787 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/05/27(土) 15:05:21 ID:220-247-89-251.tokyo.fdn.vectant.ne.jp [15/19]
日米枢軸ネタ 設定集『30式歩兵戦闘車』

30式歩兵戦闘車
全長  :6.8m
全幅  :3.6m
全高  :3.1m
速度  :70km/h
エンジン:三菱MTA-T-06 4ストローク直列10気筒液冷ディーゼルエンジン(1065hp/4250rpm)
航続距離:600km
乗員:3+7名
兵装
  :90口径35mm機関砲 ×1門
  :7.62mm車載機関銃×1丁
  :連装対戦車誘導弾発射装置×2基

【概要】
30式歩兵戦闘車は大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍海兵隊が西暦1930年に採用した日本初の本格的な歩兵戦闘車である。
世界大戦時に日本軍の主力歩兵戦闘車として活躍した16式歩兵戦闘車の後継車両であり、1930年に正式採用が決定して以降、1950年までに日本軍・戦闘警備隊向けのIFV型のみで約30,000両以上が製造された。

【開発経緯】
満州戦争における戦訓から機甲部隊こそ今後の陸戦の勝敗を別ける存在だと認識した日本軍は機甲部隊向けの装甲兵員輸送車両として兵員輸送のみを目的とした10式装甲兵員輸送車をその主力として精力的に配備していた。

10式装甲兵員輸送車は戦車に随伴して行動する事も可能で戦場まで兵員を送るタクシーとしては十二分に活躍できるスペックを有していた。
さらに取得・運用コストが安い事から日本軍では派生型も含めて大量に配備されていたが、武装が取り付け式の三式車載重機関銃のみで機甲部隊の一員として戦車と共に行動し敵部隊と戦うには能力不足が否めなかった。

この問題は配備開始から早々に認識されており、陸軍・海軍海兵隊問わずに一定の戦闘能力を有する装甲兵員輸送車の配備するための予算を請求していた。

ただ軍部の予算請求は仮想的国の装甲戦力がそこまで強力ではなかったことや、満州戦争における戦訓から『戦略爆撃鬼つぇぇ!!逆らう奴ら全員焼いていこうぜ!』という戦訓を経て成層圏の要塞とも呼ばれる超大型戦略爆撃機である9式戦略爆撃機を大量量産していたこと、欧州での建艦競争に対抗した海軍の大軍拡の実施もあって議会で却下されてしまう。

議会の理性的な判断によって日本の経済成長は維持された。
その一方で日本軍は10式装甲兵員輸送車に25mm機関砲塔を搭載するなどの改造を施した16式歩兵戦闘車を採用することでお茶を濁さざるを得なくなる。

日本軍が改造でお茶を濁した一方で、日本の同盟国であるアメリカでは世界大戦の震源地である欧州が日本よりも近いことや、南北戦争の反省から日本よりも装甲兵員輸送車を重要視していた。
そのため日本のように既存の装甲兵員輸送車に改造を施してお茶を濁すのではなく、新規設計の新型歩兵戦闘車の開発が行われることになる。

開発を担当したのは史実のソ連系兵器を愛し、史実西側兵器を重視する日本から新天地であるアメリカにその活動場所を移したカモミールであった。
彼らは合衆国軍の一見無茶だと思える過酷な仕様要求を完全に満たした歩兵戦闘車を開発。
アメリカ合衆国軍は1920年より40口径105mm低圧砲という大口径の火砲と半自動有線誘導方式を採用したMGM71「ドラゴン」対戦車ミサイルによる強力な攻撃力と強化された装甲による防護能力を備え、さらに1個分隊を輸送することが可能と言う画期的な装甲兵員輸送車であるM8歩兵戦闘車の配備を開始する。

このM8歩兵戦闘車の登場を受けイギリスやドイツ、ソ連などでも同様の車両(ミサイルは無い)の研究を急いで開始していくなど列強各国は大きな衝撃を受けた。
だが、これらの国よりも遥かに大きな衝撃を受けた国がある。
アメリカの同盟国であるはずの大日本帝国だ。

当時の日本では自国こそ最先端かつ最強の軍事力を有していると言う慢心的な自負を軍民共に抱いていた。
その一方で保有している歩兵戦闘車は装甲兵員輸送車である10式装甲兵員輸送車に多少の改造を施した16式歩兵戦闘車のみで本格的な歩兵戦闘車は試作車の完成はおろか研究すら開始されていなかった。

自分らの認識と現実のギャップに国民はもちろん政治家も大きな衝撃を受けた。
また、実利の面でも自国を軍事的に上回ろうとしているように映るアメリカの軍拡に対抗しない訳にもいかない。

そうした事情から陸軍と海軍海兵隊のみならず国民までもが本格的な歩兵戦闘車の取得を望むうようになり、1923年より陸海軍共同での次期主力歩兵戦闘車開発計画である次期主力歩兵戦闘車計画が議会の了承を得た上でスタートする。

788 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/05/27(土) 15:05:57 ID:220-247-89-251.tokyo.fdn.vectant.ne.jp [16/19]
【車体設計】
計画の立案にあたり陸軍および海軍海兵隊が提示したコンセプトは

「空軍の運用するC-27で空輸ができ、欧州連合の主力戦車と歩兵戦闘車の混成部隊を次期主力戦車と共に迎撃できる車両と言う」

であり提示要求は

「空軍で運用するC-27長距離輸送機で空輸が可能で、主砲は最低でも16式歩兵戦闘車と同レベルとする。
さらに開発の進む次期主力戦車と共に行動をする事が可能で、試作戦車と同レベルの戦車を撃破可能な火力を有する。
防御力は重機関銃および歩兵用対戦車武装に耐えれる程度」

と言うのものであった。
コンセプトと提示要求に沿って三菱重工が軍に提案したのが歩兵戦闘車が本車両である。

開発コンセプトで提示された要求の1つとして日本軍の主力戦車に追従できる速度を維持できる事と空輸可能なことが挙げられていたため、開発当初は車体の外部装甲はアルミニウム合金を、車内の重要な部分にはラミネート装甲を採用するように議会は求めた。
だが開発を担当した三菱は転生者というある種のチーター達が主導権を握っていた組織である。

彼らはアルミニウム装甲は成形炸薬弾(HEAT)の直撃を受けると蒸発・消失しやすく生存性に疑問符が付くことを知っており、車体には防御力が高い圧延防弾鋼板の採用を強く主張。
また、将来的な発展性を残すための陸軍や議会の求めるコンパクトな車体というコンセプトにも否定的で、むしろ車体を大型化させることを臨んだ。

幸いC-27は世界大戦後にドイツ帝国国民に救援物資を届けるために行われた一大空輸作戦『セント・ニコラオス作戦』を受け、和製C-5というべきC-12(12式戦略輸送機)と和製C-130と言うべきC-6(6式戦術輸送機)のギャップを埋める大型輸送機として開発された最新の大型長距離輸送機であった。
そのため例え大型化を受け入れたとしても空輸することが可能であり、議会としても軍部と三菱の意見を完全に退けることはできず、さらに重量もそこまで変わらないとわかると主張を受けいれた。

将来の電子兵装の導入を見越して、エンジンには次期主力戦車計画で開発された試作エンジンの技術を流用した三菱MTA-T-06 4ストローク直列10気筒液冷ディーゼルエンジンを採用した。

社内配置としては車体前部左側にエンジンと変速・操向機を一体化したパワーパックが搭載されており、車体前部右側は操縦手席となっている。
その後ろには副分隊長用の座席と後部空間内におかれている兵員室に通じる狭い通路が設けられた。

車長と砲手は砲塔内部に席が用意されており、砲塔右側に車長、左側に砲手が座る。
車体後部の兵員室には背中合わせに6名分のシートと後部乗降車ランプと向かい合う形で 1名分のシートが用意されている。
兵員室は予備のミサイルや機関砲弾が搭載されているなど弾薬庫としての役割も担っている。

【兵装】
主砲としてはM8歩兵戦闘車と同様に100mmクラスの低圧砲の搭載を望む声を封殺し、当時開発が進められていた35mm対空機関砲の技術を流用した25式90口径35mm機関砲を1門搭載した。

この機関砲は最大発射速度が200発/分とそこそこな発射速度を有し、装弾筒付徹甲弾や焼夷榴弾など多様な砲弾に対応していた。
硬化目標用のAPDSの性能には撃角90度 距離1,000mで80~90㎜の装甲を貫通できるだけの貫徹力を誇る。
さらに原型が対空機関砲なため一定の対空能力を有しているなど高い汎用性を誇っていた。

M8歩兵戦闘車のように100mmクラスの無反動砲を装備するのではなく30mmクラスの機関砲を搭載した背景には、硬化目標よりも敵歩兵部隊や航空戦力、装甲車両等を相手にする場合は30mmクラスで十分。それ以上の硬化目標には対戦車ミサイルで対処するという日本軍の戦術思想が存在していた。

主砲の左側には同軸機関銃として12式重戦車にも搭載されている7.62mm車載軽機関銃が配置されている。

砲塔両側面には対戦車兵装として連装の29式対戦車誘導弾発射機を装備していた。
29式対戦車ミサイルは史実陸自の重SAMや史実アメリカのBGM -71 TOWをモデルに開発された最新鋭の多目的ミサイルで、最大有効射程距離4,000m、最大飛翔速度約300m/s、RHA換算では最大で900mmの装甲貫通力を誇る極めて強力な対戦車ミサイルであった。

30式歩兵戦闘車は発射機内弾数と予備弾数、合わせて最大で6発のミサイルを補給を受けずに発射可能である。
また、砲塔両側面にはミサイルの他に防衛用装備として発煙筒を4基ずつ装備している。

789 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/05/27(土) 15:06:53 ID:220-247-89-251.tokyo.fdn.vectant.ne.jp [17/19]
【乗員】
搭乗員としては車長、運転手、砲手の他に完全武装の歩兵1個分隊7名を乗車させる事を可能としている。
歩兵分隊の乗降車は車体後方部に備えられている観音開き式のハッチを利用して行う。
しかし、緊急時には兵員室天井に配置されている左右開き式のハッチを使用する事も可能としており、後方部ハッチが何らかのアクシデントで開かなくなった場合にも兵員の降車が可能である。

【配備】
30式歩兵戦闘車は欧州における緊張が高まりつつあった1930年に議会より量産の許可が降りた。
31年度予算では年間500両近い数が、その後は年間1600両近い数が生産され日本陸軍および海軍海兵隊、戦闘警備隊の16式歩兵戦闘車および10式装甲兵員輸送車の後継車両として機甲師団や機械化歩兵師団を中心に急ピッチで配備が進められた。

30式歩兵戦闘車は兵員輸送車としての車体が大きい事やコスト削減など理由も相まって様々なバリエーションも作られた。
装甲偵察車型の32式装甲偵察車や工兵隊仕様の32式工兵支援車、部隊の指揮官が搭乗して最前線で戦闘指揮を行うための32式戦闘指揮車など多くのバリエーションが採用され、さらに対空能力向上型や対戦車能力向上型、火力支援観測型なども存在する。

最後に余談を1つ。
この強力な歩兵戦闘車の登場を知ったイギリスやドイツ帝国、ソ連は更なる情報の収集を情報部に命令した。
その結果、白人系の人間がいつもより多く秋葉原にて目撃され、参考書籍の名目で購入された書籍のうちいくつかは何故か肌色の多い服を着た美少女が多く描かれていたものだったという。

790 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/05/27(土) 15:07:41 ID:220-247-89-251.tokyo.fdn.vectant.ne.jp [18/19]
以上になります。
M8歩兵戦闘車の設定を反映した形で再編しました。
wikiへの転載はOKです
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最終更新:2023年06月23日 20:31