79 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/11(火) 22:10:12 ID:softbank060146109143.bbtec.net [5/73]
日本大陸SS 漆黒世界
アメリカルート(Re) 「信長の異常な愛情 -または如何にして(ry-」2
斯くして史実カリフォルニア---日本側呼称「加州」の開拓は開始されたのであるが、その開拓は気候に大きく左右されることになった。
アメリカ西海岸の気候区分はサンフランシスコなどが地中海性気候、シアトルなどが西岸海洋性気候と比較的過ごしやすい分類にあたる。
少なくとも作物に関しては選んでおけば栽培することもできるし、極度の寒さや暑さに悩まされるということもないのであった。
しかし、問題となったのが、加州よりさらに東へと進もうとした場合であった。
現在でいうところのアリゾナ州やネバダ州といった地域は砂漠気候に分類される過酷な大地が広がっていたのだ。
夏の気温は40度を超えることがある一方で、冬の冷え込みは氷点下まで行くこともあるという過酷な気候。
当然であるが植生などにあまり期待はできないし、土地も名前の通り砂漠やそれに類するものが多くを占めているという問題点があったのである。
無論、完全に水がなく植物も生えていない地獄などというわけではないのだが、如何せん生活するには不向きなところが大きかった。
潤沢な水が存在することが多かった日本人にとっては些か以上に苦労したというわけである。
加えて、加州以東への開拓の障害物となっていたのがロッキー山脈である。
北はブリティッシュコロンビア、南はコロラド州の半ばまで食い込み、南側には有名なグランドキャニオンの存在する一大山脈。
この山脈を飛び越えるための鋼鉄の翼も、これをくり貫くことができる鋼鉄のモグラも存在しない時代において、これは避けえない存在だった。
箱根の山も越してきた日本大陸の住人たちでさえも、ちょっとこれはご遠慮願いたいというレベルである。
かといって、これを避けるためにはさらに北進して迂回するか、南の砂漠気候を抜けていくか、という二者択一を強いられる。
そんなことをするくらいならばさらに南に進み、メキシコの方面へと進んで開拓をした方がよほどまし、というものであった。
ついでに言えば、当時の技術の限界から、効率的な移動手段というものが確保できていない問題があったのだ。
史実の西部開拓時代と比較して、こちらの方が史実よりも年代が早い。つまり、それは当時に存在したものが欠けているということだ。
具体的なことを言ってしまえば「蒸気機関車」という重要な移動インフラが存在していないのである。
まだ1600年が過ぎたばかりの時代であり、直前まで戦国時代で切った張ったをしていたのだ、如何に
夢幻会でもできることとできないことがある。
未だに研究室段階であり、これを普及させ、運用するという段階に進むには足りないものがあまりにも多かった。
その結果として、物流の流れに限界点というものが設定されてしまい、開拓その他に大きく制限が生じたのである。
80 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/11(火) 22:11:10 ID:softbank060146109143.bbtec.net [6/73]
こうした事情から、本格的な開拓というのは西海岸沿岸部を中心とした地帯に自然と制限されることとなったのであった。
領土をさらに広げるべし、という本土の考えも勘案されたのであるが、酷すぎる環境に勝てるわけもなかったのであった。
斯くして、開拓を進める一方で本土化を優先するという形で、加州の開発は推進されていくこととなったのである。
そも、ゴールドラッシュで一時開拓熱が過熱したとは言えども、何時までも金が得られるとは限らないのである。
それに加えて経済的な問題も付きまとっていたというのが、当時の織田政権の資料にはいくつも残されている事から推測されている。
開拓地各所や佐渡ヶ島といった鉱山での金の採掘が安定して行われるようになった一方で、その影響力を考えなくてはならなかったのだ。
金の鉱脈があるのは結構、さりとて、採掘しすぎれば値崩れして経済に影響し、そもそも金だけで腹は膨れないのである。
殊更、加州という太平洋を挟んでの遠隔地での採掘量の管理監督などは非常に面倒なのだ。
当然のことであるが、当時の日本大陸本土と加州を結ぶのは太平洋を横断する船によるものしかない。
これにより最新の情報を本土へ届けようと送り出しても、届くのには相応の時間がかかってしまうのだ。
それは数か月単位の話である。この数か月のラグで、下手をしなくとも日本大陸本土、そして各開拓地の経済が傾くことも十分あり得るのだ。
いわゆる先物取引という形でのちに結実することとなるこの金市場は、のちにこう評される。
「富士の頂までのし上がるも、地獄の底まで落ちていくも、全ては天の差配次第」
先ほどまで豪商だった人間がただ一つの情報ひとつで素寒貧となる。
オケラになりかけの人間が何の幸運か瞬く間に豪商の仲間入りを果たす。
極楽も地獄も、世の酸いも甘いも、表も裏も、この世の条理不条理も味わい尽くす、まさに魔の世界。
利口ならば近づかないであろうそれに、しかし誰もが吸い寄せられてのめり込んでしまう。
この加州開拓とそのゴールドラッシュは、この極東にある大陸において、その時代においてまさに破格と言っていいマネーゲームを生み出していたのである。
どれほどかわからないほどに人の破滅を招いていると知ってもなお、人々を熱狂されるそれは、まさに異常な愛情ともいうべきものに突き動かされていた。
ついででが、この賭け事にも似たマネーゲームで一番儲けた組織がいることを述べておこう。
古来より、賭博というのは、誰彼が勝った負けたというのは些事にすぎない。
賭博というのは結局のところ、胴元という存在が一番利益を得ているのである。
それが名称こそさまざまであったとしても、税という形であることを考えれば、織田政権こそがこのマネーゲームの勝者であったのである。
ここで得られた利益と経済的な支配力は、のちの時代における金本位制へのシフトに使われることとなり、近代化を大いに進めることとなった。
ただ、それが芽吹くのは100年単位の時間の先のことである。それこそ、夢幻会が種をまき、後進が成し遂げた一大計画の一部であったのだ。
81 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/11(火) 22:12:06 ID:softbank060146109143.bbtec.net [7/73]
以上、wiki転載はご自由に。
加州開拓の最大の敵は環境と気候だ!(白目
グレートプレーンズにたどり着くのはまだまだ先の時代となりそうですわ…
ついでに金やら銀やら貴金属などで発生したマネーゲームについて、ちょびっと。
最終更新:2023年08月26日 21:00