792 :名無しさん:2012/03/14(水) 00:17:55
~とある平和主義者たちの野望~
平成世界で平和主義団体として活動していた彼らは、明治時代初期に転生した。
当初は困惑したのだが、彼らは自分たちの思想の元戦前の悪の大日本帝国の侵略戦争を阻止して大日本帝国を平和国家へとするために行動を開始することを誓いあった。
平和主義を無責任に唱える集団であったのだが、たちの悪いことに彼らは思想以外では極めて優秀な人物たちであったため最上層部にはなれなかったのだが、政策に影響力を与える程度には地位を築くことができた。
彼らの理想の元平和国家にするべくあらゆる政策を提案され、その一部が実行されていく。
その中には義務教育制度の拡充や高校・専門学校・大学・大学院などの教育機関を増加や質の向上を図ったり、貧困層でも学べるように奨学金を手厚くしたり学費の免除などを行った。また貧困地帯の生活環境の改善のため上下水道・医療制度・電話網を整備したり、鉄道・路面電車を日本中に整備する日本列島改造計画を立ち上げたりした。
彼らの行動の結果日本の貧困層は減少して所得が向上して生活環境が良くなった。
一連の政策のための資金源として軍事費を大幅に減少されたため史実のような軍を整備できなくなり、兵部省として存続した。国防政策も鉄道網と要塞と沿岸海軍の整備による本土迎撃型へと変更された。そのため日本は朝鮮・大陸情勢に干渉できなくたったため、一部の政府関係者を落胆させたものの、平和主義者である彼らはこの変更に歓喜した。
この日本の軍事政策の変更によって史実のように
アジアに残虐非道な行動をしなくなり、結果アジア諸国は平和と繁栄を享受できると彼らは確信した。
1904年露清戦争が発生したことは彼らを大いに困惑させた。彼らは日本が侵略戦争をしなければアジア諸国は平和であると考えていたためである。そしてロシアの侵略戦争を阻止してアジア諸国を守ろうと日本を参戦するようにするべく行動をしたのだが、軍事的にも不可能であったこと景気が良かったため政府も世論も参戦に反対であったこと、日本の本土迎撃型国防戦争に自信を持っていたこともあり参戦は圧倒的少数意見となり不可能となった。露清戦争は一年で終了したのだが、清は満州・外モンゴル・内モンゴル・ウイグル・朝鮮半島をロシアに割譲することになった。
“眠れる獅子”といわれていた清のメッキが剥がれたことは欧米列強諸国の中国進出を活発化させた。有色人種が白人国家を破るといったこともないため欧米諸国は遠慮なく進出して中国各地に租界地を獲得した。長江流域と黄河流域を列強諸国の共同勢力圏とされて欧州列強にとって邪魔な民族と中国人を強制移住させて中国分割支配を強化させていくことになった。
一連の列強の行動に平和主義者は騒いだのだが、列強との関係悪化を避けたい政府により黙殺された。民衆も列強の中国進出需要で高度経済成長に突入していたため無視した。
第一次世界大戦・第二次世界大戦が発生したものの日本は国際的地位向上のためある程度派遣するにとどまった。日露戦争がなかったため植民地独立運動も活発化することなく、第二次世界大戦後も欧米の植民地体制は維持されて現在まで存続している。
日本は二度の世界大戦で地位向上をはかることができて列強クラブに入ることができた。
【終了】
中途半端ですし、滅茶苦茶ですけど思いついたネタとして投下しました。
初投下のため下手ですいません。
最終更新:2012年03月17日 15:54