463 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:01:23 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [35/192]
日本連合 日本 第四話
今回のお題は
アジア事情。
台湾紛争から第二次日中戦争。そしてその戦後におけるアジア諸国の事情を説明したいと思う。
まずは戦前。いわゆる第二次日中戦争(Japan-China WarⅡ 略してJCWⅡともいう)の時期であるが、この時期では台湾紛争における日米の敗北により中国の影響力が絶頂期であった。
経済トップ3の衝突による世界的な経済混乱と合わさりアジア諸国の経済も大打撃を受けていた。
必然的に軍事、経済の両方でアジア諸国は台湾紛争以前よりも更に中国に依存する羽目になっていったのである。
中国側も経済的なダメージが多かったため市場としてアジア諸国は重要であり、向こうから寄ってくる分には何の問題もなかった。
そんな中で大きく情勢が変わったのが第二次日中戦争ことJCWⅡである。
令和日本がゲートから現れた日本連合と自称する集団に制圧された際も大きな話題となったが、中国経済と大きく関わりだしていた当時のアジア諸国は左程大きなダメージは受けずにいた。
元々当時の日本が台湾紛争の敗戦とその後の政治的、経済的な混乱が長引いた結果影響力を大きく落としていたというのも大きかった。
だが日連が介入して以降の令和日本は立つ鳥落す勢いで立て直しが進み、敗戦直後とは似てもよらぬ別物と化した。
そして日本が復帰したのと間を置かずにJCWⅡが勃発した。
これは当時の中国が日本に勝てると思っていたのと同時に、日本が復活し今自国に寄ってきているアジア諸国が余計なことを考え出すことを事前に防ぐという意味合いもあったという。
当時のアジア諸国も台湾紛争の結果と
アメリカの全世界撤兵から日本は孤立無援で、戦力も激減しているため中国が圧勝するという見方が大半であった。
だが現実はその予測を軽く上回った。
中国艦隊の敗北。中国沿岸部の壊滅。日連無人機部隊の中国本土上陸。
核をも投入した中国軍最後の攻勢の失敗。そして首脳の捕縛からの無条件降伏。
敗戦の影響からの中国崩壊。
半年絶たずに当時世界最強であったはずの中国は地球上から消滅したのだ。
誰がこのような結果を予想しただろうか。
しかしアジア諸国。特に東南アジアの国々はそんなことを言っている暇はなかった。
中国という超大国が崩壊すれば何が起こるか? そうだね。大量の難民が押し寄せてくるね!
というわけで東南アジアを中心に周辺へ大量の中国人難民が押し寄せてきた。
戦時中から始まっていた中国人の国外脱出であったが、中国政府が降伏するまでは一応の統率はあったことと、インフラ網の大半が破壊されていたため中国国民の逃げ足が非常に遅くなっていたことから当時はまだそこまで難民は押し寄せていなかった。
しかし敗戦とその直後に首都ごと首脳部が暴徒の波に飲まれて以降は完全に統制を失い、そして時間をかけて歩んできた難民たちがついに国境線へ到達してきたのである。
これに対して戦時中から薄々嫌な予感がしていた国々は事前に軍の動員を開始していたが、中には中国が負けると思っておらず全く動員をかけていない国もいた。
前者がベトナム。後者がラオスとミャンマーである。
事前に軍を展開し始めていたベトナムはどうにか防衛線の構築に成功したが、対応が後手に回ったラオスとミャンマーの国境付近は億単位の難民の波に飲まれた。
それからは地獄の始まりである。
なお同じように国境を接していたモンゴルなども酷いことになっており、ウイグルやチベットに関しても国内難民が押し寄せ、インドの飛び地であるアルナーチャル・プラデーシュ州にも山を越えてまでやってきていた。
同時に国境を接していない国々も勿論混乱が起きていた。中国という大国が消滅したことによる経済、物流、輸出入その他諸々の混乱であった。
この世界では台湾紛争の日米敗北という結果から史実以上にアジアの国々は中国への依存度を上げており、その結果中国崩壊の反動も大きなものとなっていたのである。
特に中国経済にべったりであったカンボジアやスリランカ、パキスタンなどで顕著であり、また大きな貿易顧客でもあったインドネシアやタイなどでも同様であった。
このため経済的大混乱に陥った国々は億単位の中国難民やそこに紛れる武装難民、軍事崩れなどへの対応も後手に回った。
464 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:01:57 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [36/192]
日本勢の参戦。
東南アジアが滅亡秒読みみたいなことになっているのを受け手流石に日本強いてはその裏にいる日連も重い腰を上げた。
戦時中からそっちに難民行くと思うので気を付けてくださいね。と注意していたのにこのざまなのだから。
とはいえ遠い北米や欧州と違い近場の東南アジアの混乱は流石に看過できないとして出兵を決定。
再編が終わった自衛隊改め自衛軍。旧米国太平洋方面軍を中核として米国系PMC。日連系PMC内の外地派遣部隊。
そして無人機を中心とした日連正規軍の一部が投入された。
簡単に言うと再編終わったばかりの自衛軍、PMC家業に転身した米軍、日本国籍目当ての実質外人部隊である外地派遣部隊を日連正規軍先生が引率して実戦を経験させようというわけである。
おまけで旧米軍や外人部隊が信用足りるかという実験でもあった。
あと戦争の余波でアジアには迷惑かけちゃったなぁっという罪悪感も一応欠片ほどは存在していた。
日本参戦!
この一方は中国難民に押されていた国々においては朗報であった。
既にインドシナ半島北部は陥落しており、タイ国境付近が最前線となっていた状況。
インドシナ諸国は難民の勢いを止められず、首都を飲まれたラオスは国家機能が麻痺しており、ミャンマーはヤンゴンへと首都機能を移転したが各種混乱が続いており、各地で避難の遅れから孤立が続いていた。
善戦していたベトナムも強大化した難民“軍”に徐々に押されていきラオス北部の陥落と共に側面から難民軍に雪崩れ込まれることを恐れ南部への撤退を開始するなど散々な状態であった。
対して中国難民は数が加速度的に膨らんでいき、生き残りの中国軍すら合流し、鹵獲した各国の装備と合わせ正規軍と真正面からやりあえるだけの戦力まで確保しだしており、その脅威は加速度的に増加していた。
そんな中での日本の全面介入宣言である。
多くの国では天からの恵みと言える宣言であったという。
介入を開始した日連軍は南シナ海のタイランド湾、アンダマン海に展開。
それぞれ日連艦隊、自衛軍艦隊、米国PMC艦隊と別れ攻撃を開始。
ミサイル、航空攻撃、砲撃により難民軍への阻止攻撃を敢行。彼らが足を止めた隙に部隊を上陸させ進撃を開始。
空海からの援護を受けながらも難民軍の中核を成している数個の中心グループを攻撃。これを撃滅。
特に旧中国軍が保有していた対空戦力を狙って叩き、制空権の確保に成功。
難民軍が浮足立ったところで、これに合わせて日連が展開した無人機軍団と共に地元の正規軍が攻勢開始。
航空優勢を確保し、中核となっていた旧中国軍や武装民兵グループが撃滅された結果大きな抵抗力を失った中国難民軍を押し出していくことに成功した。
この頃になると日連航空部隊を中心に各国空軍や日連にせっつかれた後方諸国の航空部隊を合わせ難民軍の後方を爆撃。
逃げ道を塞いだ形とし、統制を失い逃げ惑う中国難民たちを押し込んでくる地元諸国軍と日連派遣部隊群で挟み込むことに成功。
特に南シナ海から展開した日連正規軍はハイフォンへ上陸後にベトナム及びラオスの旧国境線上を制圧。
南部から押し出されてきた難民軍を持ち前の火力で文字通り殲滅した。
465 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:02:32 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [37/192]
事態勃発から数か月。後にインドシナ事変と呼ばれた一連の紛争は終結した。
確認できただけでも1億は超えていた中国難民軍の半数を殲滅。
多くは途中でバラバラとなり東南アジアのジャングルや山々へ逃れたが、慣れない環境に淘汰され、更に地元民による山狩りにより徐々に駆り出されていき、後に数年かけ掃討された。
中国難民側の詳しい被害数は不明。最低でも5000万人が死亡したとされ、そこに戦後の残党狩りで更に数百万が加えられたとされる。
残りは文字通り跡形もなく消し飛んだか封鎖が届かなかったミャンマー国境経由から中国国内に逃げ帰ったとされるが、前述の通り詳しい統計が取れていないため正確な数は不明である。
そして戦場となった東南アジア諸国の被害も相当なものであった。
ラオスは首都含めた北部地域が壊滅。当時の首脳陣含む政府高官関係者の多くが死亡、行方不明となっていた。
ベトナムも北部地域の被害が多く、大量の死傷者が出ていた。
ミャンマーは政府機能こそ維持していたが、同じく北部地域の壊滅的被害とミャンマー正規軍の半数が消滅する大損害を被っていた。
幸いな点という意味では各種インフラは比較的生き残っていたので復興はすぐに進められたという点。
難民グループも生きるために奪っただけでそれらの破壊は望んでいなかったためである。
どっかの全て燃やした欧州蛮族革命とはこの点が違うと言える。
不幸な点は現地の生存者が大量に残ってしまったという点である。
避難が遅れ難民軍に捕らえられた地元民の多くは奴隷として酷使されるか、中には遊び半分に殺されることもあったが、元々は民間人であった難民軍は全てを燃やせ!というほどではなかったため文字通り人畜として彼らを扱った。
このため日連介入後には大勢の奴隷とされた人々が救助されており、彼らへの支援やケアが必要となったのである。
中には旧中国本土に連れ去れた人物も多く、それらへの探索にも力を割く必要があった。
しかし難民軍に国土を荒らされ、国際経済崩壊により経済が大幅に弱体化していた現地の国々には被害者を満足に支援するだけの余力など残されていなかったのだ。
国連も崩壊している中での絶望的な状態。しかしそこで手を差し伸べたのが以外にも日本であった。
令和日本頑張る。
東南アジアへの支援。それを申し出たのが令和日本である。
まあこの時期に他国へまともな支援できるような国は日連により立て直された日本だけであろう。
日連からしても流石にこのまま放っておくと革命の火蓋アゲインなので東南アジアへの支援は必要経費と割り切っていた。
今回この世界に来ている面子はゲート周りさえ確保しておけば後は野となれ山となれ…というほど擦れた国々でなかったことも大きいだろう。
欧州?北米? 流石に遠すぎなんで…
ということで東南アジアの復興支援は令和日本が仕切ることになった。
JHQを通じて今まで令和日本を改革(実験台)してきた日連もそろそろ改めて国際デビューさせた方が良い。
成果に応じては主権の返還も考えていこうといった判断を下しており、東南アジアの支援は令和日本政府を中心に執り行うこととなった。
そして遠回しに日連からの介入込みながら新生令和日本による支援が始まったのである。
元々この手の支援が十八番であった令日からの手厚い支援もありスムーズに復興が進んでいき、更に令日を中心とした新しい経済圏の構築も進んでいった。
そんな中で問題となったのが防衛戦力。
インドシナ事変で襲ってきた中国難民の大半は殲滅するか旧中国領へ追い返したのだが、それでも定期的に武装した難民集団や盗賊と化した軍人崩れが襲ってきているため未だ国境付近では小競り合いが続いていた。
先の事変で地元諸国の軍も大きな被害を受けたため、万全な国境警備ともいかず、仕方なく令日の自衛軍が地元に駐留し、治安維持に協力することとなった。
在東南アジア自衛軍の誕生である。
466 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:03:28 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [38/192]
他にも難題があった。
ラオスとミャンマーの立て直しである。
ラオス。政府崩壊。軍壊滅。辛うじて国という形だけ残っている。
ミャンマー。軍半壊。経済崩壊。政府機能は生き残っているが国境警備に手が回らない。
という具合。
特にラオスが致命的であり、現在は地方に運よく逃れていた政府高官や生き残った軍高官を中心に暫定政府を構築して活動している。
流石にこれは一国の力を超えているということで令和日本。素直に日連にヘルプを申告。
日連もまぁしゃあないと本格支援開始。
軍事が壊滅していたミャンマー、ラオスの国境付近は駐留自衛軍と日連系PMCの外地展開部隊。
そして無人機を中心とする日連正規軍によりカバーされることとなった。
ラオス、ミャンマー両国とまたベトナムに関しても旧自衛隊の装備や現地諸国でも扱える日連内の旧式無人機などを許与することにより再建を図ることとなる。
他の国々に関しても主に経済支援を中心として東南アジア、南アジア、オセアニア一帯を立て直していくこととなる。
なおインドシナ半島で戦場となったラオス、ミャンマー、ベトナムの三カ国はそれぞれ違った道を歩むことなる。
唯一軍も政府も機能し続けていたベトナムはインドシナ事変ですり減った戦力の回復のため積極的に日本系または日連系兵器を導入。
東南アジアどころか世界で最も早く日連系無人機を中核とした有人・無人混合軍を完成させた。
以降のベトナム軍は度々起こる中国軍閥との衝突で活躍することとなる。
ミャンマーは軍の再建が叶うまでの間は多数のPMCを雇い入れ、借りの防衛戦力に充てていた。
しかしそんな中で復興に予算を割きたい政府と軍再建に予算を割かせたい軍の対立が表面化。
この対立を切っ掛けとし後にミャンマー動乱と呼ばれるクーデターが勃発。
反乱を起こしたミャンマー正規軍及び同軍が雇い入れた中華系PMCが中核となり起こしたクーデターであったが、これをミャンマー政府が雇い入れていた日連系PMCが中心となり鎮圧に成功。
以降ミャンマーにおいて同国正規軍の信用は地に落ち、政府は軍を厳しく粛清、抑圧。
そして同国における軍事組織は日本経由で雇い入れた日連系PMCとミャンマー政府直轄の武装警察が担うようになった。
令和日本や日連からしても真っ当に支援しても必ずしも良い結果に導けるというわけではないという苦い経験となった。
最後にラオスであるが…最終的に短期復興は諦め、日連傘下の衛星国となった。
政府機能が完全に崩壊しており、国土の過半が戦場。
元々左程経済が良かった国でもなく、戦前に最も関わりのあった中国政府が崩壊したことも合わさり短期での復興は不可能であった。
臨時政府からしてもお手上げ状態であり、このままでは暴動からの革命、完全な崩壊となるのは目に見えていた。
…ので土下座して日本と日連の完全傘下になることを選んだ。
担当していた令和日本や後ろ盾であった日連からしても予想外の懇願であったが、日本の支援込みでも政情が安定するかわからない部分があるのは事実であったため、最終的に受諾。
ラオスの支援は令和日本から日連へと管轄を移すこととなる。
そして日連の手によって作り出されたのがラオス連邦。別名コンピューテル朝ラオス連邦国。
令和日本では出来なかった実験あれこれを試す新しいおもty…もとい改革先であった。
日連が大規模にテコ入れするがあたって後に血の粛清やらラオスの赤い雨やらと呼ばれる大規模な粛清劇や幾らかの少数民族との衝突が起こったが、それ以降のラオスは非常に安定した国となったことをここに記す。
最も国内の少数民族の過半はインドシナ事変時の中国難民軍の暴挙により大分数を減らしていたが…
半端に支援したミャンマーでクーデター騒ぎが起きたこともあって同時期に日連主導で支援されていたラオスは徹底的に手を入れられており、国内の残存少数民族の自治区化とコンピューター制御の中央政府による連邦国家として生まれ変わった。
何より東南アジア唯一日連正規軍が駐留する国として以降のラオス連邦は強い影響力を発揮することとなり、令和日本からの経済支援と合わさり東南アジア支配を確実なものとしていった。
467 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:04:00 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [39/192]
最後に他のアジア諸国の話をする。
インドシナ事変において日連の大規模介入を受けた東南アジア地域は以降、完全に日本経済圏へと組み込まれることとなる。
元々中国が崩壊し、完全に国際経済が壊滅したことから現地の国々には他に選択肢がなかったことも大きい。
無論中には日本の支配に反抗的な勢力もいた。
マレーシアとシンガポールの華僑である。
彼らは中国崩壊の余波による影響力の衰退から日本を恨んでおり、特に経済国家であったシンガポールは世界経済崩壊に巻き込まれ半ば国家機能が麻痺していた。
このため日本の支配に反抗的な感情を抱いており、ミャンマー動乱の際に反乱軍を支援していたのは彼ら華僑勢力であった。
彼らが正規軍に味方させていた中華系PMCなども彼らが用意していたものであり崩壊した旧中国軍から雇い入れた元軍人やシンガポール軍から横流しさせた兵器などで装備させていた非常に重武装な企業である。
ミャンマー動乱の際も日連本隊ではなく令和日本の自衛軍とPMCなら相手できると画策し、表向きにはミャンマー軍の反乱とすることで自分たちに追及がないように仕組んでいたが、もちろんそんなことは日連にばれており、ミャンマー動乱直後に日連正規軍によって直接介入、摘発された。
なお当のマレーシア政府やシンガポール政府は寝耳に水の出来事であったため、いきなりの出来事にぽかんとしていたこと記す。
このため国内華僑勢摘発の際には身の潔白を証明するためにも両国政府は日連へと積極的に協力しており、その見返りとして華僑勢激減後の経済不調を見越して日本や日連から多大な支援を引き出すことに成功している。
後にこの二カ国はマレーシア・シンガポール双共和国として連合国家の道を歩んでいくこととなる。
タイやカンボジアは素直に日本の経済支援などを受け入れた。
世界経済崩壊兼近隣のお得意様であった中国の崩壊から軍事、経済的にも抵抗は無意味と悟り、自国経済の立て直しのためにも素直に新しい支配者を受け入れた方が楽だとしたからである。
事実インドシア事変やミャンマー動乱、華僑摘発などに事件においてもこれといったダメージの無かったタイは日本の経済支援の下で順当に再建成功から経済発展していき、インドシナ半島組の中では頭一つ抜けた高経済となっていく。
カンボジアもなすがままに支援を受けいれた結果戦前からの国内の地雷や不発弾撤去が大いに進むこととなり、経済復興も合わさり大きな成長を見ることとなる。
特に未開発であったリン鉱脈の開発が景気に乗り、世界的に激減してしまった化学肥料供給の代替地として大きく発展していくこととなる。
インドネシアは中国崩壊後にいち早く日本にすり寄ってきた国であった。
元々日中両国を天秤に乗せていたような国であり、台湾事変の後にはわかりやすく中国にすり寄っていたが、第二次日中戦争後はこれまたわかりやすく日本にすり寄った。
寄らば大樹の陰、死した者から支援は引き出せないと言わんばかりの態度であった。
日本は正直余り信用できないと内心ではバッサリだったが、インドネシアほどの国家がこれ以上混乱しては立地的にも問題であるとして、相応の支援を確約。
この支援を元手にインドネシアは国内経済を立て直し、一息つくことに成功する。
しかし身代相応の巨体が仇となり、経済復興からの国内改革は出遅れてしまった。
令和日本や日連が直接手入れしたベトナム、ミャンマー、ラオス。
流れるままに身を任せて成功したタイとカンボジア。
インドシナ動乱の際に大々的に日本勢を受け入れ、東南アジアにおける一大拠点となっているフィリピン。
それらと比べ半端に無事であり、半端に人口が多く、半端に国内派閥が残っていたインドネシアの動きは緩慢なものであり、気づけば東南アジア筆頭からは転げ落ちていた。
立地、資源、人口からインドネシアが悪い扱いを受けているわけではない。
むしろ相応の支援を受け続けており、どっかの欧米や暗黒大陸と比べればずっとマシではある。
しかし戦前と比べれば不遇であった。ただただ機会を逃した。彼らはチャンスを掴めなかったのだ。
フィリピン。ここの動きは素早かった。
第二次日中戦争の半ばから日本へ正式な応援メッセージを送り、戦後は代々的に日本ウェルカムキャンペーンを立ち上げた。
インドシナ動乱の際にも積極的に日本勢の部隊を受け入れ、後方支援地帯として活躍。
東南アジアの中では真っ先に日本経済圏へと自ら飛び込み組み込まれた。
現在では自衛軍及び日本系PMCの重要駐留地域となり、各日本企業の進出も活発であり、世界中が未だ世界経済崩壊の復興で苦しんでいる中で数少ない経済好調組の一つであった。
インドシナ動乱以降では特に顕著で新たな東南アジア筆頭とはフィリピンを指す言葉となっていた。
ある意味今こそが全盛期であり、最も幸せな時期であろう。
468 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:04:41 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [40/192]
南アジア地域。主にインドを指すのだが、ここも経済混乱が酷かった。
破綻続きで治安改善が見られないスリランカ、世界経済崩壊の余波をもろに受けて国家機能が停止したバグラディシュ、懇意にしていた中国もアメリカも消えて混乱が続くパキスタン。
インドの周りは悉く混沌としていた。
そんな中でインドはよくやっていた。世界経済崩壊で爆増した失業者をどうにか支援し、第二次日中戦争後の日本にいち早く接近し、新しい輸出入先を確保。
経済活動を再開させていった。
中国難民対策としては素早くバングラディシュへ軍を送り同地を掌握。
中国と国境を接していた飛び地へのスムーズな連結体制を確保した。
スリランカにも同様に軍を派遣。同地を掌握し、治安維持活動を開始。うるさいこと言ってくる輩が居ないのでここら辺は好き勝手にやれた。
人手が必要となった軍を始め、これらの出兵活動である程度失業者を吸収できたのもグッドである。
パキスタンについては国境付近の陣地化を進め、最悪の事態に備えるだけにした。
流石にこれ以上手は回せないという判断であった。
そんなこんな仕事している中で日本勢が東南アジアとオセアニアを掌握。
インドからすれば多少口惜しい気持ちはあったが、まずは国内と近隣を優先。自国の防衛体制確立こそが今必要な行動と理解していた。
後に令和日本を通じて日連はインド洋の利権についてはインドに任せる意思があると確信してからは非常に有効的な関係を築くことに成功。
インドはインド洋の雄という権威を確立することに成功した。
…成功していしまったのである。
それはインド洋の雄だからしっかり働いてね!と同意義であった。
混乱続くアラビア諸国への介入、膨張するイスラエルへの牽制、無性状態となったマダガスカル島の確保。
戦前以上に跋扈する東アフリカと紅海の海賊への対処、山越えを狙ってくる中国難民や匪賊への処置。勃発したカスピ海戦争への対応。
やることが…やることが多い!
それが旧常任理事国に代わり世界の大国の一角となったインドの新しい日常であった。
オセアニア圏についてはかなり単純である。
商売相手がいなくなったので日本にすり寄った。ただそれだけ。
資源国は買い取ってくれる相手が居なければ経済が成り立たないのだ。
その点復活した令和日本、そして背後にいる日連は非常に良いお得意様となった。
米中が崩壊し、ロシアが自国とその周りで手一杯となった中では安定して資源や食料の輸出が可能な国は限られており、そういう意味ではオーストラリアは非常に重要な国となったのだ。
このため日本は資源も食料もあるだけ買ってくれる。
東南アジアやインドも初動の混乱を乗り越えた後にはその大人口を支えるために大量に食料や資源を買い付けていった。
おまけに英仏亡命政府を始めとして欧州諸国の亡命政府がオーストラリアやニュージーランドに大挙してきており、それらからの投資もある程度は見込めた。
まあこちらは左程期待していなかった。現在最も価値のあるドル系通貨は豪州ドルなのだから。
オーストラリアは正にこの世の春と言わんばかりの繁栄を謳歌していた。
調子よければ万事よし。昨今影の薄かった白豪主義は更になりを潜め、日本経済圏万歳!パクスジャポニカ万歳!と単純に喜ぶ毎日となった。
豪州政府からしても、まぁ今が良ければそれでヨシ!とノー天気に受け止めていた。
何せ真面目に考えれば白人社会は崩壊していて、中国を半年で崩壊させた新生日本が世界の中心で、すぐ隣の東南アジアはその勢力圏と化しているのだから。
余計なこと考えて暗くなるより目の前の幸運を喜んだ方が精神衛生上良いのは誰の目からも明らかであろう。
彼らは幸運に生きるための秘訣を心得ていた。
こうして日本経済圏に組み込まれたことにより経済活動が活発化した影響でオセアニアやインド洋地域も引きずられるように経済が好調していき、最終的にはこれらの地域も遠からず日本経済圏に組み込まれることとなる。
国際輸送網が壊滅しているので他に取引先がなかったというだけでもあるが…
後にこの巨大な経済圏は中南米を含む太平洋諸国も取り込んでいきOcean Cooperative Union。OCU。大洋連合と名を変えた巨大経済・軍事同盟へと発展していくこととなる。
469 名前:トゥ!ヘァ![sage] 投稿日:2023/10/06(金) 18:06:06 ID:FL1-118-109-217-196.kng.mesh.ad.jp [41/192]
投下終了
億単位の難民ってだけでもう一種の大規模災害よね…
最終更新:2023年12月09日 12:32