦艦の主砲としても流用される予定であったという
両砲の試験が行われたのは1939年2月であったが、この時点で大和型戦艦は主砲の完成前であったことになる
試験結果は良好であり、主砲塔はあらかじめ余裕を持った設計とされていたことから換装に大きな問題は発生していない
なお、重量1.72トンに達する主砲弾は人力のみでの運搬が困難と考えられたことから主砲塔は日本の戦艦としては初めて機力による装填を主とした運用がなされることになった
前述の電力確保と砲塔重量の当初からの増大(51センチ砲への換装も考慮してあらかじめ余裕のある配置とされた)もあって、水圧のみでの砲塔旋回は早々に諦められており、電力での補助が各所に追加されており、のちの砲塔内部への補助射撃指揮装置配備にも大いに役立つ結果となっている
前部に2基、後部に1基の主砲塔に各3門ずつ配置された主砲は、距離3万メートルの中距離砲戦距離において520ミリ、2万メートルの近距離砲戦距離において660ミリもの垂直装甲版を貫通する能力を持っており、これは大戦に投入された各国戦艦の中で文句なしの最強を誇る
471 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/26(水) 00:51:28 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [139/225]
当初は副砲の搭載が考えられたが、航空機の能力増大とともに全長削減を考慮して高角砲を両用砲的な運用とすることととなり廃止となった
このために専用の高角砲が開発されることとなりのちに一式12.7センチ単装高角砲(3番艦信濃には当初から装備)となったが、1、2番艦には開発が間に合わなかったことから当初は89式40口径12.7センチ高角砲を電動機強化の上搭載することで妥協されている
長門型以前との違いとしては新たに開発されたばかりの98式射撃指揮装置と大型の94式射撃指揮装置が当初から多数付属しているために同時多数目標の捕捉が可能であったこととその精度が秋月型直掩艦と同等であったことにある
また、1939年には設計が変更され本級においてはじめて当初からボフォース40ミリ機関砲が採用され高角砲と小口径機銃との間の中距離の防空能力が格段に向上している
これらの結果当初は配備予定であった25ミリ機銃は3連装砲塔としては全廃され、単装機銃のみの配備となった
以上が完成時の本級の要目であるが、本級は完成直後から対独戦に際しての欧州派遣と繰り返された損傷に伴い多数の改装が加えられた
中には、米本土のドックを借り受けて行われたものもあり、この際に連合軍共通規格として主として電子装備の強化と射撃指揮装置の換装が行われ艦様は変わっている
さらに戦後になるとさらなる大改装が行われ各艦は艦様が一新された
これらの各改装については機会を改めて述べようと思う
472 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/04/26(水) 00:52:12 ID:p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [140/225]
以上です
とりあえずこれにてご勘弁ください
おやすみなさい
最終更新:2023年06月18日 22:20