503 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/07/22(土) 19:49:07 ID:om126161003110.8.openmobile.ne.jp [4/10]
日米枢軸ルート 小ネタ 『8式艦上戦闘攻撃機』
8式艦上戦闘攻撃機
乗員:1名
全長:12.22 m
全高:4.57 m
翼幅:8.38 m
エンジン:倉崎 KT-5-30B アフターバーナ付ターボジェットエンジン(41 kN):1基
実用上昇限度:実用上昇限度:17,800 m
最大速度 :約1,077km/h
航続距離 :3,220km
固定武装
20mm6連装回転式機関砲×1
搭載兵装(発数は最大搭載数)
短距離空対空ミサイル×4発
中距離空対空ミサイル×2発
空対地ミサイル ×2発
空対艦ミサイル ×2発
4連装地対空ロケット弾ポッド × 4基
航空魚雷 ×2発
爆弾:4,500 kg
504 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/07/22(土) 19:49:46 ID:om126161003110.8.openmobile.ne.jp [5/10]
概要
大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機であった0式艦上戦闘機と96式艦上攻撃機の後継機として採用された小型ジェット戦闘攻撃機。
ジェット機としては比較的小型の戦闘攻撃機であるが5つのハードポイントにさまざまなミサイル、航空爆弾、航空魚雷その他の兵器を搭載することができる。
本機は全長13mクラスの小型戦闘攻撃機であったが、満州戦争時の海軍航空軍の主力戦略爆撃機であった92式戦略爆撃機に匹敵する爆弾搭載能力を有している。
また、本来は小型な機体と大出力エンジンの恩恵もあって高い運動性能を発揮し、攻撃機的特性の強い機体でありながら戦闘機としても高い能力するマルチロール機でもある。
8式艦上戦闘攻撃機は攻撃機として開発された機体でありながら、空力特性を追求した小型な機体と高い出力のジェットエンジンを搭載していた。
そのため当時の陸上レシプロ戦闘機をも凌ぐ高性能を誇り、また信頼性や整備性もジェット戦闘機としては極めて高く、艦上や夜戦飛行場でも扱いやすい機体であった。
日本海軍の主力空母であった蒼龍型航空母艦でも運用できる数少ないジェット艦載機でもあり、日本海軍空母航空戦力の数的主力として世界大戦において重要な役割を担った。
さらにその性能の高さと扱いやすさと運用コストの安さから
アメリカや朝鮮連邦共和国、満州連邦、オスマン帝国など日本の同盟国では空母艦載機のみならず陸軍航空隊の主力機としても運用された。
開発経緯
満州戦争後、日本海軍は急速なジェット技術の発展による既存機の陳腐化と欧米で進む空母航空戦力の整備に対処するため、既存の96式艦上攻撃機と0式艦上戦闘機に代わる機体としてジェット艦載機を求めていた。
しかし、当時の日本海軍の航空母艦は最大のものでも基準排水量37,000トン級の中型空母である蒼龍型航空母艦で、当時開発されていた大型ジェット機の運用には向いていなかった。
特に次期主力戦闘機として開発されていた試製5式艦上戦闘機と試製3式艦上攻撃機はそのあまりの巨体から蒼龍型航空母艦での運用は不可能であった。
さりとてこれら大型ジェット艦載機を運用可能な超大型航空母艦は未だその要求仕様の検討が開始されたばかりで、実際に戦力化が果たされるまで長い時間がかかる。
当面は既存の蒼龍型航空母艦が空母戦力の中核で有り続ける以上、中型空母でも運用可能な中小型のジェット艦載機を帝國海軍が求めるのもある意味で当然のことだった。
海軍の求めに応じて倉崎重工は空力的洗練を追求しサイズ、重量、複雑さを最小限に抑える設計を施した機体を開発、海軍に提案した。
倉崎重工の開発した機体は海軍の仕様要求に全て答えながら重量を海軍が提示した数値の約半分程度まで抑え、さらにデルタ翼を持つが主翼を折り畳まずに航空母艦のエレベーターに積載できる機体規模を実現していた。
倉崎重工の開発した機体に惚れ込んだ海軍は直ちに倉崎重工に試作機の製造を依頼、1906年3月25日までに2機の試作機が製造された。
海軍が実施した各種テストでは非常に高い成果を海軍に示し、1908年には0式艦上戦闘機の後継機としての役割も与えられた8式艦上戦闘攻撃機として採用が決定される。
同年より直ちに量産が開始され、量産型である8式艦上戦闘攻撃機は1908年9月に初飛行している。
505 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/07/22(土) 19:50:35 ID:om126161003110.8.openmobile.ne.jp [6/10]
設計
8式艦上戦闘攻撃機は倉崎重工のKZ-780をベースとしており、主要構造はアルミニウム合金、一部にチタン合金を使用している。
機首には索敵や目標の捕捉などに使用するレーダーなどの電子兵装を収めたレドームが存在し、小型機故に機首のレドームに収まらない電子兵装に対応するため胴体上部にアビオニクスパックも設けられている。
主翼としては単一の鍛造品から機械加工されたデルタ翼を低翼配置で装備している。
比較的小型のデルタ翼であったために従来の機体のような折り畳み機構を搭載しなくてもスペースを確保することが可能で、約91kgの軽量化に成功した。
また、主翼の前縁スラットは重力と空気圧によって適切な速度で自動的に降下するように設計され、作動モーターとスイッチを省略することでさらなる軽量化が図られている。
降着装置としては前部に1つの前輪を、後部に2つの主輪を配置する三輪車形式を採用している。
降着装置にも軽量化の工夫が施されている。
8式艦上戦闘攻撃機の降着装置は車輪のみが翼の内側に収納され、支柱は翼の下のフェアリングに収容されるように設計することで強度を保ちつつ軽量化が図られた。
エンジンとしては41kNと高い推力を誇るKM-J52-30B アフターバーナ付ターボジェットエンジン1基を胴体後部を備え、胴体側面には境界層を吸い込まないためのスプリッターベーンを備えたエアインテークが設けられている。
武装としては20mm6連装回転式機関砲1基を固定武装として備えている。
胴体底面には中心線にそうように1箇所のパイロンが設けられ、両翼にはそれぞれ2箇所ずつパイロンを設置可能なハードポイントが設置されている。
各パイロンは増槽や電子線ポットの他にミサイルや自由落下爆弾、機関銃ポットなどの兵装も搭載可能で、主翼下パイロンは1箇所辺り最大1発のミサイルもしくは1発の自由落下爆弾、胴体下パイロンにも最大で2発の自由落下爆弾もしくは2発の空対地ミサイルを装備できる。
基本的に攻撃機として開発された機体であるため、搭載しているレーダーは航法レーダーであるME/DNR-08と爆撃用レーダーであるME/FCR-128Bのみで母機によるレーダー誘導が必要な中距離空対空ミサイルなどを運用する能力は存在しない。
そのため対航空機戦闘は短距離空対空ミサイルもしくは搭載機銃を使用して行われる。
8式艦上戦闘攻撃機の最大の特徴は他の機体に先駆けて追加兵装による空中給油システムを実用化していることである。
これは大型の外部燃料タンクとドローグ給油バケットを中心とした空中給油用の専用装備を既存の8式艦上戦闘攻撃機に装着させることで他機への空中給油を可能にするシステムで、倉崎重工が実用化したこのシステムによって専用の空中給油機の必要性を大きく減らすことに成功した。
これまでの帝國海軍は重量の問題から長距離攻撃の際には攻撃機に最大搭載可能量までの武装を施す事ができていなかった。
しかし、追加兵装による空中給油システムの実用化により帝國海軍空母航空団は攻撃機に最大限の武装を施した状態で発艦させることが可能となり、その戦術攻撃能力を大きく向上させる。
運用
8式艦上戦闘攻撃機はジェット戦闘機でありながらこれまで帝國海軍が運用してきたレシプロ機とほぼ変わらない機体規模であった。
そのため帝國海軍空母戦力の数的主力を担う蒼龍型航空母艦や御嶽型航空母艦などでも運用することができる数少ないジェット艦載機で、量産が開始された1908年からこれらの空母が退役する1920年代後半まで帝國海軍空母航空部隊の主力として運用された。
また、その搭載積載量と900~1,200m程度の野戦滑走路でも十分に作戦できる離着陸性能を買われて、日本陸軍航空隊や海軍海兵隊航空部隊、果には日本の同盟国軍でも前線展開用の近接航空機や軽戦闘機として採用され、1921年の製造終了までに6,000機以上が製造された。
8式艦上戦闘攻撃機は世界大戦で日本海軍や日本陸軍によって初めて戦場に投入された他、バナナ戦争ではアメリカ海軍と海兵隊の主力航空機として中南米諸国への空爆を実施。
30年代では東欧や北欧における影響力拡大政策の一環として欧州の新興国に格安で払い下げられたため、冬戦争やポーランド侵攻などの際にフィンランド軍やポーランド軍の主力戦闘機としてソ連赤色空軍と激しい戦闘を繰り広げた。
スーパーキャリアークラスの空母の整備が進んだことや蒼龍型航空母艦の退役、欧州列強でのジェット戦闘機の充実、マルチロール機として高性能なF/A-33(33式戦闘攻撃機)の登場によって日本海軍では30年代半ばまでにその姿を消したが、中南米諸国や一部欧州国家では80年代まで運用されていた事が確認されている。
506 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/07/22(土) 19:55:56 ID:om126161003110.8.openmobile.ne.jp [7/10]
以上、ハイネマンのホットロッドを転生者達がパクって生まれた和製A-4こと8式艦上戦闘攻撃機でした。
史実では軽攻撃機として活躍したA-4ですが、周りが戦間期レベルなので戦闘機としても余裕で活躍できるじゃろという助言を基に戦闘攻撃機として
日米枢軸世界では活躍の場を得ました。
……しかし、改めてハイネマンとかいう鬼才の恐ろしさを思い知りましたよ
本当に米国の人材の層の厚さには恐怖すら感じますね()
最終更新:2023年08月26日 21:24