801 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:09:24 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [4/9]
日米枢軸ルート 小ネタ『あるアフリカ国家の発展』
アフリカ、地球上で二番目に大きな大陸であるアフリカ大陸とその周辺のマダガスカル島などの島嶼・海域から構成され、21世紀に入ってもなおハワイ条約機構やイギリス連邦、欧州連合と三大陣営に属する列強によって極一部を除いて分割支配されているこの地域にて、奇跡とすら言えるほどの経済的繁栄を掴んでいる国家があった。
その国家とはアフリカ大陸南部に位置し、現地の言葉で「ツワナ人の国」を意味するボツワナ共和国である。
現在のボツワナ共和国はアフリカでも有数の経済大国として国土のほとんどが砂漠でありながら南アフリカ共和国、エジプト王国に匹敵する国力を有している。
エチオピア帝国と並んで現在では黒人国家の代表的立ち位置にいるボツワナ共和国であったが、20世紀後半に独立するまでは欧米列強の一植民地に過ぎなかった。
しかし、ボツワナがその他のアフリカ植民地と違ったのは、植民地化される前に経済的価値のある土地や地域をボーア人などにすでに奪われ、立地的にドイツへの牽制として使える以上の価値がない貧しい地域であったことだ。
これにより同国は南アフリカと隣接していながら併合を避けることができ、さらに名目上はイギリスの植民地とされながらも、事実上は外交と軍事に関わる権限を除けば後のドミニオン(自治領)に匹敵するレベルの強大な自治権を認められていた。
それは20世紀半ば頃でも変わらず、国王と白人女性の結婚とそれによる南アフリカからの圧力による国王の辞任などさまざまな出来事がおきたものの、ボツワナは依然として平和かつ安定した状況であった。
そんな貧乏ではあるがイギリスの庇護の下に一応の安定を得られていたボツワナであるが、1940年におきた西欧戦争とその後の国際環境の変化がこの国の運命に大きな影響を及ぼした。
西欧戦争で協商国を降したドイツ帝国とその同盟国であったソ連が創設した欧州連合と、世界大戦後に新たな覇権国となった日本およびその同盟諸国との対立が表面化したのだ。
冷戦と呼ばれることになる当時の国際環境は世界的な軍拡競争を引き起こした。
これはただでさえ世界大戦や世界恐慌、西欧戦争などで疲弊していたイギリスの国家財政に大きな負担となってのし掛かり、イギリスは植民地を植民地のままにしておく体力すらも次第に失ってしまう。
イギリスは少しでも財政への負担を軽減するため、1931年に発表されたウィンチェスター憲章の適応範囲の拡大を決定。植民地に一定の影響力を残しつつ、事実上の独立を容認に舵を切り出した。
これによりイギリスの植民地だった地域はイギリス連邦加盟国としてではあるが晴れて独立する事ができた(独立させられたとも言う)。
国際環境の急速な変化によってボツワナは植民地から主権国家として独立することになった。
とは言っても元々経済的な魅力はなく、それゆえに社会インフラも整備されていない。
主な産業もなく、それどころか土地が貧しいため農業すらできず、インテリ層である大卒も僅か20名ちょっとしかいない。
主要な外貨の入手手段は南アフリカ共和国やオーストリア領南アフリカ自治領(史実ナミビア)への出稼ぎとイギリスからの援助しか存在せず、さらに出稼ぎ労働者達が稼いだ金額の大半が現地国の税金として持っていかれてしまう。
事実上、イギリスからの援助のみと言うリアルトロ○コと言う言葉が似合う状態にあったボツワナは世界最貧国の一国に数えられていた。
802 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:11:12 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [5/9]
ないない尽くしなボツワナであったが、他のアフリカ植民地諸国よりも有利な点もあった。
ボツワナの人口比率は史実と同様にツワナ人が圧倒的多数派を占めていたことだ。
近代国家として必要な官僚機構も、独立後もボツワナに愛着を持ち、骨を埋める意思を持った白人官僚を雇用し続けた事によって高い水準を維持し続けていた。
ボツワナはないない尽くしながら国民国家として発展するための基礎は固まっていたのだ。
ボツワナは『イギリス連邦』に加盟する『黒人国家』でありながら日米世論(とくに日本世論)からの好感度が高いという稀有な国家でもあった。
この背景にあったのが、ボツワナがベチュアナランド保護領であった頃の最後の国王にして初代ボツワナ共和国大統領であったセレツェ・カーマの『王冠を賭けた恋』に起因する。
基本的に判官贔屓な上にゴシップ大好きな日本や
アメリカではイギリス本国の圧力すらも乗り越えた二人の結婚騒動が大々的に報じられ、彼ら彼女らに一方的ながらも好感を抱いていたのだ。
幾つかの利点こそあれど、ナイナイ尽くしでそれを活かせない時代が続いたボツワナであったが、1965年に大きな転機が訪れる。
日本企業によって国内にて世界最大規模かつ最高品質のダイヤモンド鉱脈が発見されたのだ。
この報告を知らされた直後のボツワナ政府は狂喜乱舞するのではなく、かつてのトランスヴァールのように自国が再び植民地にされてしまう可能性に恐慌状態に陥った。
残念なことに史実とは違い未だにアフリカのほとんどが列強によって植民地支配を受けていた以上、その可能性は大いにあった。
当時のダイヤモンド流通はイギリスのドミニオンであった南アフリカ連邦の企業であるデビアス社が支配的な影響力を有していた。
彼らが自らの権益拡大のためにボツワナを標的に定める可能性もある。
それどころか、南アフリカがダイヤモンド市場で大きな顔をすることを面白くないと感じていた日米や欧州連合が、自分達でコントロールできるダイヤモンド流通を手に入れる為に軍事的な介入を行ってくる可能性すらもあった(※1)。
こうした事態を受けたボツワナ政府はいっそのことハワイ条約機構側の資本でダイヤモンド鉱脈を開発し、それによって日米による干渉や傀儡政権の樹立を思い止まらせつつ、日米との関係を深める事によって仮想敵国である南アフリカや欧州連合に対する抑止力を高めよう目論んだ。
イギリス本国もボツワナの思惑をほぼ完璧に把握していたが、裏でも表でもボツワナへの妨害工作は行われなかった。
それどころか、イギリスは表ではボツワナに無干渉を宣言しながらも、裏では英国諜報部がボツワナに対する南アフリカの妨害を止めさせるために動くなどボツワナ支援の動きを見せていた。
これは当時のドイツを盟主とする欧州連合と日米を盟主としたハワイ条約機構の二つの勢力を主軸とする冷戦が大きく影響していた。
イギリス本国は冷戦において中立の立場をとっており、親ドイツ勢力が強い南アフリカのダイヤモンド市場における影響力を削ぎつつ、親日米的になろうとしているボツワナの影響力を強めることで勢力内のバランスを保とうとしたのだ。
また、前大戦での借金を返しきれていないイギリス本国が日米に恩を売ることで支払いの延長、もしくは債務の一部無効化を狙うイギリス財務省の思惑が合わさった結果、ボツワナには極めて大きな助けとなる。
元々、ボツワナは上記したように日米で高い好感度を獲得していたこともあって、イギリス連邦に加盟する黒人国家でありながら日米の援助の下に留学生を送り出すなど交流を持っていた。
その繋がりやイギリス本国の支援もあって、ボツワナ政府は日米陣営最大の鉱業系財閥である住友グループに同ダイヤモンド鉱脈の開発を打診することに成功する。
803 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:11:47 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [6/9]
打診を受けた住友グループは世界最大規模のダイヤモンド鉱脈を我物にでき、独自のダイヤモンド供給網を構築する第一歩になると直ちにこれを了承、すぐさま住友グループとボツワナ政府との間で契約が締結される。
住友グループとボツワナ政府が結んだ契約では住友グループとボツワナ政府の合同出資による企業(持ち株は住友85%、ボツワナ15%。なお、後に50:50にまで変化する)を作り、その企業がダイヤモンドを採掘することが決められた。
これによりボツワナ政府は大した金もかけずに
ロイヤリティーと言う形で今までと比べ物にならないほどの収入を手に入れる事に成功した。
さらに1年毎に契約内容を見直すことを住友側に認めさせたことで、ボツワナの財政に余裕ができればさらに収入を増やす事もできる余地をも残していた。
この契約が締結されるや否や日本は即座に契約を締結したボツワナの判断を英断と褒め称え、さらなる影響力拡大の為にこれまで以上に大規模な経済援助とハードインフラ整備を中心とした政府開発援助の実施する用意があると発表を行う。
ボツワナは当初はこの援助を受けるかどうか悩んだが、実際に予算が足りないのも事実であり援助を受け始めた。
援助やロイヤリティーなどでそれまでとは比べ物にならないほどの莫大な資金を手に入れたボツワナ政府は、それまでは考えられないほどの大規模な予算を組めるようになった。
しかし、植民地時代から引き継いだ官僚機構を維持するボツワナ政府は借款に頼った不健全な財政は自らの首を絞めることを十二分に理解していた。
ゆえに受ける援助は最低限に抑えられ、国家予算の規模も自国の国力に見合った程度であることが心がけられていた。
堅実なのは予算規模だけではなく、ボツワナでは道路や鉄道、上下水道、通信施設、発電設備、送電網、教育、保険衛生などハード・ソフト問わない社会インフラの整備に重点をおいて堅実な計画の下に予算が執行されていった。
そうした姿勢は彼らを支援する日本やアメリカから高い評価を得ることに成功。ボツワナという国への信頼に繋がっていき、信頼の高まりはさらなる投資や援助をもたらしていく。
豊かな天然資源と手堅い経済政策、安定した政治状況や高い教育程度を武器に高い経済成長率を叩き出すボツワナであったが、その経済には高い失業率という大きな問題も抱えていた。
当時のボツワナ経済の中核はダイヤモンドを始めとした地下資源の採掘と販売であった。
これらはボツワナに大きな富をもたらしたが、機械化された手法での採掘はそこまで多くの雇用を産まない。
旧来よりボツワナの産業として栄えてきた放牧も同様にそこまでの人手を必要とせず、ボツワナ経済は国が莫大な黒字を叩き出す一方で、国内の失業率が20%近いと言う極めて歪な状態であった。
国民の5人に1人が失業者という状況を看過できるはずもなく、ボツワナ政府は国内の雇用や国民の所得を増やすために外国企業に対する優遇税制の導入や低い法人税率の導入を実施し外国企業の誘致に力を入れていった。
当初は目ぼしい成果が上がらなかった国外企業の誘致であったが、ボツワナ国内のインフラ整備が効果を発揮し始めた1970年代に入ると人件費の安さや安定した治安に目をつけたハワイ条約機構加盟国の企業やイギリス連邦の企業が次々と進出。
軽工業用の工場やサファリなどアフリカの大自然を楽しめる施設が次々と整備され、製造業や観光業などダイヤモンドと言う資源に頼らない産業の開発も順調に進んでいった。
特にアフリカの大自然を安全に楽しめるという事でヨーロッパやアメリカ、日本など陣営をとわずに観光客が押し寄せたために観光業は飛躍的な跳躍を遂げ、鉱業に次ぐボツワナの主力産業へと成長した。
また、交通インフラの発展と日米のボツワナに対する優遇措置を活かし、旧来よりベチュアナランドの主産業の1つであった牛の放牧や精肉産業から派生した牛肉の缶詰工場が新たな産業として稼働し始めていく。
804 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:13:17 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [7/9]
冷戦末期までには多くの労働者を生み出せる製造業や高い収入を見込める観光業などダイヤモンドと言う資源に頼らない産業の開発が進み、独自通貨であるプラを制定、国家インフラの整備も終えるなど、ボツワナは未だ混乱が続く他のアフリカ諸国を後目にアフリカの奇跡とよばれるほどの発展を遂げた。
順風満帆に経済的な発展を遂げてていくボツワナであったが、80年代末になるとボツワナに大きな問題が訪れる。
当時、欧州連合の経済破綻を契機としてアフリカでは無秩序に武器などが流入、アフリカ各地の白人国家、植民地で黒人による武装蜂起が相次ぐなど周辺の情勢が一気に悪化したのだ。
ボツワナの周辺でも独立派武装勢力のゲリラ戦やテロが多くおき、当局や白人系の私兵集団と反政府組織による激しい戦闘が日常化していた。
経済成長を列強に頼るボツワナとしては武力を伴う独立運動に肯定的な意見や立場を表明できるわけもなく、武力を用いた独立運動とはなるべく距離を置くように心がけていた。
一方で今後のアフリカの情勢を考えるとアフリカ国家として黒人勢力にまったく協力しないわけにもいかない。
苦悩の末、ボツワナ政府はあくまでも非武装の連絡拠点かつ滞在を許すのは最低限度の連絡員のみと言う条件下でならと、独立運動側の拠点の設置を認めるなどある程度は関与してしまう。
非武装とは言え反政府組織の拠点の設置を許したことで黒人勢力との関係を維持することはできた。
ただ、国内の反政府組織の拠点が増えることをローデシアや南アフリカなどアフリカの白人系勢力が面白く思うはずもなく、1989年にはボツワナ第2の都市であるフランシスタウンにて反政府組織の連絡拠点がローデシア軍特殊部隊によって襲撃され、反政府組織の人間のみならずボツワナの一般市民にも死傷者を出す大惨事がおきてしまった。
その後もローデシア空軍機による国境付近のローデシア難民キャンプへの空爆、ローデシア軍とボツワナ国境警備隊の銃撃戦が発生するなど事態が立て続けに発生してしまう。
ローデシアによる一連の攻撃はボツワナ内の反ローデシア感情を爆発させ、それと同時に自らが築き上げてきた〘祖国〙への攻撃がボツワナ国民のナショナリズムを大いに刺激した。
一連の攻撃以前のボツワナは経済重視の為に少数の国境警備隊と警察しか集団的実力組織を有していなかったが、事件後には国全体で軍隊の創設を求める声が爆発的に増え、1990年には世論の声を背景にカーマ率いる与党ボツワナ民主党は国防軍設立に関する法律を議会で成立させた。
法律が成立すると日本の支援を受けながら急ピッチで国防軍設立の準備が進められ、1990年にはボツワナ国防軍が正式に誕生する。
このときのボツワナ国防軍は陸軍8,200名、空軍1800名の合わせて10,000名と規模では南アフリカ正規軍やローデシア植民地軍に遠く及ばないものの、日米の政治的・経済的影響力が強いことから装備面では70式戦車や66式機動戦闘車、GPLWAV
シリーズの最新型である72式装輪装甲車とその派生型、 F-73軽戦闘機(T-7の軽戦闘機バージョン)など極めて強力な装備が日本より供与されており、アフリカでも最強レベルのものを配備していた。
これはアフリカ最大の大国である南アフリカ共和国で運用されている装備が依然として第1世代型主力戦車であるクルセーダー戦車(史実センチュリオン)やフランス製のEBRL装甲車など西欧戦争前に開発された旧式兵器であったことを考えると破格の装備であった。
805 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:15:21 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [8/9]
閑話給付
ボツワナで急速に軍備拡大が進む一方、イギリス本国ではフランシスタウン襲撃事件や難民キャンプ事件の報が届くや否や、ボツワナの要請もあって対応を話し合うために即座に連邦議会の緊急会が開催された。
この場においてボツワナはローデシアを非難し、他の加盟国もその多くがローデシアへの非難決議に賛同する。
しかし直接的な制裁に関しては冷戦が終結したばかりで金がなく、さらにイギリス連邦の主要国の1つである南アフリカがローデシアの擁護に回ったことで慎重論が多数派を占めてしまった。
イギリス連邦が消極的な動きを見せる一方、住友によるボツワナ鉱山の開発以降同国を自身の勢力圏と見なしていた日本は、ボツワナへの攻撃を自身の覇権への挑発と認識。
愚かしくも自国に楯突いた不届き者に正義の裁きを降すため、事件後すぐに在メリナ王国駐留日本軍基地に36機の15式戦略爆撃爆撃機を派遣、さらに4隻の時津風型汎用駆逐艦からなる部隊をそれぞれ大西洋及びインド洋にを展開させ、報復としてローデシア領内にある軍事施設に対する空爆と巡航ミサイル攻撃を大々的に実施した。
ローデシア軍施設が空爆を受けたという報告は即座にイギリス連邦諸国に届けられ、イギリス連邦議会の風向きが大きく変わる。
さらに時を置かずにボツワナの要請を受けて開かれた国連安全保障理事会の臨時会合において、日本より『友好国であるボツワナへのさらなる攻撃を予防するためにローデシアへの空爆を実施した』事を伝えられ、ローデシアの行動がイギリス連邦の総意であるかどうかを問われると連邦議会の態度は完全に一変する。
イギリス連邦議会では各国の代表者たちは顔を真っ青にしながら即座にローデシアへの武力制裁の実施を全会一致で可決。安全保障理事会の承認を受けるや否や『王室が主権を認めたボツワナを一方的に攻撃し、国王の下の平和を脅かした叛徒の捕縛』と『ローデシアの治安回復』を名分にイギリス連邦軍がローデシア全土に進駐、ローデシア白人政権崩壊崩壊のきっかけとなる。
一連の事件は最終的にイギリス連邦軍によるローデシア暫定政府の設置とイギリス連邦の仲介によるボツワナーローデシア間の和平合意で決着を見たが、事件対応を巡るイギリス連邦の足並みの乱れと最後まで自主的に自治領の首輪を握ることができなかったイギリスをボツワナ政府は見限り、1990年にはハワイ条約機構への正式加盟を要請。
ボツワナの打診はアフリカでの勢力拡大を目論むハワイ条約機構主要国の利益に沿っていたこともあって即座に承認され、1992年にはボツワナはハワイ条約機構の加盟国となり、21世紀現在でもアフリカ有数の経済大国として植民地状態が続く他の地域をよそに繁栄を続けている。
(※1)
鉱脈が発見された時、「偶然」にもボツワナと国境を接するオーストリア領南アフリカに非正規戦のエキスパートである大日本帝国陸軍特殊作戦部隊やアメリカ合衆国陸軍第1特殊任務部隊、満州連邦陸軍雄鷹空降特戦団などの一部らが日米満奥合同訓練の為に派遣されていた他、それにあわせて現地のオーストリア軍の戦力も増強されていた。さらに大日本帝国海軍所属の1個空母打撃群と1個水上打撃群がアメリカ東海外への親善航海としてオーストリア領南アフリカ付近に展開していた。
(※2)
このときのアフリカの(事実上ではあるが)独立国は南アフリカ連邦、ボツワナ、エチオピア、リビア、モーリシャス、レソト王国、エスワティニ王国、メリア王国の8ヵ国のみで、その他は依然として植民地であった。
806 名前:ホワイトベアー[sage] 投稿日:2023/11/22(水) 20:16:00 ID:om126254236201.33.openmobile.ne.jp [9/9]
以上、閑話となりますがアフリカの情勢の一片となります。
最終更新:2023年12月09日 13:29