838 :YVH:2012/02/27(月) 19:45:08
日本との接触以降、時間が経つ毎に帝国・同盟両国にかの国の文物が流入していくのは
当然の帰結であったが、その中でも日本食の浸透は驚くほど早かった。

会席・懐石料理などは、同盟の趣味人・帝国貴族の一部からは好評を博した。
生魚を使った刺身等はやはりと言うべきか受けが悪かったが、日本側に居た転生者のアイデアで
カルパッチョなどにアレンジされると、少しずつではあるが浸透していった。

日本版のカレーも伝えられると、日本版に拘った御飯派と馴染みの深いパン派に別れ
其々に独自に発達していった。

麺類は、啜るという習慣自体が元々無い両国には受け入れられないと思われたが、
日本で麺を短くした国外向けの商品が開発されると、同盟を中心に爆発的に広まった。
スープは醤油・塩味が中心だったが、日本を旅行していた何者かが味噌味を伝えると
物珍しさが受けてか、こちらも広まっていった。

寿司や天ぷらに付いては、前者は江戸前の所謂「仕事」を施した物が伝わり、
誰が言い始めたか、美容に良いとの風聞が立つと帝国貴族のご婦人方が騒ぎ始め
当主である夫や兄弟に迫り、自家の料理人を日本に留学させようとする者まで出る始末だった。
天ぷらは技術難易度の問題か一般には伝わらず、専ら会席等のこった宴席に出る事が多く
こちらは帝国貴族の宴席等でもてはやされる様になった。


【あとがき】
麺類の事はラーメンが中心ですが、うどん・蕎麦も
勿論あります。
うどん・蕎麦は其々の派閥に分かれて激しく争っています(笑)
汁は、関東流VS関西流、うどんの麺に付いては群雄割拠。
ラーメンがあるのは、ラーメン職人だった転生者たちの頑張りの結果です。

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最終更新:2012年03月07日 21:55