35:モントゴメリー:2023/07/10(月) 20:01:03 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
フランス連邦共和国 Breguet 765 “Sahara”

乗員:3名
全長:約30m
全幅:43m
全高:約9.7m
最高速度:約350 km/h
巡航高度:7,300 m
航続距離:約3500 km(標準搭載量時)
エンジン:グローム・ノーム 14R 星型エンジン 1850馬力×4
搭載量:20トン(標準)
    40トン(最大)
離陸滑走距離:約500m(標準搭載量時)
       約1000m(最大搭載量時)

【概要】
Breguet 765 “Sahara”(ブレゲー 765「サハラ」)はフランス連邦共和国(FFR)で開発された輸送機である。
その最大の特徴は、20世紀中盤という時期に、さらに4発の大型機でありながら『複葉機』である事である。
しかし、その特徴を最大限に活用した短距離離着陸性能は圧巻であり「暗黒の30年」期のアフリカ州における物流、特に軍の緊急展開には欠かせぬ存在となった。

【開発】
ブレゲー765について語るには、まずは前身の761について語らなければならない。
フランスにおける航空機メーカーの雄、ブレゲー社は第二次世界大戦中から戦後の旅客需要を見越して新型旅客機の設計を始めていた。
それこそがブレゲー 761であり、試作機は1949年には初飛行に成功している。
761は片持ち式の主翼を巨大な胴体の中翼位置に配し、主車輪が2重タイヤの引き込み式の首輪式降着装置を備え、後部胴体の高い位置に垂直尾翼と方向舵を2枚もっていた。
エンジンも堂々たる国産エンジン、グローム・ノーム 14R 星型エンジン(1850馬力)を4基装備していた。
そして最大の特徴として客室が二階建てになっており、上部デッキに59名、下部デッキに48名の乗客が搭乗できたが、高積載型では135名までが搭乗できた。
エールフランスはブレゲー761に興味を示し、1951年に「プロバンス」という名称で12機を発注した。
なおその特徴から「デュポン」(Deux-Ponts、ダブルデッキ)と呼ばれるが、これは正式名称ではない。
そしてFFR軍部もこの機体に注目した。
4発のエンジンとその機体規模から、輸送機に改造すれば約20トンの貨物搭載能力があると見込まれたからである。
当時国産機でこれ以上の能力を持つ機体は無く、他国からの輸入は様々な理由から不可能であった。
そして20トンの搭載能力があれば、現在開発中の軽戦車を空輸可能なのだ。
早速ブレゲー社に対して輸送機型の設計が依頼されたが、ここで問題が浮上した。

——運用に必要とされる飛行場の規模である。

この規模の航空機を運用する場合は1000m級の長さの滑走路が必要となるが、FFR国内にはそれほどの滑走路を有する飛行場が少なかったのである。
当時は「本土」と呼ばれていたHexagoneですら、全ての主要都市にある訳ではなかったのである。
(本国化の方針が決定してから治安が加速度的に悪化しているアフリカ州については語るまでもない)
一番飛行場が整備されているのが、戦時中に日本軍の援助を受けて整備されたエストシナ植民地というのが当時のFFRの悲しくも厳然とした事実であった。
戦前から(日蘭両国の影響を受けて)開発が進められてきた複合式飛行船ならば、この問題も解決する。
しかし、アメリカとの関係が断絶一歩手前となった現状ではヘリウムは貴重品であり、おいそれと飛行船を増備することはできなかった。
(流石に戦時中のように水素を使用することはできない)
よって、軍はブレゲー761を基としつつ500m級の滑走路でも離着陸できる輸送機の開発を求めた。
500mという数字は、戦前~戦中に主力輸送・旅客機だったアメリカ製DC-3を運用するのに必要な規模であり、これならば戦前から(比較的)整備されていたからである。

36:モントゴメリー:2023/07/10(月) 20:01:44 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
【設計】
設計を依頼されたブレゲー社であるが、その心境は「ふざけんな!!」であった。
性能を維持したまま離陸滑走距離を半分にしろ、と言われたらそうなるのも当然である。
しかし、ブレゲー社としてもこの無茶ぶりを断れない理由が存在した。
戦後が訪れても期待したほど旅客需要は回復せず、民間での販路拡大に限界が見えていたのである。
(エールフランス航空が購入したのが12機のみというのがその象徴)
倒産という結末を回避するためには、新しい顧客を確保しなければならない。
その意味では、軍からの注文は無理難題であると同時に干天の慈雨でもあったのだ。
ブレゲー社は明日を掴むために、この難題に全力を挙げて取り組んだ。
離陸滑走距離の短縮というのは、航空機が大型化して以来設計者の宿業である。
OCU諸国でも研究は盛んであり、試作機の開発も進んでいるという。
しかし、当時のFFRにはそのような知見の蓄積もなければそれを成す予算もなかった。
(ついでに言えば悠長に研究する時間もない。アフリカ州は今まさに燃えているのだ)
そこで、設計陣は古典的な手法を採ることにした。

———複葉機化である。

翼が2枚になれば、揚力も2倍となり滑走距離は半分になる。
……と言いたいがそんな都合のいい話はない。
複葉にすると翼同士で誘導抗力が発生し、その結果揚力は減少し2倍にはならない。
これは航空機の設計に多少なりとも関わっている人間ならば常識の範疇である。
さらに言えば抗力が増えることにより速度も低下する。
しかし、ブレゲー社設計陣はその「常識」を疑い、そして活路を見出した。

———主翼同士を十分離せば,同じ翼面積/翼幅であれば誘導抗力が減少する

つまり上翼と下翼の間を十分に取れば良いのである。これで揚力は確保できる。
そしてブレゲー761の「2階建て」胴体はそれにうってつけであった。
さらに言うなら、抗力の発生源は支柱と張線が大きな比重を占めている。
ならば、主翼を完全片持ち式にしてしまい支柱と張線を無くしてしまえば良い。
かつては不可能であったが、今の技術ならばそれは可能だ。
こうして設計は完成し、試作機による試験が行われた。
結果、20トンの荷物を搭載しての500m級滑走路からの離陸に成功したのである。
FFR軍部はこの結果に歓喜し、本機の採用を決定。
こうしてブレゲー765「サハラ」は誕生したのである。

37:モントゴメリー:2023/07/10(月) 20:02:18 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
【外観・性能】
外観はブレゲー761を基調としつつ主翼が2枚となり、下翼は低翼配置になった。
さらに、4つのエンジンのうち2つは上翼に配置された。
これは、地上から対空射撃を受けた際、エンジンが全滅するのを防ぐためである。
また、翼内燃料タンクも2倍になったため、航続距離も延伸されている。
(約2200kmから3500kmへ)
これは片道ならばパリからアフリカ州ニジェール県首都ニアメまで無着陸で到達できる数字である。
すなわち、ヨーロッパ州から直接「前線」であるアフリカ州まで物資を輸送できるとうことだ。
また、1000m級滑走路を使用する前提ならば40トンの貨物を搭載できた。これはルノーG型中戦車を輸送可能なことを示している。
(流石に航続距離は2000㎞前後となるが)

【運用】
ブレゲー765「サハラ」は制式採用後、即座に運用が開始された。
主な活動領域はその名の通り、アフリカ州のサハラ砂漠である。
「前線」で戦う陸軍将兵たちは、本国から直接戦車を含む援軍を連れて来てくれるこの機体を心より歓迎した。
「勝利を運んでくる天使」だと呼ぶ兵士もいたほどである。
『暗黒の30年』期、アフリカ州の物流を支えたのはTFLである。
これは純全たる事実であるが、同時にブレゲー765の存在も欠くことのできなかったことは間違いない。
軍の緊急展開については特にそうであった。

38:モントゴメリー:2023/07/10(月) 20:03:24 HOST:116-64-135-196.rev.home.ne.jp
以上です。
ウィキ掲載は自由です。
FFR物流インフラシリーズ、その2でございます。
以前、TFLの項目で「空輸は諦めた」と言いましたがそれは戦時の話。
やはり効率はともかく、迅速さでは空輸に勝るものはありません。
しかし、そこでネックとなるのは飛行場。
大型レシプロ機を運用するのは長さ1000m級の滑走路が必要ですが、そんな大層な設備が1950年代のサハラ砂漠にある訳ないやろ()
(ヨーロッパ州にだってそんなにないわ)
こんな時の特効薬として、日蘭世界には「小学校の校庭でも離着陸できる」複合飛行船があります。
…が、今度はヘリウムが…ね。
結局はSTOL機が最適解となりますのよ。
そして、そんなものに手を出す余裕があるのはOCUのみ。
なので、FFRは温故知新で行きます。

「STOL性能を追求した現代型複葉機」というのは研究されておりまして、こっちのアメリカではこのようなものがございます。

DH-100 DBA
ttps://aviationhumor.net/howard-dba-damn-big-airplane/

サターンV型ロケットのブースターを運ぶためとはいえ、やっぱりアメさんはスケールがでかい。

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最終更新:2024年03月23日 23:12