128 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/08/19(土) 21:32:38 ID:softbank126036058190.bbtec.net [7/159]

日本大陸SS 漆黒世界アメリカルート(Re)「フロンティア・ストリップを超えて」




 アメリカ独立戦争が終わったというのは、織田幕府政権にとっては外交上の意味以上のモノを持ち得なかった。
対岸の火事というほど他人事でなくとも、同じ大陸とはいえ東と西の河岸の端と端の関係であるのが実情。
これがヨーロッパにおいては大きな出来事だったとはいえ、あまり影響は大きくないとみるのがおおよその人々の意見だった。
 だが、少々頭の回る人間や夢幻会内部では、いよいよアメリカの西部開拓が大きく伸びてくることを予見させるものであった。
まだ13個の州の集まりにすぎないアメリカはここから急速な膨張を重ね、やがてはパックス・アメリカーナと呼ばれる覇権体制を作るに至るのだ。

 とはいえ、夢幻会はもちろん、織田幕府は開拓した土地を手放すつもりは毛頭なかった。
 やっとこさ砂漠を超える手段を整え、グレートプレーンズの一端に手をかけたのだ。
 それに加え、この穀倉地帯を手放すには魅力的過ぎたというのもある。
 北米に進出した関係上、食糧自給というのは非常に重要な案件であり、この土地の重要性は語るまでもなかった。
さらに穀物だけでなく、それに付随してトウモロコシ、大豆、小麦、綿花、テンサイといった植物の育成も始まっていた。
上乗せされるように、牛や馬などの畜産も進められており、開拓を支える原動力となっていたのだ。
日本大陸本土が広大な太平洋の向こう側ということも合わさり、自給自足体制の構築と維持は急務ですらあったのだ。
そんなわけもあり、グレートプレーンズと西海岸を結ぶラインは現地だけでなく本土からも資本を投じ、整備されることになったのだった。

 そして、アメリカの独立がなされてからほどなくして、グレートプレーンズを開拓する日本人たちは一つの出会いを得た。
長いインディアン戦争の一部、アメリカの独立以降から東部からの移民---否、避難民が現れるようになった。
それがアメリカ合衆国の人間ならば追い返しもしたであろうが、そうではなかったのだった。
彼らはそれまでの住む土地を失ったネイティブアメリカン達であった。

 のちの時代、1830年代にはインディアン強制移住法という、公的には強制力はないが実質的な追い出しが国策として実行された。
とりあえずは共生していたネイティブアメリカン達を実質追い出すか、同化するという政策は多くの悲劇を生んだというのは有名だ。
 しかし、それ以前からすでに住んでいた土地から事実上放逐されることになった人々は存在していたのだ。
具体例の一つとしては「北西インディアン戦争」の影響がある。この戦争は当時北西部領土と呼ばれていた地域をめぐって起こったものである。
現在のオハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ミシガン州およびウィスコンシン州を合衆国議会は領土として組み込んだ。
入植という形であるにせよ、実質的な侵攻と捉えたネイティブアメリカン達の民族は同盟を結んで抵抗をした。
だが、結局その同盟は破られてしまうこととなり、北西部領土はのちにアメリカの州として取り込まれた。

 そして、少なくはない人々は、伝え聞く西部の国へと希望を見て、西進を開始したのである。
 その結果が、日本人との邂逅という結果を生み出したのだ。

129 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/08/19(土) 21:34:25 ID:softbank126036058190.bbtec.net [8/159]

 とはいえ、日本人もその手の避難民を歓迎したかというと微妙なところであった。
 現地の先住民とうまくはやっていた日本人でも、どちらかといえば日本人の中に同化吸収していくほうであったのが実情だ。
ついでに言えば、数的にも少数ということ、あるいは土地の所有の概念がないなどの差も相まって、微妙に遠い相手であった。
勿論、イギリスなどからの移民の対応から見れば相対的にはマシであったことは確かなのだが、それはそれ、という奴である。
 ともあれ、日本人主観ではよそからやってきて勝手に自分の土地に根を下ろす厄介者という面もあり、どちらかといえば歓迎されなかった。
勿論、事情を知った者達の中には住処を追われたということで同情するものもいたし、内に迎え入れる動きがなかったわけではない。
まあ、そこに関しての対応は現地の人々に半ば任される形となっていたのだ。

 しかし、現地の対応に任せきりにできたのはそう長い期間ではなかった。
 前述のようにアメリカ合衆国においてインディアン移住法が成立、文明化五部族のネイティブアメリカン達も次々と土地を追われることになった。
過労や疫病などによって多くのネイティブアメリカン達が旅の途上で死んでしまうことも多く、その犠牲者は母数に対してあまりにも多かった。
それでも少なくはない追放を受けた集団が続々と日本の領土に入ってくるようになったのである。
この避難民問題の対処は現地の人々を大いに苦労させることとなり、またアメリカ合衆国との軋轢となったのだが、それは相対的に些事であった。

 そう、彼らネイティブアメリカン達が追い出された土地を征服した合衆国は、さらにその先へと踏み込んできたのだ。
フロンティア・ストリップと呼ばれる西経100度のラインを超えて東部アメリカを脱し、開拓を進めてきたのだ。
即ち、アメリカ合衆国の進める開拓と日本の開拓、二つの拡張の動きが北米大陸上において、ついに激突する時を迎えたのである。

 夢幻会がひそかに恐れ、そしてそれに備えて準備を進めていたアメリカ合衆国による「西部開拓」。
 いつかは迎えることになると、互いの価値観の差もあって激突になると、そう覚悟していた時代がついに来たのである。
 それは、のちの時代における長く続く戦いの序章、あるいは予兆であり、元凶の元凶となった一連の長い戦い。
 後に、フロンティア・ウォーと呼ばれることになる、相反する二つの国家の間で繰り広げられる奇妙な戦争の始まりであった。

130 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/08/19(土) 21:35:37 ID:softbank126036058190.bbtec.net [9/159]

以上、wiki転載はご自由に。
いよいよ始まります。
オリジン版では半ばすっ飛ばしたところを書いていたのでかなりスローペースになりましたなぁ…
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最終更新:2023年10月11日 20:18