529 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/23(日) 21:27:15 ID:softbank060146109143.bbtec.net [46/73]

日本大陸SS 漆黒世界アメリカルート(Re) 「信長の異常な愛情 -または如何にして(ry-」3



 西暦1700年代に入り、ついに織田幕府はそのターニングポイントを捉えた。
 即ち、産業革命である。
 日本大陸各地に点在する戦略資源の安定した産出・採掘技術の構築、インフラの整備、加工技術の精度の向上などが一定ラインを超えたのだ。
構想を初めてからこれまで100年以上という時間をかけて積み上げたそれらの総決算が、その形として形作られたのだ。
青写真や土台の構築を夢幻会が行っていたとはいえ、それでも100年という時間がかかったのは、如何に「当たり前」が「偉大」であるかを証明していたと言える。
 その産業革命は時間をかけ、各地へと浸透していったのであるが、それらについてはまた別な機会に語るとしよう。
重要であるのは、この産業革命による影響が当然のように加州へと及んでいた、ということである。

 加州に限った話ではないのだが、産業革命による動力の進化・発展はそのまま交通や流通の面で大きく変化を及ぼす。
特に蒸気機関車および鉄道網の構築は絶大な影響力を及ぼしたといってよい。
人や馬などとは比較にならない、莫大な力を発揮することができる蒸気機関、それを用いた蒸気機関車。
長距離移動を苦ともせず走るそれが北米という広大な土地で力を発揮できたのも当然と言える。

 この蒸気機関の普及は、地理的・気候的な要因により、基本的に加州に逼塞せざるを得なかった日本人に大きな後押しとなった。
即ち、史実で言うところのラスベガスなどを抜けた先、史実ではグレートプレーンズと呼ばれる領域へと圧倒的な「量」を持ち込むことを可能としたのだ。
 これまではグレートプレーンズに至るルートが非常に限定され、運にも左右されるために、開拓に及び腰になっていた領域であった。
無論、砂漠を抜けた先に居住や開拓などに適した土地があることは何度も調べて把握はしていたものの、開拓団を送り込んで土地を拓いても即得られるものがない。
何しろ西海岸から砂漠を超えて物を持ち込むだけで、単位重量当たりの物価が2倍や3倍になるというのはよくある話であった。
大量の物資を必要とする癖に、得られるものが微々たるものとなれば、最終的な損益については酷いものとなる。
 つまるところ、アメリカというスケールで州複数個分の先に匹敵する砂漠を超えると、足が出るというわけだ。

 そして、これをついに解決に導いたのが蒸気機関車による鉄道網の整備というわけであった。
 勿論、鉄道と蒸気機関車を運用するだけのインフラ敷設というものを先行投資によって整備する必要があるのは言うまでもないこと。
 さりとて、前提条件が変化し、麦などの大規模栽培が可能となるような土地があると分かれば話は変わってくる。
投資した分の見返りがこれまで以上になったことは、より進出を進めるハードルを大きく下げたのである。

530 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/23(日) 21:28:59 ID:softbank060146109143.bbtec.net [47/73]

 さて、そんな感じに織田幕府が西海岸から中部への進出を試みていた頃、東海岸ではイイ感じに騒ぎが起こっていた。
 即ち、アメリカ東海岸を中心に展開されていたイギリス第一次植民地帝国の北米植民地---13植民地がにぎやかになり始めたのである。
 なぜここで出てくるのか?といえば、間接的ながらも日本の北米進出がかかわってきているのであった。
 端的に言って、日本という勢力が北米というフロンティアを西から削り取っていっているのを、列強が座して眺めていられなかったのだ。

 これまではロッキー山脈と砂漠によって大幅に足止めを受けているという情報を掴んでいたこともあり、当初は楽観視していたのだ。
そも、日本大陸から北米西海岸にたどり着くまでと、欧州から北米東海岸にたどり着くのでは難易度もコストも違う。
さらにその上で上記の通りの悪条件があったことで、日本の北米進出はどうやっても鈍くなると踏んでいた。
それは実際正しかったし、あれこれと努力をしていても日本側ではどうしようもなかったことでもある。

 しかし、産業革命の開始とそれに伴う各種革命が前提条件を変え、日本の北米切り取りを加速させたことが各国の焦りを生んだ。
情報統制や技術輸出を制限することにより各国を出し抜いたというのもあり、各国が日本に引っ張られて産業革命を起こす前に行動に移せたのだ。
それが露呈した各国は、自国の学者たちの尻を蹴っ飛ばし、それに追従せんとしたわけである。

 それらは巡り巡って、北米に存在したいくつもの植民地への課税の強化にもつながったのであった。
 無論のこと、歴史書を紐解けばわかるように課税の強化にはそれ相応の理由というものが存在していた。
決して日本の北米進出だけが理由というわけではなかったというのは紛れもない真実だった。
それでも、その焦りこそが課税の強化を後押しする要因となり、やがては北米の13植民地の独立運動につながったのは事実であった。

 とりあえず、そんなこんなで産業革命に伴う国内の整備に織田幕府が明け暮れている間に、北米は不穏さを増していくことになった。
やがて、1775年には史実の通りにアメリカ独立戦争が勃発。アメリカの植民地とその宗主国の間で争いが勃発したのであった。

 この件に関して、織田幕府、ひいては夢幻会が何かをしたかといえば特にやっていなかった。
 観戦武官などを送るなどはしていたものの、政治的にも首を突っ込むことは難しかったのである。
問題の独立戦争が起こっているのは未だに通り北米の東海岸。参戦するとかしないとかではなく、無理なのであった。
 そも、前述のように日本は日本で国内の整備で非常に忙しかったのもある。
 また、夢幻会にしてみればどうせアメリカ合衆国というのが独立していくだろうというのは予想がされていたことだったのだ。
これがまかり間違って独立戦争にアメリカが敗北とかになったら話は別だが、既定路線を進むならさほど中止はしなくてもよいと判断していた。
 故にこそ、放置。あくまでも中立的な立場をとって放置していた。
 まあ、イギリスとの間で色々と交易において便宜を掃ったりはしていたのだが、それはそれ。

 斯くして、夢幻会が知る通り、アメリカ独立戦争は1782年に停戦。翌年のパリ講和条約を以て終わりを告げた。
こうして独立国となったアメリカ合衆国は北米という土地への夢をみて、西進を開始することとなった。
 斯くして、北米という舞台には演者が揃うこととなり、幕が上がることになった。
 それは、のちの人類と非人類の間の長い長い戦いの序章となったのであったが、この時は誰も知らなかった。
 そう、誰もが知り得ず、そのような未来を想像しえなかったのだ。
 無邪気なまでの開拓時代が終わりをつげ、争いの時代が来ることを考えられず、のちに翻弄されることを。

531 自分:弥次郎[sage] 投稿日:2023/07/23(日) 21:30:07 ID:softbank060146109143.bbtec.net [48/73]
以上、wiki転載はご自由に。

オリジン版からちょっとずつ剥離していきますよ。
リブートした際に色々と展開とかを見直したので、そっくりそのままとはなりませんね。
+ タグ編集
  • タグ:
  • 日本大陸
  • 漆黒世界
最終更新:2023年08月26日 21:26