803 :ひゅうが:2012/03/14(水) 01:03:27
※ 三国大同盟ルートを投下いたします。以前のものとは少し違うルートです。


ネタ――「UN(連合国)旗、征く!!」(ルートB ver)


――西暦1944(昭和19)年8月15日


「待ったかね?」

「いえ閣下。」

ああ謙遜は不要だ。と男がにこやかに笑い、杖をお付きに預けて座る。
既に「客人」たちは席についている。
他愛もない雑談を前菜にした後、彼は円卓を挟んだ向かいに座っている軍服姿の男性に明日の天気を聞くかのように話をふった。

「それで、ムナカタ提督。われらが愛しの同志ヴァルター・ウルブレヒトは最後通告に同意したのかね?」

「はい。」

連合国軍総司令部付きの法務官 宗形玲二大佐は盟邦の元首の問いにはっきりと肯定で答えた。

「もともとドイツ民主共和国は急進的な中央集権化と領邦無視をやっていましたからね。カトリックをはじめとする宗教弾圧も加わり、まぁ反感はたまっていたのでしょう。
それ以上にドイツの伝統である君主へのよく分からない敵意――これは宗教改革時の名残でしょう――が強かっただけの話ですが。

結局偉大なるスパルタクス団の元締めは同志ならざる裏切り者(ユダ)エーリッヒ・ホーネッカーに後ろから刺され、自決しました。
後任のヴィルヘルム・ピーク臨時大統領はまさに今、降伏宣言を発している頃でしょう。」

「それは重畳だな。自由ドイツ軍の動きは?」

今度は別の人物が椅子から立ち上がる。

「はい。自由ドイツ臨時政府首班のアドルフ・ヒトラー氏はベルリン解放を宣言。みずからは1年後の引退を確約し、総選挙には出馬しない構えのようです。
彼らの自由ドイツ党は当面はケルン市長のコンラート・アデナウアー氏を政府首班に推す方針だそうです。」

「ありがとう。さて。」

アメリカ合衆国大統領 フランクリン・D・ローズヴェルトは愛用している日本製の漆塗りの万年筆を手で弄びながら、この「円卓会議」に参加している面々に問うた。

「シマダ閣下、チャーチル閣下、ドイツ問題は一応の方がつきそうです。」

「ええ。長かったですね。」

大日本帝国首相 嶋田繁太郎が肩をすくめる。

「まったく。カエル食いどもの後始末とはいえ、高くついたものですな。あとは――」

大英帝国宰相 ウィンストン・チャーチルが葉巻をゆっくり吸いながら、鋭い眼光を卓上の地図に向ける。
その先には、真っ赤に塗られた大地があった。
USSR、すなわちソヴィエト社会主義共和国連邦。
神なき国はその外郭であった属国群を離脱させられ、今や丸裸となっている。


「あの赤い熊を残すのみ。」

その場に出席していたすべての文武官が頷く。

804 :ひゅうが:2012/03/14(水) 01:04:01


――このような情景が現出していたのは、1920年に発生したとある事件が原因だった。
ポーランド・ソヴィエト戦争、その末期において発生した「ヨゼフ・ピウスツキ将軍暗殺事件」である。
裏切られたウクライナ・ラーダ国のコサックによるものとも、ソ連労農赤軍によるテロルともいわれるその事件により、首都前面に迫る「赤いナポレオン」トゥハチェフスキー将軍を撃退せんと猛進するポーランド騎兵軍団は一時的な攻勢停滞状態に置かれた。
ほんの1日半ほどではあったもののその隙はいかんともしがたく首都ワルシャワは陥落。さらにはヨシフ・スターリンの手による毒ガスなどを使用した容赦ない方位殲滅戦が行われポーランド軍は実質全滅したのだった。

この影響は絶大であった。
ポーランドを下したソ連は勢いに乗りヴァイマール・ドイツと呼ばれるはずだった国の背後を強襲。
ドイツ軍の再建を最後まで許さなかったフランスという援護射撃、そして大戦時に精強な日米両軍によってドイツ軍が壊滅的な打撃を受けていたこともあって同年末までにはライン川からドナウ川沿岸までをその範囲におさめていたのである。
まさしく破滅的な結果だった。
以後、赤軍勝利の立役者トロツキーの活動により欧州は赤化の度合いを深めていく。
1931年には世界恐慌の重みに耐えかねたフランスが共産党一党独裁政権を樹立。
イタリアは南北に分断され、ユーゴスラビアは泥沼の内戦状態に突入。スペインは内戦の果てにフランコ将軍を追い出し社会主義の勝利を高らかに歌い上げていた。

そして赤い津波は極東にも及ぶ。
1933年には北清鉄道の爆破事件を理由としてソ連極東軍が満州の半分を武力制圧。
中華中原ではモンゴル経由での支援を受けた毛沢東率いる中華ソヴィエトと汪兆銘率いる華南同盟軍が長江を挟んで睨み合っていた。

これらの動きが頂点に達したのは、1934年のアメリカでの「ワシントン暴動」。
退役軍人の給与問題を端緒にしたデモにソ連の扇動も加わり、あわやドイツ革命再びという非常事態が発生したのである。
かくて、アメリカ合衆国・大英帝国・日本帝国の三国は「三国防共協定」を締結するに至る。
その動きを主導したローズヴェルトは自身の小児マヒ治療に力を発揮した日本の理化学研究所や、叔父セオドア・ローズヴェルト以来の付き合いを続けている柔道の講道館の協力によるリハビリで歩行能力を取り戻して以来一貫して親日的であり、またチャーチルは第1次世界大戦時の日本海軍の働きを評価していた。
そのため、よくて油断ならない隣国、悪くて敵国という感じであった新興国家との関係を「太平洋の蜜月」といわれるまでに高めることに成功していたのだ。

これらの努力の集大成が、「米英日と自由オランダ・自由ドイツ・自由フランス軍を中心にした連合国軍設立」という歴史的イベントであり、トロツキー暗殺後戦争を開始したスターリンに対する宣戦布告だった。


1年半にわたる戦闘の末、欧州は今や奪還されつつある。

805 :ひゅうが:2012/03/14(水) 01:05:32
「あとは…ソ連の『ロイヤルストレートフラッシュ』が問題となりますか。」

「そこなのですよね・・・。」

ため息をつく嶋田に、ローズヴェルトも苦笑する。
東洋の帝国が保有しつつあり、その投射手段を既に欧州戦線に送り込んでいる原子の光。
赤いドイツの科学力を手に入れたソ連が保有段階に達しつつあるという報告はすでに彼らに入っていた。

「わが海軍も空軍も半壊していますからな、できるのは基地の提供くらいになるのは我慢してほしいですな。」

チャーチルが言う。

「では、やりますか?」

ローズヴェルトは確認する。

「はい。ポーランドを『アトミック・エリア』に変えるという暴挙をしでかした連中です。ここで禍根を絶っておかないといけないでしょう。」

軍人らしい強い意志を込めた瞳で、嶋田はアメリカ合衆国大統領と大英帝国宰相の両方に頷いた。



三巨頭の合議により、ことは決した。
赤いドイツとポーランドから撤退する際、大量の放射性物質をまき散らして連合軍の足止めを図ったソ連の頭上に太陽が出現する未来はかくして確定したのであった。



【あとがき】――というわけで、先にアメリカ涙目ネタの次に三国大同盟ルートを投下してみました。
        歴史的変更点は少な目にしてみましたが、影響が(汗

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最終更新:2012年03月17日 15:58