提督たちの憂鬱支援ネタ――「さきがけ」
――西暦1964(昭和39)年9月1日 南太平洋 日本領クリスマス島
「5…4…3…2…1…点火!!」
号令一下、発射管制官は赤く輝くボタンを押した。
あらかじめ決められたタイミングの範囲内であったために、管制室の地下に設置された電算機は原子時計で慎重に定められていた通りの時間に点火信号を送信。
発射台に据え付けられた2基の三菱LE-1M-700超大型液体水素・液体酸素ロケットエンジンに着火させた。
すでにひとつのターボポンプで4個のノズルを共有するという無理のない設計に基づいたエンジン本体はガスを噴出させており、それに着火が行われたのだ。
そして発生した巨大な透明か白に近い炎は発射台地下のウォーターカーテンと貯水槽により大きく減衰されながらもすさまじい爆音を発生させた。
そして炎の熱はターボポンプを限界値の80パーセントにまで使わせて燃料と酸化剤をエンジンに送り込ませ続ける。
推力は、2基合計で実に1400トンにまで達した。
「SRB-A点火、リフトオフ!!」
ほんの数瞬おいて、ロケット本体の横に4基がくっついている固体ロケットブースターが火を噴く。
と同時に、ロケットはゆっくりと、そして徐々に速度を上げながら上昇を開始していった。
「『さきがけ2号』を搭載した『桜花2型』ロケットは、昭和39年9月1日 午前8時12分にクリスマス島宇宙基地より打ち上げられました。
ロケットは現在初期飛行方位角を90.2度として、徐々に東方太平洋上へ飛行中です。」
発射管制官がそこまで一息で言ったところで、管制室で歓声が沸き起こった。
すでにロケットの管制は、トラック環礁夏島にある帝国防空宇宙管制センターに移っている。
順調にいけば、あと90分ほどでロケットは地球軌道上に到達。
遅くとも数時間中には深宇宙を目指す旅に出発できるだろう。
「ようやく、ここまで来たな…」
糸川英夫博士は、巣立っていくわが子を見るようにカラーパネルの向こう、ロケットの航跡を見つめていた。
――さきがけ計画。
その計画がスタートしたのは意外に早く、太平洋戦争終戦直後の1944年に遡る。
当時開発されたばかりの三式弾道弾を増強して人工衛星打ち上げロケットとすることはすでに決定していたが、その中には月やほかの惑星に向けて探査機を送り出す計画が含まれていたのだ。
だが、これは戦後の緊縮財政や軍備近代化に加え、経済発展を目指す観点からひとまずお流れとなっていた。
まずは偵察衛星や気象衛星、それに衛星航法系といった民生分野に近い部分から計画は進められるべきであったのだ。
だが、それらが一段落し、世界も平和の配当を享受しやすい時代が到来すると状況は変化する。
ドイツを盟主とする欧州諸国に加え、盟邦英国がこぞって国威発揚のために宇宙開発に乗り出したのだ。
身の丈にあっていないといえばそれまでだが、軍備と経済力では日本帝国に立ち遅れている諸国にとっては、敵の頭上に大質量弾頭かよしんば核弾頭を降らせることができる技術の価値はあまりにも大きい。
そしてそれを実現するには軍事予算だけでは足りないという世知辛い事情も手伝い、彼らは宇宙を目指し始めたのだ。
470 :ひゅうが:2012/03/07(水) 22:50:56
これに応じないわけにはいかない。
宇宙に日本人を送り出してから数年を実用本位で過ごしてきた日本帝国は、技術的リードを誇示する手段を欲していた。
ある者が言う。「月へ行こう。」
…限定的だが賛意は得られた。だが、有人月旅行はいささか以上に金がかかりすぎる。確実なリターンが得られるのはどう見積もっても1970年代以降となりそうだった。
ある者は言う。「地球軌道上に基地を打ち上げよう。」
これもまた限定的な賛意が得られた。
とはいっても、期待されるような宇宙ステーションはまだまだ早い。せいぜいが実験室どまりだった。
年間1~2回の有人飛行、日本帝国といえどもあらゆる方面に手を伸ばすことは無理であり、世論に乗ってもこれが限界というものなのだ。
そして、最後に残った選択肢が選ばれた。
「無人探査機による太陽系探査」がそれである。
それは、史実におけるパイオニア計画とボイジャー計画を合体させたような計画だった。
現状、核報復戦力として維持されている大型打ち上げロケット用のロケットエンジンから民生用として長く使用する予定の大推力エンジンを利用し、重さ100トン以上の大重量の探査機を木星以遠に放つ。
その前段階として探査機を月や火星に送り込む。
この計画ならば、宇宙に人間を送るというありきたりかつ実りが少ない方法に比べ、情報の収集という面で大きなリターンが望める。
かくして、日本帝国は長い道のりを歩み始めた。
1954年からの一連の月・火星探査機
シリーズで実績を上げるとともにロケットの開発を進め、1961年に欧州宇宙機関が人工衛星打ち上げに成功したころには火星探査機2機の投入に成功している。
そして、その集大成となったのがこの日打ち上げられた「さきがけ」と呼ばれる深宇宙探査機だ。
原子力電池によって100年近い寿命を与えられ、木星や土星、天王星や海王星といった外宇宙の星々を調べ、その成果を地上に送る。
このために有人宇宙船打ち上げ計画を一部変更して用立てられたロケットには、重量128トンに達する「重い」探査機が詰まっている。
「行って来い。『さきがけ』。地上でうたたねしている連中に、宇宙の広さを教えてやれ…」
糸川は、正面のモニターから別のモニターへ目を転じた。
そこには、発射台に据え付けられた「さきがけ」の姉妹機打ち上げロケットがある。
――この年から1977年にかけて打ち上げられた「さきがけ」シリーズと呼ばれる探査機群は、合計11機に達した。
これらが送ってきた鮮明な宇宙の画像(NHKが開発した特殊なカメラを搭載していた)は、それから21世紀にかけて多くの若き天文学者や宇宙飛行士を生み出すことになる――
最終更新:2012年03月12日 22:40