396 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/02(土) 20:02:31 ID:softbank126036058190.bbtec.net [59/159]

日本大陸SS 漆黒世界アメリカルート(Re)「フロンティア・ストリップを超えて」3



 さて、戦争状態に突入し、意気揚々と西部への開拓を宣言したアメリカであったが、前途多難であったのは言うまい。

 上品に言って手袋を投げた相手は西の彼方に領土があり、アメリカからははるか遠くであったのだ。
そこにたどり着くまでにどれだけの時間がかかり、どれほどのリソースを割くことになるのか、まるで見当がつかなかった。
 もっと言うならば、アメリカの言うところのフロンティア・ストリップの先がどんな場所でどんな地形なのかよく知らなかった。
なんとなくアメリカ側呼称「カリフォルニア」という土地があり、砂漠があり、巨大な山があるというのを知っていた程度であった。
つまり、居場所もわからない相手に何となくその場のノリで喧嘩を売ったに等しいという情けない事情が存在したのだ。
 一応フロンティア・ストリップを超えていったネイティブアメリカンたちもいたが、戻ってきた者がいない以上、情報などほとんどないに等しい。

 とはいえ、吐いた唾は?めないし、堂々と戦争を吹っかけた手前、それを実行に移さねばならなかった。
 国民にも大々的に公表し、志願者を募ってしまったし、世論はそちらに傾いていた。
 なまじ、国内にフロンティア開拓を邪魔する連中がいる、打倒せよ!とアジテーションを行っただけに、どうにもならなかったのだ。
炎上させることは非常に簡単であったとしても、それの鎮火を試みるのは非常に難しい。
 ついでに言えば、国威という観点から見て、ここで戦わずして降伏などできたものではないのだ。
先だっての米英戦争などを見ても連戦連勝であり、戦争に対して好意的な意見も多かったので、引っ込むにひっこめられなかった。

 そういうわけもあり、アメリカは妥協案として開拓団と正規軍をセットで送り出すことにした。
 まずは西部へのルートを開かなくてはならず、中継地点を敷設しながらの行軍を行うことになった。
 この時代、史実における大陸横断鉄道のようなものはまだ存在していなかったので、皮肉にもネイティブアメリカン達同様に陸路を進んだ。
馬車などの乗り物が潤沢に用意されたので比較的マシではあったのだが、それでも徒歩での行軍を強いられた人間も多かった。
言うまでもなく、これは大きな負担だ。疲労・病気・怪我のリスクのある旅路での落伍者が多く発生することになった。
 ほかに厄介であったのは、西部への進撃を支えるインフラの敷設であった。
 当たり前の話ではあるが、インフラ敷設や拠点の設営は一朝一夕に終わるものではないのが実情である。
街道にしろ、拠点にしろ、あるいは開拓村にせよ、立地を調べ、土地を調べ、その他環境などを鑑みなくてはならないのだ。
ひたすらに広い土地、横たわる河川、さらには時には複雑となる地形、食糧事情などなど、考慮すべきは多い。

 そして何より、軍人とは戦うことを優先としており、開拓などを行う能力や知識があるわけではないのが問題だった。
生産を行える人間などではなく、消費を主とすることから、民間から集められた開拓団からすればごく潰しも同然だった。
全く役に立たない、ということではないのであるが、それでも限られた食料を食うだけで、生産などに寄与しない軍への視線は厳しい。

 そんなこんなの事情があり、派手なパレードまでも行って送り出された第一次遠征隊は、多数の死傷者を出し、不和もあって途中で引き返す羽目になった。
国威をかけて送り出した開拓団が、まさかの戦う前に自滅して逃げかえってくるという、まさかの結末を迎えたのである。
 一応の戦果としては、フロンティア・ストリップを通過していくための先鞭、すなわち中継地点などの敷設を行ったことであった。
どこをどれくらい進めばよいか、どこに何があるのか、といった情報が収集され、蓄積されたのである。
また、一部開拓民が現地に拠点を設け、そこでの開拓をはじめるなどして準備を整え始めた。

397 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/02(土) 20:03:34 ID:softbank126036058190.bbtec.net [60/159]

 とはいうものの、この大失敗が世論を沸騰させたのは言うまでもない。
 開拓に苦労はつきものとは理解しているのだが、黄色の猿など恐れるに足らずと息巻いた連中が逃げ帰ってくればそれは話は別だ。
西部開拓に夢を見る人々は多く、国民の期待度は非常に高かったところであったのに、まさかの不戦敗である。

 ともあれ、これが楽観どころか慢心しまくっていたアメリカをひっぱたく事案になったのは事実だ。
 冷静さをある程度取り戻し、まずはインフラ敷設などから始めることにしたのである。
 え?あらかじめやってから戦争を吹っかけろ?それはそう。けど問題ない、アメリカならね。

 この時代における最大の移動手段は鉄道であった。線路を西へと伸ばせば、それによって移動が格段に楽になると判断したのである。
 アメリカ合衆国議会は軍および民間からの意見を基に、国家事業として西部へと向かうための鉄道敷設事業を行うことを決定。
必要な法案を議会で採決し、さらにはそれらを実施する企業への援助などを決定。西部開拓と絡めた政策として打ち出した。

 無論のこと、今すぐ結果を求める国民の声がなかったわけではない。
 事前の想定が甘かった政府や軍をなじる声も当然ながら存在した。
 だが、今は戦時である。政府の権限は強く、炎上を強引にねじ伏せるようなデカイ声が発せられれば嫌でも鎮まるしかない。

 さて、この失敗は最初は隠されていたのであるが、長く隠せるわけもなかった。
 日本側に、つまり加州の勢力に伝わり、大いに笑われることとなった。
 さらには米国を煽るような戦時外交を繰り返したことにより、アメリカの冷静さを奪っていった。
特に民間人狙いのプロパガンダを活用したことにより、定期的に政府への突き上げが発生することになり、時には暴動にまで発展していった。
卑怯といえばそれまでであるが、戦争とはそんなものである。相手の戦争を続けようという意志を挫けるならどんどんすべきなのだ。
 米国政府はこの外交に抗いつつも、ひたすらに西部進出の準備を進めることとなったのである。



 他方、西部から中部に進出し、開拓を進める日本側も戦時ということで準備を進めていた。
 広大な平原がひたすらに広がる立地ということもあり、防衛には極めて不利であるという認識が存在した。
民間人も多く居住しており、さらには開拓を進めている土地が広がっているという事情も関係している。
焦土戦や現地での略奪などを行われる可能性は非常に高く、そのくせ軍をいつまでも張り付けるわけにもいかないという厄介さがあった。
ともすれば敷設がされている鉄道を利用されるという危険性もあるため、全く油断ならないものであった。

 日本側はこの鉄道網を利用した定期的なパトロールのほか、騎兵を中心とした騎兵隊による巡回を展開。
 また、この頃の北米開拓民においては兵農分離のあやふやなところがあったことから、民間への武装を許可ないしは推奨することにした。
さらには東方への偵察などを行い、アメリカ側がどのような活動を行っているかを調べることにしたのである。
 他に行ったことといえば、欧州を経由した諜報活動の推進である。
 イギリスを筆頭とした欧州各国は日米の激突を望んでいるところもあり、日米双方に情報のリークなどを行っていたのだ。
敵ではないが味方とも言い切れない。さりとて、相手の情報を正確につかむためには利用せざるを得ない。
 こうして日米の戦争は、着々とその臨界点目がけ、あるいは激突地点を目がけ、チキンレースのように進んでいったのである。

398 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/02(土) 20:04:07 ID:softbank126036058190.bbtec.net [61/159]

以上、wiki転載はご自由に、
悠然と待ち受ける日本、先走りすぎて大失敗をしたけど次こそはというアメリカ。

ここからどのようにオリジン版のようにつながるのか?そこらへんはまあお楽しみに。
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最終更新:2023年10月11日 20:34