619 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/08(金) 23:30:54 ID:softbank126036058190.bbtec.net [112/159]

日本大陸SS 漆黒世界アメリカルート(Re)「7年越しのフロンティア・ウォー」2



 端的に戦闘の結果を言えば、第二次遠征隊は壊滅的被害を受けて瓦解した。
 要塞目がけ突撃した正規軍は、要塞の抱える火力により殲滅。
 開拓団の方は戦闘が起こったことを察し、また正規軍が帰ってこないことを察したのか逃走することを選んだ。
当然ながらそれは遅きに失し、正規軍の追撃を受け、多くが抵抗を選んでこれまた戦場で散ることとなった。
それでも生き残った、というか逃げだした開拓民もいたのであるが、これまた不運にも落ち武者狩りに遭うこととなった。
戦国の風紀が未だに残っていたのもあり、また自らの安全を守るためにも、民間人からしても落ち武者は見逃せなかったのだ。
 残酷かもしれないが、そもそも交戦状態にある敵国の住人だ。野盗と化して襲われたり、勝手に居つかれて領有を既成事実化されかねないリスクがある。
民兵を認めているアメリカ国の国民だからこそ、見逃すに見逃せないのだった。実際、開拓団も武装をして抵抗してきたわけであるし。

 とはいえ、皆殺しにしたというわけではないのも事実だった。
 生きている兵士などは捕縛し、そのまま尋問と洒落込んだのである。
 米国がどのような情勢であるか、この正規軍投入はどういう背景か、あるいはこの進攻の実態はなんであるか、聞くことは山ほどあった。
この調べを受けたのは、死者も同じであった。胃の中や腸の中、荷物、服装などを調べれば、アメリカ側の遠征について知ることができる。
交戦中であり戦争中なのだから、この程度は平然と実施されることになったのである。

 この尋問や調査で発覚したことは、アメリカは意外と苦労と努力をし、この遠征をしているということであった。
この当時の技術水準では、長距離の行軍と開拓は危険が伴う。それこそ、手軽な旅行(トリップ)ではなく命がけの冒険(ジャーニー)だ。
それ故に衛生管理の難しさによって病気が流行ることもあるし、水や食料の不足に悩まされるということもある。
第一次遠征隊での失敗の反省から、アメリカはそれらへの対策をできるだけ行っていたのであるが、やはり限界というものがあったのだ。
病気にかかっていたり、明らかに痩せていたり、身体の汚れがひどい開拓民が多かったのがその証拠だ。

 さらに判明したのは、アメリカが不正確且つバイアスのかかった情報を基に喧伝を行い、戦力を揃えたという事実だった。
アメリカは驚くほどに日本という国家について無知であり、尚且つ、ネイティブアメリカンの延長としか考えていなかったのだ。
そも、開拓民たちは日本という勢力がアメリカ西海岸を拠点としているという誤った情報を与えられていた。
ついでに、日本を徐々に追い詰めていけば、いずれアメリカの威光にひれ伏すことになるだろう、というトンデモ理論も吹き込まれていた。

 これらの結果にはあきれるやら驚くやら、様々な反応があった。
 日本側も、アメリカ合衆国について詳しく知っているというわけではない。
 だが、戦争状態に入ったということでアメリカについての情報はそれなりに広められており、それから見ればあまりにもお粗末であった。
 とはいえ、こういった情報は非常に貴重であり重要度が高いことは間違いなかった。
 欧州を経由しての情報収集を日本は行ってはいたのだが、それは情報の精度や正確さにかけ、また手に入れるのに時間を要するものだったのだ。
だからこそこうして直接手に入れることができる情報は、それこそちょっとしたことであっても貴重だったのだ。

620 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/08(金) 23:31:32 ID:softbank126036058190.bbtec.net [113/159]

 さて、戦いが終われば後は後始末である。
 米国の兵士たちや開拓団の死体は処理をする必要があった。
 そのまま放置すれば土地に良からぬ影響が出るし、騙されたようにして来たとはいえ勇敢に戦ったのだから粗雑に扱うのは憚られた。

 ただ、ここで問題になったのが死者の扱いだった。
 一応日本の勢力圏でもキリスト教が解禁になっていた時代であり、相応に信者もいる頃合いであった。
 だから、キリスト教徒がどのような教義を持ち、どのような死生観であるかというのを知っている人間くらいはいたのだ。
日本が史実以上に当時の欧州列強と付き合いを深く持っていたからこそ、という面もあっただろう。
 ともかく、彼らの遺体をキリスト教のそれに合わせて埋葬してやらなければならなかったのだが、相応に問題があった。
平たく言えば手間がかかるのだ。アメリカの正規軍・開拓団を合わせればかなりの数に上り、それだけの死者が発生した。
一つ一つを丁寧に処理し、埋葬し、しかるべき処置を行うというのは負担が大きかったのだ。

 さらにここは開拓地であり、悪く言えば外からの侵略者のために土地を割いてでも墓所を作ることには抵抗感があった。
あくまでここは自分たちの土地であり、明日の、あるいはもっと先の糧を得るための場所であるのだからという認識だったのだ。
勿論勇敢に戦ったことに敬意は表するが、かといってその敬意を払いすぎて将来の利益が損なわれても困るのである。

 それらへの対応手段として立案されたのが、火葬と集合墓とする方式である。
 火葬すれば残るのは骨であり、それらを纏めて納骨すればスペースは取らない。
 また、数が多いとしても、火葬を行うならば極論なんとでもなるのだ。
 勿論、宗教的な事情に合わせれば面倒極まりない問題になりかねない話ではあるのだが、事情が事情なのだ。

 結局、死体の腐敗の進行、さらにはその他の問題から考え、火葬とすることで決着となった。
 墓をちゃんと作ってやるだけ侵略者に対しては有情である、という結論で納得を作ることになったのである。
状況や情勢が複雑すぎて、なんとも言えない、まさに混沌たる情勢に放り込まれていたのだ。
短絡的に結果や結論を求めたのは正しくもあったが、間違いであったのかもしれないのだ。

 斯くして、アメリカの企図した第二次遠征は失敗に終わることとなった。
 これにアメリカ側が気が付くのは、遠征隊が定められた期日までに連絡員を派遣する予定が外れた時にまで遅れることになった。
 そして、これに慌ててイギリスやカナダを経由する形で日本側に確認をとって、初めて遠征隊が壊滅したことを知るのであった。
 時に西暦1848年。7年越しのフロンティア・ウォーは、あっけないほど簡単に日本の勝利に終わってしまったのである。

621 名前:弥次郎[sage] 投稿日:2023/09/08(金) 23:36:18 ID:softbank126036058190.bbtec.net [114/159]
以上、wiki転載はご自由に。
第二次フロンティア・ウォー、完!

だけどこの後アメリカとかの反応を書くのでもうちょっとだけ続くんじゃ……
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最終更新:2023年10月11日 20:38