399 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/06/20(火) 18:15:41 ID:om126233129208.36.openmobile.ne.jp [3/9]
日米枢軸ネタ 設定集『MAS1910』

MAS1910
口径:8mm
全長:1,025mm
銃身長:525mm
重量 :4.3kg
作動方式:ガス圧作動方式
有効射程:400m
発射速度:550-600発/分
使用弾薬:8×35mmMAS弾
装弾数:25発

【概要】
MAS1910はフランス陸軍とフランス植民地軍の主力小銃であったルベル1886小銃の後継として1910年に採用された自動小銃である。
開発はフランスの国営造兵廠の1つであるサン=テティエンヌ造兵廠が担当した。

弾薬としては8×35mm弾を使用する。これはいわゆる中間弾薬に分類される弾薬で、フルオート射撃時の反動も日本製の86式自動小銃や76式半自動小銃と比べると小さい。

制式採用後、フランスではサン=テティエンヌ造兵廠はもちろんシャテルロー造兵廠やチュール造兵廠など主要な国営造兵廠で生産が行われ、フランス国内だけでも生産が終了するまでの間に約345万挺が製造された。

MAS1910は1936年にFN社のアサルトライフルであるFALをライセンス生産したMAS36が採用されたことでフランス本国軍では順次第一線を退いた。
しかし、シンプルな構造を採用しているため高い信頼性や耐久性、整備性、生産性を実現してたため、その後も数十年にわたって国家警察や国家憲兵、植民地軍などの第二線部隊および予備軍部隊で使用され続けた。

【開発経緯】
MAS1910の開発は1883年に行われたマダガスカル遠征にまで遡る。
当時のフランス軍は、初の連発式ボルトアクション式ライフルであるルベルM1880を最新鋭小銃として配備を進めていた。
これは欧州初の無煙火薬弾を使用したボルトアクション式小銃で、より多くの銃弾を装填できる管状弾倉の採用と、8mm×50R ルベル弾の弾頭を尖頭型に変更したBalle D弾の開発によって当時のボルトアクション式ライフルとしては極めて高い完成度を誇っていた。

しかし、フランスは1883年に実施したマダガスカル遠征において、メリナ王国側で参戦した日本海軍海兵隊第1陸戦師団に文字通り蹂躙され、モーリシャスを日本に奪われた挙げ句黒人国家であるメリナ王国に賠償金を支払う羽目になってしまう。

この時、日本海軍海兵隊第1陸戦師団は和製ガーランドとも言える76式半自動小銃や和製BARと言える67式自動小銃を配備していた。
対するフランス軍は上記した通り連発式ボルトアクション式のM1880が一部の部隊に配備されていたものの、大多数が単発式のグラース銃で武装しており、中長距離で撃ち合いになった場合に火力密度に対抗できずに蹂躙されてしまった。

第一次マダガスカル遠征がトラウマとなり、火力密度で劣勢に立たされることがどれだけ戦場で不利になるかを身をもって知ったフランス軍が自動小銃導入の声を上げるのは当然のことだろう。

自動小銃の開発に当たりフランスがもっとも頭を悩ませたのが弾薬の選定であった。
当時のフランス軍が運用していた8mm×50R ルベル弾はボルトアクションライフルでの使用なら問題はなかったが、フルサイズのライフル弾ということもあって自動小銃用弾薬としては反動が大きく連射にむかないことがいくつかの試作小銃を通して判明する。

日本軍の88式自動騎兵銃(和製M2カービン)はこの問題に対して、7.62x33mm弾というフルサイズの7.62×51mm弾と拳銃用の9×19mm弾の中間の威力の弾薬を新たに開発することで対応していた。
自動小銃の開発に行き詰まったフランス軍は78式自動騎兵銃と7.62x33mm弾を試験用に購入、外人部隊などに配備し運用することでこれを徹底的に分析する。

清仏戦争やマダカスカル遠征などで森林地帯での戦闘を強いられたフランス軍は、スナイパーなどの例外こそあるものの一般的な兵士が400m以上の距離で撃ち合うことは稀で実際の交戦距離は300m程度であると学習していた。
そのため日本軍が見出した中間弾薬を使用するという回答を日本軍以上に高く評価したフランス軍は、独自の中間弾薬の開発をスタートさせ、各国営造兵廠に対して中間弾薬とそれを使用した自動小銃の要求仕様を提示する。

サン=テティエンヌ造兵廠が軍の仕様要求に答えるために開発したのが8×35mmMAS弾であった。
これはアメリカ合衆国の銃器メーカーであるウィンチェスター社製のウィンチェスターM1907自動小銃用に開発された.351WSL弾をモデルに独自開発したものであった。
そして、この8×35mmMAS弾を使用する自動小銃の開発が進められたのが本銃である。

400 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/06/20(火) 18:16:26 ID:om126233129208.36.openmobile.ne.jp [4/9]
【設計】
MAS1910の開発コンセプトはフル規格の7.62×51mmライフル弾を使う日本軍の86式自動小銃ではなく、中間弾薬を使う78式自動騎兵銃を強く意識していた。
カービンは元々は騎兵用の銃で、フルサイズのライフルよりも威力や射程距離は短い。
それでも当時のフランス軍は、マダガスカル遠征や清仏戦争の戦訓からフル規格のライフルの射程は過剰であると考え、より取り回しのよいカービンの配備を重視していた。

こうした事情からMAS1910もフルサイズのライフルではなく、いわゆるカービン相当の銃として開発される。

MAS1910は従来のライフルと同様に木造のストックとグリップを有し、短いピストントロークとそれぞれサイズの異なる二次ロッキング フラッパーを備えた垂直スライドロッキングブロックを備えていた。
動作方式はガス圧作動方式を採用しており、閉鎖方式はティルティングブロック方式を採用している。

ガス圧の変化に対応する手段としては、銃身のガスホールを大きく空けることで大量のガスをピストンに導入する方式を取っている。
この方式は装薬が多めの弾薬を使用すると反動が大きくなるというデメリットも存在している。しかし、ガスキュレーターを省略できるため生産性が向上すると言うメリットがあるため採用された。

銃身内部には継続的な発砲による摩耗と熱耐性、塩素酸塩で下塗りされた腐食性弾薬による腐食への耐久性を高めるため、クロムメッキが施されている。

マガジンは日本軍が着脱式弾倉に移行していた事もあって、当時の欧州では主流であった固定式ではなくデタッチャブル式の25連発マガジンを採用した。

フロントサイトにはフード付きポストが付いており、リアサイトはオープンノッチタイプで高度100メートルから1,000メートルまでの調整を可能とした。
銃身下部には白兵戦用に折り畳み式の銃剣が取り付けられている。
銃剣は平時は刃が銃身側になる状態でハンドガードの溝に収納されているが、使用する際にはバネ仕掛けのヒンジによって展開する。

サン=テティエンヌ造兵廠はMAS1910をベースとしたフルオートマチック射撃に特化した軽機関銃モデルも開発していた。
後にこれはM1915ショーシャ機関銃としてフランス軍に採用され、フランス軍は小銃や軽機関銃の主要部品を共有することで量産効果を高め、現場で部品の融通を可能にすることで整備性も向上させた。

401 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/06/20(火) 18:17:13 ID:om126233129208.36.openmobile.ne.jp [5/9]
【運用】
試作時のMAS1910は初期の自動小銃らしく、砂や埃で汚れた際には作動性が落ちるなどデリケートで扱いが難しかった。
しかし、丁寧に使用すれば軽量で大火力を生み出せることから現場からは好評で、試作時に見られたデリケートさも生産技術の成熟と改修によって解消していった。
正式採用されたMAS1910は生産技術の成熟とシンプルな設計と合間って高い信頼性を発揮する自動小銃として大量生産され、まずは本国部隊、ついで植民地軍に配備が行われる。

世界大戦時には文字通りフランス軍の主力小銃として本国軍はもちろん植民地軍や予備軍にも十分な数が配備されていた。
カービンクラスの小銃として開発されたMAS1910の取り回しのよさは塹壕戦を中心に展開した西部戦線の実情とマッチし、フランス軍兵士の良き戦友として開戦当初から戦争終結まで戦い抜いた。

MAS1910は戦前でもフランスの同盟国であったロシア軍や友好国であったバルカン諸国で正式採用品としてライセンス生産すら行われるなど、諸外国にも積極的に売り込んでいた。
大戦が勃発するとイギリス軍やその植民地軍でも航空兵や戦車兵などの自衛用火器として購入され、協商国軍で広く使われていく。

戦後、世界的にアサルトライフルの配備が主流となった後もフランス軍では改良を施しながら主力小銃として運用が続けられた。
もっとも、これはMAS1910の優秀差もあったが、それ以上に世界大戦時に本土が戦場となたフランスは復興のために多額の予算を費やさなければならず、新型小銃を全面的に配備する余裕がないという厳しい財布事情が大きかったが。

また、戦後には軍縮で余剰となった一部のMAS1910が国家憲兵や国家警察などに配備された他、予備兵器としてモスボール保存されることになり、1936年にFNハーネスが開発したアサルトライフルであるFN FALのフランス軍仕様をMAS36として採用した後も二線級兵器として運用が続けられる。

フランスに次いで本銃を配備していたロシア帝国軍では、大戦勃発後に装備不足を補うために大量に輸入した日米製兵器に置き換えられ、弾薬の問題から大戦初期以降はその大多数が予備役として現役を退いた。
しかしロシア革命が勃発すると、日米から無尽蔵とも言える量の物資を安定的に供給されたロシア帝国軍を除いた全ての勢力で主力武器として再度現役に復帰する。
ロシア内戦後もソ連では本格的なアサルトライフルであるAS-32(7,62-мм автомат Шмайсер:7.62mmシュマイザー自動小銃)の配備が政治的理由で国内軍や国境警備軍に優先されたため、ソ連軍において徐々に数を減らしながら1960年代まで長く現役に留まった。

余剰となったMAS1910は戦後、民生市場にも大量に流れた。
とくに戦間期と呼ばれる1920年代から30年代には世界の一大銃器市場である日米において安価かつ十分な性能を持つ自動小銃として一定の人気を手にする。
冷戦体制に移行すると欧州諸国からの武器輸入が禁じられ、以後は希少性が高まり、そのプレミアム性から価格も高騰している。

402 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/06/20(火) 18:21:06 ID:om126233129208.36.openmobile.ne.jp [6/9]
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最終更新:2024年10月08日 22:33