490 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:02:03 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [57/125]
漆黒世界における日本式AFV開発の始まり
1.北米大陸における国境警備
現代の言葉で用いるところの米合。当時のアメリカ合衆国はマニフェストデスティニーに従う、全くの膨張的な侵略を進めていた。
勿論彼らとて西海岸に日本と呼ばれる国家が勢力圏を築き上げ、それが先住民とは異なる近代的勢力である。
その程度の認識は持っていたが、逆に言えばその程度に留まっており、まして有色人種に何が出来るという価値観も多分に有していた。
その結果として合衆国側ではフロンティア・ウォーと呼ばれる1830年頃から始まる、複数回に渡る大規模紛争の発生へ至っている。
日本側では加州防衛戦争この戦争は、既に史実19世紀末から20世紀はじめ相当の近代的な軍隊を有する日本。
ライフル銃等は相当数普及し、銃の扱いに慣れている民兵も多いが、近代的軍隊として半人前な合衆国武装開拓団との衝突となった。
その結果は凄惨なものとなり野戦築城と火力による突撃破砕能力の最適化、有線・無線電信による迅速な指揮通信網の構築。
それを前にして合衆国大陸軍、民兵、開拓団は鉄板に生卵を叩きつけるが如き大損害を負い、幾度も壊滅を繰り返していた。
これは彼らの本国である北米大陸東海岸から、フロンティアとされた西海岸日本領までの距離の暴力も多分に作用している。
故に合衆国側も流石に鉄道を含む兵站、輸送手段の必要性を痛感し、一時西側への侵攻を中断。インフラ工事へ移行することになる。
これにより7年ほどの戦間期が生まれたわけであるが、日本側は軍隊も屯田兵も開拓民も、より真剣に合衆国の脅威を受け止めていた。
確かに守りに回り続けるのであれば、彼らに手痛い損害を与え撃退し続けることは不可能ではない。
だが我が方を人間と見做していない敵対勢力を前に、軍民を問わず「捕虜」が生じた場合にどうなるのかという研究も行われた。
この頃になるとかなり交流を密接に行っていた英国からの情報を適用すれば、よくて奴隷労働力、悪ければ慰み物にされた末の虐殺である。
夢幻会に所属する織田家幕臣は「知っていた」という表情を浮かべつつ、北米大陸居留地防衛指針の改定を提案した。
従来の要塞、塹壕を用いた防衛線は確かに有効だが、より積極的に敵情を把握する騎兵運用。それも自動車を用いた偵察が必要であると。
幸いにして1700年前後に産業革命を成し遂げた織田幕府日本は、19世紀前半にはガソリンエンジンで走る自動車を作り上げていた。
まずはこれに機関銃などの武装や車載無線機を搭載し、従来の馬匹騎兵よりも長距離を移動できる警戒手段の構築が提言された。
491 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:02:50 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [58/125]
2.自動車騎兵部隊の投入と活躍、そして損害
無論、従来の騎兵が活躍の場所を失ったわけではない。寧ろ数量ではこちらが主力で、馬に慣れた屯田兵等は大いに警戒網構築に活躍している。
だが馬も生き物である以上、食料と水が必要であり、また生活環境次第では病気になるという欠点は、どうしても拭えないものがあった。
そして織田家幕臣が英国から情報を取り寄せてまで合衆国が、捕虜をどのように扱うかを調べるには相応の理由が存在していた。
これまでの防衛戦争は基本、日本側が優位に立ち続けていたが、損害が生じなかったわけではない。戦争には相手が存在するのだ。
そして陣地転換や戦術的撤退に失敗した部隊の兵員。あるいは開拓民が不気味なほど「帰ってこない」のだ。
18世紀から19世紀にかけての戦争では珍しくないとは言え、文字通り人さらいのような真似をして、合衆国側は何もなかったかのような顔をしている。
ならばあちらの都合による自然休戦期ともいうべきこの時期に、ある程度判明した経路を用い、兵站負担の軽い小規模部隊による浸透偵察。
それによる情報収集の「ついで」に開拓集落や警戒陣地から「人間を略奪」することは、十分以上に想定される脅威であった。
そして北米開拓地域は非常に広大であり、遠距離まで連絡可能な無線を用いるのなら、従来の騎兵部隊では早々に限界が見えてしまう。
故に当時の日本としても高級品であったが、出力50馬力程度のガソリンエンジンを搭載した四輪自動車を偵察警戒部隊に組み込んだのだ。
幸いというべきか北米大陸は比較的平坦な土地が多く、現代の視点からすれば玩具のような自動車でも、ある程度の長距離移動が可能であった。
また警戒網の内側には輸送量こそ小さいが、それだけに設営が容易な補給用軽便鉄道も敷設され、整備補給拠点が複数箇所に整備された。
かくして従来の馬匹騎兵と共に警戒網の一翼を担うことになった自動車部隊は、故障などに悩まされつつもかなりの活躍を示すことになった。
何しろ手順通りに整備すれば概ね確実に作動し、馬匹騎兵では苦労して馬車に積み込んだ大型無線機も、無理なく搭載することが可能である。
更には従来は陣地防衛用とされた機関銃(マキシム式に相当)も銃座に取り付けることで、これまでの騎兵に比べて火力面でも大きく向上した。
そして本土と加州双方の予想通りに浸透偵察、略奪のために送り込まれた小規模部隊を相手に、時には追撃戦さえ演じて撃退に活躍することになる。
だがこの当時の警戒用自動車は、文字通り民生品向けのそれに機関銃と無線機を載せただけであり、防御性能は皆無であった。
また合衆国側の浸透部隊は練度の高いマークスマンが多く、長銃身のライフル銃を用い、我が自動車部隊に無視できない人員損害が生じ始めた。
492 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:03:57 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [59/125]
3.自動車騎兵の防御力向上要求
勿論、自動車騎兵の運用開始前の段階において、何らかの防弾装備を施すべきではないかという意見は存在していた。
敵の銃火に晒さねばならないのだから当然であるが技術的な問題。具体的には当時の自動車では、防弾鋼板は重すぎたのであった。
また屯田兵や開拓民が文字通り拉致され、その後の様子が全くわからないという不気味な状況への対応が喫緊でもあった。
故に急造品であることを承知で防弾装備が欠如した状態で送り出され、想像以上の活躍と同時に、無視できない人的損害を生じたのだ。
騎兵というのは訓練、運用可能になるまで大変時間とコストの掛かる特技兵であり、それは現代の装甲部隊に至るまで同様である。
本土ですら高級品である自動車を操縦可能で、無線や機関銃すら扱える特技兵の少なからぬ消耗は、車両以上に大きな損害だった。
ある程度予想された損害とは言え現実を前に加州も内地も蒼くなり、何らかの乗員防護手段の増設が泥縄ながら研究され始めることになる。
また自動車本体のエンジン、サスペンションの強化。ペイロードの拡張など性能向上にかかる研究開発も、官民共同で行われた。
19世紀後半に始まったモータリゼーションの拡張のきっかけは、北米開拓地を守る自動車部隊の装甲化から始まったのである。
車両本体については整備、製造点数の増大を承知の上でエンジンのボアアップ。サスペンションに用いる素材の強化などを実施。
変速機に初歩的なものだが油圧サーボを適用し、ある程度のペイロードの拡大を図った。イメージとしては四輪自動車から四輪トラックへの進歩である。
この段階でコストは幕府財務官僚が真顔になる高価なものとなったが、特技兵を含む開拓民の命に変えられるものではなかった。
防弾装備は当初軽量な木造板の追加も試作段階で検討されたが、鹵獲された合衆国軍のライフル銃は旧式ながら相当高初速であった。
各種薬品を含浸させ強度を向上させたはずの木造板はたやすく貫通され、場合によっては火災発生のリスクさえ伴うことも予想された。
故に鋼板が妥当とされたがペイロードを増大させたとは言え、軍艦のように分厚い重装甲を施すことなどは、勿論出来るものではない。
そのため靭性にはやや劣るが軽量で硬度には優れる浸炭鋼板が選ばれ、車体全ては無理でも要所に防弾鋼板として増設されることになった。
当然車両への負担は大きく、試作段階ではエンジン側の冷却問題なども生じたが、織田幕府がその豊かな財源から開発支援を実施。
半ば力技で欠点を強引に乗り越え、エンジンや操縦席。銃座の防盾等に装甲を施された自動車-装甲自動車の完成を見ることになる。
493 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:04:39 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [60/125]
4.第二次フロンティア・ウォーにおける装甲自動車部隊
7年の歳月をかけて鉄道網を主体とする侵攻経路、兵站路線の敷設を完了。浸透偵察部隊によるある程度の情報収集にも成功。
これに自信を得た合衆国側は今度こそ相応の根拠のある自信を抱き、西海岸という「フロンティア」への進軍を再開することになる。
当時既に英国などから海運で圧迫を受け始めつつも、これほどの軍事行動を行える点に合衆国の国力の大きさは当時から伺えた。
だが日本側も無為に時を過ごしていたわけではなく、野戦築城や要塞線の拡張強化。防御拠点間の道路網と鉄路のさらなる整備。
各種火力と兵站の拡張。そしてついにものになった装甲自動車部隊による威力偵察行動を、新戦術として取り入れた。
やはり軍事的常識に従い侵攻軍の先鋒を担った合衆国軍軽騎兵などと遭遇し、彼らをして装甲自動車部隊はこう言わしめた。
「日本人は陸の上に軍艦を展開している」と。当時の水準からすれば格段に大きな車体、路上なら毎時40キロ以上の高速。
これまでならばマークスマンライフルによる撃退も不可能でなかった防御力も、要所に装備された浸炭鋼板に阻まれてしまう。
そして銃弾に対し有効な防御力を得たことは乗員に安心を齎し、機関銃の射撃も従来より格段に落ち着いた、正確なものとなった。
結果、軽騎兵部隊による威力偵察は大失敗に終わり、逆に捕虜まで取られ、合衆国軍の大まかな侵攻経路や兵力まで露呈した。
依然として警戒網の数的主力は馬匹騎兵であり、投入された装甲自動車の数は60台程度。常時稼働数は20台程度に過ぎなかった。
しかし銃弾による被害を格段に抑え込み、敵陣深くまで浸透し、確実に情報と特技兵の命を持ち帰る戦力的価値は、相当なものであった。
第二次フロンティア・ウォーも我が火力陣地による突撃破砕が大きな役割を果たしたが、確実な情報の優位性もそれを大いに支えた。
また敵正規軍及び開拓団への追撃作戦にも装甲自動車部隊は参加し、既に大概に士気の下がった敗残兵の心を打ち砕いた。
「まるで家が走ってくるような」と言われた大きな装甲自動車の心理的、物理的衝撃力は、後の機甲戦術に通じる基本を作り上げている。
この成功事例は本土、加州双方で大いに喜ばれ-失敗した場合担当部門は、切腹も覚悟していた-ハード、ソフト双方の研究も進むことになる。
なおフロンティア・ウォーの失敗を補うように行われたメキシコへの侵攻に際しても少数だが、装甲自動車部隊が軍事顧問団ごと参戦。
威力偵察、敵部隊の分断、我が火力陣地への弾着観測などに活躍し、やはり少数ずつであるがついに輸出にさえ成功することになった。
494 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:05:22 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [61/125]
5.21世紀の装甲騎兵
フロンティア・ウォー当時より時代を150年以上を重ねた現在、合衆国という存在は今や非人類勢力圏そのものを指し示す名前となった。
欧州、中国などにも同様の勢力圏がやはり存在し、民間人はおろか軍人でさえ、迂闊に踏み込めない危険地域となっている。
複数回の大規模戦争、そしてそこにおける決定的な敗北が、彼らの精神性を徹底して歪ませ、文字通りの「人でなし」に化けたのである。
今やこれら非人類勢力圏に対する警戒システムは多数の無人航空機、無人機母機、果ては生体バイオロイド歩兵などに委ねられている。
特に最後のそれは人道的に如何なものかと議論を招いたが、最早外交も国際法も存在しない絶滅戦争を前に、その声は下火となった。
誰も自分の父親や夫、息子が人でなしにさらわれ、食料や実験体として-人間の死に方とさえ呼べない最期など、見たくはなかったのだ。
では装甲部隊がお払い箱となったかと言えばそうではない。彼らは確かに練度の高い特技兵を必要とするが、相応の機動力と打撃力。防御力を有する。
またどれほど技術が進んだとしても、最後は人間が注意深く確かめねばならぬ局面も存在し、故に装甲部隊は今なお警戒・打撃手段として存在している。
その中で嘗ての装甲自動車の衣鉢を継ぐ存在として、嘗てより遥かに洗練された装輪装甲車戦闘団等が挙げられるであろう。
8輪独立油気圧・アクティブサスペンションと無段階変速機、軽量高効率ディーゼルという、自動車大国となった我が国の精髄を用いた装甲車である。
装甲兵員輸送車を基本形として開発した上で、120ミリ重迫を搭載する火力支援を担う機動迫撃砲。C4Iシステムを満載した指揮通信車。
大口径機関砲を備える2名式砲塔を搭載した歩兵戦闘車。MBT並のFCSと105ミリ高初速砲さえ有する機動戦闘車等の派生型を開発。
機動戦闘車中隊、機動歩兵(兵員輸送車ないし歩兵戦闘車)3個中隊、機動迫撃砲中隊、本部管理中隊、直接支援中隊等で戦闘団を構築。
装甲車両を同一系統で揃えることで戦力の均質化、移動力及び機動力の向上、、整備及び兵站負担の軽減、自己完結性を高めた警戒部隊である。
その任務は非人類勢力圏に対する無人航空機等と連携した監視網の構築、敵攻撃に際しての緊急展開、主力到着までの遅滞防御等である。
流石に装軌装甲戦闘車両には劣るものの、外装モジュール式複合装甲の開発。105ミリ戦車砲や30ミリ機関砲、重迫撃砲さえ備える大火力。
それらを効率的に用いる共同交戦能力などにより、ただ軽く早いだけではない、歴とした装甲打撃部隊としても機能できる戦闘団である。
同様の車両は英連邦、
アメリカ南部連合などでも開発生産が進んでおり、非人類勢力圏の監視と浸透攻撃阻止に、大いに活躍し続けている。
495 名前:戦車の人[sage] 投稿日:2023/12/31(日) 12:05:59 ID:61-24-203-31.rev.home.ne.jp [62/125]
以上となります、wikiへの転載はご随意に。
上にあったような人海戦術への対抗などを考えますと…装輪装甲車戦闘団。
ちょっと物足りないものでしょうかね?
最終更新:2024年03月06日 23:30